第26話 小さな宇宙
緋那の運転する自転車で家に帰ってくると、優は部屋に戻る。そして、すぐにノートを開く。忘れたくない出来事を、ノートに記していく。きっと、私はこの出来事すら忘れるのだろうと思うと目頭が熱くなり、何かが頬を伝う。
しかし、優は気にしない。今はただ記録することだけに全てを集中する。零れ落ちた涙がノートを濡らす。それすら、優は気にしなかった。
流星群の出来事を書き終えると、ノートを閉じ、1ページの裏面に貼ってある『起きたら読む!』と書いてある付箋を表紙に貼り直す。
そして、枕の下にノートを隠す。机の上に置いておいて、部屋に入ってきた両親に見られたら大変だ。起きた時に枕の下に手を突っ込む癖がまだ残っているように祈り、寝巻きに着替えてベッドで休む。
「あー、楽しかったな。......忘れたくないな」
頬を伝う涙を無視して、優は眠りについた。
◇◇◇◇
目が覚めて、枕の下に手を突っ込む。何かが枕の下にあることに気づき、優は慌てて枕をどかす。そこには『起きたら読む!』と付箋が貼られた1冊のノートがあった。
優は中身を読む。そして、カレンダーを見た。しかし、西暦が自分の記憶と違うことしかわからない。
スマホの存在を思い出して、確認する。8月13日と表示されていた。
「うーん、1年と半年ぐらいか」
優は自分の記憶との齟齬を確認する。不思議と混乱はしない。ノートに書いてあった、記憶と心の関係か? と考える。
きっと、記憶がないことを心は受け入れてしまったんだろうなと勝手に結論付ける。そして不思議なとに気付く。
記憶は確かに欠落しているのだろう。でも常識は消えていない。ノートの最初の方に自分は知らないはずの漢字が使われていた。しかし、それは読めた。
知識は消えない? 脳の別の場所に保管されてるのか? ここまで考えて、私はこんなことを考えないと気付く。
人格は記憶が作る。でも、知識は違うのかもしれない。
「あー、もう、わかんないのは考えるのはやめ! 病院には午後戻るみたいだから、のんびりしてよー」
ノートを鞄の中にしまい、優はベッドにダイブした。
◇◇◇◇
緋那はいつもの時間に優の病室を訪れていた。鞄には朝、現像した写真が入っていた。早く優に見せたいと、気分がせいていた。
いつも通り、病室の扉をノックをして、中に入る。
「優、きたぞー」
「あっ、ひなた! 昨日ぶり? あっ、違うか、朝ぶり?」
「相変わらずだな、あの後寝れたか?」
「バッチリだよ」
優の元気そうな姿といつも通りのピースサインに緋那は安堵する。そして、そうだったと思い出すと、鞄から写真を取り出す。
「優、これ昨日の写真」
「おっ、ひなた! 早いね! 見せて見せて!」
優が飛び跳ねて喜ぶ。その様子に元気そうで良かったと緋那は安心する。そして、写真を優に渡した。
優は嬉しそうに写真を見ている。そして、1つの写真で手が止まる。
「この写真何? ......ひなたもしかして盗撮した?」
「は?」
優の言葉に、緋那は一瞬止まる。そして、ハッとした。昨日撮った写真を現像して満足したから、内容の確認をしていないことを思い出した。確かに、流星群を見ている優と猫をカメラにおさえた。それも一緒に現像して、持ってきた?
緋那は顔に血が昇るのを感じた。きっと、顔は赤くなっているだろう。そして、答えはすぐにわかった。
「あはは。ひなた、顔真っ赤っ」
優が緋那の顔を指さして、ケラケラと笑う。緋那はさらに恥ずかしくなり、体を縮こませる。
「うるせぇー、いい被写体だったから、つい」
「照れてるー、ひなたかわいい!」
「男にかわいいとか言うな!」
さらに顔が熱くなるのを感じながら、緋那は写真を取り上げようとした。しかし、優が緋那の動きを先読みして優は緋那の指から写真を遠ざける。
「貰ったから、もう私のものだよーだ! ちゃんと確認しなかったひなたが悪い!」
もっともな意見に緋那は何も言い返せない。まあ、喜んでくれてるならいいかと腕を引っ込める。
優も取られる心配がなくなったからか、どうどうと写真を見るのを再開した。
「看護師さんに許可もらって、部屋に貼ろうかなぁ」
「ん?」
思わず溢れたような優の言葉に緋那はどこか違和感を覚えた。しかし、すぐに優のいつも通りの笑顔で違和感が消える。
「天井に流星群の写真貼るの素敵じゃない? 朝起きると1番に飛び込んでくる、うん、よくない!?」
目を輝かせながら優は緋那に同意を求める。許可を得た場合、天井に貼るのは俺だよな? と緋那は嫌な予感がする。しかし、思い立ったらすぐ行動! の優は、うんうんと頷くとベッドから降りて靴を履く。
そして、病室から走っていってしまった。
「おい、病院内は......って、もういないし」
緋那はため息をつく。しかし、元気そうな優の姿に安心した。夜中まで外に連れ回してしまったから体調を崩していたらどうしようかと不安だったのだ。全く疲れを感じさせる様子のない姿を見て、優は優だなと安堵の息をこぼす。
すれ違うのも良くないしと、緋那は窓際の椅子に座り、外を眺める。
近くの道を黒猫が優雅に歩いているのが見えた。昨日のやつか? とつい動向を追うも、すぐに草陰の中へ消えていった。
「ひなたー!! 許可貰ってテープ借りてきたよ! でも、大きい紙がいいから、A4の紙に印刷し直して!」
「多い、多い。注文が多いから、印刷して明日持ってこればいいのか?」
「えー、今日中がいい」
「あー、もうわかったよ。データはあるから今から印刷してくる。A4でいいんだな?」
「うん! よろしくね」
優の笑顔に背を押され、釈然としないながらも、病院のコンビニに向かい、マルチ印刷機でデータを取り込み、印刷する。
写真と比べて、少し荒いが仕方がないだろう。優に頼まれた写真を全て印刷し終えると、病室に戻る。
そして、優の指示のもと、天井や壁に流星群の写真を貼っていく。病室内が小さな宇宙になったようで、思わず感嘆の声が溢れる。
「よし、ひなた完璧! 今日はありがとねー」
「用無しは帰れと。......まあ、いいや。明日アルバム買って持ってくるな。忘れてたから」
「おおー、爪が甘いと思っていたら、明日に持ち越しか。楽しみにしてる」
優はニコニコと笑いながら、机の上に広げた写真を見ている。気に入ってくれたようで緋那も嬉しかった。
「じゃ、明日な」
「うん、また明日!」
優の元気な声を聞きながら、緋那は病室を後にした。そして、そのままアルバムを買うために、ショッピングモールへと歩を進めた。