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「Klar(クラー)」の最後は解散ライブもなにもない、ほんとうに呆気ないまでの幕引きだった。で
も祖父母はリンの声を聞いて、「この子は本当に言葉が綺麗な子だね」と言ってくれた。声が綺麗でも、音が綺麗でもなく、言葉が綺麗だと、そう言った。
ぼくはあのとき、どうしてあんなにもあの音楽が自分にとっての支えになったのか、わからなかった。
中学受験の前までに、ぼくはいくつもの挫折を経験した。
ひとつは、ピアノ。もうひとつは、交友関係。
小学校の頃からの幼馴染は、ぼくがピアノ練習に熱心だということ、そして母が厳しいことを知っている為、ぼくを遊びに誘ってくれなくなった。
それはぼくがピアノを辞めてからも続いた。学校では話をする。学校からの帰路で別れたら、それきりだった。
少しだけ、寂しくもあった。だけどそれが当たり前すぎて、その時のぼくにはなにも感じなくなっていたのかもしれない。
だからこそ、「Klar」の声は、ぼくの心を融かした。
透き通るような声。抽象的すぎないけれど、情緒に触れられる言葉選び。
たぶんぼくは、家にいればいつも耳にする刺々しい言葉ではなくて、ほんの少し力を預けてもいいような、誰にでもある気持ちを言葉として聞きたかったのだと思う。
ありきたりだけれども、ここにいていいもそうだし、自分自身の味方という言葉もそう。ただ、ぼくは、一度でいいから、無条件に誰かから肯定してもらいたかっただけなのかもしれない。
――ほんの少し、息苦しさが襲ってきた。
塾の時間まではまだ、少しだけある。ぼくはいつものように使い古したCDプレーヤーの電源を入れ、イヤホンを装着した。
◇
7月下旬に差し掛かり、ようやく梅雨が明けた。母はぼくが夏休みに入ると同時に、嬉々として都会に行った。なのかが出場するピアノコンクールがあるらしい。
ぼくは母の誘いを、丁重に断った。なのかのピアノは、確かに美しい。美しいけれど、音に強さがある。煌びやかな旋律でも、小川のせせらぎを沿うような旋律でも、だ。
ぼくは一度、それをなのかに伝えたことがある。彼女の自信がそうさせるのだと、ぼくは思ったからだ。
自信に満ちた音は心地が良い反面、妙な場面で突き刺さる。まるで、その中の世界には、自信を持った人以外は受け付けられないような、そんな気がする。
なのかは言った。自分に自信がない人間が作るものなんて、大したものはない。音もそう。自分のことを嫌いな人がどんな取り繕った愛の歌を歌ったところで、それはただの嘘だ。
一瞬にして喉の奥を掴まれたような感覚を抱いたぼくを流し目に見て、うふふと悪戯っぽく笑ったあと、なのかは続けた。「でも、南帆がおばあちゃんちでこっそり弾いていたピアノの曲は好き」