渡し守の花畑
二人が南諸国を旅立った。
長い船路にアイは少し疲れていた頃、異変が起きた。
東国倭に着く直前だった。
桜の花が香る頃、リンは船主と喧嘩していた。
「だからコイツは友達なの!誘拐とかじゃないって!」
理由は、アイが他国から誘拐された人物なのではないかと一部の船員達から報告を受けたからのようだった。
『――――、――!――――!』
アイは、何を話しているのかも聞き取れずにリンの後ろへと隠れたままだ。
この日は白いワイシャツ姿に桜色のスカート、淡い茶色のローファーを履いていた。
ボクと初めて出会った日の服に似ているね。
『だからコイツの名前はアイ!今から東方へ帰るところ!俺の名前はリン・シュテルリヒト!シュテルリヒトの名前くらい聞いたことあるだろ!』
髪を掻き上げながら、鋭い目つきで船主を見つめた。苛ついているというのが一目で分かる。
「は!?知ってるからこそ!?クソじじいが!俺は確かに傭兵だけど変なことはしてねぇだろうが!は?コイツは確かに美しいがソレと誘拐にどう関係......はぁーー、まじそのなんでもかんでも恋にくっつける思想まじで俺嫌い!」
船主とリンの怒鳴り合いながら話す姿を見て、アイはリンの夜空のコートを少しだけ引っ張った。リンはアイの方に視線を向けた。
「どうした?アイ」
船主に向けた威圧感のある物言いとは違う、柔らかな声音と眼差しだ。
「リン、この人も...お前も...さっきからなんて言ってるんだ...?」
聞き慣れない発音。
知っているどの言葉とも合わない異質感にアイは困惑していた。
「アイ、まさか東方の言葉通じてないのか⁉︎」
「うん」
「参ったな...てっきり文字だけかと、言葉は共通で伝るもんだと思ってた」
そこで、ボクは理解した。
アイは人の姿はしてはいる。
だが、確かに神秘を持つ存在だった。
その事から、リンの中で言語の壁はアイにはないと思っていたのだ。
しかし、アイにもちゃんと言語の壁はあった。
「確かにあの国を訪れた際に、言葉で困ることはなかった」
最初に訪れた南諸国では言語の壁はなかった。ソレが何かを意味するのか、神の情けなのかはアイは知らないし知ろうともしない。
神も知らない。
そもそも、神はアイの事をほとんど知らない。
何のの麻薬を持ち込んだのかとか、なんでこの世界に生まれたのかとか。
話を戻そう。
どうするかと思案した中で、リンは父を思い出した。
――あの子は風から記憶を見れるらしい。
うらやましー!すげー!って叫んでいた情けない父の声を思い出し、思わず笑いそうになるのを堪えながらリンはアイを見る。
「アイ、風の力は?」
その言葉に、アイは間髪入れずに返す。
「これは民の信仰から得た、民の信仰を裏切らない為の力だ。使えるに決まっている」
人差し指でくるくると回すと、巻き起こされるは春の始まりを告げる風だ。
「風で感じ取れ」
「...相分かった」
その様子を見た船主はまた声を荒げた。
『内緒話とかじゃねーよ!だからコイツと今から東方へ行くだけで誘拐なんかしてないっていつになったらわかんだよこのクソじじい!』
リンの怒り声を無視したアイは、静かに目を閉じる。
春風が港を抜けた。
潮の匂い、木箱の軋む音、怒鳴る声。
遠くからは笑う声もある。意味は分からない。
けれど風は――アイの期待を裏切らない。
言葉の奥にある感情を、運んでくる。
あの船主と呼ばれる人物は?
――警戒している。
あそこで耳打ちしている船員は?
――疑っている。色が緑に紫を混ぜたようだ。
ではあそこで様子を窺う人達は?
――怯えか...?伏せられた灰色と共に空色が付け足されたかのような色合いだ。美しいと怯えが混ざっているのか。
風は、記憶、声、匂い、色。
全てを、運んで来てくれた。
全てを感じたアイは、ゆっくりと薔薇の唇を開いた。
『私の名、アイ、伝わる?』
アイが東方の言語をゆっくりと話した。
船員達は、奇跡でも見てるかのように口を開いては閉じを繰り返す。
『私、リン、東方いく』
美しい髪色を持つ少女の目線こそは見えないが、まるで後光が差し込むかのような心地を船主は味わう。
――さっきまで理解していなかっただろう。
船主は思う。
――だから誘拐かと。
船主の判断は正しい。船を操作する長として、怪しい人物には直接的な圧をかけるべきだ。
その点で言えば、東方の言葉を話せる他国から帰ってきた者が連れている、サングラスをかけた美しい少女は、誘拐を警戒するにしてはじゅうぶんな材料が揃っている。だからこそ圧をかけた。
――仏様とかじゃねぇよな?
問いかけながら同時に否と答える。
――仏様はお寺に住まわれている。こんな所へ来ることはない。にしても別嬪だな。
透き通る透明な髪は、ハーフアップに纏められていて、黄水晶の宝石が嵌め込まれた蝶のブローチで留められている。
白いワイシャツも、よく見たら襟元が金糸で蝶の刺繍がある。
桜色のスカートはシンプルだが、季節に合っているからこその美しさがあった。
淡い茶色のローファーは、おろしたてだからか綺麗で艶やかだった。
『分かったよ、ありがとう嬢ちゃん』
ただの美しい旅人だと船主は思う。
『やっと分かってくれたかクソじじい』
『一言余計だ。だが迷惑はかけた、船代はタダにしてやるよ。そこの嬢ちゃんかなり別嬪さんだからな。気をつけろよ』
リンの二の腕を笑いながら叩くと突風が船主の周囲を吹き抜けた。
『リン、叩かないで』
「アイ、これはコミュニケーションだから...あああこれ以上風を使うな!」
台風でも訪れたのかと思うほどの強い突風は、すぐに止まった。
『仏様が人間に化けたのかと思った』
後に船主は、とある女性にそう語った。