Flos Animae ―名なき花―前編
この世界をお創りになった創造主様は、
全ての生き物に『名』を与えた。
この世界に存在するものには、
それぞれの名があった。
川であればウロコ。
山であればアラバ。
森であればネヅ。
人にはその人を表す名が。
名前を持たぬものは、
この世界に存在してはいけないとされていた。
そんな中、創造主の想像より遥かに成長を遂げた生き物が居た。
その名は、人間。
人間は己がより他を認識しやすいようにと
人から人へ『名』を与えるようになった。
しかし、その儀式には大きな代償が伴う。
名を与えた人間は、身体を壊してしまう。
それを憂いた『神』がある提案を出した。
『名を与えるのに、期限を設けてはどうだ』
その神の一声により、人々はこう決めた。
『十二歳になった時に、名を与えよう』と。
それまでは総じて『ヒトコ』と呼ぼうと。
「なーんて、どんだけ聞いた話や」
俺はそう言いながら川から水を汲んだ。
「しゃあないやろ、これは世界の根幹の話や」
「ヒトコ、俺は別に名なんていらん」
「まーた言うとる。名前がなかったら『釈迦』に追放されるねんで」
釈迦。それは名が与えられなかったヒトコの住み場だった。穢れ仕事と言われる『血仕事』を永遠に行うと言われている。
「ヒトコなんてのもそもそもおかしいやろ」
「しゃあないやん」
「男と女は分かるのに名前だけわからんなんて、おかしいやろ」
汲んだばかりの清い水を抱えながら山を降りる。
「でもいよいよ明日や」
「創造主様誕生の日であり、俺たちヒトコに名が与えられるか否かの発表儀式ね」
「楽しみやな、私どんな名前が与えられるんだろう。お母さんもお父さんも、楽しみにしてくれてるわ」
「親がつけんの?」
「親が名を与え、巫様が創造主様と意思を繋ぎ、その名を世界に定義する。習ったよこれ」
「んなもん忘れた」
――そもそもがおかしいねん。
ヒトコはそう思う。
――「人間」として生まれたのに、名前を持つまで「ヒトコ」という仮の存在として扱われるなんて、おかしいやろ。
それなら、最初からヒトコでええやん。
「お前は楽しみなんか?」
その言葉に、ヒトコは大きく頷いた。
「うん!だって名が与えられてはじめて私たちに姿ができるんだよ、お父さんとお母さんどっちに似るか、楽しみや」
その言葉に、ヒトコは溜息をついた。
「名が与えられるまでは皆同じ容姿、名が与えられてはじめて姿を手に入れる...ほんま、おかしな話...やわ!」
重たい水を抱え直してヒトコは言った。
「私は楽しみやで、ヒトコがどんな人になるんか」
「俺は俺や」
――名前が人格を作るのか。
――それとも人格があるから名前が必要なのか。
答えは創造主様にしか分からないだろうし、
ヒトコはその答えをほしいとも思っていない。
「ヒトコ、しゃがんで!」
「なんや?」
「鹿よ、きっと森の住処に入っちゃったのよ私たち」
「あっそ、ほなさっさと出ていこう」
「驚いたりしないの?」
ヒトコのその言葉に、真っ白な髪を揺らした。
「生き物は皆同じや。死ぬか生きるか」
透明な眼は、しっかりとヒトコを捉えた。
「殺されるか、殺すかや」
「私、ヒトコのその考え結構好き」
「阿保言うな。他のやつと見分けもつかんくせに」
「これから付くじゃない」
そう言いながら、一つに束ねている透明な髪を揺らしながらヒトコは鹿を刺激しないように森を降ろうとした。
「...おいヒトコ、そっちは道とちゃ―――」
その一瞬。
その瞬きの間。
ヒトコは、動きを止めた。
「どうしたの?ヒトコ」
「なんや、あれ」
「...ほんとや、なんやアレ」
そこには、美しい花畑があった。
赤、青、黄、緑、桃、藍、橙、翠。
様々な色の花が、咲いていた。
「おかしいわ、巫様を呼ぼう、ヒトコ」
「ちょい待てヒトコ」
普通であればただの『花』だ。
何も驚くことはない。
疑問を抱くこともない。
然し、その花はただの『花』ではなかった。
「おかしいやん!」
「ヒトコ達は生まれた時に生きとし生ける者全ての名前を知る!これは創造主様がお決めになられたことや!」
「そんなん知っとる。何回も習ったやろ」
「ならこの異常さが分かるやろ!」
「そうやな、名前のない花なんて異常やな」
ヒトコは嬉しそうに脇道を駆け降り、花畑に触れようとした。
「ヒトコ、あかんって!」
「離せヒトコ」
「あかん、巫様ん所行こ」
「ほなお前が落とした水拾うて行け」
「一緒に行こう!こんなん怖いて」
「ええから、早よ行け!」
「...わかったよ...変なことしないでね!」
ヒトコは汲んだ水を両手に軽々と森を降る。
―――ほんま、アイツはよう動ける奴やな。
「さて、そこの花。お前話せるんか?」
花を踏まないように優しく触れた。
『なにか御用かしら?』
―――話した!