ホーム›城隍亭 画帳控え›第18話 絹枝
← 次の話目次前の話 →

第18話 絹枝




「ねぇ 幾三郎さんって 風景画家だけど 人も描くんでしょ? なら 絹枝のことも描いてよ?」


 8月の昼下がり 縁側から見える小庭の露草をスケッチする幾三郎君の横に座り 自分をモデルに絵を描くようにせがむ絹枝ちゃん。
 今日は 白地に朱色格子の浴衣姿。前から 時々 遊びには来る娘だったけど 最近は 毎日のように来る。まぁ 学校が夏休みっていうのもあるんだろうけど。
 相変わらず 幾三郎君は ほぼ無視するような感じで 鉛筆を走らせる。


「この間 バスを待ってるところ見かけたけど 向かいのバス亭に立ってた女の人のこと描いてたでしょ? 人も描けるんなら 絹枝も描いてよ みんなに見せたいし。絹枝って 結構 美人な方だと思うんだけど?」

「......また 機会があれば」


 しつこく何度も言われたのを面倒に感じたのか 珍しく返事をする 幾三郎君。しかも 幾三郎君にしては 本当に珍しい社交辞令。......ただ 絹枝ちゃんも小さい子どもじゃないからな。


「機会があればって いつなの? そんな誤魔化した言い方しないでよ。本当に嫌な人。......しのぶ姉さんには 優しくしてる癖に」


 長い髪を1つ括りにした顔に あからさまに苛ついた表情を浮かべる絹枝ちゃん。
 一瞬 鉛筆走る速度が落ちた気がするけど 幾三郎君は露草のスケッチを続ける。
 それを無視されたと感じたのか 絹枝ちゃんは立ち上がりながら さらに感情的な言葉を投げつけてくる。


「しのぶはね 妾の子なのよ。坂本の家のお荷物なのッ」


 幾三郎君の鉛筆を握る手にグッと力が入る。ただ 視線は露草から動かない。
 その態度に 苛立ちを強める絹枝ちゃん。


「なんで 絹枝のこと無視すんのよッ。アイツ 売女ばいたの子よッ 輜重の冴えない男が お似合いのつまんない女なのにッ」


 ─── パァンッ ───


 前にも言ったかもしれない。幾三郎君の中にいるボクの触覚は かなり鈍くなっている。
 ......でも 右手の甲が痺れていた。

 立ち上がった幾三郎君の横に倒れ伏している絹枝ちゃん。
 
 ......いや。絹枝ちゃんの言葉は 絶対に言っちゃいけない種類の言葉だった。それは 確か。でも... だけど...... 大人の男が 手の甲が痺れる程 強く女の子の頬を張るっていうのは 許されることなんだろうか?

 無言のまま 立ち尽くす幾三郎君。
 その見下ろすような視線を受けながら 絹枝ちゃんは ゆっくりと立ち上がり 涙目のまま こちらも無言で頬を押さえ 母屋の方へと去って行った......。
 .........。
 ......。
 ...。


 ボクには 彼女がいる。
 自分的には 一世一代の大恋愛だったって思ってるけど 実際には 1人としか付き合ったことない訳で 恋愛や男女関係に詳しい人間じゃあない。
 そんなボクには 次の日起こったことは 完全に理解の範疇を超えていた。

 幾三郎君が 絹枝ちゃんの頬を強く張った次の日。
 絹枝ちゃんは 幾三郎君の部屋を訪ねて来た......無言で。

 そして そんな絹枝ちゃんを 幾三郎君は画帳に描いたんだ。
 幾三郎君が描くっていうことは 要するに そ・う・い・う・こ・と・...だ。

 1日だけじゃない。
 彼女は この夏 何回も何回も幾三郎君の部屋を訪れた。
 命令された訳でも 脅された訳でもない。
 でも 笑顔でやってくる訳でもない。
 そして 画帳に溜まっていく 絹枝ちゃんのデッサン。

 裸婦像17 22 26『女学生』。
 それは 城隍と絹枝夫人の長い歳月をかけた純愛の証っていうのが定説。
 
 ......でも たぶん......。
 定説は間違ってる......。
 .........。
 ......。
 ...。
 
 


 
シェア
前の話 →
第17話 聖心館女学園
← 次の話
第19話 朝顔
城隍亭 画帳控え作者:金星タヌキ
目次を見る
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム›城隍亭 画帳控え›第18話 絹枝
← 前の話目次次の話 →

第18話 絹枝




「ねぇ 幾三郎さんって 風景画家だけど 人も描くんでしょ? なら 絹枝のことも描いてよ?」


 8月の昼下がり 縁側から見える小庭の露草をスケッチする幾三郎君の横に座り 自分をモデルに絵を描くようにせがむ絹枝ちゃん。
 今日は 白地に朱色格子の浴衣姿。前から 時々 遊びには来る娘だったけど 最近は 毎日のように来る。まぁ 学校が夏休みっていうのもあるんだろうけど。
 相変わらず 幾三郎君は ほぼ無視するような感じで 鉛筆を走らせる。


「この間 バスを待ってるところ見かけたけど 向かいのバス亭に立ってた女の人のこと描いてたでしょ? 人も描けるんなら 絹枝も描いてよ みんなに見せたいし。絹枝って 結構 美人な方だと思うんだけど?」

「......また 機会があれば」


 しつこく何度も言われたのを面倒に感じたのか 珍しく返事をする 幾三郎君。しかも 幾三郎君にしては 本当に珍しい社交辞令。......ただ 絹枝ちゃんも小さい子どもじゃないからな。


「機会があればって いつなの? そんな誤魔化した言い方しないでよ。本当に嫌な人。......しのぶ姉さんには 優しくしてる癖に」


 長い髪を1つ括りにした顔に あからさまに苛ついた表情を浮かべる絹枝ちゃん。
 一瞬 鉛筆走る速度が落ちた気がするけど 幾三郎君は露草のスケッチを続ける。
 それを無視されたと感じたのか 絹枝ちゃんは立ち上がりながら さらに感情的な言葉を投げつけてくる。


「しのぶはね 妾の子なのよ。坂本の家のお荷物なのッ」


 幾三郎君の鉛筆を握る手にグッと力が入る。ただ 視線は露草から動かない。
 その態度に 苛立ちを強める絹枝ちゃん。


「なんで 絹枝のこと無視すんのよッ。アイツ 売女ばいたの子よッ 輜重の冴えない男が お似合いのつまんない女なのにッ」


 ─── パァンッ ───


 前にも言ったかもしれない。幾三郎君の中にいるボクの触覚は かなり鈍くなっている。
 ......でも 右手の甲が痺れていた。

 立ち上がった幾三郎君の横に倒れ伏している絹枝ちゃん。
 
 ......いや。絹枝ちゃんの言葉は 絶対に言っちゃいけない種類の言葉だった。それは 確か。でも... だけど...... 大人の男が 手の甲が痺れる程 強く女の子の頬を張るっていうのは 許されることなんだろうか?

 無言のまま 立ち尽くす幾三郎君。
 その見下ろすような視線を受けながら 絹枝ちゃんは ゆっくりと立ち上がり 涙目のまま こちらも無言で頬を押さえ 母屋の方へと去って行った......。
 .........。
 ......。
 ...。


 ボクには 彼女がいる。
 自分的には 一世一代の大恋愛だったって思ってるけど 実際には 1人としか付き合ったことない訳で 恋愛や男女関係に詳しい人間じゃあない。
 そんなボクには 次の日起こったことは 完全に理解の範疇を超えていた。

 幾三郎君が 絹枝ちゃんの頬を強く張った次の日。
 絹枝ちゃんは 幾三郎君の部屋を訪ねて来た......無言で。

 そして そんな絹枝ちゃんを 幾三郎君は画帳に描いたんだ。
 幾三郎君が描くっていうことは 要するに そ・う・い・う・こ・と・...だ。

 1日だけじゃない。
 彼女は この夏 何回も何回も幾三郎君の部屋を訪れた。
 命令された訳でも 脅された訳でもない。
 でも 笑顔でやってくる訳でもない。
 そして 画帳に溜まっていく 絹枝ちゃんのデッサン。

 裸婦像17 22 26『女学生』。
 それは 城隍と絹枝夫人の長い歳月をかけた純愛の証っていうのが定説。
 
 ......でも たぶん......。
 定説は間違ってる......。
 .........。
 ......。
 ...。
 
 


 
シェア
← 前の話
第17話 聖心館女学園
次の話 →
第19話 朝顔
城隍亭 画帳控え作者:金星タヌキ
目次
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません