第18話 過去、今、未来の共同戦線
優の記憶の欠落を徹底的に思い知らされた翌日。緋那はいつも通りの時間に病室の前にいた。
しかし、なかなか中に入ることが出来ない。昨日以上に忘れていたらどうすればいいのか、自分のことはまだ覚えているのか、不安で仕方がない。
しかし、1番辛いのは優だ。だから緋那がその感情を表に出すことは許されない。
固唾を飲み込み、大きく深呼吸する。そして、意を決して扉を開ける。
「ひなた、やっほー!」
緋那の姿を見ると優は笑顔でベッドから降りると、駆け寄ってきた。
「よお、優。調子はどうだ?」
「めっちゃ元気! なんでまだ入院してるんだ? って思うぐらいだよ。まぁ、理由は分かってるから何も言えないんだけどね」
あははと優は太陽のような笑顔を浮かべた。
優は今日はベッドではなく、窓横に置いてある椅子に座った。本人の体調により、優はベッドから起き上がれない日もあれば、今日のように元気に動き回っている日もある。
動ける日は体力が落ちないようにと、優の個室は少し改造された。ベッドは窓側から個室の真ん中へ。そして窓際にはいつでも座れるように椅子が2脚置かれた。
見舞いの人と一緒に座るようだと以前、優が笑っていたことを思い出す。
見慣れた病室に、緋那は一歩足を踏み入れる。昨日までと同じ部屋のはずなのに空気が重い気がした。きっと自分の気持ちの重さがそのまま感じられているんだろうと推測する。
じゃなければ、優があんなに笑顔のはずがない。
「どした、ひなた」
病室に一歩入って固まっていた緋那を優は不思議そうに見ている。緋那はすぐに表情を繕った。
「なんでもない」
そう伝え、優の座っている椅子の横に置いてある椅子に腰掛けた。緋那が座ったのを確認すると優は嬉しそうだ。
その様子に少しだけ安堵した。忘れていないのか、それとも覚えている演技をしているのか、緋那にはわからない。
しかし、あまりにも普段通りの優だった為、きっと今日はあれ以上何も忘れていない。そう思えた。
だから、緋那もいつも通りに振る舞う。
それから、優に急かされるように学校での出来事を話した。
知っていたはずのクラスメイトや教師の名前にはやはり反応しない。ただ、どんな出来事があったのか、病室の外の様子が気になって仕方がないようだ。
それに気付き、緋那は優に急かされた、知っているはずなのに、ほとんど知らないことになってしまった高校の話を中断する。それに内心、安心を覚えながら。
◇◇◇◇
高校の話をしている時と違って、優も覚えている家の近所の話になった瞬間、少し張り詰めていた緋那の空気が和らいだのを感じた。
優は病院から出られない。だから、外の出来事を知れるだけで嬉しかった。しかし、緋那は忘れてしまっている話をすることに罪悪感でも感じているのだろうかと優は考えた。自分は気にしてないんだから、いいのにと相変わらず緋那は優しいなと思う。
そして、まだ緋那の事を忘れていないことに安堵した。
朝、目覚めるとすぐに目につく机の上に1冊のノートが置いてあった。そこには優の字で大きく『起きたら読む!』と書かれたメモが貼ってあった。その横にはインスタントカメラが置かれており、存在を主張している。
なんだろう? と不思議に思いながら、優はノートを開く。まず最初の数ページには大量の顔写真が貼ってあり、その下には個人名が書かれている。
見知った顔と知らない顔の写真が混在しており、優は首を傾げた。
そして、何を読むんだ? と過去の自分は何がやりたかったんだろうと思いながらページを捲る。
写真のページが終わったと思ったら、次は見開き一杯に文字が書かれていた。
『私は、記憶を失くす! これは比喩でもなく事実だ』
最初の1行目を読んで優は心臓が止まるかと思った。記憶を失くす? そう思った。しかし、すぐに気付く。優は確かにこのノートを書いた記憶も、写真を撮った記憶もなかった。
微かにノートを持つ手が震える。それでも事実を知らないといけないと、続きに目を向ける。
『だから、大事なことや忘れたくないことはノートに書く! 記憶ではなく記録として事実を書き残す。そのための物です。原因はわからない。でも、忘れてしまうことだけは事実だ。いつまで、持つかは今の私もわからない。でも、私が私であるうちはこのノートは続けて欲しい。大切な人を悲しませないように、私を演じて欲しい。これは私のエゴだ。それでも記憶がある限り、私が私じゃなくならない限り、きっと同じ結論に辿り着くと思う。だって、私だもん。だから、きっと何もわからない私、お願い。このノートを続けて書いて。そして寝る前に必ず見るようにメモを貼って! これは私にしかバレちゃダメだよ』
過去の私から未来の私への手紙だと優は気付いた。これは忘れてしまう私が、私である為に考え抜いた秘密であり、約束だ。
忘れてしまう。その事実はこのノートのことも、この言葉も覚えてなかった時点で真実なのだろう。
手紙の下には、母親と緋那がほとんど毎日見舞いに来ることと。だいたいの時間がメモされていた。
インスタントカメラが置いてあった理由も優は理解した。そして、自分以外誰もいない病室でノートを胸に抱いた。
これは過去の自分、そして今、未来の自分との共同戦線だ。敵は、自分の中にいる何か。そして、異変を大切な人達に悟らせないようにする。
今日の優もまた、覚悟を決める。悲しませない為に、演じよう。ノートに書かれている簡易の日記の事実を元に、知っていると嘘を塗り固めて演じよう。
少なくとも自分の軸がわからなくなるまでは。
「思いは受け継いだよ、過去の私」
優はノートの表紙に貼ってあったメモをとりあえずノートの中に隠す。そして、きっと昨日の自分も思っただろなと優は笑う。
きっと、これは未来への、原因不明の敵への宣戦布告だ。最後まで自分らしくいられたら勝ち。そういう闘いだ。
優はノートの全てに目を通す。そして、目で見た情報を頭の中に入れる。最後にもう一度写真のページを開き、確認する。
そして、必要な情報を全て入れる。それが終わるとノートを閉じてカメラの隣にノートを置いた。