②山での調査
朝、また死体が上がった。
今度はどんな酷い状態なのか、考えるだけで気が滅入る。ただ、通りの真ん中に人だかりができていたので、少し顔を出してみることにして、俺は野次馬の一人として近づいた。
「妖怪が...妖怪...」
人だかりの中心には、そう言って真っ青な顔になっているずぶ濡れの男がいた。
そして、その近くには、すでに膨らんだ死体袋と何人かの同心たちがいた。
どうやら今回は目撃者が生きているようだ。その恐怖からなのか、濡れた体のせいなのか、酷く震えた男に、同心たちが話を聞いているようだ。
「失礼」
不意に強い力で押されてよろめく。俺の後ろから人をかき分けながら現場に入っていく男がいたようだ。
「あ、確かあの大男は」
確か我羅と名乗っていた例の大男だ。おいおい本当に役人だったのか。
同心たちに何かを見せて、話しているようだ。身分証か何かだろうか。そうしているうちに我羅はしゃがみ込んで生き残りの男と何か話し始めた。
俺は何となくその場をしばらく見ていた。
「もしかして我羅の旦那ですかい?」
野次馬の中から一人、我羅に話しかけ出した男がいた。
「すまない、記憶にないのだが。どこかで会っただろうか?」
「いや、旦那は知らないでしょうね。実は例の盗賊団の討伐の記事を書いたのはわたしでしてね。あの時は一方的に、ちらりとお顔を拝見してました。いやぁ、歴戦の武士様は貫禄がありますな」
どうやらあの男はブンヤのようだ。どうも我羅の昔話を知っているらしい。あんな調子で事件のことまで聞き出すつもりなのだろう。
軽薄そうなその言動が、気に食わなかったので、この場を離れることにした。しかし、あの我羅という男、本当にゴロツキじゃなかったのか。
(すまん)
俺は内心、悪人面のその大男に謝罪しておくことにした。
我羅との再会は思いのほか早かった。
「佐吉殿。少し良いか」
あの後、いつもの店で一人酒を飲んでいると、突然例の大男に声をかけられた。
「君がこの店に入っていくのが見えた。少し話を聞きたいのだが」
「へぇ、構いませんが。我羅さん、本当にお役人様でしたんですね」
我羅は少し困ったような顔をした。
「いや役人というわけでは。確かに新政府から依頼は受けている立場だが」
少し嫌味っぽい俺に対して、まごまごと言い出す我羅は、意外にも誠実な人間のようにみえた。
「ところで、我羅さんは過去にも何か武勲を立てたそうで?」
「む、聞いていましたか。武勲というほどのことは何も。少し治安維持の仕事をしてましてね」
「それより俺に聞きたいことというのは?」
我羅の話は時間がかかりそうなので、話を戻すことにした。
「ええ、実は今朝、人斬りの被害者とその生き残りが発見されまして。どうやら、突然妖怪に襲われて川に飛び込んだと言っているのです」
「はぁ」
俺はあまりに真剣に話すその男に、少し面食らってしまった。
「その時の川なのですが。上流はどうなっているか、町長の一族のあなたなら何か知っていないかと、気になりまして」
「はぁ、あの川の上流なら、枝分かれもなくあそこの山から流れてますよ。ただわざわざ山に入ったりはしないので、詳しくは分かりませんがね」
「感謝する。では」
そう言って立ち去ろうとする我羅に思わず尋ねた。
「鬼の仕業だと言う話、本気で信じてるんですか?」
我羅は俺の方をじっと見て答えた。
「可能性はあります。それと鬼ではなく妖怪です」
この老人の話す迷信のようなことを、真剣に言っているこの男に、俺は興味が湧いた。
「もし上流の方へ行かれるなら、案内しましょうか?俺、幼い頃に何度かは、遊びに入ったことがあるので」
我羅はしばらく黙って俺の方を見ていた。
「上流までの道は少し複雑ですよ。案内人はいた方が良いと思いますが」
「...ではお願いしましょうか」
俺も妖怪とやらを信じることにしたわけではないが、この男は素性もしっかりした人物のようだし、どんな調査をするのか見てみたいと思い、そう提案した。
「では今夜でよろしいか?」
「え、日が沈んだ後ですかい?」
「ええ。妖怪にしろ、野盗にしろ早くケリをつけたい。夜ならば相手も活動しやすいので接触しやすいでしょう」
「お仲間さんはいらっしゃらないのですか?」
「ええ。今は別行動中なので」
我羅はそう言うと、少し心配そうな表情を浮かべたように見えた。俺は少し怯んだが、案内することにした。
本当にこんな夜に、まだ会ったばかりの強面の大男と山へ行くのか。普段、見ることのない灯りの消えた暗い道を歩きながら、さっそく俺は少し後悔していた。
町の外れまで行くと、提灯を持った我羅が、俺を待っていた。薄暗い中で我羅を見ると、本当はこいつが妖怪なのではないか、と思うほど恐ろしい顔つきをしている。
「お待たせしました。ところで、本当にこの川の上流に賊がいると?」
「可能性はあります」
「理由を聞いても?」
我羅は少し迷った様子で話し始めた。
「川に逃げ込んだ彼が殺されなかった理由を考えました。...もし妖怪の類ならば川を汚したくなかったのかもしれない」
大真面目に妖怪の話を始めた我羅を見て、俺はただ、「そういうもんなんですか?」と聞くしかなかった。
「町に潜んでいるのか、山から来たのか気になって、しばらく町を見て回りましたが見つかりませんでした」
「なので山から来ていると?」
「ええ。山の妖怪なら川を神聖に扱っている可能性があるので、そこに逃げ込んだ彼を殺すことを諦めたのかもしれない」
話しながら歩いているうち、いつのまにか、辺りは完全に山中になっていた。俺は釈然としなかったので聞いてみた。
「妖怪とはそういうことを気にするもんなんですかい?」
「妖怪にも、それぞれ掟があるようです。自然を侵すことを嫌うものもいる」
まるで妖怪を見てきたかのように語る我羅に、俺は訝しんだ目で見た。
「あの━」
「静かに」
俺の言葉を遮った我羅は、俺にしゃがみ込むように指示した。そして、持っていた提灯を俺に渡した。
我羅は背中の長刀に手を伸ばしている。
「何かありましたか?」
俺は小声で尋ねた。我羅は答えなかった。夜の闇の中を必死に目を凝らして見ているようだった。
「多いな。すみません佐吉殿、今から戦闘になると思います。私が合図するまで私から離れないで」
冷静に話す我羅を見て、俺はようやく、周囲から一切の音が聞こえなくなっていることに気づいた。虫の音さえ聞こえずただ静寂の中、何かの呼吸音だけが聞こえる。
「野盗ですかい?俺持ち合わせの銭ならありますぜ」
俺は我羅に耳打ちした。
「いや、野盗ではないようです」
俺は汗が止まらなかった。野盗のはずだ。そのはずだ。でなければきっと猪か熊だ。妖怪なんて迷信だ。
明らかに人間や獣とは違う存在を感じながらも、俺は必死で否定しようとしていた。そして、ゆっくりと近づいてくるその気配の方をただ見ることしかできなかった。
我羅は慣れた手つきで動き出した。我羅は左肩から伸びた柄を右手で掴み、背負った鞘を左手で押さえた。鞘が静かに滑り、長大な刃が闇の中に現れた。
異様に静かなその動作の横で、俺は闇の中から目が離せなかった。
「来る」
俺が言ったのか、我羅が言ったのか、俺にはわからないほど、恐怖で何も考えられなかった。闇の中からついに何かが出てきた。