第11話 美寿々
喫茶〈ノエル〉で出会った彼女の名前は冨永 美寿々。「家の手伝いしながら お針子してるのよ」って言ってたけど 服装にもお化粧にもお金の掛かった美人だし 額面通りに受け取れない気がする。なんか ファッション関係の仕事なんだろうか......?
美寿々さんは 週に2回ほど〈ノエル〉に現れる。
席は決まって 窓際。
長い葉巻を燻らしながら 外を眺めたり 幾三郎君達の議論に耳を傾けたり。たまに 本を読んでることもある。
そして 幾三郎君が1人だと 席を移って来て 幾三郎君に議論を吹っ掛けてきたり からかってきたり......。
「カンボン通りに行ってみたいの アタシ」
「......カンボン通り? 巴里ですか?」
「そう。ヴァンドームって広場の傍にあるらしいわ。お針子にとってのモンパルナスみたいな場所。世界のモードが生まれる場所よ」
Vの発音を強調して美寿々さんが言う。
美寿々さんが どんな仕事なのかは 分からないけど 服作りをしてるのは確からしい。
今日の美寿々さんは 黒のベレーにちょっとタイトな黒いベルベットのワンピース。店に入って来た時は黒革の手袋してた。
帽子のデザインと縫製は自分でやったって言ってた。
「女性の服装は解放されるべきなの。大戦を経て 女だって働くようになったわ。男の所有物じゃあないのよ。働く女のための服装。自由・平等・博愛だって 男だけのモノじゃあないわ」
「自由な女性?」
画帳に目を落としたまま 幾三郎君が聞き返す。
「自分で自分のこと決められる女。働いてお金稼げば 自分を好きにできるでしょう?」
「......そして 美しく?」
「もちろんよ」
この時代 女性に選挙権は無い。
確か 男性も 納税額で制限されてたんだっけ?
「働く女のための服装を作れば 女は自由になれる」
「自由のための美しさですか?」
「違うわ。ためのじゃあないの。自由や平等と美しさは 両立するのよ」
そんな感じの議論とも雑談ともつかぬ時間。
もちろん 幾三郎君は 話しながらも鉛筆を走らせて 美寿々さんの姿を 画帳に残していく。
「描けた?」
「ええ」
「美しく?」
「もちろんです」
掌を向ける美寿々さんに 画帳を手渡す。
「貴方は 美しいモノが好きなの?」
画帳のページを捲りながら 美寿々さんが尋ねる。
「そうですね」
「美しい女性も?」
「その通りです」
画帳から 目を上げ 幾三郎君の目を見ながら 美寿々さんが言う。
壁に揺れるランプの灯りが 美寿々さんの横顔を照らす。
「アタシのことは?」
「美しいと思います」
「女として?」
幾三郎君の沈黙。
視線は 画帳を持つ美寿々さんの白い指。
「絵のモデルとして?」
相変わらず沈黙の幾三郎君。
だけど 微かに視線が上を向く。
「......正直ね」
ランプの灯りの映る美寿々さんの瞳。
揺らめく虹彩が幾三郎君の瞳を見据える。
「アタシは 貴方のこと嫌いじゃないわ......」
.........。
......。
...。
2週間後の水曜日の午前中。
幾三郎君は 美寿々さんの部屋にいた。
場所は三岡の停車場の西側。
僕らの時代だと光岡中央駅の巨大な駅ビルに取り込まれている辺り。
瀟洒な2階建ての小さな洋館。
ある意味 僕らの時代の一戸建てのイメージ。
ただ 表札は【冨永】じゃあなく【武田】。
美寿々さんの家じゃ無いのか?
そこの寝室に通され 美寿々さんのデッサンを黙々と描き上げていく幾三郎君。
茶色と暗紅色の絨毯のひかれた洋室。
天蓋の付いた豪華なベッド。
茶色いベルベットのソファー。
立ったり腰掛けたりしてポーズを取る美寿々さん。
初めて会った時のオレンジ系のスーツ。
黒のブラウスに白いスキニーなロングパンツ。
濃紫の夜会服って感じのドレス。
どの衣装の時も 美寿々さんが自分で手掛けた洒落た帽子。
幾三郎君は ほぼ無言。
美寿々さんは いつものように 取り留めもなく 話題を撒き散らす。
「......貴方は まだ 女の人 好きになったことないのね」
僅かに 幾三郎君の鉛筆の速度が落ちる。
「......だと思った。だから そんなに上手に女のこと描けるのよ」
「?」
「だってそうでしょう? 貴方の絵の女には 心が無いわ。相手のこと心の奥まで知りたいって欲が無いのね。何処までも 目に写った姿を絵筆に載せてるだけ」
「見えぬモノは 描けません」
「そうよね。見えぬモノを描こうとするから嘘ができる。嘘があるから 絵が歪む」
美寿々さんは立ち上がり サイドボードに置かれた水差しからコップに水を注ぎ 軽く口をつける。
そしてベッドに戻りながら こちらを見ずに言う。
「......でも 人って もともと歪んでるモノではなくって?」
振り向いた美寿々さんは 白いブラウスのボタンを外していた。
ベージュ色のブラジャーが覗いて 白い膨らみが見える。
「アタシはね 貧しい士族の家に生まれたの。堅苦しくて 貧しくて 何の自由も無い家だった。そんな ある日 巴里のことを知ったの。自由の都。巴里に憧れて 仏蘭西に憧れて 自由な女になりたくて 自由恋愛に憧れたわ」
ブラウスを肩脱ぎにしながら 美寿々さんは続ける。
「......色んな男達と寝たわ」
鉛筆を止めて美寿々さんの瞳を見つめる幾三郎君。
暖炉で木が弾ぜる パチパチという音が 静かに響く。
「ふふっ あんまり動揺してくれないのね」
少し哀しげな色を瞳に浮かべ 美寿々さんが微笑む。
「自由に憧れて 自由を手に入れるために力のある男達の許を渡り歩いて 歩いて......気がついたら 今のアタシは武田の妾」
胸元をはだけた 艶めかしい姿のまま 美寿々さんはベッドに腰掛けポーズを取る。
無言のまま 鉛筆を走らせ始める幾三郎君。
「知ってるでしょ 武田 英俊......鳳地所の」
鳳地所?
今の朱雀不動産のことかな?
戦前から大きな会社だったって聞いたことあるけど。
「お金も 憧れだった巴里の衣装も手に入れたけど アタシは 相変わらず籠の中の小鳥。やっぱり自由な空は遠いまま」
「......貴女は 本当に美しいと思います」
幾三郎君は いつになく力を込めて鉛筆を走らせた......。
.........。
......。
...。