第10話 届かぬ思い
パーティ参加が決まってから二週間が経った。
私は相変わらず毎日モーエヴィンの指導の下、礼儀作法やマナーそして立ち振る舞いを叩き込まれている。
そんなある日のことだった。
「涼香、これを」
私はユウから一つの箱を手渡された。
「開けてみてくれ」
私はユウに言われるがまま箱を開ける。
パーティ用の赤と黒を基調とした美しいドレスが収められていた。
「......あの、旦那様......」
私はドレスからユウへ視線を移す。
するとユウは私の表情を窺うように眉を寄せた。
「どうした何か問題があったか?」
指先で、箱の中の布地にそっと触れる。
「いえ、衣装そのものはとても素敵だと思います。......ですがどうしてドレスなのでしょうか?」
そう返すとユウの表情は僅かにぎこちなくなる。
「私としては、タキシードの方が動きやすいので助かるのですが......駄目でしょうか?」
ユウは首を横に振った。
「以前も言っただろう。君は使用人としてではなく俺の連れ、いわばパートナーとして参加するんだ。なら、正装としてドレスを着るのがマナーだろう」
「......」
正論だった。
だからこそ言い返しにくい。
「......でしたら尚更、社交の場に私のような余所者を連れていくこと自体、不適格ではありませんか?」
「そんなことはない」
ユウは食い気味に否定した。
「今回のパーティには、俺と親交の深い一族や、俺との縁談を望んでいる者も多く参加する」
そしてユウは真剣な眼差しをこちらへ向けた。
「だから君の力を借りたい」
(なるほど......)
ようやく話が繋がった。
(つまり私は、ユウに言い寄ってくる娘たちを遠ざけるための虫除けということか)
それなら私でなくてもいいはずだ。
「申し訳ありませんが、私では旦那様のお力にはなれないかと」
私は慎重に言葉を選んだ。
「ですので、私以外の方を頼ることはできませんか?」
ユウは黙り込んだ。
予想していなかった返答だったのか、困ったように視線を泳がせている。
私は手渡されたドレスへ視線を戻した。
赤と黒で彩られた布地は、細部まで丁寧に仕立てられている。
だが、その美しさとは裏腹に私にはそれがとても重く感じた。
この衣装を身に纏った瞬間、自分自身まで赤く塗り替えられてしまうような。
そんな気がした。
故郷を出てからおよそ二年。
女だと知られないように生きてきた。
その方がトラブルも少なく安全だったから。
「しかし......」
暫くしてユウが言い辛そうに口を開いた。
「他を当たろうにも、俺には頼れるような異性がいないんだ」
「......え」
「だから今回だけでいい。その衣装を着て俺と一緒にパーティーに参加してはくれないだろうか?」
「あの......」
私は視線を逸らした。
ユウの顔を見ることができない。
命令されれば逆らえない。
ユウなら当然知っているはず。
なのに彼は命令することなく、私が納得するまで説得しようとしている。
(本当に、この人はどこまでも狡い)
「君は、俺の願いに応えてはくれないのか......?」
ユウの右手が私の髪をそっと撫でた。
逸らしていた視線が再び交わる。
いつもなら恐ろしくて直視できない紅い瞳。
けれど今その瞳にあるのは威圧ではなかった。
どこか縋るような、困ったような朱色。
(やめて......)
胸の奥がきりきりと痛む。
(そんな顔をしないで......)
結局、私はユウの願いに頷くことしかできなかった。
***
「涼香大丈夫ですか?」
「......はい、何でしょうか」
パーティに向けたダンスレッスンの最中、モーエヴィンから声を掛けられる。
「最近、上の空なことが増えましたね。何かあったのですか?」
「......」
私は答えられず、口をつぐんだ。
「女性として参加するのがそんなに嫌ですか?」
「......っ」
思わず顔を上げる。
「どうして、それを......」
「今日一日の涼香を見ていれば分かります」
モーエヴィンは淡々と答えた。
「理由を聞いても?」
私はしばらく黙った。
やがて小さく息を吐く。
「......怖いんです、女性として見られることが」
口から出たその言葉に、私の身体が強張った。
「旅をしていた頃に、少し......嫌なことがありまして」
それ以上は話さなかった。
モーエヴィンも無理に聞こうとはしない。
「なるほど」
しばらく考えるように目を伏せたあと、彼は壁際に置かれた椅子へ腰を下ろした。
「涼香もこちらへ」
私は促されるままモーエヴィンの隣に腰掛ける。
「誰しも嫌なことや、曲げたくないことの一つや二つあるものです」
モーエヴィンは静かに続けた。
「それが例え逆らえない立場や、雇われの身だったとしても」
私は膝の上で手を握った。
「ですが......それでは旦那様を困らせてしまいます」
「その心配と涼香自身が嫌だと思うことは別でしょう」
「それは......」
その通りだ。
けれどそれでも怖い。
「では、こうしましょう」
モーエヴィンは椅子から立ち上がる。
「怖いのであれば、怖くなくなるまで我慢するのではなく、怖いままでも対処できるようにすればいいのです」
「対処......ですか?」
「ええ」
するとモーエヴィンは私の前に立った。
「もしパーティの場で不用意に近づいてくる男性がいれば、まず距離を取りなさい」
「......はい」
「そして万が一執拗に迫られるのなら、その時はその場から離れ、信頼できる者に助けを求めなさい」
「しかし、それでは旦那様のご迷惑に......」
「構いません」
モーエヴィンはきっぱりと言った。
「社交よりも身の安全が優先です」
「ですが......」
「それに、そのような無礼者を涼香が一人で対処しなければならない理由などありません」
私はモーエヴィンを見る。
「会場には旦那様も一緒ですから」
「......」
「助けを求めることは敗北ではありません」
その言葉は私の胸に突き刺さった。
私はずっと一人で何とかしなければならないと思っていた。
今までずっとそうしてきたから......けれど。
「では、練習してみましょう」
怖いからといって、何もできないわけではない。
「よろしくお願いします」
そう返すと、モーエヴィンは必要な時に使える所作や言葉を一つ一つ丁寧に教えてくれた。
そして私も真似をして何度も何度も繰り返す。
怖くなった時どう動けばいいのか。
誰かに手を伸ばすことがどういうことなのか。
その一つ一つを身体に覚え込ませるように。
***
「今日はここまでにしましょう」
「ありがとうございました」
私は深く頭を下げる。
「涼香」
「はい?」
「無理はしていませんか?」
私は顔を上げ、モーエヴィンの方に視線を向ける。
しかし、モーエヴィンの表情は薄暗い部屋のせいかよく分からない。
「まだ不安ではあります......でも問題ありません」
「......そうですか」
そう返すとモーエヴィンはいつもの調子で頷き、ひと足先に部屋を後にした。
「はぁ......疲れた」
力の抜けた私は部屋の壁に寄りかかりひとりごちた。
静かになった部屋は薄暗い。
ふと窓を見ると、いつの間にか日は落ちていた。
「もうこんな時間か」
もう暫くすれば、食事のためにユウの自室に呼ばれるだろう。
私は窓辺へ寄り、ガラス窓越しに星空を見上げた。
「やっぱりいつ見ても綺麗だな」
色とりどりに輝く星々が、ささやかに夜の闇を照らしている。
「こんな風に空を見上げたのはいつぶりだろう」
私はここへ来る前の出来事を思い出す。
――なんだか君は眩しいな
丁度あの時も私は星空を見上げていた。
そして隣には――
「......ユウ」
名前を呟いた瞬間、目元がほんのりと熱くなり視界が徐々に滲んでいく。
「あれ......」
慌てて袖で目元を拭う。
けれど、一度溢れたそれは止まらなかった。
「なんで......」
理由が分からない。
怖かったからなのか。
嬉しかったからなのか。
それとも――
「どうして......!」
胸の奥から込み上げてくるものを、私は一人では抑えきれなかった。
けれど、ここなら誰にも見られることはない。
そんな私の嘆きは、冷たく薄暗い部屋の中で誰にも知られることなく消えていった。
***
その後、モーエヴィン経由で呼び出しを受けた私はいつもの様にユウの自室へ向かった。
扉の前に立ち、いつもの言葉を口にする。
「旦那様、涼香です」
「入れ」
いつも通りの短い返事が返ってくる。
「失礼します」
そして部屋へ入った途端、ユウの視線が私に向けられた。
「その顔はどうしたんだ?」
「......私の顔に何か付いていますか?」
ユウはこちらに近づいてくる。
そして手を伸ばすと、私の目尻をそっと優しく撫でた。
「目元が赤く腫れている」
(やはり腫れてしまったか......)
私は泣いたことを悟られたくなくて、咄嗟に顔を下げた。
「いえ、もう何ともありません。ですのでお気になさらないでください」
私はユウの手をそっと払い、いつものようにリボンタイへ手を掛ける。
「誰の仕業だ?」
するとユウは私の手を掴んだ。
「......はい?」
「誰に泣かされたと聞いている」
「誰にも泣かされてなどいません。ですので旦那様はお気になさらないでください」
無難な返答で話を終わらせようとした。
その瞬間、強く腕を引かれた。
「え――」
身体が引き寄せられ、ユウの腕の中へ閉じ込められる。
「ちょっと......旦那様!」
私は必死になって腕の中から逃れようと足掻く。
しかし、ユウの力には到底敵わない。
「旦那様、苦しいです......離してください......!」
「断る」
ユウはそのまま私の首に顔を埋めた。
(今この状況で!?)
私はマージナで目撃したお下げの娘を思い出した。
(まさか......)
身体が強張る。
だがいつまで経っても刺すような痛みは訪れなかった。
代わりに、首筋に柔らかな感触が伝わる。
「......旦那様?」
けれど、ユウは何も答えない。
暫くして耳元で小さな声がした。
「......本当にすまなかった」
「......え?」
「モーエヴィンから聞いた」
ユウの腕から、少しずつ力が抜けていく。
「俺は知らぬ間に君に酷い事をしてしまっていたようだ」
やがてユウは私を解放した。
ユウは真っ直ぐ私の目を見る。
「俺は自分のことばかりで、君の......涼香の気持ちを考えていなかった」
「......旦那様」
「この間君に渡したドレス、後で俺のところへ持ってきなさい。後で別のものを用意する」
「ですが......」
「ダンスや立ち振る舞いは今から変えるのは難しい。だが、衣装だけなら替えが利くだろう」
「......」
「君が不安なく参加できるのであれば、その方がいい」
私は黙ってユウを見つめた。
その気遣いが有り難くないわけではない。
むしろ嬉しかった。
けれど同時に、申し訳なさもあった。
私一人のために、主人であるユウを振り回してしまっている。
そんな葛藤が私の頭の中を駆け巡る。
「ドレスが嫌いというわけではなんです」
私は視線を足下へ向けた。
「......ただ、怖かった」
自分の胸の奥にあるものを、一つずつ言葉にする。
「周囲の私を見る目がこれまでと変わってしまう事が......」
ユウは黙って聞いていた。
「二年もの間、ずっと隠してきました」
私は自分の黒い髪に触れた。
「怖かったんです......女だと知られることが」
しばらく沈黙が続いた。
やがてユウが口を開く。
「大丈夫だ」
その声はよく通るのに、いつもより静かだった。
「格好が変わろうと、君が周りから何と言われようと、俺が必ず側にいる」
ユウは真っ直ぐ私を見つめた。
「君を守ると誓おう」
「......」
「社交やダンスよりも、涼香の方が俺にとっては大切だ」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥にあった何かが、すっとほどけた気がした。
(そうだ)
私は一人ではない。
今だって、怖くなくなったわけではない。
女として見られることも。
ユウの隣に立つことも。
大勢の参加者の視線に晒されることも。
きっと、パーティが始まればまた逃げ出したくなる。
(それでも――)
怖いからといって、何もできないわけではない。
逃げることもできる。
助けを求めることもできる。
そして、自分で決めることもできる。
私は顔を上げた。
「旦那様、私――」
to be continued......