第10話 日常の壊れる音
入学式が終わり、教室に戻る。そしてホームルームが終わる頃にはすっかり優はクラスの中心にいた。
昔からクラスメイト全員と友達になり、平等に接する。我儘三昧で甘えるのは緋那にのみ。毎年の様にこれから数日でクラスメイト全員に優の保護者と認識されるのかと思うと緋那は頭が痛くなる。
「ひなたー、帰るよっ」
優は元気に緋那に笑いかける。
仕方がないなとため息を吐き、緋那は鞄を持ち優のところまでいくのだった。
そして特に変わり映えもなく高校生活が開幕した。
♢♢♢♢
5月5日。学校生活にも慣れ、世間ではゴールデンウィークの話題で持ちきりだ。緋那は休日の午後にリビングのソファに寝転び、テレビのワイドショーから流れる特集を聞きながらスマートフォンを意味もなく弄る。
今日は前々から優が家族で出掛けると聞いていた為、1日自由に過ごせることが確定していた。
特に予定も入れず、ダラダラと家で時間を無駄に過ごす。贅沢な時間を過ごしている時だった。持っていたスマートフォンが優の母親からの着信を伝える。
その発信者を見た瞬間、緋那は冷や水を被せられたかの様に指先が冷たくなっていくのを感じた。優が倒れたと彼女の母親から連絡がきてまだ1ヶ月程しか経っていない。着信を取る前から嫌な予感がする。
「......はい、緋那です」
口の中が乾燥している。なんとか唇を震わせて言葉を紡ぐ。すると機械を通して、少し焦った様な優の母親の声が耳朶を打つ。
『緋那くん、話しておいた方がいいと思って連絡したの』
硬い声で紡がれる前置きに頭が真っ白になる。言わないでくれ、心の中でそう呟いてしまう。
しかし、無情にも彼女の母親は言葉を続けた。
『昨日、今日と優が2日連続で痙攣して倒れたの。昨日はしばらく意識も戻らなくて、しばらくまた検査入院することになったわ』
「ーーえ?」
何を言われたのか脳が理解を拒否した。優がまたしかも2日連続で倒れた? 4月の検査結果は問題ないと言っていたじゃないかと緋那は言葉を発することができない。
『しばらく、入院になりそうだから、学校は休むわ。状態が落ち着いたらまた連絡するから、面会によかったら来て欲しいの。優は緋那君といるといつも楽しそうだから......』
淡々と感情すら感じさせずに話す電話から聞こえる声が逆に事態の深刻さを物語っている様に感じる。
何も言えずにいる緋那の心中を察してか、優の母親は少し硬さは残るが優しい声を出す。
『命に別状はないの。ただ繰り返しているってのが何か病気が隠れているサインかもしれないからってだけよ。大丈夫、優は強い子だから』
最後の一言は自分に言い聞かせている様にも聞こえた。自分だけがショックを受けているわけじゃない。緋那はその事に気づき、カラカラに乾いた口を必死に動かした。
「わざわざありがとうございます。落ち着いたら教えてください、絶対に面会に行きます」
緋那の言葉を聞き、電話越しの声が少し安堵したのが聞こえた。それから病院と病室が前回と一緒の事を確認し合い、電話は切れた。
「......優、大丈夫なのか?」
彼女の母親の前では必死に耐えた言葉が電話が切れると自然と口から零れ落ちる。
どこからか、日常が壊れる音が聞こえた気がした。
それから自分がどう過ごしたのか緋那は思い出せなかった。ただ、夜が来てベッドに入る。しかし今夜は寝れる気がしなかった。
♢♢♢♢
太陽の光がアスファルトに反射している。隣を歩く優と話しながら、緋那はいつもの通り優に振り回される休日を過ごしていた。
「ひなたの誕生日だから、ひなたが好きそうな店に行く事にしたんだ!」
4月1日。世間ではエイプリルフールと盛り上がるこの日が緋那の誕生日だった。昨日の時点で、今日の約束を取り付けた優はニコニコと笑いながら心なしかいつもより機嫌が良く感じる。
「俺の誕生日なら、俺に行き先を選ばせないか普通」
「えー、プレゼントはやっぱりサプライズだよ! 選んでもらったらサプライズにはならないからねっ」
嬉しそうに優は緋那を見る。
自分の誕生日を覚えていなかった緋那は昨日無理矢理約束を取り付けられたことや、朝の突撃に混乱した。今日、優は家に来て緋那を見るとクラッカーを緋那に向かって鳴らし笑いながら誕生日を祝ってくれていた。
そして自分の誕生日を忘れている緋那に呆れながらも、彼の家族に連れ出しの許可をもらい、優は笑顔で一緒に出かける権利を得たのだった。
「それにしても自分の誕生日を毎年忘れるって緋那、冷めてるよ! 私なんて4年に1回しか誕生日こないんだからね?」
「あー、そういや2月29日だったっけ」
「あっ、またひなた私の誕生日忘れてたな! 去年は閏年だから絶対に当日に祝ってね! ってあんなに煩くしてたのに!」
「お前、煩くしていた自覚あったのか......。今日から高2になるんだ、もう少し落ち着けよ」
そんなくだらない話をしながら交差点に到着する。信号が赤である事を確認し、2人は立ち止まる。
「えー、落ち着いたら私じゃないって」
「高2になっても誕生日に騒いで、小学生かよ......」
「あっ、酷い。ひなた今私の事貶めた......って、黒猫?」
そんなに車通りが多くない交差点を一匹の黒猫が横切ろうとした。そのタイミングで黒猫の横からトラックが迫ってきている。隣にいた優が何も言わずに駆け出す。
緋那は何をしようとしているか分からず、一瞬頭が真っ白になった。そしてハッと気づき、追いかけようとした瞬間、爆音のブレーキ音と何かが衝突する音、そして優の満足そうな笑顔と何かが宙を飛ぶ様子が視界に入ったーー。
♢♢♢♢
「ーーっ!!」
緋那は勢いよく飛び起きる。体は汗でぐっしょりと濡れており気持ち悪い。
「今のは夢か?」
優が倒れたと聞いた日に優が事故にあった悪夢を見た。指先が冷たくなる。
本当に夢だったのだろうか? そう思えるほどリアルな夢だった。
今まで優が交通事故に遭ったことはない。だから確実に夢の筈だ。しかし、自分はこの光景を以前見たことある気がした。
なんとも言えない気持ち悪さに体が震える。
今日はもう眠ることはできないだろう。緋那は震える体を抱えながら、夜が明けるのを待った。