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第7話 吸血鬼の秘薬


 アイルが屋敷を訪れてから、一カ月が経った。
 その日、私はローザの街へ買い出しに出ていた。

「さて、そろそろ屋敷へ戻らねば」

 買い物袋を抱え直し、屋敷への近道であるいつもの路地裏へ入る。
 人通りの少ない道をしばらく歩いていると、不意に声を掛けられた。

「そこのお兄さん、いいもの見て行かない?」

「......私か?」

「他に誰がいるのよ」

 声の主は、私の半分程の背丈の幼い少女だった。
 鍔の広い白い帽子から、長い白髪が覗いている。
 少女は私の返事を待つことなく、懐から小さな硝子瓶を取り出した。

「これ、良かったらどうぞ!」

 そう言って差し出されたのは透き通った赤い液体が詰められた硝子ガラス小瓶だった。

「これはなんだ?」

 私が尋ねると、少女は怪しげな笑みを浮かべた。

「これはね、恋が叶う魔法の秘薬なの」

「......は?」

 思わず間の抜けた声が漏れる。
 すると少女は私の手に無理矢理その小瓶を握らせる。

「最近開発されたばかりの新薬なんだって、これ試供品だから是非使ってみて!」

「いや、私は別に――」

 断ろうとした瞬間、少女は私の手を取る。
 そして気が付けば小瓶を無理やり握らされていた。

「それじゃあね!」

「あ、ちょっと......!」

 そう言うと少女は断る間もなく路地の暗がりに消えて行った。
 私はその背中を呆然と見送った。

「......なんだったんだ、今のは」

 手元へ視線を戻す。
 小瓶の中で、赤い液体がゆっくりと揺れていた。

「恋が叶う魔法の秘薬......か」

 そんな謳い文句を素直に信じるほど、私は世間知らずではない。

「......怪しいにも程がある」

 それでも捨てる気にはなれず、私は小瓶を制服のポケットへしまった。


***

 屋敷へ戻った私は、貰った小瓶を机の上へ置いた。

「さて、これをどうするべきか......」

 使う気は更々ない。
 かといって、捨てるのも何となく気が引ける。
 窓の外へ目を向けると、傾き始めた夕日が山の向こうへ沈みかけていた。
 赤く染まった空を眺めていると、ふと先ほどの言葉を思い出す。

 ――恋が叶う。

(私が恋をする日なんて来るのだろうか......)

 そんな疑問が頭を過った。
 けれど、すぐに自分で否定する。

(......ないな)

 期待するだけはもうやめた。
 どれだけ望んだところで、自分だけを愛し守ってくれる相手など現れるはずがない。
 そんなものを望んでまた誰かに利用されるくらいなら、最初から期待しない方がいい。

 叶わない希望に縋り、搾取され続けた私はあの日に死んだのだから。

「涼香、旦那様がお呼びです」

 背後から声がした。

「......今向かいます」

 私は小瓶をポケットへしまい机を離れた。



***



 ユウは血を欲する度、私を自室に呼び出す。
 最初の頃は扉の前に立つだけで身体が強張った。
 だが、それも毎日のように繰り返していれば慣れてしまうものらしい。

「旦那様、涼香です」

「入れ」

 いつもと変わらない短い返事。

「失礼致します」

 部屋へ入ると、ユウは机の前に立っていた。

「今からすることは分かっているだろう?」

「はい......」

 ユウがこちらへ歩いてくる。
 その眼差しには、相変わらず人を射竦めるような迫力があった。
 本能的に理解する。
 私は捕食される側なのだと。
 リボンタイを外し、仕事用のジャケットを脱ぐ。
 そしてシャツのボタンを上から順に外し、首筋を晒した。
 直後、ユウの顔が近づく。
 首筋に柔らかな感触が触れた。
 舌が肌をなぞる。

「......っ」

 次の瞬間、鋭い牙が首筋へ食い込んだ。

「ッ......!」

 耳に近い場所を噛まれているせいか、血を啜る音が妙にはっきりと聞こえる。
 私は目を閉じ痛みに耐えた。
 食事の邪魔をしないよう声を押し殺す。
 けれど、痛みが強くなるにつれて身体に力が入り――

 気づけば、私はユウの背へ腕を回していた。
 そしてユウの高そうなシャツに皺を作る。

(......早く終わってくれ)

 そう願いながら私はただ耐え続けた。
 やがて、首筋に突き刺さっていた牙がゆっくりと抜かれる。

「......今日はこれで終わりだ」

 そしてユウはいつものように傷口を丁寧に止血していく。

「んっ......」

 傷口を舌でなぞられ、思わず声が漏れた。

「まだ傷口が痛むのか」

「......いえ、もう大丈夫です」

 ユウは私の顔を覗き込む。
 つい先ほどまで私の血を啜っていたとは思えないほど、その表情は穏やかだった。
 私は止血が終わったのを確認すると、急いで衣服を整えた。

「......では、ご用件がお済みでしたら私はこれで失礼致します」

 今日はいつもより多く血を吸われたらしい。
 立ち上がった瞬間、軽い眩暈がした。

(明日も仕事がある。今日は早く休まなければ)

 そう考えて扉へ向かう。

「待て」

「......如何なさいましたか?」

 振り返る。
 ユウは何かを手にしていた。

「君のポケットに入っていたこれはなんだ?」

「......!」

 その瞬間、全身の血の気が引いた。
 赤い液体の入った小瓶。

(まさか......!)

 私は咄嗟にズボンのポケットへ手を入れる。
 しかしそこに入れたはずのものがない。

(いつの間に......?)

 まさか、血を吸われている間に――

 ユウは小瓶を指先で持ち上げたまま、私を見つめている。

「まさか君、俺に言えないようなことをしているのか?」

「いえ! そんなことはありません!」

「なら説明しろ」

 ユウの声が低くなる。

「これは何だ?」

「それは......」

 私は息を呑む。

「今日、買い出しに出た際に知らない少女から渡されたものです」

「少女?」

「はい。恋が叶う秘薬だと言っていました。断る間もなく押し付けられて......」

 ユウの眉が僅かに動く。

「他には?」

「......それだけです」

「本当に?」

「はい」

 しばらく沈黙が続き、やがてユウから険が消えた。

「そうか」

 ユウは小瓶へ視線を落とす。

「ならば、これは俺が預かっておいても問題ないな?」

「......はい。旦那様の御意のままに」

「そうか」

 そしてユウは小瓶を机上へ置いた。

「今日はもういい。休め」

「......では、失礼致します」

 私は一礼し、逃げるように部屋を出たのだった。


♢♢♢


「さて、どうしたものかな......」

 涼香が去った後、ユウは瓶を持ち上げ左右に軽く振る。

「中身も瓶も似た様な透ける様な赤い液体も......これは間違いなさそうだ」

 それはあの日、アイルに見せられた吸血鬼の秘薬と呼ばれたものと全く同じ物だった。






to be continued......
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吸血鬼ユウの御意のままに作者:有機鈴凛(トマチン)
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 アイルが屋敷を訪れてから、一カ月が経った。
 その日、私はローザの街へ買い出しに出ていた。

「さて、そろそろ屋敷へ戻らねば」

 買い物袋を抱え直し、屋敷への近道であるいつもの路地裏へ入る。
 人通りの少ない道をしばらく歩いていると、不意に声を掛けられた。

「そこのお兄さん、いいもの見て行かない?」

「......私か?」

「他に誰がいるのよ」

 声の主は、私の半分程の背丈の幼い少女だった。
 鍔の広い白い帽子から、長い白髪が覗いている。
 少女は私の返事を待つことなく、懐から小さな硝子瓶を取り出した。

「これ、良かったらどうぞ!」

 そう言って差し出されたのは透き通った赤い液体が詰められた硝子ガラス小瓶だった。

「これはなんだ?」

 私が尋ねると、少女は怪しげな笑みを浮かべた。

「これはね、恋が叶う魔法の秘薬なの」

「......は?」

 思わず間の抜けた声が漏れる。
 すると少女は私の手に無理矢理その小瓶を握らせる。

「最近開発されたばかりの新薬なんだって、これ試供品だから是非使ってみて!」

「いや、私は別に――」

 断ろうとした瞬間、少女は私の手を取る。
 そして気が付けば小瓶を無理やり握らされていた。

「それじゃあね!」

「あ、ちょっと......!」

 そう言うと少女は断る間もなく路地の暗がりに消えて行った。
 私はその背中を呆然と見送った。

「......なんだったんだ、今のは」

 手元へ視線を戻す。
 小瓶の中で、赤い液体がゆっくりと揺れていた。

「恋が叶う魔法の秘薬......か」

 そんな謳い文句を素直に信じるほど、私は世間知らずではない。

「......怪しいにも程がある」

 それでも捨てる気にはなれず、私は小瓶を制服のポケットへしまった。


***

 屋敷へ戻った私は、貰った小瓶を机の上へ置いた。

「さて、これをどうするべきか......」

 使う気は更々ない。
 かといって、捨てるのも何となく気が引ける。
 窓の外へ目を向けると、傾き始めた夕日が山の向こうへ沈みかけていた。
 赤く染まった空を眺めていると、ふと先ほどの言葉を思い出す。

 ――恋が叶う。

(私が恋をする日なんて来るのだろうか......)

 そんな疑問が頭を過った。
 けれど、すぐに自分で否定する。

(......ないな)

 期待するだけはもうやめた。
 どれだけ望んだところで、自分だけを愛し守ってくれる相手など現れるはずがない。
 そんなものを望んでまた誰かに利用されるくらいなら、最初から期待しない方がいい。

 叶わない希望に縋り、搾取され続けた私はあの日に死んだのだから。

「涼香、旦那様がお呼びです」

 背後から声がした。

「......今向かいます」

 私は小瓶をポケットへしまい机を離れた。



***



 ユウは血を欲する度、私を自室に呼び出す。
 最初の頃は扉の前に立つだけで身体が強張った。
 だが、それも毎日のように繰り返していれば慣れてしまうものらしい。

「旦那様、涼香です」

「入れ」

 いつもと変わらない短い返事。

「失礼致します」

 部屋へ入ると、ユウは机の前に立っていた。

「今からすることは分かっているだろう?」

「はい......」

 ユウがこちらへ歩いてくる。
 その眼差しには、相変わらず人を射竦めるような迫力があった。
 本能的に理解する。
 私は捕食される側なのだと。
 リボンタイを外し、仕事用のジャケットを脱ぐ。
 そしてシャツのボタンを上から順に外し、首筋を晒した。
 直後、ユウの顔が近づく。
 首筋に柔らかな感触が触れた。
 舌が肌をなぞる。

「......っ」

 次の瞬間、鋭い牙が首筋へ食い込んだ。

「ッ......!」

 耳に近い場所を噛まれているせいか、血を啜る音が妙にはっきりと聞こえる。
 私は目を閉じ痛みに耐えた。
 食事の邪魔をしないよう声を押し殺す。
 けれど、痛みが強くなるにつれて身体に力が入り――

 気づけば、私はユウの背へ腕を回していた。
 そしてユウの高そうなシャツに皺を作る。

(......早く終わってくれ)

 そう願いながら私はただ耐え続けた。
 やがて、首筋に突き刺さっていた牙がゆっくりと抜かれる。

「......今日はこれで終わりだ」

 そしてユウはいつものように傷口を丁寧に止血していく。

「んっ......」

 傷口を舌でなぞられ、思わず声が漏れた。

「まだ傷口が痛むのか」

「......いえ、もう大丈夫です」

 ユウは私の顔を覗き込む。
 つい先ほどまで私の血を啜っていたとは思えないほど、その表情は穏やかだった。
 私は止血が終わったのを確認すると、急いで衣服を整えた。

「......では、ご用件がお済みでしたら私はこれで失礼致します」

 今日はいつもより多く血を吸われたらしい。
 立ち上がった瞬間、軽い眩暈がした。

(明日も仕事がある。今日は早く休まなければ)

 そう考えて扉へ向かう。

「待て」

「......如何なさいましたか?」

 振り返る。
 ユウは何かを手にしていた。

「君のポケットに入っていたこれはなんだ?」

「......!」

 その瞬間、全身の血の気が引いた。
 赤い液体の入った小瓶。

(まさか......!)

 私は咄嗟にズボンのポケットへ手を入れる。
 しかしそこに入れたはずのものがない。

(いつの間に......?)

 まさか、血を吸われている間に――

 ユウは小瓶を指先で持ち上げたまま、私を見つめている。

「まさか君、俺に言えないようなことをしているのか?」

「いえ! そんなことはありません!」

「なら説明しろ」

 ユウの声が低くなる。

「これは何だ?」

「それは......」

 私は息を呑む。

「今日、買い出しに出た際に知らない少女から渡されたものです」

「少女?」

「はい。恋が叶う秘薬だと言っていました。断る間もなく押し付けられて......」

 ユウの眉が僅かに動く。

「他には?」

「......それだけです」

「本当に?」

「はい」

 しばらく沈黙が続き、やがてユウから険が消えた。

「そうか」

 ユウは小瓶へ視線を落とす。

「ならば、これは俺が預かっておいても問題ないな?」

「......はい。旦那様の御意のままに」

「そうか」

 そしてユウは小瓶を机上へ置いた。

「今日はもういい。休め」

「......では、失礼致します」

 私は一礼し、逃げるように部屋を出たのだった。


♢♢♢


「さて、どうしたものかな......」

 涼香が去った後、ユウは瓶を持ち上げ左右に軽く振る。

「中身も瓶も似た様な透ける様な赤い液体も......これは間違いなさそうだ」

 それはあの日、アイルに見せられた吸血鬼の秘薬と呼ばれたものと全く同じ物だった。






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