第28話 車椅子
少しずつ、木々が色付き始めた10月。緋那は変わらずに優の見舞いに通っていた。
相変わらず、優の両親とは会わないし、優も変わった様子はあまりない。ただ、流星群を見に行ってから徐々に下肢筋力の衰えが出てきた。
ほとんどの時間を病室で過ごしている優にとって、筋力の維持は大切だと以前から笑っていた。今は、足が動かないこともあり、状況に応じてリハビリをしてると笑顔で語っていたのが懐かしい。
緩やかにだが、徐々に優の身体は原因不明の病魔に侵されている。その事実だけが変わらない。
歩けるようにと病室の真ん中に置いてあったベッドは窓側へと移動され、ベッドの柵がL字に曲がるものに変わった。そして、使う時もあるとベッドサイドには車椅子が置かれている。
それでも、緋那が見舞いに行く時は普通に歩いているか、ベッドに座っているかで車椅子を使っている様子は見た事がない。後者に関しては隠しているだけの可能性があり、なんとも言えないが、緋那からは怖くて聞く事ができない。
そんな事を考えていると、優の病室の前についた。緋那はいつも通り扉をノックする。
「はーい!」
いつも通りの元気な優の声に安心しながら扉を開けて、そのまま固まった。緋那の瞳には、車椅子に座っている優がL字になっている柵を片手で掴んで立ちあがろうとしている最中だった。
優は緋那を見ると照れたように笑いながら、立ち上がり、ベッドへと移った。その様子が手慣れており、緋那は言葉を失ってしまう。ただ入口で立ち尽くすしかできない。
「ひなただったか。待っててもらえばよかったな」
ベッドに腰掛けている優はいつも通り笑っている。それが緋那には恐ろしく感じた。思わず、一歩後退しそうになる。それに気付き、緋那は足に力を入れて、後退しそうになった足を前に進める。それには緋那が思う以上に覚悟が必要だった。
「ひなた? どした?」
入口からなかなか動かない緋那に優が不思議そうに上目遣いで尋ねる。緋那は何も答えられず、扉を閉めて中に入った。そして無言で優に近付く。
そして、近付きながら優にバレないように小さく深呼吸した。
「なんでもない、車椅子使ってるの初めて見て驚いただけだ」
「あっ、なるほど。私、ひなたの前で使ってなかったっけ?」
優が不思議そうにこてんと首を傾げる。緋那はもう一度小さく息を吐く。
「使ってなかったぞ」
「そっか、そっかー。そういえばそうだったかも?」
優はとぼけるように笑った。いつもの笑顔だが、どこか、違和感を覚える。しかし、恐怖からその違和感の正体を探ろうとは思えなかった。
「なんで、疑問系なんだよ」
緋那はいつも通りに軽口を返すことしかできない。少し、口腔内が乾燥している気がして、口を閉じて唾液で潤す。そうしないと、言葉が掠れると思った。
「あはは。あっ、別に歩けないわけじゃないんだよ? リハビリでは歩行器? だったかな? や平行棒使って歩いてるから! ただ、昔いきなり倒れたことがあるから、看護師さんの目がない時は車椅子を使うように! って今朝、看護師さんに耳が痛くなるほど言われたからね」
優が笑いながらいう。緋那は流そうとしたが、聞き流せなかった。看護師から注意されたということは、注意する必要のある危険があったということだ。聞き出そうとするも、キョトンとしている優は心当たりがなさそうな顔をしていた。
開きかけた口を閉じる。これは聞いても意味がないなと長い付き合いから察せられた。
緋那はもう一度息を吐くとベッドの近くに置いてあるパイプ椅子に腰掛けた。
優はベッドに腰掛けながら、足をぶらぶらと揺らしている。足が動かせないほど、力が入らないわけではないんだなと安心した。
「こんなんだけど、調子はいいからね?」
「そうか、まあ、無理するなよ」
「あははっ。ひなた、私が無理すると思う?」
心配する緋那に、優はお腹を抱えながら笑う。重心を後ろにかけて、半ばベッドに倒れ込みそうな様子で足をバタバタさせる。ヒーヒーと息ができないぐらいの引き笑いに変わり、別の意味で心配になってきた。
緋那が椅子から立ち上がり、ベッドに近付くと優が身体を起こした。
「あー、笑った。ってあれ、ひなた。その手何?」
優の背中をさすろうとした腕が空中で止まる。それを見て、また優が笑う。緋那は視線を逸らして、手を下ろす以外できなかった。
そして、またくだらない話をしている間に、日が傾く。窓の外が茜色に色付き始めた。そろそろ面会も終わりの時間だなと、緋那は腕時計を確認する。
「優、俺はそろそろ帰るな。また明日」
いつも通りに緋那は優に挨拶する。一瞬、優がキョトンと首を傾げて不思議そうにした。それが気になり、声をかけようとした瞬間、優は満面の笑みを浮かべた。
「毎日来て、よく飽きないね。ひなた、実は私のことが好きなのか!?」
「......寂しいと思って、来てたが来なくていいってことか。なら、明日は来るのやめるわ」
「待って! 嘘嘘! 待ってるから、来てよ」
鞄を持ち、扉に向かいながら緋那は手を挙げて答える。口では減らず口を叩いてしまうが、それでも毎日優の見舞いに来ることは決めていた。だから、明日は来ないという選択肢はない。
少し意地悪をしすぎたかなと、扉の前で振り返る。なんとも言えない表情の優と目が合った。
やらかした。直感でそう思った緋那は大股で優に近付くと、頭に左手を乗せて、ポンポンと優しく叩く。
「冗談だって、明日もいつも通り来る予定だ」
「もおー、ひなたの意地悪!」
そう言いながら優は緋那の手に頭をぐりぐりと押し付ける。満足するまで、緋那は優の頭から手を離さなかった。
そして、優が緋那の手を掴んで、自分の頭から退ける。
「待ってるからね」
「おう」
短く挨拶をすると、今度こそ緋那は病室を後にした。そして、それ以降の見舞い時に車椅子に乗ってることが増えた優にも見慣れ始め、気づけば暦はもうすぐ11月に突入しようとしていた。