第11話 日陰者の集い
シルエットを女性らしく見せるため、コルセットを締め上げる。
ドレスを美しく魅せるパニエを仕込み、最後に着慣れないドレスへ袖を通した。
今夜はいよいよパーティの日だ。
この日のために、私は一ヶ月かけて礼儀作法や立ち振る舞いを叩き込まれてきた。
(私に与えられた役割はただ一つ、主人であるユウに言い寄ってくる女性たちを遠ざけること)
そのために今夜だけは、ユウの隣に立つ女性として振る舞わなければならない。
「大丈夫、きっと......大丈夫」
この日の為だけに用意してもらった鏡を見る。
そこに映っていたのは、眉間に皺の寄った怖い顔。
慣れない手つきで紅を差したせいか、化粧も左右非対称になっている気がする。
「......これでは余所者に舐められてしまうな」
私は両手で頬を軽く叩き、口角を引き上げる。
「しっかりしろ、私は何をしに行くんだ」
そして机の上に置かれた簪へ目を向ける。
「今日みたいな日くらい、着けられたら良かったんだが......」
母様の形見である銀の簪を手に取る。
髪は以前より伸びてきたものの、まだ簪を挿せるほど長くはない。
私は小さく息を吐き、簪を懐へ忍ばせた。
今夜はお守りとして持って行こう。
「......行くか」
私は鏡に背を向け、ユウの待つ玄関へ向かった。
***
「お待たせ致しました」
玄関へ向かえば、既にユウは準備を終え私を待っていた。
「では馬車も到着しているようですので、参りましょう」
「......」
「旦那様?」
返事がない。
顔を覗き込むと、ユウは弾かれたように顔を上げた。
「あ、嗚呼......そうだな」
「何処かおかしなところでもありましたか?」
「いや」
ユウは一度だけ私の姿を見つめると、僅かに視線を逸らした。
「......とても似合っている」
ユウは蚊の鳴くような声でそう呟いた。
(やはりまだパーティの参加には乗り気ではなのだろうか?)
「ありがとうございます。では早速参りましょう」
私はそんなことを考えながら玄関の扉へ手を伸ばした。
その時だった。
「少し失礼する」
「えっ」
突然、背後から抱き寄せられた。
心臓が大きく跳ねる。
そしてユウの顔が私の首筋へ近づいてきた。
(まさか......こんな出発間際に食事を?)
私は反射的に身を固くする。
だが、牙が肌へ食い込む感触はなかった。
代わりに首筋へ、チクリと小さな痛みが走った。
「......っ」
何をされたのか分からない。
だがほんの一瞬、温かい何かが皮膚の下を這ったような感覚があった。
私が首へ手を伸ばすより先に、ユウは身体を離した。
「これでよし」
そして何事もなかったような顔をして、ユウは馬車へ向かって歩き出す。
「あ......旦那様、待ってください」
私は首筋に残った奇妙な違和感を抱えたまま、ユウの後を追ったのだった。
――
『旦那様、私......あのドレスを着ます』
あの日の晩、私はユウにそう伝えた。
故郷を出てからおよそ二年、私はずっと自身が女として見られる事は危険な事だと考えていた。
けれど、あの人の言葉を聞いてから、その考えは少しずつ変わり始めていた。
――
会場へ向かう馬車の中は静寂に包まれる。
不快な揺れも少なく、普段なら心地よく感じる沈黙だ。
なのに今日は落ち着かない。
何故なら先程からユウの視線を感じるからだ。
「旦那様、どうかされましたか?」
「......なんでもない」
「ですが、先程から様子が変ですよ」
「気のせいだ」
そう言いながらユウは一度こちらを見る。
そしてすぐに目を逸らした。
(やはり具合が悪いのでは......?)
心配になった私はユウの顔を容態を見るため、少し身を乗り出す。
「旦那様――」
「な、何をしている......!?」
ユウが慌てて身体を引く。
「もしかして熱でもあるのではありませんか? お顔が赤いようですが」
「別に何ともない!」
そう言うと、ユウは窓の外へ顔を向けてしまった。
(......本当に大丈夫なのだろうか)
私は首を傾げながら、ユウの横顔を見つめるのだった。
***
「どうやら着いたようだ」
馬車が止まり扉が開く。
ユウは先に降りると、私へ手を差し出した。
(これはモーエヴィンの授業でやった作法だ)
私は教えられたことを思い出し、ユウの手を取る。
そしてドレスの裾を踏まないよう注意しながら、ゆっくりと馬車から降りた。
「行こう」
ユウにエスコートされ、会場へ向かう。
その途中、突如ユウの足が止まった。
「ここで君に伝えておきたいことがある」
「......なんでしょうか?」
「この会場ではできるだけ一人になるな。俺と離れることがあっても、必ず人目につく場所にいてくれ」
ユウは周囲を見回す。
「このパーティには俺と同族である吸血鬼たちが数多集う」
その言葉に私は思わず息を呑んだ。
「つまり君は、いつ誰に狙われてもおかしくない」
背筋に悪寒が走る。
そんな私の手を、ユウがそっと握った。
「大丈夫だ」
そしてユウは私の目を見る。
「君は一人じゃない」
「......ありがとうございます」
不思議と身体の強張りが少しだけ解けた気がした。
受付を済ませ会場へ入ると、そこには数え切れないほどの吸血鬼が集まっていた。
豪華な衣装、高価そうな宝石。
そして長い年月を生きてきた者たちが醸し出す、独特の威圧感。
そして会場には少ないが人間の姿も見える。
けれど、彼らの多くは給仕や従者として働いているようだった。
そんな中、ユウの隣を歩く私へ向けられる視線は明らかに異質だった。
「ねえ、あれって......」
「もしかして噂の......!?」
そんな話声が会場の至る所から耳に入ってくる。
(何だか凄く見られているな)
ユウに連れられ会場を歩いていると、遠目から私達を見ていた一人の女性がこちらへ向かってきた。
「お久しぶりですわ、ユウ様」
そう言い親しげに話しかける彼女は桃色の華やかなドレスを身に纏っている。
「以前お会いしたことがありましたか?」
「あら嫌ですわ、つい四十三年前の夜会で一度お話ししたではありませんか」
(四十三年前......!?)
私は思わず目を瞬く。
するとユウと話していた令嬢は私へ視線を移す。
「あら、見かけないお顔ですわね」
そして僅かに目を細めた。
「もしかしてユウ様の妹君かしら?」
私が返事をしようとしたその時だった。
目の前を塞ぐようにユウの腕が伸びてきた。
(ここはユウに任せたほうが良さそうだ)
私はユウの後ろへ一歩引いた。
「折角の機会ですので、ご紹介します」
ユウは令嬢へ向き直る。
「こちらは涼香。俺の連れであり、大切な人です」
「「......え?」」
私と令嬢の声が重なった。
(大切な人......?)
胸の奥がほんの少しだけ熱くなる。
けれどその意味を考えるより先に、私は慌てて頭を下げた。
(いけない、挨拶くらいしなければ旦那様に恥をかかせてしまう)
私はドレスの裾を軽く持ち上げる。
「お初にお目にかかります。私、涼香と申します」
「......」
顔を上げる。
そして令嬢は目を細めた。
「あらあら、ユウ様ったら随分と彼女を可愛がっておいでですね」
令嬢は扇子を開き、口元を隠した。
「けれど、不思議ですね――」
直後、周囲の空気が重くなる。
「こんなに人間臭い吸血鬼にお会いするのは、初めてですわ」
ゾワリ。
全身が強張る。
息を呑んだ瞬間、ユウが私の腕を掴んだ。
ユウの顔を見ると先程まで浮かんでいた愛想の良い笑みはすっかり消えている。
「では俺たちは他の方々にも挨拶をして回りますので、そろそろ失礼します」
「え、お待ちください、ユウ様!」
令嬢の声を背に、ユウは私の手を引いてその場を離れた。
***
人目の少ないテラスまで来ると、ユウが小さく息を吐いた。
「......本当、鼻の効く奴らだ」
「旦那様?」
「何でもない」
そう言うユウの横顔を見ながら、私は会場を振り返った。
先程から、こちらを見る者が多い。
どうしてだろう。
私は理由がわからないまま、少しだけ居心地の悪さを覚えていた。
(こんなに歩き回るのなら、もう少し歩きやすい靴を選べば良かったな)
私は違和感しかない足元へ視線を落とす。
「もしかしてユウか?」
その時、背後から声が聞こえ私とユウは声のした方を振り返る。
そこに立っていたのは、銀髪に赤い瞳を持つ青年だった。
先程までの令嬢とは違い、随分と気さくな雰囲気を纏っている。
「今回はきちんと出席しているようで何よりだ」
「お久しぶりです、カイン様」
ユウが頭を下げる。
私は少し驚いた。
ユウが他人に対して、ここまで丁寧に頭を下げるところを見るのは初めてだった。
「相変わらず他人行儀だな君は。昔からの付き合いなのだから、敬称なんて付けずにもっとフランクに来てくれてもいいんだぞ」
「そういう事は公の場ですることではありませんので」
「その堅さも相変わらずのようだ」
カインは苦笑すると私へ視線を向けた。
「それにしても、ユウが女性を連れているとは珍しい」
ユウは私の腰に手を添えた。
「ご紹介致します。彼女は涼香、俺の連れであり」
すると横目で私をチラリと流し見る。
「俺の大切な人です」
その声は何処か柔らかかった。
(また......)
先程からその言葉が妙に気になった。
けれど、胸の奥に再び生まれた小さな喜びは誤魔化せない。
「お初にお目にかかります。私、涼香と申します」
教えられた通りに頭を下げる。
するとカインは一瞬だけ目を細めた。
「初めまして、僕はカイン・ロザリア・ヴァレリス。この国でユウと同じく政治家をしている」
そう言って頭を下げた後、カインの纏う空気が変わる。
「よし、挨拶も済んだことだし、もう堅苦しいのは無しだ」
するとカインは私へ右手を差し出した。
「もしよければ、開会の挨拶の後に一曲、僕と踊ってくれませんか?」
「......え?」
私は差し出された手とカインの顔を交互に見る。
「お誘いいただきありがとうございます。ですが、今宵は旦那様と共にパーティーを楽しむと決めておりますので」
「そうか......それは残念だ」
そう言うとカインは手を素直に引っ込めてくれた。
「勝手に俺の連れに絡まないでください」
だがその様子が気に食わないのか、ユウの声が先程よりも低くなる。
横目で見ると、先程までとは比べものにならないほど険しい顔をしていた。
カインはそんなユウを見て楽しそうに目を細める。
「そういえば昔の彼のことを知ってるかい?」
「昔の旦那様......ですか?」
「そうそう、今はあんな感じだけど昔はもっと荒んでいてね。頭も顔もいいのに、常に威圧感を撒き散らしていたから、学生時代は随分と孤立していたんだよ」
するとユウは私とカインとの間に割って入る。
「涼香に妙なことを吹き込まないで頂きたい」
カインは笑いながら両手を上げる。
「でも、本当に変わったよ。昔のユウなら、こんな場所に誰かを連れてくるどころか、自分の隣に誰かが寄りつくことすら許さなかった」
その言葉に、私は思わずユウを見る。
ユウは何も答えなかった。
「まあいい、続きはまた今度にしよう」
そしてカインはこちらに笑いかける。
「次また会った時は、君の話も聞かせてくれ」
「お答えできることでしたら」
そう返すとカインの目元が微笑む。
「それと、これからもユウと仲良くしてあげて」
「......勿論です」
会話が終わると、ユウは小さく息を吐いた。
「では、俺たちはこれで失礼致します」
そう言って私の手を取る。
私はそのままユウに手を引かれ、テラスを後にした。
***
カインは去っていく二人の後ろ姿を眺めていた。
「......まさかね」
先程、涼香が俺に挨拶をした際。
ドレスの襟元から、ほんの僅かに赤いものが覗いていた。
魔力を帯びた、鮮やかな朱色。
普通の傷ではない。
吸血鬼なら誰もが知っている、古い印。
「マーキング......か」
それは単なる所有の証ではない。
伴侶となり得る相手を周囲へ示すこと。
しかし現代の正式な婚姻とは違う。
だが、軽い意味でつけるものでもない。
まして――
「あのユウが?」
カインは思わず笑った。
「まさか、あの学園一の堅物吸血鬼がね」
先程のユウを思い出す。
涼香へ近づく自分を牽制したときの、あの眼差し。
まるで、彼女へ近づく者を一人残らず遠ざけようとするような――
「......なるほど」
カインは小さく息を吐く。
「これは面白くなりそうだ」
けれど、その呟きは華やかな音楽と人々の話し声に紛れ、誰の耳にも届かなかった。
to be continued......