⑦ 村田京子の場合(修行の日々)
昨日は結局、座学だけだった。
「今日から実践的なことを教える」と祖母は言っていた。
そして今、時刻は午前9時。
京子は、庭に面した池の前の縁側で、座布団に座って待っている。
周囲をぐるりと、塀に囲まれた武家屋敷は、プライバシーが守られるから、こういう時に便利である。
池には鯉が、10匹ほど泳いでいた。
小春日和の晴天のもと、ぼんやりしていると、つい目的を忘れそうになる。
と、そこへ、勝手口の方から祖母がやって来た。
今日は白い留め袖を着て、黒い帯を締めている。
手にはバケツと柄杓。彼女は、そのまま池と京子の間で立ち止まった。
何が始まるのか、なんとなく検討はついた。
「お待たせしたわね、京子さん」
「いえいえ、お願いいたします」
「では早速、実践に入ります」
「昨日教えたように、大切なのは感情のコントロールです......そのためには、普段から、何事にも動じない強い精神力、集中力が必要です。それを身につけるには、座禅を組んだりして瞑想するのが一番ですが、もっと簡単な方法があります」
「それは何ですか?」
「目を閉じて、心の中で、静かな水面の様子を思い浮かべなさい」
京子は、その場で素直にやってみる。意外と簡単そうだ。
「それが、明鏡止水と言うものです」
不思議な響きの、祖母の声がする。
「では、亡くなった愛犬のことを思い出してみなさい」
とたんに悲しくて、心がザワザワし始めた。
「目を開けなさい!」
そう言うと同時に、祖母がいきなり、京子に向かって、柄杓で水をかけてきた。
はたして京子の目の前で、円状に散らばる水滴が、一瞬で氷の粒になり、その場にボタボタと落ちて行った。
「できましたね」と祖母。
「今の経験をもとに、後はひたすら基礎練習です。私たちは、主に怒りや悲しみなどの、負の感情の時に、チカラを発揮しやすいのです。でも慣れてくれば、目を閉じなくても心は整えられるし、悲しい気持ちを思い出さなくても、チカラを発現できるようになります。何より大事なのは、日常生活で、いかにフラットな精神状態を保ち続けていられるか......もちろん、寝ている時もです。そうしないと、うっかり変な夢を見たら、部屋中凍らせかねません」
おばあ様ったら、何気に恐ろしいことをサラっと言うんだから。
でも、それに関しては、京子自身薄々気にしていた事だったのも事実である。
京子はその後、昼食を挟んでほぼ丸一日、水を凍らせる反復練習を、繰り返したのだった。
コレが1974年1月2日のことである。