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アリアドネの糸

 春が過ぎた。
 夏の日差しは白い部屋さえ熱を持たせる。
 風は季節の匂いを運び、人々は変わらず祈りを捧げた。
 アイは時折、淡い朝日色の服へ視線を向けた。
 結局あの後は一度も着れなかった。
 だが、今は違う。「また」がある。
 アイにとってその言葉は、もう恐ろしい言葉ではない。
 そして夏が終わりを迎え、風に金木犀の匂いが混じり始めた頃。
 夜空色のコートを纏った男が、再び現れた。
「久しぶり」
 開口一番は何もない普通の会話だった。
「久しいな」
 アイは祈りの部屋ではなく、外へと案内した。
 ゆっくりと歩き進む内に、足元は徐々に虹色に染まる。
 一面に虹と藍が広がった。
 美しい、花畑だった。
「決意はできた?」
「ああ、この花々を見て、思った」
 アイは、沢山の虹彩色と藍色の名もなき花に触れた。
「外を、見たい」
 透明の髪が風に乗ってゆらゆらと揺れる。
 オーロラの瞳は、やはりどこか神秘的だった。
 リンは指をパチンと鳴らしながら「よし来た」と言う。
「荷物をまとめろ、今日の黄昏時に迎えに来る」
「...何故荷物を?」
「南の端の方に星が一等綺麗な場所がある、だがその前に東に行こう」
 突然の東に、アイは疑問を浮かべた。
「お前、どーせもっと文字知りたいんだろ?それに親父の事も。なら、東が一番合ってる」
 その言葉に、アイは思い出した。
 かつて、男は東方生まれで、文字が多くて嫌だと語っていたのを。
 そして、薫かおるが言っていた。
 リンも、薫かおるも、東方生まれだと。
「この国の役目なんてどうでもいい、お前が出たいなら俺はお前を攫う」
 その言葉に、アイは少しだけ微笑んだ。
「お前の言うとおりかもしれない」
 風は、リンとアイを優しく包みこむかのように吹く。

「攫ってくれ。この国に、神はもう必要ない」

「了解」
 そう言って、アイは黄昏時を待つ。
 黄昏時になると、リンはトロリーバッグ一つでやってきた。
「それだけなのか...?」
「金とコート...後は香水があれば何とかなる」
「服とかは...?」
「少し入ってるが、向こうで調達するのも旅の感じがするだろ?」
「な、なるほど...」
「それに、俺の家は東方だからな」
「そ、そうか」
「お前の荷物だって色々言いたいが...まあ一番はあの服も持ってくのか?」
 リンは、民からの祈りの中で作られた真白の服を見つめた。
「...あの男からいただいた物は当然大切だ、しかしこの服もまた、民からの想いがある大切な服だ...罪人である私と、神と言われた私...全て含めて、アイなのだろう」
 違うか?と言いながらアイは荷物を鞄の中にしまう。鞄すらも純白のトロリーバッグだった。
 その純白の鞄の中に、どれだけの人生が込められているかをリンは知らない。
 ――知らないのなら、知ればいいだけ。
 静かにアイはそう思った。
「行くか...言っとくがこの街...あ、南は秋だが東は春だ。時間が遡る感覚を味わえるぜ」
 黄金の風が吹いた。
 信仰者の眼を掻い潜り、誰にも気付かれる事なく外に出た。

 この日、神が一柱世界から消えた。

 代わりに生まれたのは、
 世界を知らぬ美しき少女。

 神の不在に世界が気づき、
 騒ぎ立てられるのはまだ先の話だ。
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渡し守の花畑
祝福作者:結弦
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 春が過ぎた。
 夏の日差しは白い部屋さえ熱を持たせる。
 風は季節の匂いを運び、人々は変わらず祈りを捧げた。
 アイは時折、淡い朝日色の服へ視線を向けた。
 結局あの後は一度も着れなかった。
 だが、今は違う。「また」がある。
 アイにとってその言葉は、もう恐ろしい言葉ではない。
 そして夏が終わりを迎え、風に金木犀の匂いが混じり始めた頃。
 夜空色のコートを纏った男が、再び現れた。
「久しぶり」
 開口一番は何もない普通の会話だった。
「久しいな」
 アイは祈りの部屋ではなく、外へと案内した。
 ゆっくりと歩き進む内に、足元は徐々に虹色に染まる。
 一面に虹と藍が広がった。
 美しい、花畑だった。
「決意はできた?」
「ああ、この花々を見て、思った」
 アイは、沢山の虹彩色と藍色の名もなき花に触れた。
「外を、見たい」
 透明の髪が風に乗ってゆらゆらと揺れる。
 オーロラの瞳は、やはりどこか神秘的だった。
 リンは指をパチンと鳴らしながら「よし来た」と言う。
「荷物をまとめろ、今日の黄昏時に迎えに来る」
「...何故荷物を?」
「南の端の方に星が一等綺麗な場所がある、だがその前に東に行こう」
 突然の東に、アイは疑問を浮かべた。
「お前、どーせもっと文字知りたいんだろ?それに親父の事も。なら、東が一番合ってる」
 その言葉に、アイは思い出した。
 かつて、男は東方生まれで、文字が多くて嫌だと語っていたのを。
 そして、薫かおるが言っていた。
 リンも、薫かおるも、東方生まれだと。
「この国の役目なんてどうでもいい、お前が出たいなら俺はお前を攫う」
 その言葉に、アイは少しだけ微笑んだ。
「お前の言うとおりかもしれない」
 風は、リンとアイを優しく包みこむかのように吹く。

「攫ってくれ。この国に、神はもう必要ない」

「了解」
 そう言って、アイは黄昏時を待つ。
 黄昏時になると、リンはトロリーバッグ一つでやってきた。
「それだけなのか...?」
「金とコート...後は香水があれば何とかなる」
「服とかは...?」
「少し入ってるが、向こうで調達するのも旅の感じがするだろ?」
「な、なるほど...」
「それに、俺の家は東方だからな」
「そ、そうか」
「お前の荷物だって色々言いたいが...まあ一番はあの服も持ってくのか?」
 リンは、民からの祈りの中で作られた真白の服を見つめた。
「...あの男からいただいた物は当然大切だ、しかしこの服もまた、民からの想いがある大切な服だ...罪人である私と、神と言われた私...全て含めて、アイなのだろう」
 違うか?と言いながらアイは荷物を鞄の中にしまう。鞄すらも純白のトロリーバッグだった。
 その純白の鞄の中に、どれだけの人生が込められているかをリンは知らない。
 ――知らないのなら、知ればいいだけ。
 静かにアイはそう思った。
「行くか...言っとくがこの街...あ、南は秋だが東は春だ。時間が遡る感覚を味わえるぜ」
 黄金の風が吹いた。
 信仰者の眼を掻い潜り、誰にも気付かれる事なく外に出た。

 この日、神が一柱世界から消えた。

 代わりに生まれたのは、
 世界を知らぬ美しき少女。

 神の不在に世界が気づき、
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