第39話 怯えと絶望
1月も第1週が過ぎ、正月気分もいい加減抜け、新学期が始まった。
今日もいつも通りに学校終わりに、優の見舞いに行く。
家から以上に学校から病院に行っているなと緋那は今更ながら笑う。雨の日も関係なく、面会を断られた日以外は毎日通っていた。
我ながらよく続いているよと笑いたくなる。
そして、いつも通りに優の病室の前にたどり着くと、扉をノックする。しかし、反応は一切ない。
緋那は不思議に思う。昨日も変わった様子はなかった。なのに何故か嫌な予感がする。
緋那は震えそうになる体を抑えて、ナースステーションへと向かう。優が実は診察中なのではないかという、淡い期待を抱いたのだ。
しかし、看護師から部屋で休んでいると情報をもらった。病室で寝ているのかと思いながら、また優の病室に戻る。
寝ているんなら、待った方がいいのかと思った。だけど、緋那と優の仲に今更そんな心配はしなくてもいいかと病室の前に着く前に結論がついた。
緋那はもう一度、優の病室をノックする。反応はない。
「優、開けるぞー」
緋那は少し大きな声を出して扉を開けた。
優は、ベッドに体を起こしていた。そして、緋那を見て怯えた顔をした。
「えっ......?」
そう、昨日いつも通りに「また明日」と別れたはずの幼馴染はまるで、見知らぬ人を見たかのように怯えていた。
「お......おい、優?」
「だっ誰? なんで私の名前を知ってるの?」
緋那は言葉を失った。いつもの悪い冗談かと思いたいが、怯える瞳も、表情も嘘ではない本物の怯えだ。
まるで冷や水を頭から被ったかのように体が冷えていく気がする。
「誰って、俺だよ。緋那」
「......ひなた? 違うよ、嘘つかないで! ひなたは私と同じで小学生で大人じゃない!」
優はヒステリックを起こしたように叫んだ。そしてすぐに咳き込む。息を切らし、ゼーゼーと浅く呼吸をしながらも緋那を警戒するように見ている。
「......すみませんでした」
錯乱状態の優に下手に話しかけない方がいいと、緋那は病室を後にしてナースステーションへと向かう。
そして、看護師にその事実を伝えると、緋那が優の記憶について知らないことに驚かれた。
「緋那くん、知らなかったの?」
「何がですか、教えてください。優の両親には俺が怒られます。個人情報だってのも分かってはいます。でも、知らないのは嫌なんです」
看護師の様子から、記憶に対してが最近始まったことじゃないと把握した緋那は看護師に頭を下げた。
若い看護師は困ったようにオロオロしている。
「望月君、今から文月さんに連絡して許可を得たら話します。この近くに椅子があるの知ってますね? そこで待っていてください」
ベテランの看護師が、若い女性から対応を代わってくれた。緋那は大人しく頷くことしかできなかった。
ナースステーションへから看護師に言われた簡単な休憩スペースに移動する。
椅子に座ると盛大に息を吐いた。
「マジでなんなんだろう......」
何もわからない。ただ、ひとつわかっていることは、よくないことが起きている、それだけだ。
先程の優の様子は物心ついてからまるで兄弟のように長い時間共に過ごしてきた緋那が見たことすらないものだった。
知らない人に対しても有効的で、怯えると言うことを優は知らないと思っていた。
その優が緋那を見て怯えたのだ。その事実だけで、心臓が握りつぶされたような苦しさを覚えた。
優の病室を出てから、冷や汗は止まらない。正直、自分が普通に歩けてるかすらわからないほどだ。
きっと、この後に優の両親が許可を出したら話に来る看護師はさらに緋那に絶望を運ぶのだろう。それだけは嫌と言うほど頭が理解してしまった。
廊下を人が歩く音だけが響く。その音がなければ、緋那は世界に一人取り残されたと思ったかもしれない。
口腔内はカラカラに乾いている。でも、潤そうとする気すら起きない。
体の前で組んだ手も小刻みに震えている。
いつからだったんだ。
緋那は過去を思い出す。高校のクラスメイトの事を忘れていた後も、記憶の欠落は続いていたのだと、現実にわからさせられた。
そして、それをお首にも出さずに緋那に普段通りだと思わせてきた優はどんな気持ちだったんだろうと泣きたくなる。
頼れと言ったが、優は一人で抱え込む事を選んでしまっていたのだと――言葉だけで行動をしなかった過去の自分を殴りたくなる。
コツコツとゆっくりと足音が近づいて来た。
緋那は溢れそになった涙を必死に引っ込めて顔を上げる。緋那に泣く資格はないと思ったからだ。
予想通り、先程のベテランの看護師が緋那に近付いてきていた。
「望月君、許可をもらったから話に来たよ。優さんの記憶はいつから失われていったのか、今がどんな状態か......」
看護師はそこで一度言葉を切る。そして、優しい瞳で緋那を見た。
「聞かずに帰って、もうお見舞いに来ないって選択肢もある。望月君はどうしたい?」
「......知りたいです。俺はあいつの親友だから。何も知らないではいたくないです」
緋那は苦しみながらも自分の思いを口にした。
「そっか、なら話しますね」
そして、看護師は話し始めた。優が大事にしていたノートの事実と、現在の優の最新の記憶についてを。
緋那はただ静かに聞くことしかできなかった。