第53話 天国行きの切符
4月1日。いつも通りの朝が来た。
誕生日と言っても緋那はもう子供じゃない。優みたいにわざわざ騒ぐこともしない。
家族も出かける予定があると「おめでとう」と言葉だけで誕生祝いを終わらせて、出かけていった。
家にいるのは緋那1人だ。リビングのソファに座り、ボーッとテレビを見る。
テレビでは、最近有名な思想家の特集がやっていた。特に見るものもなく、チャンネルをそのままに緋那はスマホでゲームをする。
優の見舞いの時間まではまだ数時間ある。
昨日の決意を緋那は忘れてはいない。
こんなだらだら過ごして、優に楽しい話をすることができるのだろうか? そう思いながらも、話のネタを探しに外へ行こうという気分にはなれなかった。
『――というわけで、生物は生まれながらに死が確定しています。それはどうしようもできないことですよね? 別に、僕は宗教家ではないですし、こうすれば長生きできるよと言うわけでもないです』
テレビからそんな男の声が流れてくる。それが、何故か緋那の耳に残った。スマホから視線をテレビに移す。
Tシャツにズボンというカジュアルな格好をした壮年の男が、椅子に座りながらインタビューを受けている映像が映し出されていた。
『こういう話をすると、宗教かと思われてしまうかもしれない。でも、僕の持論で生物は等しく全てが"死という終着駅"への片道切符を持って生まれてくると考えているんです。その切符には行き先以外にも駅に到着する時間、人生の転機も全てが書いてある。運命とは、生まれたときに神が定めているものだと思うんですよ。それが見えない切符の形をしている』
壮年の男は言葉を句切るとカメラをじっと見つめたようで、テレビ越しに緋那は目が合ったかのように錯覚した。緋那はテレビの中にいる男から理由は分からないが目が離せない。
『別に僕の考えが絶対に正しいとは思っていません。でも、人生について考える際のひとつの考え方としてこんなものもあるんだと、そう知って欲しいんです』
男はそこまで言うと、微笑んだ。
そして、インタビュアーが次の話題へと話を変えたことによりその話は終わった。先程までどうして興味を持ったのか不思議なぐらいに、話題が変わると一気にどうでも良くなった。
緋那は時計をチラリと見た。まだ正午を少し回ったところで優の見舞いに行くには早い。適当に昼食を済ますかとキッチンへと向かう。
それから、優の見舞いの時間までテレビを見たり、ゲームをしたりと時間を潰す。
チラリと時計を確認する。時計の針は14時をまわっていた。
そろそろ準備するかと立ち上がり、テレビを消して部屋へと向かう。
服を外出用に着替えながら緋那は先程のテレビの内容を思い出す。
――死への片道切符か。
緋那はその言葉が気になった。だから真剣にテレビを見入ってしまったのだろうと今更ながら思う。
何故かその単語を忘れてはいけない気がした。そんなことを考えているとスマホが着信を告げる。
すぐに確認すると、優の母親の名前が表示されていた。
――優の母親から、電話?
とてつもなく、嫌な予感がした。また優に何かがあって、面会が中止になったのだろうか。緋那は震える手で通話ボタンを押す。
「どうしましたか?」
努めて、緋那は冷静な声を出した。
『......緋那君?』
優の母親の声はか細く震えていた。今まで聞いたことがないような弱々しさに、緋那は自然と息をのんだ。嫌な予感がする。
『ごめんね、まだ冷静になれなくて。でも、緋那君には早めに伝えた方がいいと思って......。ついさっき、優が息を引き取ったの......』
「――っ」
涙を堪えるように必死な声は、嘘だとは思えない。緋那は言葉を失った。
また、明日と一方的に約束して帰り、決意までした。
それなのに、その明日は永遠に来ないという事実を突きつけられた。
頭が真っ白になる。平衡感覚さえ分からなくなり、今自分は立てているのかすら理解ができない。ただ、スマホを握る手にだけは力が入る。
『......一人部屋だから葬儀屋が来るまでは、優の部屋に居て良いと言われていてね、緋那君も毎日お見舞いに来ていたから、病院にいる優にも最後に会いたいんじゃないかと思って』
淡々と震える声でも優の母親は言葉を続ける。
『私も、夫も葬儀屋の手配や親族への連絡で優と一緒に居てあげられないの。代わりに、緋那君が居てくれたら、きっと優も喜ぶと思って......』
「......行きます。俺が行っていいのなら、行かせてください」
『ありがとう』
緋那は電話を切る。事実は受け入れられなかった。夢だと思いたかった。それでもスマホを持ってる手と反対の手の拳を無意識に握っていた。握りこんだ右手は皮膚に爪が食い込み、これが夢ではないと現実を緋那へと突きつけていた。
今はとりあえず、優に会う。緋那はそれ以外を考えるのをやめた。
出かける準備は既に終わっている。緋那は持っていたスマホをポケットに入れるとすぐに家を飛び出した。
歩きなれた道を、ただひたすらに緋那は走る。
病院に到着すると、流石に走れないので早歩きでエレベーターに向かう。立ち止まると汗が噴き出してくる。呼吸も整わない。
エレベーターは緋那一人しか乗っていなかった。緋那は、壁に体を預けて息を整える。
そして、優の病室のあるフロアにエレベーターは到着した。
ナースステーションの前を通ると、顔見知りになった看護師が頭を下げてくれた。緋那も頭を下げ返す。言葉はいらなかった。
優の病室まで辿り着くと、緋那はいつも通りのノックをする。
「はい」
中から返事が聞こえ、扉が開く。
「ありがとね、緋那君」
そこには、泣きはらして目を赤くした優の母親が居た。父親は席を外しているようで見当たらない。
「このたびは、ご愁傷様でした......」
緋那は感情を押し込めて、挨拶をする。久しぶりに会った優の母親は記憶以上にやつれていた。
それでも緋那を見て、笑いかけてくれた。
「私も少し、先生に呼ばれているから、離れるわね。優をお願い」
優の母はそう言うと病室を後にした。
なんとなく、気を遣って緋那と優2人きりにしてくれたと感じた。閉まった扉に緋那は頭を下げる。
そして、緋那は見慣れた優のベッドを病室に入って今日、初めて見た。
いつも通りのベッドの配置。しかし、ベッドに横たわっている優は顔に白い布が被せられている。布の下から優の茶色い髪が見え、ここに横たわっているのは優だと伝えてくる。
緋那は手を合わせて、優を見た。昨日までは上下していた胸は動いていない。
優は、もういない。
その事実を緋那の脳はやっと理解した。立っていられなくなり、その場に座り込む。
「......早すぎるよ、優」
昨日ノートを発見したことにより、緋那は優にしてあげたいと思ったことがたくさんあった。しかし、それはもうできない。
止めようとしても体は震え、頬を涙が伝う。
言葉は出なかった。ただ、優のベッドの近くで泣き崩れることしかできなかった。
しばらく、泣き続けた緋那は涙を拭いて立ち上がる。
その時、どこからか視線を感じた。緋那は窓に視線を送ると、以前と同じ木の枝に乗り、病室を覗いている黒猫がいた。
――また猫だ。
緋那は思わず窓に近付く。それに気付いたのか、黒猫は器用に木から下りていなくなってしまった。
優の死に黒猫が関わっている。何故か、緋那はそんな気がした。
それから、優の母親が戻ってくるまでただ横たわり、物言わぬ体となった優を無言で見ることしかできなかった。
優の母親が病室に戻ってきて、葬儀について伝えられる。お通夜は今日行われるとの話で、緋那は一度着替えるために病院を後にした。
優の母親と何を話したのか覚えてはいない。
家に帰ると母親がパートの仕事を終えて帰ってきていた。既に優の話は聞いていたようで、緋那の顔を見てそっとしてくれた。そのことに安堵する。
そして、お通夜には家族全員で出向いた。棺の中に横たわっている優の表情は穏やかで、「嘘でした!」と起き上がりそうなそんな雰囲気さえ感じた。
同級生も多く、来ていた。それでも緋那は誰とも話す気になれない。
泣き腫らした優花と目が合ったが、お互いに近付こうともしなかった。少し顔を見ただけで、同じ喪失を抱えているのが嫌というほど分かったのだ。
そしてお互いに傷のなめ合いをする仲ではない。
それからどうやって家に帰ったか、緋那は覚えていない。ただ、気付いたらベッドに横になっていた。
こぼれそうになる涙を堪えながら、緋那は声を殺して泣き、気付いたら意識を手放していた。
◇◇◇◇
緋那は目を覚ました。時計を確認すると、3月31日の文字とともに現在の時刻が表示されている。
中学最後の日くらいは、優に振り回されずに過ごしたいなと起きる。
どこからか、猫の鳴き声が聞こえた気がした。