

籠城と干し肉
「俺の故郷は北部丘陵にある小さな領地さ。クレイグリーは町と言うよりは村だな。ロズベリーのような城壁もない。」
「ロズベリーよりも小さいの?」
「遥かにね。」
ジェフリーが軽く笑った。
「北部丘陵はマクリス王国、デーリア王国との係争地だ。クレイグリーも今はメカニア王国領だが、過去三世紀の間にはマクリス領だったこともデーリア領だったこともある。」
「戦争が多いのね?」
「あぁ、俺も一度だけ戦争を経験したことがある。俺が五歳の時だ。当時はまだクレイグリー領はデーリア王国との国境に接していてな。デーリア王国の兵士達が攻めてきたのさ。今はドーンバラまでメカニア王国領になったから、国境は遠のいたけどね。」
「ドーンバラって知っているわ。私がまだ小さい頃、その町を王国軍が占領して手に入れたって町でもお祝いの祭りがあったわ。」
「そうか。俺が戦争を経験したのはそのドーンバラ陥落の三年前の事さ。」
アリスが指を折って年数を計算している。
「父の使用人にデュナムって男がいてな。言葉が少しおかしかった。」
「言葉が?」
「訛りさ。同じ北部人だからな似たような話し方をしていたんだが、デュナムは少しだけおかしかった。子供の俺は知らなかったがデーリア訛りだったのさ。」
「デーリア王国って攻めてきた国でしょ?」
「そうだけど。マクリスもデーリアもメカニアもずっと戦争をしているわけじゃない。普段は国境を越えて普通に行き来していたしな。マクリス育ちもデーリア育ちも珍しくなかったんだ。」
「ふーん。」
「デュナムは面白い男でな。いつもお道化ていて使用人の中でも人気者だった。優しい奴で俺も随分と可愛がってもらったよ。厨房の責任者だった。デーリア王国の兵士達がクレイグリーに攻めてきた時、庭で遊んでいた俺に城の中に入るよう言ったのもデュナムだったな。」
「たくさんの兵士で攻めてきたの?」
「そうでもないさ。国境地帯のいざこざだし、クレイグリー領は小さいからな。父はすぐに部下と戦える住民を呼集して部隊を編成し、迎撃に向かった。俺達は城に籠った。村の住人の大半が城に逃げてきた。父が戦場に男達を連れて行ったからな。老人、女、子供が大半だったよ。」
「お城がお家なの?」
「城といっても地方の弱小郷士の館だ。塀はまわしてあったが城壁とは言えない。それでも、父が残した少数の家臣もいたし、入り口をしっかり塞いで籠城すれば、少数の敵なら防げるはずだった。」
「お家も攻められたの?」
「そうだ。もっとも少数だったけどね。敵も本隊は迎撃に出た父の軍に向かわせて、小部隊を城に差し向けたんだろう。だから父の家臣達は大丈夫だと言っていた。厨房から悲鳴が上がるまではね。」
「厨房?」
「あぁ、正面の入り口とは別に厨房には庭に通じる勝手口があった。勿論、そこにも石材や木材を積んで厳重に守られているはずだったんだ。しかし、悲鳴を聞いて家臣の一人が様子を見に行った時、厨房の扉は開かれていて、デーリア兵とデュナムが血で染まった剣を持って立っていた。その足元には厨房の使用人達の死体が転がっていた。デュナムが引き入れたのさ。」
アリスはショックを受けて、淡々と話すジェフリーの横顔を見つめた。
「その家臣は俺達が籠っている大広間に戻ってくると俺を連れて、正面入り口から逃げようとした。相手もそこまで多くはなかったからな。厨房の扉から全員で侵入してきて、正面は無人だったのさ。」
「無事だったの?」
「だから、今ここにいるんだろ?幽霊に見えるか?」
「そうだけど...怖い話ね。」
「デーリア兵は城内に突撃すると片っ端から殺戮していった。あちこちから悲鳴が上がった。俺は家臣に手を引っ張られて正面入り口から逃げる時、泣き叫んで抵抗したのを覚えているよ。」
「どうして?」
「城館にはまだ人がいた。父の使用人達、村の住人達、そしてその子供達。使用人の子供も、村の子供も遊び友達だったからね。」
領主と言っても地方の弱小郷士ともなるとその子息にとって使用人や村人の子供達が普通に遊び友達だった。
「まだ残っている友達の名前を叫んでいたのさ。」
アリスは手で口を覆った。
平和な町の宿屋の娘には無縁の残酷な世界の話だった。
「父の家臣の一人が俺の口を塞いで抱え上げ、走り出した。他の家臣や一部の村人が続いた。俺達は城から出ると森に入り、古い砦の廃墟に逃げ込んだ。去って行った人々の遺跡だ。」
「助かったのね。」
「まぁね。俺達は一か月その砦跡で隠れていた。」
「一か月も?」
「そうさ。攻めてきた敵を迎撃に向かった父の軍勢は大敗した。父は僅かな生き残りと逃げた。」
「え?逃げたの?」
「叔父のいるフラトンに逃げたんだ。フラトンは近隣で一番大きな町だからな。そこから使者を出して周囲の領主に救援を求めた。フラトン公もすぐに軍を起こした。王国の領土が侵されたんだ。そのまま放置すれば周囲の領主達も後から国王とその廷臣達に罪を問われるからな。そうやってかき集めた軍を率いて父は戻ってきた。クレイグリー領で好き放題に略奪をして居座っていたデーリア兵を始末すると国境に押し寄せた。デーリア兵が攻めてきたと言うことはその兵が守っていた土地は手薄になっているだろ?父やフラトン公は他の地方領主達とデーリア王国の国境付近の土地を荒らしまわって、略奪すると帰ってきた。」
「それで一か月もかかったのね?」
「そうさ。その間、食べていたのは家臣が辛うじて城から持ち出した干し肉だったのさ。俺は今でも干し肉を見るとあの砦跡を思い出すよ。」
「...」
「クレイグリーに戻ったが、村は変わり果てていた。家屋の多くは略奪され、放火されていた。逃げ遅れた者は皆、殺されていた。父はデーリア王国の国境付近の村から攫ってきた奴隷と近隣の領主から譲り受けた農奴で労働力を補って復興させたが、そこはもう俺の知っているクレイグリーじゃなかったんだ。」
涙を浮かべて聞いているアリスを安心させるようにジェフリーは微笑した。
癖の強い個性的な顔立ちの男が見せる微笑は決して美しいものではなかったが、アリスには効果があったらしい。
少し落ち着いた様子を見せた。
「父はクレイグリー防衛とデーリア王国の国境地帯への逆侵略の功で、一代称号の男爵を賜った。まぁ、功と言っても、近隣の領主に助けられてのことだからな、一代称号の男爵だったのさ。一代称号ってのは世襲称号ではないからな。父が亡くなれば、ワーディンガム家は再び郷士に戻る。つまり、俺は貴族にはなれないのさ。」
「だから、貴族の娘さんとは結婚できないの?」
「そうだな。所詮は地方の弱小郷士だ。」
少し納得した表情のアリスにジェフリーは再度、笑顔をしてみせた。
今度の笑顔は苦笑だった。
「つまらない話をしたな。」
「ううん。ごめんね。辛いことを思い出させた?」
「いいや。もう慣れたよ。」
二人は立ち上がると店に戻った。
店に入る時、アリスが言った。
「ちょっと待って。だったらどうして干し肉を?」
しかし、彼女は返事を聞くことはなかった。
店に入るとそこには見知らぬ男達がいたからだ。
「すまないね。旅のお方。今、上の部屋は満室でね。」
アリスが不在だったからダグが客の相手をしていた。
どうやら、宿泊希望の旅人だったらしい。
旅人は四人組だった。
皆、質素なマントを纏い、フードを深く被っていた。
「お父さん、宿泊のお客様?」
「アリス?どこにいたんだ?」
ダグが咎めるように言った。
やっぱり、怒られているじゃないか...
ジェフリーはそう思ったが、長く外にいさせたのは自分の長話のせいだ。
「参ったね。門番の衛兵にお勧めを聞くとこちらを紹介されたんだけど...」
先頭の旅人がフードを外した。
とんでもない美男子だった。
象牙細工のような白い肌に金髪の巻き毛、美しい緑の瞳、そして顔の造作は神が不公平を働いたとしか思えないほど際立って整っていた。
フィルが少し不機嫌な顔をしている。
フィルも美男子だが、この男と比べると流石に見劣りする。
顔が自慢の優男としては面白くないらしい。
「折角、門が閉まるギリギリに着いたというのに...」
日の長いこの時期、ロズベリーアポンフロルの門はかなり遅い時間まで開いている。
他の町では考えられないことだが、交易で栄えているこの町としては少しでも遅い時間まで旅人を受け入れたかった。
とは言え、この町に初めて来た旅人がこの時間に宿を取りっぱぐれると困るだろう。
「俺がこの人達を案内するよ。どこか開いているだろう。」
「悪いね。」
「アリスを外に長居させたのは俺だからな。気にするな。」
ジェフリーは旅人の方を向いた。
「旅の方々、ようこそ、ロズベリーアポンフロルへ。残念だな。俺もこの宿が一番お勧めなんだが...兎に角、他の宿を案内するよ。」
ジェフリーが外に出ると四人の旅人もついてきた。
美男子がジェフリーの横を歩いた。
後の三人は皆、後ろに付き従った。
「君、ありがとう。助かるよ。」
「礼は宿が見つかってからにしてくれ。」
「宿は少ないのかい?」
「そんなことはない。ロズベリーアポンフロルは交易都市だ。宿はたくさんあるさ。ただ、明日から市場が始まるからな。今は移動商人が集まってきているんだよ。」
「そうなのかい?」
話をしながらジェフリーはこの旅人達が商人ではないことだけはわかった。
商人がロズベリーアポンフロルまで来ておいて市場のことを知らないわけがない。
四人は纏っているマントこそ質素だが、ちらちら見えるその下の衣服はみすぼらしくない。
あまり、じっくり観察できないが後ろの三人の内、少なくとも二人は武装しているようにも見える。
もう一人は杖を手にしていた。
三人はそれを知られたくなくて、後ろに付き従っているのか?
(それよりもこいつだ...)
ジェフリーは横を歩く美男子の横顔を見た。
ただ者ではないように思えるのだが...
美男子は再びフードを被っていた。
(折角の美しい顔なんだ。見せびらかせば良いのに...)
美男子とはほど遠いジェフリーだが、僻んでいるのではない。
少なくとも自分にはそう言い聞かせていた。
「どちらの門から入ってきたんだい?」
古き清泉亭は南門の衛兵達にも知られているから、どちらの門で勧められても不思議はない。
「東の通用門からだよ。」
美男子は予想の斜め上を行く答えをした。
東の通用門はロズベリーアポンフロルにある二つの通用門の一つだ。
もう一つの西の通用門はニッパー家の畑にしか通じていないが、東の通用門は城壁の下の岩盤を削って作られた急なスロープを経て、フロル川の船着き場に通じている。
フロル川は大河だが、ロズベリーアポンフロル付近で大きく蛇行し、川幅も広がり、その分、浅瀬が多く、大きな船舶は航行できない。
その為、小さなボートや艀での水運しかない。
特に遡行する際はオールを使った人力による為、荷駄を運ぶ船はあっても旅客目的の便船はほぼない。
つまり、東の通用門は旅人達が出入りするような門ではなかった。
「フロル川から来たのか?上流からかい?」
「いや、フロルマスからだよ。」
フロルマスはフロル川の河口にある港町だ。
フロル川が大規模な輸送に向いていない為、さほど大きな港町ではない。
「たまたま、フロルマス行きの船が都合よく乗れてね。折角だからそのまま川を行く船を紹介してもらったんだよ。」
怪訝な顔をするジェフリーに応えるように美男子が言った。
(紹介だって?フロルマスから人を乗せて遡行してくれる船頭なんているか?いくら出したんだ?)
「そうか。それは大変な旅路だったな。早く宿を探そう。」
「頼むよ。今日はもう疲れたからね。」
結局、ジェフリーは三軒目の宿で空室を見つけた。
「ありがとう。衛兵さん。」
穏やかな微笑を浮かべて手を振る美男子を背に古き清泉亭へ戻るジェフリーは、わずかに冷や汗をかいていた。
ジェフリーは決して優秀な戦士ではないかもしれないが、衛兵としての訓練は受けている。
東の通用門の話をしていた時、後ろの三人から感じたのは明らかに殺気であった。