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一人暮らしで動物を飼うのは、超えないといけないハードルが山程あった。
まずはペットがOKかどうか。これは戸建てだから難なくクリアした。また購入の際に水回りを一新させるついでに、ペットをお迎え出来るようにと建具や壁紙、床も動物仕様にリフォームをした。小さいながら庭もついているし、ハード面はケチをつけるところがない。実際に里親募集の運営スタッフが家を見に来た際に、お墨付きを貰っている。
問題は、私が独身で女性ということ。そして引き取りたいと望んでいるのが犬、ということである。
「猫ちゃんでしたらお迎えして頂きたいんですけどね。やはりワンちゃんは長時間のお留守番には向かないので......」
「そうですか......」
申し訳なさそうにする譲渡会のスタッフに私は頭を下げて会場を後にした。何度も聞いた断り文句にもはや落ち込むことはない。いちいち傷ついていられないから。
既に半年は譲渡会には参加しているけれど、中々犬を譲ってもいい、という組織には出会えないでいた。保健所にも行ってみたが、やはり女性の一人暮らしはリスクが高いから基本的には同居している家族がいないと譲りはしないらしい。私が何かあった時の預かり先は兄夫婦に了承を貰っているのにも関わらず、だ。
「はぁ......」
「また犬のことでため息か?」
会議後に連れ立って部屋を出た宗田が耳ざとく聞き止める。
「聞くなら、『さっきの会議の内容か?』でしょ」
「んなわけだろ。事前に根回し済みの内容をすり合わせるだけの会議に」
「その割にはどこぞのマーケ部の部長が事前議題以外の質問をしていたけれどね」
ふふん、と笑う宗田は人が悪い顔をしながら私を自販機に誘う。少しくらい寄り道しても大丈夫だろう。私は宗田に誘われるままついて行く。
うちの会社は二人以上の社員証を自販機かざすと、社長からの奢りでそれぞれ無料で飲み物が買える、という福利厚生を入れている。宗田に続き社員証をかざしてコーヒーを買うと、傍らのハイデスクで彼と向き合った。
「これくらいの刺激は必要だろ? それに人材不足は現実だからな」
「......この売り手市場でどれだけリクルートに苦労していると思うのよ」
「それを何とかするのが人事部だろ?」
「好き勝手言うね」
私はため息をつく。甘党の宗田は見た目だけで胸焼けしそうなピンクの液体を飲みながら、「で?」と問い掛けた。
「保護犬引き取るのはどうなってんだよ?」
「難航してる」
簡潔に答えた私に宗田はなぜ、と質問返しをする。
「私が独身で女だから」
宗田は器用に片眉を上げる。驚いているのかそれとも知っていたと言っているのか私には判断がつかない。ただあるのは紛れもない事実だけ。ふぅ、とため息に聞こえるような息をついた宗田は当然のように指摘する。
「ペットショップで飼えば?」
「それじゃあ意味がないから」
そう、私にとって犬を飼うというのは昔、見捨てたチビに対しての罪滅しでもある。あの時チビを救ってくれた近所のオジサンのように、私にも救える命があるなら今度こそ守り抜きたい。
「そこは惑わないんだな」
苦笑する宗田に私は頷いた。
「当たり前でしょ。めでたく不惑を迎えたんですから」
自虐混じりに胸を張る私に、今度は宗田が笑った。
「犬種問わないんなら、一件ツテあるけどどうする?」
宗田の提案に私は迷うことなく頷いたのだった。
※
「三笠、コイツが佐久間」
「初めまして、三笠です」
「佐久間です。宗田とは高校の同級生で」
「はい、伺っております」
私は宗田の友人の獣医、佐久間さんににこやかな笑みを向けた。何でも佐久間さんは獣医の傍ら、飼育出来なくなったペットの保護の活動もしているのだ。偶然だが私が引っ越した市に佐久間さんの動物病院はあった。
「三笠さんに検討して頂きたいのはこの子たちなんです」
動物病院のバックヤードに連れて行かれた私は、佐久間さんが指さした先を見た。そこには寄り添うようにゲージに入っている犬と猫がいた。
「この子たちは元々三十代の一人暮らしの男性が飼っていたんですが交通事故に遭ってしまって......。一命は取り留めたのですが車椅子生活になりペットの世話までは手が回らないということで、やむを得ず......」
「引き取ります。二匹とも」
佐久間さんの説明が終わる前に私の口からその言葉がこぼれ落ちていた。宗田は平然としていたけれど佐久間さんは少しだけ困ったように眉を寄せた。
「軽はずみに了承していいんですか? この子たちはもう七歳は過ぎています。一緒に居られる時間は短いですよ」
「はい、構いません。それよりも」
私は佐久間さんに改めて向き合った。
「佐久間さんが預かっているということは、この子たちは近くに住んでいたんですよね。それなら私が引き取れば家は違いますがこの子たちは馴染んでいる町を離れなくて済む。なら私が責任を持って引き取ります。元の飼い主の方もまだご近所にお住まいなら、定期的に遊びに来てくださって構いません」
佐久間さんは驚いたように絶句した後、宗田を凝視する。
「こんな奴だ、三笠は」
こうなることを予想していたように笑う宗田に腹は立つが、引き取りたいの言葉は本心だ。
一匹のワンちゃんと一匹の猫ちゃん。お互いを必要としているかのように寄り添う二匹を見ていたら引き離すなんて考えは出てこない。元々独身の男性が飼っていたなら留守番も慣れているだろうし、何より二匹でいれば寂しさも紛れるだろう。一気に実費負担の扶養家族が二人増えるのは荷が重くも感じるが、これもまた運命。いや。
「天命を知る、かな」
「それは五十で至る境地だろうが」
呆れたように呟いた宗田の顔は、どこか満足げだった。
※
念の為、一週間のトライアル期間を経て、正式に二匹はうちの子になった。犬は柴混じりの雑種のレミ。猫はアメリカンショートヘアのルカ。どちらも女の子だ。
二匹の主治医は引き続き佐久間さんだし、前の飼い主である辰巳くんは私の予想通り近所に住んでいたらしい。今は二駅隣の実家のマンションで生活をしている彼は、レミとルカの引き取り手が見つかった連絡を佐久間さんから受けた途端、文字通り飛んできた。正確には車椅子で駆けつけたのだが。そして私を見るやいなや、泣きながら何度も礼を言ったのだ。
実家のマンションはペットの大きさ制限があり、猫のルカならともかく中型犬のレミは体長制限がオーバーして飼えない。仲がいい二匹を引き離すのは忍びなく、また自分の体もままならないことから信頼できる佐久間さんに里親探しを託したとのこと。
年と共に涙脆くなっている私は辰巳くんの話にワンワン泣き、宗田にドン引かれながら彼に色々教わった。いつでも会いに来て、と言い添えて。
最初は一度捨てたからと固辞していた辰巳くんだが、私は幼い頃の自分を重ね合わせて強引に理由をつけて誘い続けるうちに、彼の方から折れた。今では最低でも週一回、辰巳くんはうちに来る。
「え? 付き合っていない!?」
「当たり前でしょ。何個下だと思っているのよ。それに四十になってやっと色恋の話振られなくなったのに」
「たった五つじゃん」
「五つも、だよ」
私はコキコキと首を鳴らし、久しぶりに宗田と酒を酌み交わしていた。
「辰巳くんが帰るまで二匹の世話をしてくれるから、こうして私がお酒飲みに来られているんでしょうが」
「そうだけど、本当に何も無いのか?」
「当たり前でしょ。レミとルカの元飼い主と現飼い主ということくらいだよ。辰巳くん、システムエンジニアだからネット繋がればどこでも仕事できるしね。家買ったときにペット仕様にするついでに、老後を見据えたリフォームもしていたから、我が家でも問題なく過ごせるみたいよ。グッジョブ、私」
自画自賛する私に宗田は呆然とした表情を見せる。
「......信じられね。男と女が一つ屋根の下にいながら何もしないなんて」
「なによ。私と辰巳くんが男女の仲だって言いたいの?」
少しだけ考えた宗田は、ため息混じりに頭を振った。
「んなわけないか。三笠だもんな」
「うるさいな!」
そんな宗田を軽くシバいた私は逆に問い掛ける。
「そういう宗田はどうなのよ?」
同じ四十歳の独身貴族同士とはいえ、男と女の価値は違う。女は婚活界隈では需要はないが、男はまだまだ現役だ。宗田は見た目も良いし稼ぎもある。今から結婚して子どもを授かるのだって夢物語ではないのだ。
「ノーコメント」
自分のことはサラリと逃げた宗田は、私がこれ以上深堀りするのを避けるように、無理矢理話題を変えた。
「なんで三笠は迷わなかったんだ?」
「へ? 何のこと?」
切り出し方が唐突すぎて何について問われているのかわからない。頭にはてなマークが浮かんでいる私に宗田は、だから、と口を開いた。
「嘆いていたじゃん。四十にして惑わず、と言っていたのに迷ってばかりだって。その割には家を買うのもレミとルカ二匹引き取るのも、辰巳くんを家に入れるのも迷ってないじゃん」
「それなんだけどさ」
私はよくぞ聞いてくれた、とばかりに身を乗り出した。
「あれ、今の新説ではワクの漢字が間違っていたらしいよ」
私は手帳を取り出して、二つの文字を書いた。
✕ 不惑
◯ 不或
「なに、この漢字」
見たことのない漢字に宗田も手帳を覗き込む。
「読みはワク、と一緒の読み方らしいんだけど。こっちのワクは、城壁とか地域とか枠の中って意味らしい。んで、不と掛け合わせると......」
「合わせると?」
「枠を作らなくなる、枠から飛び出すって意味になるんだよ。つまり、今までの固定概念に捕らわれず何事にも挑戦しろって意味に(注①)」
「へぇー」
宗田は感心したような声を漏らす。そもそもさ、と私は続きを口にした。
「四十だから惑わない。そんなわけないじゃん。うちはもう親見送ってるからアレだけどさ。友達と話せばやれ親の介護どうするだの、子どもが思春期で口聞いてくれないだの、老後の不安だの、更年期で体がツライだの、悩みは尽きないんだから。ってか、若い時より今の方が悩みは深刻よ? だって自分ではどうしようもないことばかりなんだから」
「まぁ、......確かに」
私の力説に若干引き気味で宗田だ。珍しく宗田が気圧されているのに気を良くした私は、調子に乗って喋り続ける。
「そうなのよ! そしてさ、もう年も年だからグズグズしている時間はないのよ。悩んで迷って二の足踏んでるくらいだったらやりたいこと全部やらないと。どんどん年老いて腰も重くなる一方なんだから」
私の言葉にピタリと宗田は動きを止めた。
「な、なによ?」
不審げに問う私に、宗田が放った一言は辛辣であった。
「そのやりたいことっていうのが家を買って、ペット引き取って、男連れ込むことなんだ?」
カチンと来た。さっきまで親身に聞いていたのに急に掌を返した宗田に、私は本気で腹を立てていた。
宗田とは長い付き合いだし、仕事でもプライベートでも今まで言い合いも山程してきた。それでも未だにふらっと飲みにいける関係でいたのはお互いにリスペクトしてきたから。
少なくとも私はそうだ。マーケティング部を率いながら数字を残している宗田を鬱陶しく思うこともあるが、それは彼が自分より秀でていて妬ましく思っているから。少なくとも筋は通すし言いがかりのような発言はしない宗田を心の片隅で尊敬すらしていたのに。
「なに? 随分と棘がある言い方じゃん」
「そう?」
「うん。自分で気付いていないの? 尚更たち悪いよ」
宗田は長い間固まっていた。私は再び喋るまで酒を飲みながら黙って待つ。幸いにも待つのは嫌いじゃない。ちびちびと今日のお供の焼酎の水割りを飲みながら、宗田の様子を見学する。
「......悪い」
詫びを絞り出した宗田は渋い顔のままだ。全然悪いと思っていない顔。
「なに? 文句あんの?」
私はその顔を睨みつける。宗田はため息をついて、それでも伝えたいことは躊躇しないで伝えてきた。
「見苦しいな、と思ってな」
「はぁ!?」
「冷静になって考えてみろよ。傍から見たら四十の独身の女がいきなり家買って、飼育できなくなった犬猫引き取って、恋人でもない車椅子の男を家に入れて。不惑になったついでに、偽善者にジョブチェンジもしたのか」
「なんでアンタにそんなこと言われないといけないのよ!」
今度はカチンとは済まなかった。腹の底からフツフツと怒りが沸き上がる。宗田は私の怒りなど屁でも思っていない顔をしながら正論を吐いてくる。
「三笠さ。今、仕事への情熱失っているだろ。独り身の俺たちにとっては働けるうちに稼がないと、いざ倒れた時にすがる相手いないんだぞ。それに金は裏切らない」
「そんなことはわかってるよ!」
「じゃあなんで腑抜けているんだよ。ってか足踏みしてないでさっさと上がってこいよ。ってか昔約束した一緒に役員目指すの、もう諦めたのか? そのために結婚や子どもよりも仕事に邁進するって決めたんじゃなかったのか?」
私は宗田の言葉に愕然とした。
宗田が今放った言葉は、かつて私がまだ宗田と一緒に営業部にいた時、よく口にしていた言葉である。けれど。
これが宗田の言いたかったこと?
「宗田は、......何も見えてないんだね」
自分でも思ったより低い声が出た。一瞬宗田が怯んだけれど、彼だって一度振り上げた拳を簡単には下ろさない。
「事実だろう」
「......口を開いたと思ったら。それなの、言いたいこと? マーケティング部の部長なのに社内調査は苦手なようですね」
酒の力も借りて私は厭味ったらしいセリフを吐いた。宗田は片眉を上げてで苛立ちを表したけれど、すん、と鼻を鳴らすに留めた。
「越野くんが次の人事部長に内定したんだろ? 社歴も実績も三笠に及ばないけれど、男だから、という理由で」
そこまで知っているのに、という言葉は飲み込めた。その代わり、きっと今、すごい顔しているのだという自覚はあった。私の目も眉も恐ろしく釣り上がっているはずだ。
苛立ちを隠さないまま、私は立ち上がった。
「どこに行くんだ?」
「帰る」
バンッとテーブルの上に万札を叩きつけて私は出口に向かう。
「待てよ、三笠」
追いかけてきた宗田を振り切るように私は足早に駅に向かったのだった。