第7話 稲
デパートの食堂でコロッケを食べた幾三郎君と稲ちゃんは もう1度 弁天町の方へ。
今度は 稲ちゃんが先に立って案内してくれて 元のミルクホールの角から 裏路地へと入っていく。
ボクらの時代 弁天町の裏路地の方って 飲み屋や風俗店が並んでるイメージで ちょっと怖い感じ。正直 ボクは よく知らない。大正の頃は どんな感じだったんだろう?
秋の夜7時。
薄明の裏路地には 表通りとは違って 木造の二階建てが肩を寄せ合うように軒を連ねている。
店の入り口とおぼしき場所には 屋号の入った提灯やボンボリが ぼんやりとした明かりを灯していた。
時折 秋の夕風に蝋燭の火が一斉に揺れて幻想的に街が踊る。21世紀生まれのボクが初めて見る宵闇の幽玄。
2人は その内の1軒〈白木屋〉って書かれた店に入る。
名前とは裏腹に 黒く煤けた感じのお世辞にも綺麗とは言い難い店だった。
何のお店なのか?
薄暗い店内には 商品も何もなく 普通の民家みたいに見える。
入り口右手に番台があって 皺くちゃのお婆さんが 死人みたいな無表情で 幾三郎君のことを見るともなく見ている。
稲ちゃんは 老婆と二言三言 言葉を交わすと勝手知ったる感じで かまちを上がる。
幾三郎君も 靴を下駄箱に預け 上へ。
急な木造の階段を昇って 低い天井の2階の1室へと入る。
稲ちゃんは マッチを擦って 天井から吊されたランプに火を入れた。
三畳ほどの狭い部屋。
その真ん中に敷かれた薄い布団。
さすがに鈍いボクでも気付く。
ここが何の店か。
連れ込み宿......ボクらの言葉で言えばラブホってヤツだ。
稲ちゃん未成年なんじゃ?
ここが どんな場所か分かってるのかな?
モデルするって約束だったし ここでデッサンするのか?
だけど そもそも 未成年の子のヌード描くってヤバいんじゃないの?
......いや。
違う。
......そうじゃあ ないんだ。
稲ちゃん ここの老婆と顔見知りって感じで 上がってた。
それに ここまで 稲ちゃんが 幾三郎君を連れて来たんだ。
稲ちゃんが連れ込まれたワケじゃない。
......そう。ここが 稲ちゃんの〈家〉なんだ。
この場所は ラブホですらなかった。
稲ちゃんの本当の職業が分かる。
さっきのチップの意味も ミルクホールをすぐに出られた理由も。
ボクの21世紀的常識がガンガン警鐘を鳴らすけど 前にも言った通り ボクの意識は幾三郎君の行動に何の影響も与えることはできはしない。
「そこに立って」
幾三郎君は 稲ちゃんに指示を与えると胡坐をかいて画帳を取り出す。
稲ちゃんは 着物姿のまま。
ちょっとホッとするけど でも『女給』って題名の裸婦像は3枚存在する。そして そのモデルは たぶん稲ちゃん。
「矢張り背中の線が美しいね......」
幾三郎君は 自分が美しいと思ったことを言葉にしながら 稲ちゃんをデッサンしていく。
1枚 また 1枚。
1枚書き終わる毎にポーズに指示を出して 美しさを褒めながら描いていく。
本当に美しくて 正確なデッサン。
幾三郎君が 稲ちゃんの何処に美しさを感じたかが分かる そして その美しさが画帳の上に描線として正確に固定されていく。
途中からは 1枚書き終わる毎に 着てる物を1枚ずつ脱がせていく。
稲ちゃんは 抵抗もせず 指示通りに脱いでいく。
それが 彼女の仕事だから......。
でも その行為は 稲ちゃんの美しさを確かめていく為の必然の行為。
少なくともボクはそう感じた。
そして たぶん 稲ちゃんも。
彼女の貌は少し紅潮し 眼には淡い陶酔の色。
彼女は酔っていた。
自分の美しさに そして 幾三郎君の美しい言葉に。
女性の色香って最高に美しい主題だと思うけど それを絵筆に留めるのは至難の業だと ボクは思う。
ボクも美大生だから 授業でヌードデッサンとかするけど モデルさんに性的な魅力を感じたりはしない。
描く側も モデルさんも 造形美としての女性の肉体ってゆーのが前提。
そこに色香は 皆無だ。
ボクには 同棲してる彼女がいるから ヌードモデルを頼むことがある。
だけど ボクらの間には 恋愛感情があるから 彼女から色香が漂い出すと ボクは 平静ではいられないし 向こうもそう。
彼女の色香を恋人じゃなく 絵描きの冷静な眼で 見切って描くってことができたのは数えるほど。
それに 失敗するとポルノグラフィーになっちゃう。
でも 幾三郎君は どこまでも冷徹に 稲ちゃんの色香を 画帳に描き込んでいく。
最後の1枚を脱ぎ 少女の愛らしさの上に陶然と女の色香を纏った彼女の美を ゆっくりと大判1枚に写しきると 幾三郎君は 画帳を閉じ 稲ちゃんを抱いた。
それは あまりにも自然なことだった。
たぶん ボクがモデルをしていたとしても 抱かれたんじゃないかって思うくらいに自然な行為だった。
そして行為の果て。
逝き果てて布団の上に 糸の切れた人形のように横たわる 稲ちゃんを 幾三郎君は また 画帳を取り出し スケッチとして残した。
幾三郎君が何を考えているのか ボクには 直接は分からないけど たぶん 幾三郎君は 稲ちゃんのことを愛してはいないと思う。
ただ 美しいと感じただけ。
そう。幾三郎君にとって画帳に描くことは 息をするのと同じ。
美しいと感じたことを 画帳に記録し固定していく。
それが 全て。
セックスすることすら 女の子の美しさを引き出す手段。
この日 ボクは長谷浦 城隍ってゆー作家の美への執着と狂気を見た。
.........。
......。
...。