03
ぼくはお礼を言ってそのココットを受け取り、部屋に戻った。
部屋のドアを閉めて、後ろ手に鍵をかける。ぼくはドアに背を預けて、ほうと溜息をついた。
人ごみに行くのは、得意じゃない。
あの独特の空気感は、何故かぼくの胸を締め付けた。
父が単身赴任で家を出て行く前に、祖父母と共にあのデパートに父にプレゼントするネクタイを買いに行ったことがある。そこでぼくは、催しでやってきていたパフォーマーに目を奪われて、迷子になったのだ。
ウィンドチャイムと、フルートと、ピアノ。まったく別の性質の音を持つ、でも妙にマッチして独特の世界観をつくるその空間は、迷子になったことを忘れさせた。ぼくはただ、ただ、その空間で奏でられるその音を聞いていた。
あまりにも綺麗なその音は、音は語るものだという概念をぼくに教えてくれた。
ようやく自分が迷子になったのだと気付いたころ、祖父母が慌ててぼくを探しに来た。
怒られるでもない、咎められるでもない。祖父母はぼくと一緒に、その綺麗な音色を聞いて、「これは足が止まってしまうね」と顔を見合わせて微笑んでいた。
当然、家に戻ったら帰りが遅いと、ぼくは祖父母ともども母に叱られた。そのときまではひとりっ子だったぼくに対して、母はいつもそういう態度だった。穏やかな顔を見たことは、あまりない。
そのうちに、ぼくに対する干渉は少し減った。妹が生まれたからだ。
妹――なのかはぼくと違い、なにをやっても出来が良かった。本格的にピアニストになるために、この3月から父の単身赴任について都会に行っている。母も着いて行けばいいとそれとなく勧めたが、同時期に祖父の病気が発覚した。
祖母も、祖父のことは気にせずに妹について行っていいと言った。たぶんそれは、ぼくの気持ちを少しわかってくれていたからだと思う。
母がこちらに残るということは、また母の干渉がぼくに向く。決して嫌ではない。
嫌ではないけれど、ピアノ音楽や吹奏楽、オーケストラに転用できる音楽以外はすべて邪道とまで言い切る母には、ぼくの支えが偶然ラジオから流れてきた「Klar(クラー)」の曲だとは言ったことがない。
父にも言わなかった。きっと母に伝わる。