第9話 マナー教育
「......今なんと仰いましたか?」
私はユウの口から放たれた言葉に、思わず聞き返した。
「もう一度言う。涼香、俺と共に舞踏パーティーに参加してほしい」
事の経緯は少し前に遡る。
その日の夕食時、私は突如ユウから話を切り出された。
内容はおよそ一ヶ月後に開かれる舞踏パーティーに、ユウが強制的に参加させられることになったというものだった。
(そんなことを私に言われても......主人のスケジュール管理はモーエヴィンの管轄だから、私にはどうしようもないのだが......)
「ではパーティーの件は私からモーエヴィンに伝えておきます」
そう言って会話を切り上げようとすると、ユウに呼び止められた。
「待て、まだ話は終わっていないぞ」
「......はい?」
どうやら単なる伝達ではないらしい。
そしてユウは舞踏パーティーの詳細を話し始めた。
最初こそ黙ってそれを聞いていたものの、次第に意識が別のところへ逸れていく。
(今ここで話されても、私にはどうしようもないんだけどな。それよりも、せっかく作った料理が冷めてしまう......)
「――というわけだ。だから涼香、君も俺と共に舞踏パーティーに参加してもらおうと考えている」
「......はい?」
考え事をしていた私は、ユウの話を半分ほど聞き流していた。
聞き間違いかと思い、失礼ながらもう一度聞き返す。
そして冒頭に戻るという訳だ。
(......どうやら、聞き間違いではなかったらしい)
私はしばらく言葉を失った。
「ええと......従者である私が、パーティーに行くんですか?」
「ああ」
あまりにも非現実的な提案に、私はそう返すことしかできなかった。
私とユウの間に、なんとも言えない沈黙が流れる。
「着ていくものの心配なら必要ない。パーティー用の衣装はこちらで用意する」
(ちょっと何を言っているのか分からない)
話があまりにも早く進みすぎて、私の頭は完全に置いていかれていた。
「......でも、私パーティーなんて行ったこともありません。それに元旅人風情が社交界のマナーなんて知るはずがないでしょう」
そう言うとユウは何でもないことのように答えた。
「それなら心配するな。マナーを教えられる人材も用意してある」
「いえ、旦那様そういうことではなくて――」
「だから君は一ヶ月後のパーティーで恥をかかないように、マナーや作法をきちんと身につけておけ」
「......」
どうやら、断るという選択肢は最初から存在しなかったらしい。
こうして私はユウに丸め込まれ、パーティーに参加するための特訓を受けることになったのだった。
***
「カトラリーを一度置きなさい。食べるときは、食べこぼしが出ない様、ゆっくり味わって食べるのです。これではせっかくの衣服が汚れてしまうでしょう」
(......なぜモーエヴィンがマナー講師をしているのだろう)
翌日、ユウの言っていた通り社交マナーの授業が始まった。
しかし、私の前に教師として現れたのは、あまりにも身近な人物だった。
モーエヴィン。
屋敷の仕事なら何でもこなす彼は、なぜか礼儀作法まで完璧に身につけていたらしい。
「人の話をきちんと聞きなさい。空気の読めない人間は社交に限らず、あらゆるコミュニティで除け者にされてしまいますよ」
「すみません......。ただ、どうしてモーエヴィンが私の講師をしているのか気になってしまって......」
「なるほど」
モーエヴィンはそう呟くと、私の手元を見た。
「......少し根を詰めすぎたようですね。休憩にしましょう」
そう言って、慣れた手つきで紅茶を淹れ始める。
やがて目の前に置かれたティーカップから柔らかな香りが漂ってきた。
「こういう場合はどうするのが正解なのでしょうか......?」
私は恐る恐る尋ねた。
するとモーエヴィンはふっと優しげな笑みを浮かべた。
「いえ、今は休憩中なのですから何も気にせずお茶を楽しんでください」
「......頂きます」
私はようやくティーカップを手に取り、恐る恐る口をつけた。
「......飲みやすいですね」
「お口に合った様で何よりです。それに涼香は熱いものが苦手だったでしょう?」
どうやらこれは、集中できずにいた私への気遣いらしい。
「ありがとうございます」
私はその紅茶をあっという間に飲み干した。
「とても美味しかったです」
「それは何よりです」
モーエヴィンは微笑む。
「では、授業を再開しましょう」
「......はい」
「まず先ほどのカップの持ち方ですが、あまり褒められたものではありませんね。本来なら――」
(......しまった)
嫌な予感がした。
(まさか、さっきの休憩時間まで採点されていたのか......!?)
そしてそのイヤな予感は見事に的中した。
その後、私は間違っていた動作を一つずつ指摘され、自然に振る舞えるようになるまで徹底的に叩き込まれた。
「やはり涼香は物覚えが早くて教え甲斐がありますね。本日の授業はここまでにしましょう。明日は挨拶のマナーを教えます」
そう言うと、モーエヴィンは再び優しげな笑みを浮かべた。
「私がすぐに社交界へ出しても恥ずかしくないレベルにまで叩き上げてあげますので、覚悟しておいてくださいね」
だが、その笑顔は和やかな表情とは似ても似つかないほど禍々しかった。
「......もう勘弁してください」
「フフフ」
モーエヴィンは楽しそうに笑う。
しかし、その目元は一切笑っていなかった。
こうして私はパーティーの日までモーエヴィンのスパルタ教育に耐え忍ぶことになった。
♢♢♢
とある日の夜、俺のもとに一通の手紙が届いた。
差出人は兄、アイルだった。
ペーパーナイフで封を切り、中の便箋を取り出す。
そこに書かれていたのは、あの日、屋敷で話していた吸血鬼の秘薬についての調査結果だった。
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ユウ君へ
あの時話していた吸血鬼の秘薬について、いくつか調べがついたから報告するね。
この手紙を読み終えたらすぐに燃やしてほしい。
まず一つ目は、吸血鬼の秘薬の出所について。
どうやらこの薬にはセンチュラルの元貴族であるクライ家が絡んでいるみたいだ。
詳しいことはまだ調査中だけど、最近目をつけられている吸血鬼の家の殆どが、クライ家と何らかの接点があることが分かった。
そしてもう一つ。
行方不明になっていた吸血鬼たちが見つかった。
ただ全員すでに息絶えていたそうだ。
そして発見された遺体からは、心臓と肝臓、そして全身の血液が抜き取られていた。
まだ半数ほどは身元不明だけど、判明している者だけでもかなり高貴な家柄の吸血鬼ばかりだ。
だからもしクライ家と関わることがあれば、ユウ君も気をつけた方がいい。
恐らくクライ家は、僕達のような社会的地位の高い吸血鬼を狙っている。
アイル・ルーン・ヴァーミリアンより
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「......嫌な予感がすると思っていたが、まさかな」
俺は机の上に置いていた小瓶へ視線を向ける。
あの日、涼香から没収した赤い秘薬の入った小瓶。
「クライ家......一体、何を企んでいる」
俺は手紙に書かれていた通り、読み終えた便箋に火をつけた。
炎は紙を黒く焦がしながら、ゆっくりと文字を飲み込んでいく。
やがて最後の一片まで燃え尽きると、灰になった手紙から視線を外した。
その時だった。
ふと机の上に置かれた小瓶が目に入る。
小瓶の中で揺れる赤い液体。
それはまるで、ランプの僅かな灯りさえも吸い寄せるかのように怪しく赤く輝いていた。
to be continued......