第2話 明かせない真実
「すまんな、此処から先の公益路は吹雪が激しくて通れないんだ。だから春になるまで待ってくれ」
「......わかりました」
そう断られ続けて一週間が経った。
私は港町ドルフィネを離れ、今はマエロンとセンチュラルとの国境付近にある小さな町、マージナで足止めを食らっていた。
本来ならとっくの昔にセンチュラルの首都に着いている筈だった。
しかし秋になり冬眠前の腹を空かせた熊型の魔獣、デンジャラスベアが公益路付近に出没した。
その影響で公益路は封鎖、私はこの雪深い町から動けなくなっていた。
「困ったな......」
生憎、金袋の中に残っているのはセンチュラルに向かう為に必要な最低限の旅費と、僅かな小遣い程度の路銀だった。
一度ドルフィネへ戻ることも考えたが、ここまで来るだけでも相当な額を使っている。
それに戻れば、それだけで首都へ向かうための資金が削られてしまう。
「仕方ない......馬車は諦めてまずは仕事を探すか」
私は仕事を探す為雪の降る町へ足を踏み出した。
しかしどこを回っても皆返ってくる答えは同じだった。
空を見上げると雪は先ほどより強くなっており私の頬を冷たい風が叩く。
(まあ、雪で殆ど町に人も来ないなら仕方ないか......)
人の往来が減れば仕事も減る、だから旅人である私を雇う理由もない。
そう理解しているのに内心焦りだけが募っていく。
(こうなったら......)
私は懐へ手を入れ、一つの物を取り出した。
銀で出来た簪。
それは母の形見だった。
普段は布に包みズボンのポケットにしまっている。
(華都国では珍しい銀細工だ。売れば、それなりの金にはなる)
掌に収まった簪は、雪明かりを受けて静かに輝いた。
これは売るために氷宮の家からこっそりと持ち出したもの。
それなのに、指先だけが動かなかった。
『この簪は、お母様から頂いた大切なものなの』
幼い日の母の声が、不意によみがえる。
『だから涼香が大人になったら、あなたにあげる』
「......駄目だ」
気づけば簪を握り締めていた。
これを手放した瞬間、本当に母との繋がりまで失ってしまう気がした。
「......他に方法を考えよう」
そう呟き簪をポケットにしまったその時だった。
「きゃあああああ!」
路地裏から女性の悲鳴が聞こえてきた。
私は反射的に顔を上げる。
(悲鳴だ!)
この時マージナの住民から聞いた話を思い出す。
マージナでは時折食料を求めてデンジャラスベアが時々町中に出没する事があるらしい。
(もし誰かが襲われているなら――)
しかし考えるよりも先に私の身体は動いていた。
白銀の絨毯を踏みしめ、路地の角を曲がる。
すると目の前には一人の女性が倒れていた。
「......!」
私は一度冷静になり足を止める。
路地には女性以外の人影がない。
しかしそこは妙に静かだった。
ただ雪が降りしきる音だけがはっきりと聞こえている。
(これは......罠?)
一瞬警戒するが女性は微動だにしない。
そして周囲を確認しながら私はゆっくりと近付いた。
「大丈夫ですか?」
返事はなかった。
一歩、また一歩、雪を踏む音だけが路地に響く。
女性の頬へ手を伸ばした瞬間、その肌の冷たさに息を呑んだ。
「......っ」
呼吸がない。
そして瞳は虚ろなまま空を見ている。
「遅かったか......」
私は安らかに眠れる様そっと女性の瞼を閉ざしてやる。
その時だった。
青白い首筋に、小さな二つの穴が見えた。
「......これは」
噛まれた跡。
けれど獣ならこんな傷では到底終わる筈がない。
そして服も殆ど乱れていない。
雪だけが静かに積もっていく。
胸の奥が嫌な音を立てた。
「これは......獣に襲われたんじゃない」
その時、ドルフィネで聞いたあの噂が脳裏をよぎる。
「まさか......」
私はすぐに首を振った。
「いや、決めつけちゃ駄目だ」
(そんな事をしたら今度こそ私はアイツらと同類になってしまう......!)
私はごちゃごちゃとしてきた頭を切り替える為、頬を軽く叩いた。
「いや、それよりもまずは町の人にこの事を知らせなければ」
このまま女性の遺体を放置しておくわけにはいかない。
私はその場から立ち上がり近隣の住民を探して走り出した。
だがその様子をローブ姿の人物に物陰から見られている事にこの時の私は気が付く事ができなかった。
***
その後、村の人達に女性が路地で亡くなっている事を知らせた。
そして事が片付いた後、私は今日も町で一番安い宿舎に泊まる事となった。
部屋はそこまで広くは無いがそれでも屋根があるだけ有り難かった。
「......今日は疲れたな」
私はベッドに腰を下ろす。
仕事も見つからず、おまけに妙な現場に居合わせてしまい事情聴取、そして路銀は減る一方。
「明日はいよいよ野宿かな......」
冗談めかして呟いてみるが到底笑う事なんて出来なかった。
(しかしどれだけ宿代を削っても食費を削るには限界がある)
やはり食べていくにはお金がかかるのだ。
私は懐から形見の簪を取り出した。
「......やっぱり売るしかないのか」
形見の簪を月明かりにかざす。
すると淡い光を受けて、簪は静かに青白く輝いていた。
「......せめて手放すのなら、最後に......少しだけ......」
私は窓ガラスを鏡代わりに簪を髪へ挿そうとした。
スルッ
しかし私の髪では短すぎて簪を受け止められなかった。
そして簪は音もなくベッドへ落ちる。
「......やっぱり駄目か」
私は苦く笑った。
母の白い長髪。
あの人には、よく似合っていた。
私は、この黒髪が嫌いだった。
だから旅に出る前、自分で短く切った。
視界に入らないように。
「......少しだけ伸ばしてみようかな」
刹那、部屋の中が静寂に包まれる。
「......なんてな」
私はベッドの上に転がる簪を手に取る。
(どうせ売るんだ。だったらそんなこと考えても仕方ない)
私は簪を布へ包みベッド脇のチェストの上に置いた。
そしてそのままベットに倒れ込む。
(早く寝よう......)
そして私は眠くも無い目を瞼で強制的に閉ざすのだった。
***
翌日、私は最初に町で名の知れた商会を訪ねた。
「この簪を売りたいと?」
「そうだ、これを売ればどのくらいになる?」
そう問うと商人は暫く簪を眺めた後、渋い顔をした。
「銀貨三枚、それが今出せる限界だね」
「......三枚?」
思わず聞き返した。
「これは母国の華都国の職人が作った一品なんだぞ」
「それは見ても分かるよ」
商人は申し訳なさそうに肩をすくめる。
「でも、この国じゃ珍しくもなんともないうえに欲しがる客も少ない」
「......わかった、もういい」
私はそそくさと簪を受け取り商会の建物を出た。
建物を出ると冷たい風が頬を刺す。
(......銀貨三枚)
その事実だけが胸に残った。
私は簪を強く握り締める。
(私の母との思い出の品は銀貨三枚程度なのか......)
手の中の簪を見る。
私にとっては母との思い出そのもの。
それがこの土地では銀貨三枚程度の価値しかない。
「......馬鹿みたいだ」
そう呟き簪をズボンのポケットにしまったその時だった。
「助けてくれ!」
突然、腕を掴まれた。
「あっちで人が倒れてるんだ!」
「ちょっと......!」
すると私は返事をする暇もなくガタイの良い男に引っ張られる。
角を曲がる、また曲がる。
歩く程に人通りが町から賑やかさが消えていく。
そして静寂の中、雪を踏む音だけが鼓膜を揺らす。
気が付けば私は薄暗い路地まで連れてこられていた。
「......何処ですか、その倒れた人というのは?」
すると巨漢は立ち止まりこちらをゆっくり振り返る。
「そんな奴いるわけねぇだろ!お嬢ちゃん」
その笑い声で全身が冷えた。
巨漢の背後から足音。
いつの間にか通路の出口を二人のチンピラが塞いでいた。
「旅人か......かなり俺好みだな」
「しかも一人だぜ」
そして三人の視線は私に集まる。
すると先程私を誘導したボスらしき巨漢は私の左手を強引に掴み上げる。
(最悪だ......)
よりによってこんな所で女に飢えたチンピラ共に目をつけられてしまった様だ。
私は旅をする上で守っている事がもう一つある。
それは私が女である事を決して他者に明かさないこと。
理由は様々だが、若い女の一人旅は大概舐めてかかられトラブルになる事が多かったのが大きい。
だがこの巨漢にはそんな小細工は通用しなかった様だ。
「安心しろ大人しくしてれば命だけは助けてやるよ」
そしてチンピラ共は下品な眼差しで私を舐め回す様に眺める。
――怖い
その一言だけで全身が埋め尽くされた。
『まだ逆らうつもりか?』
頭の奥で誰かの声が響く。
冷たい床、押さえつけられる腕。
息ができない。
(違う)
あれは過去の記憶だ。
私は今ここにいる。
(動け)
指先が震える。
(一本でいい)
拳を握れ。
それだけでいい。
(こんな所で終わるわけにはいかない......!)
私は無理矢理負の思考を振り切り必死に状況を挽回するべく頭を働かせる。
そして私の意識は掴まれていない方の拳に向いた。
(冷静になれ、そうすれば奴らの隙を突いて反撃できる筈だ......!)
その時巨漢が掴んでいる左手に容赦なく力を入れる。
「おっと、抵抗しようなんざ考えるなよ。もし少しでも抵抗したらお前をぶっ壊すからな!」
「っ......」
そして巨漢が私の服に手をかけたその時、後方から断末魔が上がった。
「チッ、何事だ!?」
巨漢が後方を振り向いた。
一瞬だけ、視線が切れる。
(今だ......!)
私の動くことのなかった右手に力が籠る。
その瞬間、拳が吸い込まれる様に巨漢の顳顬に食い込んでいく。
拳から感じる鈍い衝撃。
直後、巨漢の頭が横へ弾けその身体が雪へ崩れ落ちる。
「はぁ......はぁ......」
(動いた......今度は動けた......!)
そしてもう一つ気配の感じる方に目を向けると、もう一人のチンピラの仲間が逃げようと背を向けていた。
「ゲッ......バレた!」
「逃すものか......!」
感覚を取り戻した私はチンピラに追いつき、その足を薙ぎ払った。
「うぎゃっ!」
するとチンピラは雪の上へ呆気なく転がる。
私はその隙にソイツの後頭部目掛けて踵を振り下ろす。
その時だった――
「止めておけ」
踵が当たる直前、その場に一つの低い声が響いた。
「!」
私は背後を振り返る。
「これ以上やれば君まで罪人になる」
そこには深くローブを被ったいかにも怪しげな男が立っていた。
そしてその足元には先程巨漢の隣で品の無い会話をしていたもう一人のチンピラが倒れていた。
恐らく彼がチンピラ共の気を引いてくれたのだろう。
すると彼は何事もなかったかの様に淡々と答え始めた。
「この三人は、この辺りじゃ有名な賞金首だ」
「賞金首?」
「そうだ、騎士団に引き渡せばそれなりの額になる」
「そうでしたか」
視線を落とすと意識のあるチンピラが目を盗み逃げようとしていた。
私は再び踵を高く上げまだ意識のあるチンピラに振り落とし気絶さた。
「容赦ないな......」
「当然です。このまま逃してしまってはまた同じ様な被害者が出てしまいかねませんので」
そして私は彼の方に向き直り頭を下げた。
「貴方のお陰で危機を脱せました」
「気にするな」
「せめて何かお礼がしたいので貴方の名前を是非聞かせて頂きたいです」
しかしローブの男は首を振った。
「俺はあまりこう言う場で目立って良い者ではない。それよりも君の服に汚れが付いてしまっている」
そう言われ自分の服を見ると僅かに跳ね返った泥水汚れと少量の返り血が付着していた。
「このくらい大した汚れでじゃないので洗えばすぐに落ちます」
私はそう答えるも彼は納得していない様で、着ていたローブを脱ぎ始めた。
「これを使え」
「いえ、私は大丈夫です」
「遠慮するな」
ローブが肩へ掛けられる。
その刹那、フードで隠れていた髪が顕になる。
(髪が......黒い......)
息が止まる。
この国へ来てから、自分と同じ髪色の人を初めて見た。
嫌いだったはずの色なのに。
胸の奥で何かが静かに揺れた。
「人の好意は素直に受け取っておくものだ」
するとローブを貸してくれた男は不思議そうにこちらを見る。
「どうした?」
「......いえ」
私は視線を逸らした。
(どうしてだろう......)
ただ黒い髪をしているだけなのに、胸の奥に妙な親近感が湧いた。
「それより、早くこいつらを騎士団へ運ぼう」
するとローブを貸してくれた男は気絶した巨漢二人を軽々と担ぎ上げる。
「......二人同時に?」
「何か問題でも?」
「いえ......」
どう見ても並の人間の力ではない。
私は彼の背中を見つめた。
彼は私の視線に気付いた様子もなく歩き出す。
「騎士団の基地は、この通りの先だったはずだ」
「分かりました。私も手伝います」
私は残されたチンピラを担ぎその後を追った。
既に日は落ちきっており、雪雲の切れ間からはいくつもの星が覗いていた。
私は無意識に自分のズボンのポケットに手を当てる。
そこには、母の簪。
そして隣には、私と同じ黒髪の男が歩いている。
だがこの時の私はまだ知らなかった。
この偶然の出会いが私の人生を大きく変える事態になる事を。
to be continued......