悪魔の名を呼ぶ者
リンは薫からの手紙を受け取った後、いつもぎこちない笑みをアイに向ける。
アイは「何かあったのか」と問いかけるが、いつもはぐらかされてしまう。
代わりにアイの元には、文字を学ぶための本が積まれていく。
どれも、リンが買ってきた物だった。
アイは、その優しさに触れながら字の勉強をした。何故そんな顔をしているのかと、問いかける代わりに。どんどんと文字を吸収していった。
「アイは、文字を記号として見れないのか?」
作業しながら話しかけられたアイは、字を書く手を止めてリンの方を見る。
竜胆の髪の隙間から僅かに見える勿忘草の眼を見つめた。
リンは、紙に様々な内容を書き留めていた。
恐らくは、何かをメモしているのだろうとアイは思う。内容を見ようとしたが、難しくて読めなかった。
「文字には記憶が閉じ込められている...その記憶を読み解くためには知識が必要だった。文字を覚えるという行動は、自然に感じ取る風とは全く違うんだな」
「そりゃそうだ、言葉には裏と表がある。口に出す事だけが全てじゃない。お前は今まで、表を見ずに裏だけを見てきた」
リンはメモを書く手を止めて、アイをしっかりと見つめた。神秘を纏う、美しい少女を。
「ま、いい勉強機会だ。悩め、足掻け。それがお前の後の手助けになる」
アイの頭を乱すように撫でながら、リンは直ぐに、真剣な顔付きで文字が沢山羅列されている紙を見た。
「それは...情報書だな、沢山の出来事を凝縮している」
「それも風か?」
「ああ」
「正解だ。これは新聞って呼ばれる物で、要は最近起きた出来事が事細かく記されている。お前にはちょっと難しいな」
「そのしんぶんとやらから、あの絵本と同じ匂いがするのは何故だ?」
その言葉に、リンはハッとしたような表情を見せた。襖の外から、宿泊者達の声が聞こえた。
『最近、また異能者が出たってきいた?』
『北国と倭ででしょ?炎を出したって聞いたわ』
『雷って聞いたぞ』
『どちらにせよ怖いわねぇ...』
そう言いながら、徐々に声が小さくなるのをアイとリンは聞き逃しはしなかった。
「......異能者?」
リンは、この少女にはやはり隠し事はできないなと半ば諦めたような表情で、語る。
「最近、異能と呼ばれる摩訶不思議な力を操る者が現れた」
絵本の始まりのような口調でリンは言う。
「...いや、実際にはもっと前からいた。だが、うーん...まあいいや」
何かを隠されたことは分かる。だが、アイは深くは聞こうとしない。アイなりの気遣いだった。
「全ては共通として烏色の髪と眼、そして角を持っている。んで、ソレらをまとめて悪魔と定義づけた人物がいる」
新聞の文字を見ながらリンは言う。
「摩訶不思議な力を持つ私も含まれるのか?」
その問いにリンは首を横に振った。
「お前は容姿が違う...それに、異能を操る存在全てが人に害を及ぼす存在というわけでもない。ただ今は、害を出した人はその共通点があったから...可能性が非常に高いとして注視されている」
「リンが最近気にしていたのは、悪魔か?」
—ああ、やはりこの少女に隠し事はできない。
「そーだよ」
「...何故、異能者ではなく悪魔と呼んだのか...」
アイは、学んだばかりの絵本の話を思い出す。
人に害を出す存在として忌み嫌われている悪魔を救い出し、共に歩む道を創り出した天使の絵本の話を。
楪菖蒲という人物が書いていた、絵本を。
「悪魔対策本部というのもできてるしな」
少し嘲笑を含めた物言いだった。
リンの言葉から察するに、前々から存在していた者が、何故今になってこれほど重要視されているのかが理解できなかったのだろう。
しかし、世界を知らない少女は好奇心に溢れた眼差しを向ける。
「その人物の名は?」
「ハルシオンとしか記されてねぇな」
するとアイはサングラスを外し、立ち上がった。あの男がくれた朝日色のスカートが風と共にゆらゆらと揺れる。その姿は海月のように見えた。
風がアイを優しく覆う。
その風に対し、アイは微笑む。