Flos Animae ―名なき花―後編
「俺はヒトコ」
『そうなの』
「なあ、なんでお前、名前ないのに話せるん?」
『どういう意味かしら』
ヒトコは、少し考えた。
―――確かにどう説明したらええんや?
この世界を生きる者は皆、名がある。
名がある生き物のみ『対話』ができる。
だが、この花はどうだ?
花という言葉はある。花には『カヨウ』と名が与えられている。
最初の質問自体が引っかけ問題のようなものだった。
見たことのない形をした花。
お前は花なのか?と問いかけた。
実際にソレはヒトコが見て勝手に『姿が似ているから』そう呼んだだけである。
『ヒトコ、黙ってどうかしたの?』
その声によって、ヒトコは我に返る。
「え、あぁ...すまん」
『質問の答えが返ってきてないわ』
―――全部話してみよう。
「俺、最初お前を見た時に花やと思うた。やけど、どの花と照らし合わせてもお前の存在は確認でけへんかった」
「お前、何者や」
『何者かを名乗らないといけないの?』
「.........」
『沈黙という事は、貴方自体が疑っている証拠』
「...お前」
『ヒトコは私に何者かであってほしかったの?』
その言葉に、ヒトコは透明な眼を伏せた。
「.........分からん」
『そう、なら私も分からないわ』
「お前...今までどうやって生きてきたん?」
『太陽を浴びて、月と眠る』
「それだけか」
『それだけよ?』
「なあ、お前は名前が欲しいか?」
『考えたこともないわ』
「俺、明日名前が与えられるかもしれへん」
ヒトコはゆっくりと言う。
「やけど、俺はそれが理解できひん」
ゆっくりと、ゆっくりと。
「俺は俺やって...思うてるのに」
伏せられた透明な眼から、涙が溢れた。
「お前に無意識に、名を聞いてもうた」
『ヒトコ、私は私よ』
「...」
『私は花じゃない。人間でもなければ、太陽でも月でもない』
「何者でもない...お釈迦か?」
『いいえ?』
『ヒトコ、貴方はとても賢い子』
『故に祝福を与えてあげるわ』
花々は光り出した。
淡い月光色のような光は、ヒトコを覆う。
「あかん!祝福はその身を壊すねんぞ!」
『そんなの、人間が決めたただの契約でしょう』
「はぁ...?」
『ヒトコ、教えてあげる』
『名がなくとも、祝福は与えられるの』
『名がなくとも、認め合えるの』
『ヒトコ、貴方はどう在りたい?』
「俺は...」
――名前なんてなくてもいいと思ってた。
「俺、は...」
――姿なんて今のままでいいと思ってた。
「俺......は、」
――他人からの視点なんて気にしたこともない。
「俺は!」
――だからこそ!
「お前みたいになりたい!」
――何者でもないコイツが、羨ましい!
「釈迦やって人間定めた契約に過ぎん!」
――誰もいなくとも存在を肯定できる強さ。
「俺はヒトコなんかやない!」
――誰にも認められずとも立てる強さ。
「俺は、俺や!」
『そう、素敵な考えだと思うわ』
その瞬間、花の姿を模すコイツは、
俺を覆った。
視界一面に、色が広がった。
『答えを得た貴方にだけ、教えてあげる』
『私は水鏡』
『生きとし生ける者全ての―――』
『心よ』
気づいたら俺は森の外に居た。
「ヒトコ!」
「.........え」
「今から向かおうとしてたんや。大丈夫⁉︎ なんで泣いてるん⁉︎」
俺は自分の透明な眼から流れる涙に触れた。
「...心と、対話してた」
その言葉に、ヒトコは首を傾げた。
「こころは、名だけの存在やで?」
「え?」
「こころは、創造主様が間違って作ったモノや。生きとし生ける者全ての想いの名称やけど、明確な定義がない」
「......」
「姿もわからん、声もわからん。名だけの存在」
その言葉に、俺は大きく笑った。
「そうか、だいぶでかい借りができたわ」
その言葉に、水鏡は微笑んだ。
『心』とは、生きとし生ける者全ての想い。
故に、形を持たない。
しかし水鏡はずっと側にいる。
この世界を生きる者全てを、見守る。
『さて、次は誰の水鏡を見るか』
その答えは、創造主様しか知らないだろう。