誰ソ彼
「結構時間使ったな」
外を出たら、既に黄昏時の時間を迎えていた。琥珀の空が世界を優しく抱きしめる。
「...そう、だな」
今日この一日で、アイはどれ程少女になれていただろうか。
サイダーを飲み、焼き鳥とお肉を食べ、クッキーを食べた後は香水を選んだ。
どの目にも、神として崇められている人物ではなく、少女として映っていたことだろう。
「まだまだ夜はこれからだ、ほら行くぞ!」
リンは、香水を持っていない方の手でアイの手を握りしめた後、駆け足で街を進む。
最初に回ったところの市場の中心地へと辿り着くと、軽快な音楽と共にステップを踏むかのようにリズムを取る人達がいた。
「この時間、皆踊るんだよ、ほら、踊ろうぜ」
リンは手を引いたまま、流れる音楽と共にリズムを取る。アイも見様見真似でリズムを取るが、少しぎこちない。
「ははっ、へったくそだなぁ」
「...仕方ないだろう、はじめてだから」
朝日のスカートを翻しながらリズムを取る姿は可憐な少女そのものだった。リンの元に戻ってきた時に、リンは問うた。
「なぁ、アイ。黄昏時ってなんでそう呼ばれてるか知ってるか?」
「黄金のように見えるからではないのか?」
「まあそうだよな、でも親父が言ってたんだよ」
リンはアイの正面に立つ。黄金の光のせいで、リンの顔があまり見えない。
「逆光で顔が見えなくなるから、誰ソ彼って言うんだぜ、って」
――その声音は、優しくて。
「ここの人達はさ、皆戦争に行った人の帰りを待ってるんだ。誰か分からなくなる時間帯に踊るのも、思い出すための儀式みたいなものだ」
――その言葉は、まるで祈りのようで。
「この景色を、お前に見せたかったんだ。救いを求める人達ばかりじゃない、皆それぞれ、方法がある」
――その姿は、まるであの男のようだった。
アイは、街の騒がしい声を聞き、踊りを見つめながら言う。
「とても、綺麗なものだ」
黄昏の景色と踊る人。そしてソレを認めるかのように軽快な音楽が響く中、アイは静かに呟いた。
リンは少しだけ笑いながら「だろ?」と返す。
人々は、笑いながら踊り続ける。
戦争へ行った誰かを待ちながら。
帰ってくると、信じながら。
帰ってきた時に、今日のこの踊りを笑い話として話すために。
人々は思い出を作り続けている。
その光景を見つめている内に、アイはふらりと身体を揺らした。視界が人から空へと変わった。
「おっと」
リンがアイの肩を支えた。
「......すまない」
「いや、今日は流石に詰め込みすぎた」
熱を持った頬へ、風が優しく触れる。
アイは自分でも分かるくらい疲弊していた。
「星も見に行こうと思ったけど、今日は帰るか」
その言葉に、アイは名残惜しそうに呟いた。
「...星」
「そ、街外れだとめちゃくちゃ綺麗なんだ...本当はもっと綺麗なとこあるんだけど、...まあ、今は行けなさそうだからな」
リンは笑いながら続けた。
「まあ、今度連れてってやる」
「.........」
「俺じゃ不満かー?」
覗き込みながらそう言われ、反射的にアイは首を横に振る。
リンの手を握りしめた感覚を、思い出す。
――この男の手も、固い。戦場に向かう人の手をしている。
「また」があるのだろうか、そんな風にアイは思った。リンは、その思考を見透かすようにゆっくりと言う。
「......親父は、アイのことを、気にかけてたよ」
「え...」
「神に仕立て上げられた少女だって」
その言葉は、もしかすると、ずっとアイが欲しかった言葉かもしれない。
「俺達の家系は、代々神を信じていないんだ。信じるつもりもない。だから、お前が可哀想に見えたんだろうな」
「.........」
「美しくあれって命じた神とかも、なんだそれーって思わねぇ?」
その言葉に、アイは少しだけ微笑んだ。
とても、美しい微笑みだった。
「偉大なる高尚な傍観者様だからな、私では到底理解できない考えをお持ちなのかもな」
絶対わざと言っているというのは分かる。
「は、嫌味言うの上手いな」
「事実だろう」
「まー...とりあえずはさ」
アイを優しく立たせた後、少し雑に髪をがしがしと撫でた。セットした髪が少しだけ乱れる。
「俺が親父の意思を継ぐ。だけど俺は、お前がどうしたいかを優先したい」
その時のリンの顔は、逆光で見えなかった。
だがきっと、あの男。リンの父があの時『水飲むか?』と声をかけてくれたように、きっとなんてことのない普通の笑顔を向けてくれているのだろうと、アイは思う。
声を出そうとしたが、出せなかった。
それもそうだろう。
アイは自身が、どうありたいかなんて気にする機会がなかった。
どう在るべきかは考えたことがあっても、
どうなりたいかは考えたことがなかった。
そういう、自己犠牲を選ぶ人だった。
だからこそ、答えられなかった。
「悩め悩め、それでこそ人間だ」
「......私は、罪人だぞ」
そう、神であるボクからの追放を受けた人物。
「そんなの知らん、お前がどうしたいかだけを俺は聞いているからな」
リンは再び手を握りしめ、そして引き寄せた。抱擁ではない、単に距離を近くしたのだ。
やはり、逆光で顔はよく見えない。
「今起きている事以外は、全て頭の中で創られた物語に過ぎない」
少しだけ眉を上げ微笑む姿は、過去を憐れむようにも見えた。
「それも、あの男の言葉か」
「そう、これ結構好きなんだよ俺」
「.........なら、今日は帰りたいな」
「疲れたしな、いいよ。送ってってやるから、なんか食べたい物とかあったら言ってくれよな」
そう言いながら、二人は街から離れていった。