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第9話 光岡美術院




 
 光岡美術院の一室で 幾三郎君は岩絵具をゴリゴリと潰し色作り。
 かれこれ もう3日目。
 納得の色ができるまで 微妙な調整を続けてる。
 粒子の細かさまで 拘ったミモザ。

 デッサンでは 小豆色だった稲ちゃんの着物は ミルクホールの制服のミモザの着物に。
 背中と胸元をはだけ 振り向くように こちらを陶然と見つめる稲ちゃん。

 裸婦像19『女給』。

 絵の具が出来上がったら ほぼ1日で仕上がった。
 油彩とは 技法がそもそも違うけど 一発描きなら なおのこと 習作 沢山描くのかな?って思ったら 習作は ほんの数点。
 完成イメージが完璧に脳内にある感じ。
 色も出来てるんだろうな。
 そのイメージに近づける作業が3日間。


 ただ 出来上がった絵を 幾三郎君は 指導の教授に見せはしなかった。
 ......お兄さんにも。

 どうやら 幾三郎君の指導教授は 風景画が専門みたい。
 裸婦像を描いてることは 教授には伝えてない。
 友人達にも 知らせてない。

 ボクの指導の梶本先生は 油彩やグラフィティアートが専門で ボクもそういう画風に憧れてゼミに入ったんだけど『違う畑の勉強も大事』ってことで日本画の城隍に関する課題を出された。それは先生が若い頃『油彩やる人間が他の画風を学ぶのは邪道』みたいな指導された反動だって 先生が言ってた。今でも そーゆー考え方の大家も多いって話もしてた。この大正の頃だと もっと固陋ころうな感じだったのかな?

 幾三郎君は 完成した絵を 持って帰って自宅の押入れに仕舞った。
 仕舞う時に見たけど あと数枚の裸婦像が完成してるみたいだった。
 今回の稲ちゃんをモデルにした裸婦像は たぶん裸婦像19『女給』って呼ばれている作品。
 城隍の裸婦像27点の内 着色の作品と色数の少ない作品があって 同じ『女給』の場合には 色数の少ない方が習作的な作品で 着色のものが最終形ってゆーのが定説だったんだけど ボクが見た感じじゃ どーもそう言うワケでも無いらしい。


 ......そう言う意味では『しのぶ』が〈城隍最後の裸婦像〉ってゆーのも仮説の1つに過ぎないワケだけど。


 

「......帝展の準備は どんな具合だ?」

 
 秋 10月の夜更け。
 ランプの下での長谷浦兄弟の夕食。
 焼き秋刀魚を 箸で器用に切り分けながら郁二郎兄さんが聞いてきた。
 
 
「先生は 昨年のように 写生旅行に出て 題材を探せばよかろうとおっしゃるのですが......。お金もありませんし 僕は 新しい...」

「わかった。親父に電報打って 仕送りするように言ってやる」

「いえ 兄さん。仕送りは この間もしてもらいましたし。それに 描きたい題材も...」

「心配するな。先生も 写生旅行へ行けとおっしゃってるんだろう? 上の方の引きってのは 大事なものだ。ここは 俺に任せておけ」


 お兄さんは 1人合点すると 秋刀魚の切り身を頬張り ぐい飲みを差し出す。
 幾三郎君は 何か言いたそうにしながらも 徳利で そこへお酒を注ぐ。
 郁二郎さんは グッと一息に飲み干すと ぐい飲みを幾三郎君に押し付けてくる。


「いえ 兄さん。僕は あまり酒は......」

「まぁ そう言わず飲んでおけ」


 そう言って 徳利から並々と注いでくれる。
 少し目を伏せるように ぐい飲みを見ていた郁二郎さんが 目を上げ 幾三郎君の目を覗く。
 

「言いたいことが あるのだろう?」
 

 暫しの沈黙。
 庭先から 聞こえる鈴虫の聲だけが 居間に響く。

 幾三郎君が 口を開こうとする機先を制するように 郁二郎さんが 言葉を続ける。

 
「 ......だがな 上の方の引きってのは 誰にでも あるもんじゃないんだ」

「......兄さん」

「俺みたいな 士官学校の席次の低かった男には 眩しいばかりの僥倖ぎょうこうだ。お前は優秀だし 先生の覚えも目出度い。それは...な 誰にでもあることじゃないんだ」


 ランプの炎が揺れ お兄さんの貌に複雑な陰翳を作り出す。
 幾三郎君の目を真っ直ぐ見詰める郁二郎さんの 眼差しは熱くて哀しい。


「俺は 席次が低かったばかりに輜重しちょうの仕事だ。輜重だって立派な軍のお役目。俺だって陛下の股肱ここう。お国を想う気持ちは 誰にも負けん。......だがな 世間は そうは見てくれん。そうは 見てくれんのだ」


 よくは わかんないけど 輜重科ってことで バカにされたりすることが あるみたいだ。正直 ボクも輜重科なんてのがあるって 知らなかったし。陸軍っていえば歩兵とか砲兵とか そんなイメージ。


「......言いたいことも あるだろうが グッと飲み干せ」


 郁二郎さんの気迫に圧されるように 幾三郎君は ぐい飲みに口をつけ 並々注がれた日本酒を喉に流し込む。


「幾三郎 お前は 日の当たる道を歩け。金なら 俺がなんとかしてやる......」


 いつも物静かな郁二郎さんの言葉は 殊更 熱くボクの耳に残った。
 たぶん 幾三郎君の心にも......。
 .........。
 ......。
 ...。
 


 
 

 
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城隍亭 画帳控え作者:金星タヌキ
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第9話 光岡美術院




 
 光岡美術院の一室で 幾三郎君は岩絵具をゴリゴリと潰し色作り。
 かれこれ もう3日目。
 納得の色ができるまで 微妙な調整を続けてる。
 粒子の細かさまで 拘ったミモザ。

 デッサンでは 小豆色だった稲ちゃんの着物は ミルクホールの制服のミモザの着物に。
 背中と胸元をはだけ 振り向くように こちらを陶然と見つめる稲ちゃん。

 裸婦像19『女給』。

 絵の具が出来上がったら ほぼ1日で仕上がった。
 油彩とは 技法がそもそも違うけど 一発描きなら なおのこと 習作 沢山描くのかな?って思ったら 習作は ほんの数点。
 完成イメージが完璧に脳内にある感じ。
 色も出来てるんだろうな。
 そのイメージに近づける作業が3日間。


 ただ 出来上がった絵を 幾三郎君は 指導の教授に見せはしなかった。
 ......お兄さんにも。

 どうやら 幾三郎君の指導教授は 風景画が専門みたい。
 裸婦像を描いてることは 教授には伝えてない。
 友人達にも 知らせてない。

 ボクの指導の梶本先生は 油彩やグラフィティアートが専門で ボクもそういう画風に憧れてゼミに入ったんだけど『違う畑の勉強も大事』ってことで日本画の城隍に関する課題を出された。それは先生が若い頃『油彩やる人間が他の画風を学ぶのは邪道』みたいな指導された反動だって 先生が言ってた。今でも そーゆー考え方の大家も多いって話もしてた。この大正の頃だと もっと固陋ころうな感じだったのかな?

 幾三郎君は 完成した絵を 持って帰って自宅の押入れに仕舞った。
 仕舞う時に見たけど あと数枚の裸婦像が完成してるみたいだった。
 今回の稲ちゃんをモデルにした裸婦像は たぶん裸婦像19『女給』って呼ばれている作品。
 城隍の裸婦像27点の内 着色の作品と色数の少ない作品があって 同じ『女給』の場合には 色数の少ない方が習作的な作品で 着色のものが最終形ってゆーのが定説だったんだけど ボクが見た感じじゃ どーもそう言うワケでも無いらしい。


 ......そう言う意味では『しのぶ』が〈城隍最後の裸婦像〉ってゆーのも仮説の1つに過ぎないワケだけど。


 

「......帝展の準備は どんな具合だ?」

 
 秋 10月の夜更け。
 ランプの下での長谷浦兄弟の夕食。
 焼き秋刀魚を 箸で器用に切り分けながら郁二郎兄さんが聞いてきた。
 
 
「先生は 昨年のように 写生旅行に出て 題材を探せばよかろうとおっしゃるのですが......。お金もありませんし 僕は 新しい...」

「わかった。親父に電報打って 仕送りするように言ってやる」

「いえ 兄さん。仕送りは この間もしてもらいましたし。それに 描きたい題材も...」

「心配するな。先生も 写生旅行へ行けとおっしゃってるんだろう? 上の方の引きってのは 大事なものだ。ここは 俺に任せておけ」


 お兄さんは 1人合点すると 秋刀魚の切り身を頬張り ぐい飲みを差し出す。
 幾三郎君は 何か言いたそうにしながらも 徳利で そこへお酒を注ぐ。
 郁二郎さんは グッと一息に飲み干すと ぐい飲みを幾三郎君に押し付けてくる。


「いえ 兄さん。僕は あまり酒は......」

「まぁ そう言わず飲んでおけ」


 そう言って 徳利から並々と注いでくれる。
 少し目を伏せるように ぐい飲みを見ていた郁二郎さんが 目を上げ 幾三郎君の目を覗く。
 

「言いたいことが あるのだろう?」
 

 暫しの沈黙。
 庭先から 聞こえる鈴虫の聲だけが 居間に響く。

 幾三郎君が 口を開こうとする機先を制するように 郁二郎さんが 言葉を続ける。

 
「 ......だがな 上の方の引きってのは 誰にでも あるもんじゃないんだ」

「......兄さん」

「俺みたいな 士官学校の席次の低かった男には 眩しいばかりの僥倖ぎょうこうだ。お前は優秀だし 先生の覚えも目出度い。それは...な 誰にでもあることじゃないんだ」


 ランプの炎が揺れ お兄さんの貌に複雑な陰翳を作り出す。
 幾三郎君の目を真っ直ぐ見詰める郁二郎さんの 眼差しは熱くて哀しい。


「俺は 席次が低かったばかりに輜重しちょうの仕事だ。輜重だって立派な軍のお役目。俺だって陛下の股肱ここう。お国を想う気持ちは 誰にも負けん。......だがな 世間は そうは見てくれん。そうは 見てくれんのだ」


 よくは わかんないけど 輜重科ってことで バカにされたりすることが あるみたいだ。正直 ボクも輜重科なんてのがあるって 知らなかったし。陸軍っていえば歩兵とか砲兵とか そんなイメージ。


「......言いたいことも あるだろうが グッと飲み干せ」


 郁二郎さんの気迫に圧されるように 幾三郎君は ぐい飲みに口をつけ 並々注がれた日本酒を喉に流し込む。


「幾三郎 お前は 日の当たる道を歩け。金なら 俺がなんとかしてやる......」


 いつも物静かな郁二郎さんの言葉は 殊更 熱くボクの耳に残った。
 たぶん 幾三郎君の心にも......。
 .........。
 ......。
 ...。
 


 
 

 
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