ホーム›城隍亭 画帳控え›第4話 光岡本町
← 次の話目次前の話 →

第4話 光岡本町




 朝食が終わり 郁二郎兄さんは 支度を終え 広河原の連隊本部へと出勤して行った。
 長谷浦兄弟が暮らすこの平屋は 隣の屋敷の離れとして建てられたらしい。使われなくなった離れを下宿として賃貸ちんがししてるみたい。
 隠居処として建てられたらしいから 小さいながらも 杉板の欄間の装飾が透かし彫りの七福神になってたりして かなり凝った造り。床の間にも 誰がやってくれているのか 数日おきに 新しい花が生けられている。一昨日からは 竜胆りんどうが清楚な姿を見せていた。 
 隣の母屋で働く下女のお松さんってお婆さんが 兄弟の分の洗濯や夕食の準備をしてくれてる。朝食は 夕飯と一緒に作ってくれて 納戸に仕舞っておいてくれてる。電子レンジはもちろん 冷蔵庫もガスコンロも無い暮らし。百年前の光岡の暮らしだ。

 幾三郎君はタライに朝食の洗い物を浸けると 学校へ行く準備を始める。キャンバス地の肩掛けカバンを斜め掛けにし学帽を被る。この時代の男性は すべからく帽子を被ってる。羽織袴のオジサンも帽子 スーツ姿のお兄さんも帽子だ。幾三郎君もしっかり学帽を被り茶色い革靴を履く。
 書生スタイルってヤツだ。
 ちなみに 髪型はセンター分けにして 後ろは短く刈り込んでいる。

 そして大きな画帳を抱える。ボクらの時代でいうA3くらいのケント紙を綴紐つづりひもで綴とじたお手製の画帳らしい。幾三郎君は この画帳に四六時中デッサンをし続けている。文字通り四六時中だ。
 家を出て砂砂利すなじゃりの道を歩き 大通りへと出る。
 ボクらの時代だと 本町通りとして片側二車線の大通りになってる道だけど この頃は いいとこ二車線くらいの幅でこの道も未舗装。ただ自動車は 全くと言っていいほど走っていない。こちらに来て2週間。たぶんまだ 20台見てないと思う。かなりのレアさ加減だ。代わりに走っている(......いや。走ってはないな。歩いてる)のは馬やロバが牽く荷車。
 それでも この本町通りはバス通りで ちゃんとバス停がある。幾三郎君は ここからバスに乗って美術院のある六ヶ杜に向かうんだけど その待ち時間にも 画帳を開いてスケッチを始める。

 ボクがスマホ取り出すような感覚で画帳を開く。もちろんA3いっぱいに描くんじゃなくて 10㎝四方くらいのスペースにドンドン描いてく。そのデッサンスピードは脅威的だった。ボクもデッサンは遅い方じゃないけど 幾三郎君のそれは 迷いがホントに欠片も感じられない。1本の線でモノの形象を一瞬で掴み取る。もちろん 精密に見切ることのできるデッサン力の賜物だ。
 バスを待つ10分もない時間の間に 道端でエサを啄ついばむ土鳩のスケッチが終わっていた。バスが走る間も鉛筆は走り続け 車掌として乗り込んでいるバスガールの横顔を描ききった。少し鼻の低い さして美人とは言い難い女性。でも 耳から顎にかけてのラインがシャープで 美しいデッサンだった。


 バスに揺られて20分ほどで六ヶ杜に着く。ボクらの時代だと本町~六ヶ杜って10分ちょっとのイメージだけど 渋滞も信号待ちも 一切無いのに ずいぶん時間が掛かる。まぁ 道が悪いっていうのもあるし バス自体も あんまりスピードが出てない感じ。全体的に ゆっくりと時間が流れている気がする。

 六ヶ杜の辺りは ボクの知ってる雰囲気とあまり変わらない。緑が多くて 閑静な佇まい。市立美大(この時代は光岡美術院)のランドマークであるレンガ造りの時計塔と本館は ボクのイメージより随分と新しいんだけど......当たり前だ。まだ 建てられて10年ほどしか経ってないんだもんな。
 幾三郎君は 本館には入らず 木造2階建ての校舎に入り講義を受けたり制作したり。まぁ 美大の常で少人数での授業。幾三郎君は 友達と話したり 小難しい議論をしたり ここら辺はボクの学生生活と似てるって言えば似てる。違うのは 女の子が全くいないこと。幾三郎君の友達にいないんじゃなくて 学・校・に・い・な・い・。女子学生を受け入れてないのか? 女子の進学率が低かったのか? 美術院の中で女性の姿を見かけることはない。21世紀生まれのボクにとっては ある意味異様な光景だった。


 午前の講義を終えて 幾三郎君は 美術院を出る。昼食をとるために 歩いて弁天町へと向かう。ここ数日 お決まりのパターンだ。
 .........。
 ......。
 ...。

 
 
 
シェア
前の話 →
第3話 長谷浦 幾三郎
← 次の話
第5話 ミルクホール
城隍亭 画帳控え作者:金星タヌキ
目次を見る
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム›城隍亭 画帳控え›第4話 光岡本町
← 前の話目次次の話 →

第4話 光岡本町




 朝食が終わり 郁二郎兄さんは 支度を終え 広河原の連隊本部へと出勤して行った。
 長谷浦兄弟が暮らすこの平屋は 隣の屋敷の離れとして建てられたらしい。使われなくなった離れを下宿として賃貸ちんがししてるみたい。
 隠居処として建てられたらしいから 小さいながらも 杉板の欄間の装飾が透かし彫りの七福神になってたりして かなり凝った造り。床の間にも 誰がやってくれているのか 数日おきに 新しい花が生けられている。一昨日からは 竜胆りんどうが清楚な姿を見せていた。 
 隣の母屋で働く下女のお松さんってお婆さんが 兄弟の分の洗濯や夕食の準備をしてくれてる。朝食は 夕飯と一緒に作ってくれて 納戸に仕舞っておいてくれてる。電子レンジはもちろん 冷蔵庫もガスコンロも無い暮らし。百年前の光岡の暮らしだ。

 幾三郎君はタライに朝食の洗い物を浸けると 学校へ行く準備を始める。キャンバス地の肩掛けカバンを斜め掛けにし学帽を被る。この時代の男性は すべからく帽子を被ってる。羽織袴のオジサンも帽子 スーツ姿のお兄さんも帽子だ。幾三郎君もしっかり学帽を被り茶色い革靴を履く。
 書生スタイルってヤツだ。
 ちなみに 髪型はセンター分けにして 後ろは短く刈り込んでいる。

 そして大きな画帳を抱える。ボクらの時代でいうA3くらいのケント紙を綴紐つづりひもで綴とじたお手製の画帳らしい。幾三郎君は この画帳に四六時中デッサンをし続けている。文字通り四六時中だ。
 家を出て砂砂利すなじゃりの道を歩き 大通りへと出る。
 ボクらの時代だと 本町通りとして片側二車線の大通りになってる道だけど この頃は いいとこ二車線くらいの幅でこの道も未舗装。ただ自動車は 全くと言っていいほど走っていない。こちらに来て2週間。たぶんまだ 20台見てないと思う。かなりのレアさ加減だ。代わりに走っている(......いや。走ってはないな。歩いてる)のは馬やロバが牽く荷車。
 それでも この本町通りはバス通りで ちゃんとバス停がある。幾三郎君は ここからバスに乗って美術院のある六ヶ杜に向かうんだけど その待ち時間にも 画帳を開いてスケッチを始める。

 ボクがスマホ取り出すような感覚で画帳を開く。もちろんA3いっぱいに描くんじゃなくて 10㎝四方くらいのスペースにドンドン描いてく。そのデッサンスピードは脅威的だった。ボクもデッサンは遅い方じゃないけど 幾三郎君のそれは 迷いがホントに欠片も感じられない。1本の線でモノの形象を一瞬で掴み取る。もちろん 精密に見切ることのできるデッサン力の賜物だ。
 バスを待つ10分もない時間の間に 道端でエサを啄ついばむ土鳩のスケッチが終わっていた。バスが走る間も鉛筆は走り続け 車掌として乗り込んでいるバスガールの横顔を描ききった。少し鼻の低い さして美人とは言い難い女性。でも 耳から顎にかけてのラインがシャープで 美しいデッサンだった。


 バスに揺られて20分ほどで六ヶ杜に着く。ボクらの時代だと本町~六ヶ杜って10分ちょっとのイメージだけど 渋滞も信号待ちも 一切無いのに ずいぶん時間が掛かる。まぁ 道が悪いっていうのもあるし バス自体も あんまりスピードが出てない感じ。全体的に ゆっくりと時間が流れている気がする。

 六ヶ杜の辺りは ボクの知ってる雰囲気とあまり変わらない。緑が多くて 閑静な佇まい。市立美大(この時代は光岡美術院)のランドマークであるレンガ造りの時計塔と本館は ボクのイメージより随分と新しいんだけど......当たり前だ。まだ 建てられて10年ほどしか経ってないんだもんな。
 幾三郎君は 本館には入らず 木造2階建ての校舎に入り講義を受けたり制作したり。まぁ 美大の常で少人数での授業。幾三郎君は 友達と話したり 小難しい議論をしたり ここら辺はボクの学生生活と似てるって言えば似てる。違うのは 女の子が全くいないこと。幾三郎君の友達にいないんじゃなくて 学・校・に・い・な・い・。女子学生を受け入れてないのか? 女子の進学率が低かったのか? 美術院の中で女性の姿を見かけることはない。21世紀生まれのボクにとっては ある意味異様な光景だった。


 午前の講義を終えて 幾三郎君は 美術院を出る。昼食をとるために 歩いて弁天町へと向かう。ここ数日 お決まりのパターンだ。
 .........。
 ......。
 ...。

 
 
 
シェア
← 前の話
第3話 長谷浦 幾三郎
次の話 →
第5話 ミルクホール
城隍亭 画帳控え作者:金星タヌキ
目次
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません