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エンジンを切り、僕は車を降りてコンビニに入った。コーヒーと軽食と少しばかりの甘いもの。スマホにメモするまでもない。
彼女の言葉について考えながら、チョコレートの値段と重さを確かめたり、雑誌を手にとっては興味を引く記事がないかと見つめていた。
チョコレートは昔よりも値が高く軽い。でも、手を伸ばしてしまう。
雑誌の特集を見る限り、五年前や十年前にも目にしたことがある話題が掲載されている。
「これは前にも見たことがある」
と心の中で呟いたならば、それにさえデジャビュを感じる。
見た目は新しくても、本質はかつての内容をくり返しているだけ。
始まりと終わり。起こりと滅び。みんな、波のようにくり返す。
その理とチハルの言葉を照らし合わせる。
『人類の最後』と『くり返し』。
僕の印象は、
『一夜の滅びを与えられるというよりも、数多の試練を課せられるだろう』
というもの。
古今東西の話において、あらゆる人間は試される。
文明も。
その共同体としての人間も。
一人という個体としての人間も。
恵まれた環境の中で温和だった人間が困難の中に放られて、のちに悪人となることもある。
タツヤが困難の中で腐敗し、地獄に落とされることもあるかもしれない。これは僕にも当てはまることだ。
だから思う。
チハルは戻ってきてよかったんだと。
僕たちがどうなるかなんてわからないけど、変わっていないタツヤに会うことができたんだから。
胸が熱くなるほどうれしかった。旧友に再会したのだから。
もう、みんなでコーヒーとクッキーをつまむ日曜日は来ないけれど。知っている人がひとり増えるだけであたたかい。
今までに、チハルが帰ってくるまでに思い知ったことが僕にはある。
孤独と自由は隣り合うことがある。されど混ざり合うことはない。孤独がすなわち自由であるとは限らないのだ。孤独であっても自由ではないことはざらにある。
自由とは責任をもって行動すること。孤独は数多の定義や解釈があるかもしれないが、周囲に人がいないこと、あるいはそれに似た境遇。
孤独でも、なにかの鎖に縛られていることはある。孤独かつ不自由。おそらく、人間としてはメジャーな状態。
そういった考えごとをしながら、会計を済ませて店の外に出た。
車内に戻るとチハルの声。
「ありがとう。ちゃんとコーヒーを買ってきてくれたのね。他にはなにを買ったの?」
僕は周囲を見て、
「ちょっと、ここじゃまずいよ」
とたしなめた。車に自我があるなんて、ばれない方がいい。
対してチハルは、
「平気よ。みんな、あなたが通話をしてるって思うだけよ。だって、仮にすごい独り言をいっててもイヤホンを使って通話してるって思えば納得しちゃう世界なんだから」
なるほど。そういう考え方もあるのか。
「世界の独り言は、みんな通話に取って代わられたわけだ」
「そう。で、なにを買ったの?」
僕は素直に、
「チョコレート、どら焼き、あと雑誌」
と述べた。
「雑誌って?」
「ライフスタイルとかインテリアの特集を組むような女性誌だよ。女性のセンスって、暮らしのうえで参考になるものがあるからさ」
「へぇ、女性誌ねぇ。じゃあ男は?」
「なにが?」
意地悪な質問の仕方だ。
「もし女が男を見て、『あぁ、見習いたいなぁ』って思うとしたら、なんだと思う? って聞いてるの」
なかなかにして僕は試されている、というのが率直な感想。愚鈍な男だと思われたくはない。
だがまぁ、チハルには本心を打ち明けてもいいだろう。
「ロマンと、それを追いかける手段としてのロジック」
「ウケる」
嫌味のない大笑いが響いた。
「カイトくん、そういえば昔に力説してたね。『男はロマンを求める。女はロマンスを希う』ってさ。ラブロマンスを求めていたのはカイトくんだったよね」
「うるさい」
火を噴くほどの赤面をこの車内にさらしているのは間違いない。
笑いは、けたたましかった。
「はー。こんなに笑ったのは久しぶり。でも、一理ありね」
ひと息ついてから彼女は、ほくほくとした口調で語った。
大丈夫、通話をしているのだとみんな納得してくれるだろう。
バレたらどうしようと恐れるのは、チハルの魂のことを繊細な問題だと思うからだ。世界や神様がどうであれ、僕には大事だ。
加えて、壊れかけているこの世界に大きな衝撃を与える結果になるだろうからだ。ただこれは深い考察ではないし、杞憂である気もするが。
「そろそろ行こうか」
エンジンキーを回しながら僕はチハルに呼び
かけた。
「どこまでのドライブ?」
「そうだね、国道をメインに北へ。気ままに走って、満足したらあとはナビで帰ればいい」
「わかった。じゃあ行きましょ」
こうして、ドライブが始まった。
道へ出る前にチハルが、
「音楽が欲しい」
といったので持参したFMトランスミッターとスマホをつなぎ、ランダム再生を始めた。
ドヴォルザークの『新世界より 第四楽章』が一番手になった。
僕らは道に出た。エンジンは唸りをもって車体に速力を与える。
「物々しいドライブね。私は好きだけど」
耳障りのいい音楽。
だから会話を必要としない。
タイヤが転がる音、反対車線の車とすれ違う際の風圧で鳴る窓、遠くから発せられたクラクション、ドヴォルザーク。無言でも音であふれているので、気まずさなんて皆無だ。
青信号に恵まれたので、タイヤはアスファルトを蹴り続けた。
秋空は澄んでいた。碧空の下を赤い車が快活に走る。
夏を忘れてもなお日差しは眩しい。
気持ちよく道を進んでいくが、やがて十字路に立つ赤信号で止まった。さすがにずっと青信号な訳がない。
車が止まる。思考が始まる。
ミヅキのことを考え出す。死んだであろう妻のこと。
すると迂闊にも、たった一つの疑問がするりと口からこぼれ出た。
「チハル。ミヅキには、会ったのか?」
チハルは空白のあとで、
「どこで?」
と答えた。
「ごめんね、唐突に。でも、今までうまく聞けなかったことを今なら聞けるんじゃないかって思ったんだ。明日から世界が滅びだすっていう状況だったら」
僕は今まで、本当に聞きたかったのだと思う。
欲求を抑圧した結果がこれだ。不適切な質問となって出てくる。
無言、赤信号、のどかな空。
そしてエンジンの音。まるで自分の心音を聞くような心地。僕の拍動はひた走っていた。
後方からクラクションを鳴らされて青に切り替わった信号に気付き、まごつきながら、半クラッチで前進し始めた。
交差点を過ぎたあたりでチハルが話しかけてきた。
「カイトくん。さっきの質問だけど、ミヅキちゃんには会ってないよ。というか、死んだ知り合いには誰にも会っていないの、私」
彼女の告白にはなにも反応できなかった。
なにを意味するのか、分からない。なにも。
ただなにか、ゆっくりと語りたいなにかがあることは推し測れた。
「それは、どういうことかな?」
「ミヅキちゃんには会っていない、といったところについて?」
「いや」
僕は深く息を吸ってから、しっかりと言葉にした。
「死んだ人には誰にも会っていないってところ」
道は滞りなく車は流れるように走った。
エンジンのわななき、アスファルトを軽快に踏むタイヤの振動、終盤にさしかかったベートーヴェン『交響曲第五番 第一楽章』。
それらが心地いい。
フタを外した紙コップの中ではコーヒーの液面が細かく揺れていた。
紙コップを手に取りひと口、そしてドリンクホルダーに収めた。
カップを置いた刹那、柔らかい声がタイミングを見計らったように話しかけた。
「黄泉つ竈食って知ってる?」