叡花のサラスヴァティー
アイはリンの手を強く握った。
「リン!」
その言葉と同時に、リンの足元に夜のような色がインクのように滲み出た。
そして、空気が植物から夜へと変わる。
「ふふ」
ハルシオンが静かに微笑んだ事で、リンは冷静さを取り戻した。
「あら、お辞めになるのです?」
毛先が跳ねている癖のある黄水晶の髪を揺らしながら、黄水晶の眼は不気味に弧を描く。
「お前、何故、他国の言葉で話しかけた」
リンは、低く棘のある言い回しをわざと選んだかのような問いかけをした。
しかしハルシオンは臆する事はなく微笑む。
「南諸国で行方不明の神の事を調べるのは、当然でしょう?」
その言い回しは丁寧だが棘がある。
まるで薔薇のようだった。
「そのお召し物、とてもお綺麗です。死装束とも呼ばれた白は、同時に再生などの意味を持ち合わせますものね。神様としての貴女は既に死に、今は少女として生きてるとでも仰りたいのでしょうか?」
――会話が頭に入ってこねぇ。
リンは何とか会話をしようと思考をするが、ハルシオンの動向が読めなさすぎた。
「美しいと思う色を選んだ。私によく似合っているだろう?」
代わりに、アイが返事をした。
「ええ...ええ、とてもお綺麗ですね。まるで神様のよう――」
「先ほどから人を不快にさせる言葉をわざと選んでるかのように思うが、私とリンを怒らせたいのか?」
その言葉に、ハルシオンは一瞬笑みが変わる。その笑みは妖艶で、触れたら消えてしまいそうなほどに儚く可憐な笑みだった。
――純粋な程の好奇心、知性。期待?
「やはり貴女は不思議です。感情ではなく、意図として理解しようとなさるのですね」
その言葉に、リンは咄嗟にアイの手を引き、後ろへと隠した。
同時に夜空のコートの中に仕舞われていた折りたたみ式のナイフを取り出し、ハルシオンの脳天に目掛けて投げる。
その瞬間、カキンッと音が響いた。
「は?」
思わず声が漏れ出た。
其処には、ハルシオンを護るかのように立ちはだかる植物の葉が立っていた。
「ふふ、貴方は傭兵として有名なシュテルリヒトの一族。やはり攻撃の構えも早く、強く、そして的確。ですが...此処では攻撃は通じないのです。さあ、話し合いを始めましょう?」
立ちはだかる植物の隙間から覗かれた黄水晶の眼が不気味でリンは鳥肌が立った。
一人の神秘を纏う少女は、静かにその植物を見つめた。一見するとなんてことのない普通の植物に見える。
「その花...もしかして私が育てていたモノか?」
半信半疑の言い方だった。
しかし、花に気づいてくれたことが嬉しかったのだろうか。ハルシオンは、また妖艶に微笑んだ。
「やはりお気づきに?その通りです、貴女が神だと仰っていた際に、人々へ『祈り』を捧げ、同時に死者への『弔い』の時に創り上げた花を使用させていただいています」
「その花は、名もなき私の想像でしかない花だ」
アイは南諸国での生活を思い出す。
民はアイに供物と信仰を捧げ、
アイは民に人生と対価を捧げた。
「ええ、ええ。弔いの花は特に強い『祈り』が込められていたみたいでしたので、ちょっとばかし頂戴して、改造させてもらいました」
柔らかな声音だ。眼も優しく弧を描いている。なのに、危険だと風が判断している。
――純粋なまでの好奇心と期待の眼差しか。
「シュテルリヒトの名は、何処で知った」
その言葉に、ハルシオンは唸り声を上げた。
「かなり特殊な一族ですよね。傭兵として名高く戦場では歓声を浴びながら、残酷に人を殺し続けている。然し南諸国ではかなりの有名...?的な感じでしょうかー、シュテルリヒトの一族の調べはかなり困難だったのです、常に何者かに邪魔をされていたので」
――誰だよ。
父は死に、母は既に他界しているなんて言えない。
――ああクソ。思考がシャットダウンされてる気分だ。そういう言葉を選ばれてるだろうし、きっと何かしらの細工が施されてる!
「その花は私の花を改造したのだったな。ではコレはどうだ」
アイはリンの後ろからゆっくりと離れるように歩いていく。リンの叫び声が聴こえた気がしたが、鈴の音が重なって届かなかった。
シャランと扇子の開く音がした。
同時に見えるは視界一面の黎明だった。