演じる。
「はいはい、二人とも落ち着きなさい」
柔らかな声が、張り詰めかけた空気に割って入る。
「エリアス兄上」
「エリアス殿下。ご機嫌麗しゅう」
「うん、セシル嬢。ごめんね。このバカ上と帝級ニートが迷惑をかけて」
「いえ......」
ヴァルディア帝国第二皇子。
エリアス・フォン・ヴァルディア。
文武に優れ、国民からの人気は絶大。
第一皇子アレクシス様が、我がグランフェルト侯爵家との縁を結ぼうとしたこと。
それは、第二皇子派閥への牽制であったことは明白。
もっとも。
当の本人は、そんな思惑など気にした様子もない。
「エリアス兄上。セシル嬢を公の場で口説くのはやめていただきたい」
「真顔で言い切れるお前の図太さが欲しいよ、私は」
エリアス殿下が呆れたように肩を落とす。
「おい。エリアス。ルシアン」
「「何だ、バカ上」」
綺麗に重なった。
「お前ら......」
アレクシス様の頬が引きつる。
「......大体ですね、兄上が悪いのですよ」
その瞬間。
エリアス殿下の雰囲気が変わった。
先ほどまで浮かべていた柔和な笑みが消える。
「婚約者であるセシル嬢の気持ちも考えず、グランフェルト家の面子も潰した」
「それはそう」
つい、本音が漏れた。
エリアス殿下が小さく笑う。
「帝国は誰が皇帝であっても盤石でなくてはならない。バカ上でも、私でも、ルシアンになったとしてもね」
「俺はそんな面倒な役回りは嫌だ」
即答。
次の瞬間。
――ガシッ――
「ルシアン?働かざる者、食えると思うな。だよ?」
エリアス殿下の片手が、ルシアン殿下の顔をがっちりと掴む。
「食うべからずぅぅぅ」
訂正する場所は、そこなのだろうか。
指が食い込む。
ルシアン殿下の身体が仰け反った。
「ルシアン様......大丈夫ですか?」
「心配要らないぜベイビー」
無駄に爽やかな声が返ってきた。
大丈夫そうだ。
「エリアス殿下、もっと厳しめでいいかと」
「了解」
――ギリギリッ――
「ノォ―――――!?!?」
文武両道、ここに極まれり。
「グランフェルト侯爵家には、二人に代わって私が謝罪する。申し訳ないことをした」
ルシアン殿下を掴んだまま、エリアス殿下が頭を下げる。
「斯様なお言葉、エリアス殿下が軽々しく仰らないでください」
「臣下あっての皇族だから、ね」
その言葉には、先ほどまでの冗談めいた響きはない。
「勿体なきお言葉にございます」
私は静かに頭を下げた。
「さて――後はセシル嬢にお任せするよ」
――ドサッ――
解放されたルシアン殿下が床へ落ちた。
「......何を、でしょうか?」
「ルシアンのこと」
「ルシアン殿下を、ですか?」
足元では、その本人が顔を押さえている。
「うん。煮込んで、焼いて、焦がしてもいいから」
「でも、腐ってますよね?」
「性根はそうだねえ。でもまあ――」
エリアス殿下が一度だけ、ルシアン殿下へ視線を落とした。
先ほどまでとは違う。
何かを確かめるような目。
「見えるものがすべてではないからね」
「はあ......かしこまりました」
意味は分からない。
だが。
エリアス殿下が意味もなく、そのような言葉を口にする方ではないことは知っている。
「じゃあ、私は別件があるから失礼するよ」
エリアス殿下は踵を返す。
数歩。
そこで足を止めた。
「バカ上」
「――っ!!」
振り返らない。
「後で政務室に来い」
「兄に向っ――!?」
アレクシス様の声が途中で止まる。
エリアス殿下が肩越しに向けた眼差し。
先ほどまでの柔らかさは、どこにもない。
冷たい。
有無を言わせぬ、氷のような眼差し。
――氷陽。
エリアス・フォン・ヴァルディアが、自国のみならず他国からも称される異名。
陽のように民へ寄り添い。
氷のように敵を退ける。
その意味を。
アレクシス様も当然知っている。
「......わかった」
短い返事を聞き届け、エリアス殿下は今度こそ颯爽と去っていった。
その一幕を。
眼下に見下ろす二人の男がいた。
帝国の頂点に立つ者たち。
皇帝エドガルド・フォン・ヴァルディア。
帝国宰相ローデリック・グランフェルト。
壮年の二人は、騒ぎとは対照的に楽しげな表情を浮かべていた。
「相変わらずよな」
「陛下。楽しんでおられますな?」
「お前もだろう、グランフェルト」
「まあ、家名にはいささか傷はつきましたがね」
「痛いところを突くな。悪かったと思ってる」
エドガルドが苦笑する。
「とりあえず、貸し一つだ。エドガルド」
臣下から皇帝へ。
呼び方が変わった。
そこにいるのは皇帝と宰相ではない。
長年を共にした二人の男。
「お前に貸しなんて一生作りたくなかったぞ、ローデリック......」
「くくっ。貸しの内容はわかってるだろう?」
エドガルドの表情から、わずかに笑みが消えた。
「ルシアンか」
「当然。何故、父であるお前が気付かなかったのか不思議でならん」
「凡才には真の非凡さがわからぬのだよ」
「確かにな。俺も最初に気付いた時は驚愕したさ」
二人の視線が下へ向く。
床に転がったまま。
先ほどまで兄に締め上げられていた第三皇子。
怠惰。
酒好き。
政治嫌い。
皇位にも興味を示さない。
誰もが知る、ルシアン・フォン・ヴァルディア。
「ルシアンか......我が子ながら」
「............」
短い沈黙。
エドガルドは目を細めた。
「あの子は――怪物だ」