第8話 御意のままに
とある日の早朝。
私は休憩の合間に庭先で肉体を鍛えていた。
すると屋敷の門前にいつもの配達員が現れた。
配達員は慣れた様子で郵便受けへ手紙を投函するとそのまま去っていく。
私は一度手を止め郵便受けを確認した。
「黒い、封筒......」
手紙はその一通だけなのに、妙に目を引いた。
封筒には差出人の名がない。
代わりに、裏側には二羽の蝙蝠を象った紋章が押されていた。
(......これは、普通の手紙ではないな)
そう考えた私は、その手紙をユウの自室へ運ぶことにした。
***
「失礼致します、旦那様お手紙が届いております」
「入れ」
短い返事を聞き、私は部屋へ入った。
ユウの自室は、今日も日光を一切通さない分厚いカーテンによって閉ざされている。
薄暗い室内で、ユウは執務机に向かい、大量の書類へ目を通していた。
「こちらです」
手紙を載せたトレイを差し出す。
するとユウは封筒を見た瞬間、僅かに眉を顰めた。
「はぁ......またか」
「......?」
反応が気になったものの、私は黙って手紙を差し出した。
ユウは封筒を受け取ると、封を切り中身へ目を通した。
「......くだらない」
吐き捨てるように呟いたユウは、手紙を机の上に置かれていたランプの火へ近づけた。
紙の端に火が移り、それは徐々に黒い灰へ変わっていく。
「これから同じ紋章の手紙が届いても、開けずに燃やせ」
「......開けずに、ですか?」
「ああ」
「そのようなことをしてよろしいのでしょうか?」
私が尋ねると、ユウは露骨に嫌そうな顔をした。
「構わない、手紙の送り主は毎回同じ内容しか寄越さない。そんな奴らに付き合っていられるほど俺は暇じゃない」
「......そういうことでしたか」
私はそれ以上尋ねることをやめた。
ユウがそう言うのなら私が詮索する必要もない。
「では、失礼致します」
頭を下げ踵を返す。
「......そういえば」
背後から声がした。
「今日のメインディッシュがまだだったな」
「......!」
思わず足が止まる。
「涼香、こっちへ来い」
その言葉が何を意味するのかここ最近で理解した。
私はユウの前まで歩み寄りリボンタイを外した。
そして仕事用のシャツの襟元を開き首筋を晒す。
「......どうぞ」
いつものように、食事を始めるものだと思っていた。
だが――
「......え?」
突然身体を引き寄せられた。
ユウの腕が背中へ回る。
気づけば私は、彼の腕の中に収まっていた。
「だ、旦那様......?」
困惑している間にもユウは私の首筋へ顔を近づける。
しかし牙を立てることはなかった。
「......?」
やがて、首筋へ軽く口付けられる。
「んっ......」
くすぐったさに身を捩る。
そして次は喉へ鼻を寄せてきた。
「旦那様......食事は?」
「......」
返事はない。
代わりに、唇は喉へ触れた。
その仕草はいつもの吸血とは明らかに違っていた。
「......旦那様?」
やがてユウの顔は鎖骨へと降りていく。
その瞬間、身体が強張る。
「イヤッ......!」
思わずユウの胸板を押した。
「......!」
ユウの身体が離れる。
私はユウから距離を取り、首元を押さえた。
「申し訳ございません。これ以上は――」
「......すまない」
ユウはそう言って視線を逸らした。
「少し、悪ふざけが過ぎた」
「悪ふざけ......?」
「ああ」
ユウは小さく息を吐く。
「......食事にしよう」
「......はい」
私は改めて首筋を差し出した。
今度こそ、ユウの牙が肌へ食い込む。
いつもと同じ吸血。
なのに、先ほどの出来事が頭から離れなかった。
「今日はこれで終わりだ」
やがてユウが牙を引き抜く。
食事も終わり、衣服を整えながら私はずっと気になっていたことを尋ねた。
「旦那様」
「なんだ?」
「先ほどのことについて、教えていただけますか?」
「先ほど?」
「私を抱き寄せたり、首の匂いを嗅いだり......普段はなさらないことでしたので」
ユウは一瞬黙り込んだ。
そして、僅かに口元を緩める。
「ああ」
「......何か意図があったのですか?」
「あれはこの間の仕返しだ」
「仕返し......?」
「君、この間の食事中に俺へ抱きついてきただろう」
「......私が?」
思わず首を傾げる。
「まさかそんな無礼なことを......?」
「......覚えていないのか?」
「申し訳ございません。全く身に覚えがございません」
ユウは呆れたように額へ手を当てた。
「......そうか、ならもういい」
「ですが――」
「仕事へ戻れ」
「......御意」
私は一礼し、ユウのいる部屋を後にした。
そして扉が閉まる直前、ふとユウの顔が目に入った。
先ほどの悪戯をしていた時とは違う。
何故か酷く沈んだ顔をしていた。
(......どうして、そんな顔をしているんだ?)
私は首を傾げながら廊下を歩いた。
それなのに、その表情だけはいつまでも頭から離れなかった。
***
涼香が部屋を出ていく。
扉が閉まった瞬間、俺は大きく息を吐いた。
「......はぁ」
机の上には、手紙を燃した灰がまだ残っている。
そして視界に入るそれに俺は再び苛立ちを覚えた。
「......本当に、あのジジイ共は懲りないな」
あの手紙は吸血鬼の長老たちから送られてきた見合いの書状だった。
ヴァーミリアン家。
古くから続く吸血鬼の名門一族。
その血を継ぐ俺には、家名を残す義務がある。
そのせいか、連中は何十年も前から俺へ見合い話を持ち込んできた。
こちらが断っても、無視しても。
相手を変えて、何度でも。
そして今回ついに最後通告を送りつけてきた。
俺は灰の中に残った紙片を拾い上げる。
そこには、辛うじて文字が残っていた。
『一ヶ月後、見合いを兼ねた舞踏パーティを開催する』
『始祖カイン様も出席される』
『必ず花嫁を見つけろ』
「ふざけるなよ......!」
思わず強く拳を握る。
俺ですら頭の上がらないカインの名まで出された以上、俺一人の判断で欠席することはできない。
つまり――
俺は一ヶ月後、このくだらない舞踏パーティーへ出席しなければならない。
「......最悪だ」
だが、それ以上に俺の頭から離れないものがあった。
先ほど見せた涼香の姿だ。
俺に抱き寄せられた時の驚いた顔。
俺を押し返した時の怯えた顔。
そして――
「旦那様、突然ですが教えてください」
そう尋ねる透き通った声。
「......何を考えているんだ、俺は」
俺自身にも分からない。
ただ、あの手紙を読んだ瞬間から何故か、涼香のことが頭から離れなかった。
花嫁。
その言葉を思い浮かべた瞬間、また涼香の顔が浮かぶ。
「......何故、あいつが出てくる」
俺は眉間を押さえた。
そもそも、俺と涼香では身分も種族も違う。
そんなことは分かっている。
それなのに――
何故か、頭から離れない。
「......馬鹿馬鹿しい」
俺は悶々とした思考を振り払う。
そして机の上に残った灰へ視線を落とす。
「一ヶ月後、か......」
舞踏パーティーまで残された時間は僅か一ヶ月。
俺は深く溜め息を吐いた。
だがこの時の俺はまだ知らなかった。
この舞踏パーティーが涼香との関係を大きく変えることになるとは。
to be continued......