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1-2


 クリエはフランより一足先に診療所に着くと、ドアベルを鳴らした。

 だが、中からの反応はない。

 少しして、少女を抱きかかえたフランが追いついてきた。布に包まれた少女は、生気のない顔で目を閉じている。

「先生!急患だ!」

 もう一度、ベルを鳴らした。それでも、誰も出てくる気配はなかった。

「......まいったな」

 そのとき、カラカラ、と窓の開く音がした。

「――クリエ?」

 頭上から声が降ってくる。見上げると、診療所の二階の窓からジュリアが覗いていた。

 クリエが手を上げると、ジュリアはすぐに顔を引っ込めた。階段を駆け下りる音が近づき、扉が開いた。

「パパ、昨日の夜からお産の手伝いに行ってるわ」

 そう言って、ジュリアはフランの腕の中の少女へ視線を落とす。砂にまみれた姿を一目見て、状況を察したようだった。

「とりあえず、こっち来て。パパが帰ってくるまでの繋ぎくらいならできると思うから」

 案内された簡易ベッドの上に、クリエたちは少女を寝かせた。ジュリアは慣れた手つきで道具を集め、桶と手拭いをフランへ渡した。

「お湯をお願いします。できるだけたくさん。廊下の向こうに給湯室があるから」

 フランが外へ出ると、ベッドのカーテンが静かに閉じられた。
 ジュリアは処置用の灯りを点け、少女を包んでいた布を、ほどいていく。

「......随分、きれいな子ね」

 二人で少女の身体を慎重に動かしながら、ジュリアが紙に印をつけていく。
 その紙に描かれた人体の右手には、丸がつけられていた。

「とりあえず、今できることはやったわ。あとは、パパが戻るまで待ってて」

 一通りの措置を終え、 ジュリアは灯りを落とした。それから、少女を包んでいた布を抱え、カーテンの外へ出ていった。

「お湯、持ってきたぞ」

 フランの声がした。クリエがカーテンの隙間から覗く。フランは桶を差し出した。

「......俺は、遠慮しとく。女の子だろ」

 熱めのお湯に手拭いを浸す。固く絞り、海水のべたつきと砂を丁寧に落としていく。

 乾き始めた肌には薄く塩が浮かんでいた。手拭いを滑らせるたび、ざらりとした感触が指先に伝わる。

 何度か湯を変え、最後に顔周りを拭く。
 先ほどと比べ、少女の顔には少しだけ血色が戻ってきたように見えた。

 そのまま、髪にも手をやった。少女の長い髪には処々、藻屑も絡まっていた。手拭いだけではどうすることもできず、指で梳くように取り除こうとした。

 そのときだった。

 少女の睫毛が、わずかに震えた。
 それから、瞼がゆっくりと持ち上がる。

 現れた琥珀色の瞳が、クリエを映し出した。



 *


 クリエは手近の毛布を少女にかけると、カーテンを勢いよく開けた。

「おおっ、どうした!?」

 少女を指すと、フランが少女の側へ歩み寄る。

「目、覚ましたのか。わかるか?」

  フランの問いかけに、少女はゆっくりと顔を向けた。

 しかし、答えは返ってこなかった。
 フランは、いくつかの言語で簡単な言葉を投げかけた。けれど、少女はそれ以上の反応を見せず、ただじっとフランを見つめ返すだけだった。

 クリエとフランが顔を見合わせていると、処置室の扉が開いた。

「いやぁ、ごめんね!待たせたね」

 入ってきたのはジュリアの父だった。額にはうっすら汗がにじみ、ずれた眼鏡を指先で押し上げていた。
 その後ろから、洗濯を終えたジュリアも顔をのぞかせる。


「ありがとう。君たちが運んでくれたんだね」

 そう言ってベッドへ歩み寄ると、少女の顔を見て目を丸くした。

「ああ、目を覚ましたんだ。よかった」

 ジュリアの父は少女の瞼にそっと触れ、呼吸や瞳の様子を確かめる。そしてジュリアへ短く指示を出すと、クリエたちに向き直った。

「ここからは私が預かるよ。それと――」

 ジュリアの父は机の引き出しから薄い紙束とペンを取り出した。

「どちらか、書類をお願いできるかな?」
 
 クリエはそれを受け取り、フランとともに処置室を後にした。

 廊下に出ると、クリエは手帳をポケットから取り出した。そして、手早く書きつけフランに見せる。

『私が書く』

「けど――」

 フランが言いかけたところで、クリエは次のページをめくった。

『店、あるでしょ。行って』

 少し大きめの強い筆圧で書かいた文字を見て、フランは小さく息を吐く。

「......お言葉に甘えさせてもらうわ。何かあったら、声かけろよ」

 フランを見送ると、クリエは廊下の長椅子に腰掛けた。手元の書類に目を落とす。


『漂流者発見報告書(第一発見者用)』

 

 いつ、どこで、誰が。
 対象はどのような様子だったか。

 書類の指示に従い、浜辺から今までの事を書き記していった。


 *


 一通り書き終え、クリエはペンを置いた。
 処置室からは時折、ジュリアたちの話し声が聞こえてくる。

 廊下を行き交う足音。
 治療機の駆動音。
待合で交わされる声。


 聞き慣れた診療所の音が流れていた。
 その音に耳を傾けながら、記入漏れがないか確認をしていた。

 そのときだった。


 ――悲鳴。


 続けざまに、何かが倒れる大きな音がした。 クリエは立ち上がり、処置室の扉に手をかけた。

 ドアノブを掴み、引き開けた、その瞬間――

 潮の香りを纏った亜麻色の髪が、宙に舞った。
 その動きだけが、不自然なほどゆっくりと見える。

 飛び出してきた少女はクリエの胸にぶつかり、そのまま床へ倒れた。クリエは一歩よろめいたが、踏みとどまる。

「パパっ!」

 ジュリアの声に顔を上げる。処置室には、床に尻もちをついたジュリアの父がいた。

 足元には、注射器と眼鏡が転がっていた。
 片方のレンズには細いひびが入り、歪んだ光を鈍く返している。

 ジュリアの父が、眼鏡に手を伸ばす。

 床から持ち上げられた眼鏡が、ジュリアの父の鼻頭にかけられる。

 その動きを、少女の視線が追い続けていた。

「大丈夫だよ。びっくりさせちゃったね」

 ジュリアの父が、少女へ顔を向ける。
 その瞬間、少女の肩がびくりと震えた。

 ジュリアの父が立ち上がろうと、膝に手を置いた。
 すると少女は弾かれたように立ち上がり、そのまま廊下へ駆け出した。

「あ、待って! ......うわっ」

 ジュリアの父は慌てて追おうとしたが、床に転がっていた注射器を踏みかけて、派手に転んだ。

「......っ、ごめん、クリエ! あの子、お願い!」

 ジュリアの声にクリエは頷くと、そのまま診療所を飛び出した。

 日はすっかり高く昇り、石畳は白く照り返していた。今朝登ってきた坂道を、小さな影が駆け下りていく。

 クリエは、その背を追った。
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青の終わりに、君を知る。作者:独楽
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1-2


 クリエはフランより一足先に診療所に着くと、ドアベルを鳴らした。

 だが、中からの反応はない。

 少しして、少女を抱きかかえたフランが追いついてきた。布に包まれた少女は、生気のない顔で目を閉じている。

「先生!急患だ!」

 もう一度、ベルを鳴らした。それでも、誰も出てくる気配はなかった。

「......まいったな」

 そのとき、カラカラ、と窓の開く音がした。

「――クリエ?」

 頭上から声が降ってくる。見上げると、診療所の二階の窓からジュリアが覗いていた。

 クリエが手を上げると、ジュリアはすぐに顔を引っ込めた。階段を駆け下りる音が近づき、扉が開いた。

「パパ、昨日の夜からお産の手伝いに行ってるわ」

 そう言って、ジュリアはフランの腕の中の少女へ視線を落とす。砂にまみれた姿を一目見て、状況を察したようだった。

「とりあえず、こっち来て。パパが帰ってくるまでの繋ぎくらいならできると思うから」

 案内された簡易ベッドの上に、クリエたちは少女を寝かせた。ジュリアは慣れた手つきで道具を集め、桶と手拭いをフランへ渡した。

「お湯をお願いします。できるだけたくさん。廊下の向こうに給湯室があるから」

 フランが外へ出ると、ベッドのカーテンが静かに閉じられた。
 ジュリアは処置用の灯りを点け、少女を包んでいた布を、ほどいていく。

「......随分、きれいな子ね」

 二人で少女の身体を慎重に動かしながら、ジュリアが紙に印をつけていく。
 その紙に描かれた人体の右手には、丸がつけられていた。

「とりあえず、今できることはやったわ。あとは、パパが戻るまで待ってて」

 一通りの措置を終え、 ジュリアは灯りを落とした。それから、少女を包んでいた布を抱え、カーテンの外へ出ていった。

「お湯、持ってきたぞ」

 フランの声がした。クリエがカーテンの隙間から覗く。フランは桶を差し出した。

「......俺は、遠慮しとく。女の子だろ」

 熱めのお湯に手拭いを浸す。固く絞り、海水のべたつきと砂を丁寧に落としていく。

 乾き始めた肌には薄く塩が浮かんでいた。手拭いを滑らせるたび、ざらりとした感触が指先に伝わる。

 何度か湯を変え、最後に顔周りを拭く。
 先ほどと比べ、少女の顔には少しだけ血色が戻ってきたように見えた。

 そのまま、髪にも手をやった。少女の長い髪には処々、藻屑も絡まっていた。手拭いだけではどうすることもできず、指で梳くように取り除こうとした。

 そのときだった。

 少女の睫毛が、わずかに震えた。
 それから、瞼がゆっくりと持ち上がる。

 現れた琥珀色の瞳が、クリエを映し出した。



 *


 クリエは手近の毛布を少女にかけると、カーテンを勢いよく開けた。

「おおっ、どうした!?」

 少女を指すと、フランが少女の側へ歩み寄る。

「目、覚ましたのか。わかるか?」

  フランの問いかけに、少女はゆっくりと顔を向けた。

 しかし、答えは返ってこなかった。
 フランは、いくつかの言語で簡単な言葉を投げかけた。けれど、少女はそれ以上の反応を見せず、ただじっとフランを見つめ返すだけだった。

 クリエとフランが顔を見合わせていると、処置室の扉が開いた。

「いやぁ、ごめんね!待たせたね」

 入ってきたのはジュリアの父だった。額にはうっすら汗がにじみ、ずれた眼鏡を指先で押し上げていた。
 その後ろから、洗濯を終えたジュリアも顔をのぞかせる。


「ありがとう。君たちが運んでくれたんだね」

 そう言ってベッドへ歩み寄ると、少女の顔を見て目を丸くした。

「ああ、目を覚ましたんだ。よかった」

 ジュリアの父は少女の瞼にそっと触れ、呼吸や瞳の様子を確かめる。そしてジュリアへ短く指示を出すと、クリエたちに向き直った。

「ここからは私が預かるよ。それと――」

 ジュリアの父は机の引き出しから薄い紙束とペンを取り出した。

「どちらか、書類をお願いできるかな?」
 
 クリエはそれを受け取り、フランとともに処置室を後にした。

 廊下に出ると、クリエは手帳をポケットから取り出した。そして、手早く書きつけフランに見せる。

『私が書く』

「けど――」

 フランが言いかけたところで、クリエは次のページをめくった。

『店、あるでしょ。行って』

 少し大きめの強い筆圧で書かいた文字を見て、フランは小さく息を吐く。

「......お言葉に甘えさせてもらうわ。何かあったら、声かけろよ」

 フランを見送ると、クリエは廊下の長椅子に腰掛けた。手元の書類に目を落とす。


『漂流者発見報告書(第一発見者用)』

 

 いつ、どこで、誰が。
 対象はどのような様子だったか。

 書類の指示に従い、浜辺から今までの事を書き記していった。


 *


 一通り書き終え、クリエはペンを置いた。
 処置室からは時折、ジュリアたちの話し声が聞こえてくる。

 廊下を行き交う足音。
 治療機の駆動音。
待合で交わされる声。


 聞き慣れた診療所の音が流れていた。
 その音に耳を傾けながら、記入漏れがないか確認をしていた。

 そのときだった。


 ――悲鳴。


 続けざまに、何かが倒れる大きな音がした。 クリエは立ち上がり、処置室の扉に手をかけた。

 ドアノブを掴み、引き開けた、その瞬間――

 潮の香りを纏った亜麻色の髪が、宙に舞った。
 その動きだけが、不自然なほどゆっくりと見える。

 飛び出してきた少女はクリエの胸にぶつかり、そのまま床へ倒れた。クリエは一歩よろめいたが、踏みとどまる。

「パパっ!」

 ジュリアの声に顔を上げる。処置室には、床に尻もちをついたジュリアの父がいた。

 足元には、注射器と眼鏡が転がっていた。
 片方のレンズには細いひびが入り、歪んだ光を鈍く返している。

 ジュリアの父が、眼鏡に手を伸ばす。

 床から持ち上げられた眼鏡が、ジュリアの父の鼻頭にかけられる。

 その動きを、少女の視線が追い続けていた。

「大丈夫だよ。びっくりさせちゃったね」

 ジュリアの父が、少女へ顔を向ける。
 その瞬間、少女の肩がびくりと震えた。

 ジュリアの父が立ち上がろうと、膝に手を置いた。
 すると少女は弾かれたように立ち上がり、そのまま廊下へ駆け出した。

「あ、待って! ......うわっ」

 ジュリアの父は慌てて追おうとしたが、床に転がっていた注射器を踏みかけて、派手に転んだ。

「......っ、ごめん、クリエ! あの子、お願い!」

 ジュリアの声にクリエは頷くと、そのまま診療所を飛び出した。

 日はすっかり高く昇り、石畳は白く照り返していた。今朝登ってきた坂道を、小さな影が駆け下りていく。

 クリエは、その背を追った。
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