第31話 様々な感情
ピッピッピっと規則的な機械音がどこからか聞こえる。徐々に意識が覚醒するも身体は重くて動かせない。なんとか瞼を開く。すると白い光が眩く眼球を焼いた。
思わずすぐに目を閉じる。焼くような光になれるために、何度か重たい瞼を開閉する。徐々に光に慣れてきたため、瞬きを止める。
どこからか消毒の匂いがする。よく耳を澄ますと機械音だけでなく、微かに水滴の落ちる音も聞こえる気がした。
優は必死に首を動かす。白い天井に白い壁、白い機械。白で埋め尽くされている。
ここはどこだと優は考える。自宅でないことは確かだ。チラリと視線を動かすと点滴が刺さっていることに気付く。病院だとすぐに理解する。
腕を動かそうとするも重くて動かせない。なんとか首と目は動くので最低限の動きで状況を把握しようとするものの何もわからない。
口を開こうとしたところで、口と鼻を覆うようにして酸素マスクのようなものがつけられてることに気付いた。
優は軽くパニックになる。今まで病気という病気はしたことがなかった。それが記憶もないのに病院にいる。恐怖でしかなかった。
声を出そうとするも上手く出ない。
どうすることもできずに優は泣きたくなった。状況はわからないし、身体も動かせない。小5の優がパニックになるのは当然だった。
ガラッと扉の開く音がして、優はそちらに首を向ける。扉を開けた看護師と目が合う。人が来たことに優は安心感を覚える。
看護師はすぐに優に駆け寄ってきた。そして、優の枕元に置かれていたナースコールを押す。
「優ちゃん、大丈夫? わかる?」
看護師が優を覗き込む。その顔はとても心配そうだ。こくりと優が頷くと、看護師は安心したように胸を撫で下ろした。
「もう、2週間も意識が戻らなかったから心配してたの」
看護師の言葉に驚く。全く記憶にない。しかし、身体や口がうまく動かない理由は納得できた。少しして、他の看護師が白衣を纏った医師を連れて病室に来た。
医師も看護師もホッと安心した顔をしており、心配をかけたんだなと察することができた。
「私、ご両親に連絡してきます」
最初に尋ねてきた看護師はそう伝えると、扉から出て行った。その後、医師による診察を受ける。
そして、酸素マスクを外される。
「文月さん、息が苦しかったりしない? 嘘をつかずに首を動かしてもらってもいいかな?」
嘘をつかずにと強調して言われて優は不思議に思った。自分の体調で嘘つくはずないのにと首を傾げる。
そして慌てて深呼吸をする。新鮮な酸素はすぐに入ってくる。吸い切ると今度は吐き出す。
少し、息がしづらい気がするが、苦しい程ではない。優は医師を見て一度こくりと頷く。それよりも喉が渇いた。
マスクが取れると安心からか口渇が強く主張する。
「あ、あー......」
少し枯れるが声は出た。優は医師を見る。
「喉が渇いた」
掠れた声で伝えると看護師がすぐに頷き、ストローのついたコップを見せる。コップを一度キャビネットの上に置く。
「優ちゃん、体動かせる?」
看護師の質問に首を横に振る。看護師は「そっか」と呟く。
「優ちゃん、身体少し触るね?」
そう宣言して、優の身体の下に両腕を入れて、ベッドでの寝ている位置を調節される。そしてまずはベッドの足元を少し上げられた。その次にゆっくりと頭側が上がる。少し上がっただけで、恐怖を感じる。
身体がある程度起きたのを確認すると看護師が優の口元にストローを運んでくれた。
「2週間も口から飲食してないからゆっくりね」
優はこくりと頷き、ストローから一口水を飲む。口腔内や食道が潤っていくのを感じる。もう一口と、少しずつ慎重に飲む。空っぽの胃に水が染み渡った。
時間をかけて水を飲み終わると医師も看護師も笑っている。
「飲んですぐだから、まだ頭起こしておくけど、体勢はきつくない?」
「うん」
喉が潤ったからか今度は掠れずに声が出る。そこから、医師によって説明を受けた。
見回りの看護師が優がベッドサイドで倒れているのを発見したこと、意識が戻らずに点滴で栄養を入れていたことなど詳しく話してくれる。
しかし、どの話も実感が持てなかった。混乱しながら話を聞いていると、廊下から少し騒がしい足音が聞こえる。
そして扉が開いた。優は自然と扉に目を向ける。そこにいたのはどこか母の名残のある記憶よりも老けた女性だった。
医師達から自分が本当は高校生で記憶をなくしていると聞いていたが、どこか信じられなかった。しかし、母の顔を見てはっきりと確信した。まるでアニメで見たタイムトラベラーになった気分だ。
母は優を見ると駆け寄り抱きしめてくれた。暖かい体温に安心を覚えるも、母の身体は小刻みに震えていた。優は動かない腕を呪った。こんなに心配してくれてる母を抱きしめ返せないのが悔しかった。しばらく母は優を抱きしめていたが、ハッと思い出したように優から離れて、医師を見る。
もう少し、母の体温を感じていたかったなと優は思った。
それから、また医師の話を母と一緒に聞く。ところどころ優には理解できない内容があったが、とりあえず頷いておいた。
医師の指示のもと、採血することになる。看護師が頭と足元のベッドの高さをフラットに戻してから、点滴を刺してない左腕から採血を行う。詳しい検査は体力が戻ってからだと説明される。
もうしばらく、検査の結果がわかるまでは面会はご家族のみでと伝えて、医師達は優の病室を後にした。
少しすると、病室にやはり記憶よりも老けた父が来る。
父も無言で近付いてくると優の腕を握った。そしてベッドサイドに跪き、握った優の腕に自分の額を近付ける。
「よかった、本当に良かった」
初めて聞いた父の涙声に優はなんとも言えなくなる。心配をかけたんだなと少しの罪悪感と、自分は両親にこんなに愛されているんだという実感、そして自分だけが両親との間の記憶をなくしているという喪失感で感情が雁字搦めになった。