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ヨウの声だけを知っている人たちは、リンの声がそこに混じるとどういう化学変化を起こすのかを、きっと知らなかったのだろう。
ぼくと、そして看板側にいる人たちは、リンの声が与えてくれる安心感と心地よさに、溜息を漏らした。
賑わっているはずのデパートは、その曲が鳴っているあいだ中、まるでみっつの楽器の音に取り込まれたかのようだった。周囲を歩いていた人たちが足を止めて、聞き惚れるかのようにブース内で歌う二人を見ている。
パーソナリティーは「大ファンだ」と言っていた言葉通りに号泣しているが、ぼくも、そして周りにいる人たちもそうだった。
夢や希望なんていうワードを使うこともなく、ただ、そこにある意味を問われるかのような歌詞は、あんなに何度もCDを聴いていたというのに、まだぼくの中に燻っていた気持ちを涙に換えた。
2年前にはじめてこの曲を聴いたときと、ギターバージョンで聴いた今日とでは、また気持ちも、そして背景も違う。
あの時は悩んでいたけれど、大学受験はさほどに悩んでいない。強いて言うならば、一人暮らしができるかどうか。そんな些細な悩みだ。
それでも、ぼくはこの「Klar(クラー)」という曲と、そしてリンとヨウの音をガラス越しに聞いているという現実が嬉しかった。
ぼくの夢は、あの日からずっと変わらない。二人の音楽を生で聞きたかった。誰かに話したら、そんな小さなことと笑われるかもしれない。
それでも、2年前のぼくにとって、いまのぼくにとって、これがすべてだ。
このどこか侘しさを持つギターと、あの頃よりもさらに洗練された流麗で一塵も留めない空気のような澄明さのあるリンの声と、誰よりもリンと音楽を奏でることを待ち望んでいたように至福を噛みしめ、躍動する風のように軽やかなヨウのあたたかい声。
どれが欠けても成立しないこの音が、ぼくのすべてだった。
曲が終わっても、その余韻に浸っているように、静まり返っていた。ぼくの耳には、自分の高鳴る鼓動だけが鳴っている。
やがてその鼓動に呼応するかのように、どこからともなく盛大な拍手が押し寄せた。
◇
公開生放送が終わったころ、周囲はひと目リンとヨウを見ようと、ロープが張られているあたりまで人がやってきていた。ぼくはなにもせずに帰ろうと思っていた。
でも、なのかの言葉が頭をよぎった。