ホーム›緋鋼皇國物語Ⅰ›第八十八話 総責任者
← 次の話目次前の話 →

第八十八話 総責任者

【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 5:25 七聖学院 講堂 】

 朝陽の遠い足音が聞こえても、講堂の床は、冷たかった。

 式典や集会で使うはずの場所に、寄宿舎の生徒達が座らされている。壇上には仮面の男達。出入口にも、戦棍メイスと携帯式弩ハンド・クロスボウを持った仮面の連中が立っていた。

 目と口以外を覆う板金の仮面。額から上の部分は、渦巻き模様。

 あれは多分、脳を表している。何かしらの意味があるのだろうか? 

 宗教学にも紋章学にも、そこまで詳しくない俺では、それ以上の分析はできない。

 こいつらの目的は何だ? 身代金か? 犯行声明は出すのか? 分からない。まだ材料が足りない。

 俺は舌打ちをして、天井を見上げた。

 照明は消えている。魔導灯も、各自が身に付けている魔道具も全て、まるで息を止めたように沈黙している。

 第六位列術式魔法、魔法遮断場アンチマギーフェルト。

 講堂全体ではない。俺達が集められている場所だけ、その遮断領域の中に沈められていた。

 俺はハリエット姉さんの方を見る。

 姉さんは、泣き出しそうな下級生達の背を撫でていた。何かを言って慰めるのではなく、何度も小さく頷いている。眩しい。姉さんは天使か女神か。

 しかし、その優しさに甘えて、その下級生達は、姉さんの膝元から離れようとしない。まあ、今は緊急時だから許してやるとしよう。

「ハリス、大丈夫?」

「ああ、問題ないよ。姉さん」

 俺はローティを見た。こっちはイネヴェアの膝元で横になっていた。額から血を流している。布で押さえて貰ってはいるが、呼び掛けへの返事が遅い。視線も揺れている。何度か瞬きをして、ようやく誰かの顔を見る。

「ローティ、大丈夫? あたくしの声が聞こえて?」

「......うるせぇ」

 声は出た。だが、いつもの調子ではない。

 イネヴェアは何も言い返さなかった。布を押さえる手だけが、少し強くなった。流石に今だけは、普段の調子でローティを雑に扱いはしない。

 クリスとアディは、肩を寄せ合うように座っている。エインは二人の側で周りを見ている。そして何かを指折り数えている。あれは多分、何か重要なことを考えている。

 その近くで、オーレリアが唇を尖らせている。講堂に連行される時から、ずっとブツブツ文句を言っている。

「手帳を奪うなんて、記録文化への重大な冒涜なのよぅ」

「オーレリア、今は黙ってろ」

 俺が小声で言うと、オーレリアは頬を膨らませて、こっちを睨んできた。まだ睨むだけの余裕はあるらしい。

 フェルトンは、皆から少し離れた場所にいた。顔色が悪い。膝の上で組んだ手が、何度もほどけて、また組み直される。

 口だけは閉じているが、視線は床に落ちたままだった。いつもの強がりも出ない。

 誰も大きな声を出さない。床を見ている者、膝を抱えている者、何度も唇を舐める者。講堂の広さと静けさだけが、不安を後押しするかのように、やけに目立った。

 マリアンナ先輩が立ち上がりかけた。何か物申す、という感じだ。

 その手を、ミシェル先輩が握った。マリアンナ先輩は一度だけ目を閉じ、また座った。

 リーゼは俯いたまま、エルマーの袖を掴んでいる。エルマーは、その手を隠すように上着の端を掛け直した。

 こういう時、支えられる者が傍にいるのは、きっと心強いだろう。

 俺は大人達を見た。

 校長先生がいる。ぷーちゃんを抱きしめて、酷く怯えている。

 ジークハルト先生は、大怪我をしている。治療すらさせて貰えない。

 寝間着姿のキャサリンさんもいる。給仕服でない姿を見るのは珍しい。

 俺は、ここにいない者を数えた。

 マナ様とマギ様。
 アルフォンス先生。
 ゴーンズ師匠。
 ヴァンと、ミコト。

 六人も不在だ。
 
 壇上の中央には、赤黒い魔道衣の男がいた。椅子に座っている。

 病的に青白い肌。金色の目。血色の悪い唇。その左端には、環状の鈍い銀色が光っている。

 男は、解剖鋏のような杖を手にしていた。長い柄の先で、二枚の刃が閉じている。

 あいつが敵の総責任者、ボスで間違いない。

 その横に、黄土色の線が入った仮面の男。体格が桁外れに大きい。ぼさぼさの長い髪が仮面の縁から垂れており、首も肩も太い。戦士だろうか。腕を組んで立っているだけで、かなりの威圧感だ。

 反対側には、青色の線が入った仮面の男。細身で灰青の魔道衣を着ている。フードを目深に下ろして、短杖を持っている。連行される途中で見た術士達と違って、首から大きな装飾が目立つ護符アミュレットを提げている。

 この三人が、首謀者と幹部だ。残りの何十人もいるであろう連中は、おそらく雇われただけの手下だ。

 その時、講堂に入って来た一人の手下が、その術士の幹部に耳打ちする。術士幹部が、仮面の奥からこちらを見た。

「再度、尋ねます。マギ皇弟殿下と、マナ皇妹殿下は、どこにいますか?」

 誰も答えない。知らないし、知ってても教えない。

「ゴルァ‼ どこにいるかって、聞いてんだろがッ‼」

 戦士の幹部が大声を張り上げた。下級生の何人かが、首をすくめた。

「ぼく達は、知りません」
 
 生徒を代表して、ミシェル先輩が返答した。少し声が震えている。

「地下にもいない。塔にもいない。では、どこへ?」

「分かりません」

 幹部達のイラつきは見て分かった。術士の幹部は爪を噛み、ウロウロし始めた。戦士の幹部は腕を組み、ずっと靴先で床を叩いている。

「もうよい」

 中央の男。ボスらしきそいつが、口を開いた。ゆっくりと立ち上がる。

 その男は戦士の幹部よりも背が低いにも関わらず、もっと大きく見えた。

「おそらく、もう逃げたのだ。我々よりも一足早く、瞬間移動ペレホートを使って、遠くへ逃げたに違いない」

 アルフォンス先生もいない。その見立ては正しいと思う。だとすれば、こいつらは目的を失ったことになるはずだが、果たしてそれで俺達を解放してくれるのか?

 到底そうは思えない。

「残された者共よ。よく聞け! 皇族は逃げた。おまえ達を置いて、逃げたのだ!」

 なんて言い草だ。二人が残って、この戦力を相手に何ができる。逃げて正解だ。

 だが、それを分からない下級生達は、皇族に対して不信を抱くかもしれない。こいつ、それを狙っているに違いない。

「皇族は、国は、おまえ達のことなど何とも思っていない! それが現実だ!」

 誰も言い返さない。いいや、言い返せない状況。でも、何か言い返したい気持ちを、必死に我慢している者達だっている。特に、マリアンナ先輩や、オーレリア。

 その時、校長先生の抱いていた犬。白い毛を桃色に染め、ふわふわした小型犬。ぷーちゃんが、その腕から飛び降りた。

「ぷ、ぷーちゃん、待つざます」

 壇上の三人に向かって、ぷーちゃんは懸命に吠えた。

 生徒達も、大人達も黙っていた。
 
 一番小さな犬だけが吠えた。

「うるせぇぞ! その犬を黙らせろ! 蹴り殺すぞ!」

 戦士の幹部。その怒鳴り声が、講堂に響いた。

 校長先生の肩が跳ねた。

「そ、それはダメざます!」

 走り寄って、ぷーちゃんを抱き上げた。ぷーちゃんは胸元に押し込まれるように抱かれ、まだ小さく唸っていた。

 校長先生は、完全に怯えきっていた。ぷーちゃんを抱いて、震えている。

 戦士の幹部は鼻を鳴らした。

「犬もガキも、うるせぇのは変わらねぇな」

 その時、俺の肩を指が叩いた。振り返ると、ウォールがいた。

「どうした?」

「エインさんから伝言」

 俺が目線を向けると、エインが頷きを返した。その隣には、キャサリンさんもいて、一緒にこっちを見ている。

「なんだって?」

「この人数をここに閉じ込めるなら、食料も水も足りなくなるって......」

 なるほど、エインが数えていたのはそれか。キャサリンさんから、備蓄状況を聞いたのだろう。こいつらの目的は分からないけれど、補給が必要になるタイミングが、必ずどこかで訪れるはずだ。

「わかった。交渉してみるか」

 その時だった。

「おい、おまえ達! ぼ、僕達を、直ぐに解放しろ!」

 フェルトン。おまえ、何を。

「僕は、フェルトン・ブラスシルド。きゅ、九大貴族だぞ」

「あぁん? なんだこのガキ......」

 戦士の幹部が、睨む。

「待て」

 ボスが止めた。フェルトンを興味深そうに見る。

「......なるほど、ブラスシルド。......九大貴族ですか」

「そ、そうだ。......フェルトン・ブラスシルド......だ!」

「なるほどなるほど、わざわざ九大貴族の御子息に名乗って頂いたのだ。こちらも名乗りでお返しするのが、礼というもの」

 芝居のような大仰な礼を見せながら、その男は名乗った。

「我が名は、マディアラス・ヴネオン。この腐った国を、解ほどく者──」

「そ、そうか......、ちゃんと僕達を解放すれば、今なら軽い罰で済むように頼んでやる。だから、今す......」

 ちゃきり。

 解剖鋏の杖先。あの音が鳴る。

「もう、戻っていいぞ。フェルトン」

「ひっ......」

 人が塵になる瞬間を見た者なら、その音を聞いただけで、固まってしまうだろう。フェルトンも例外じゃない。すごすごと戻る。

「他に、何か言いたい事のある者はいるか?」

「......帰りたい」

 星級ステラ・クラスの小さな女の子だった。その呟きが、二度目には叫びに変わった。

「おうちに、帰りたいっ!」

 そして、泣き出してしまった。まずいぞ、これは......。

「わたしも!」
「ボクも!」
「帰りたいよお!」
「うわああん、帰りたい!」

 悲しみと恐怖。抑圧された感情が、たった一人の綻びから、全体に感染して行く。

 集団恐慌パニックだ。

「みんな! 落ち着いて!」
「そうよ。泣かないで......!」

 ミシェル先輩や、姉さんが声をかけるも、収まる気配はない。

「おい、責任者は誰だ?」

 ヴネオン。襲撃者達のボスは尋ねた。何人かの学生が顔を見合わせる。校長先生に注目が集まる。

「......ひっ、あ、あたくしざます」

 ちゃきり。 

「なら、この騒ぎはおまえの責任だ。おまえを殺せば、少しは静かになるか?」

 子供達の泣き声が、さらに大きくなった。

 ヴネオンは、鋏杖の先を校長先生に向けた。校長先生は、あの場面を目撃していないから、あれの本当の怖さをまだ知らない。

「へへ、そいつはいい。ガキ共を黙らせるには、責任者を一人殺すのが早い」

 戦士の幹部が、両手の指をワキワキとさせた。

「ボスぅ、その女。オレに締め殺させてくれよぉ」

「好きにしろ」

 ヴネオンは杖を降ろした。

 校長先生が、ぷーちゃんを抱いたまま、じっと見つめ合っている。

 ふと顔を上げた。

「あたくしが、責任者ざます」

「ああ、だからぁ?」

 戦士の幹部が詰め寄る。

「あたくし......が! 責任者、ざます!」

「おいおい、どうした」

「この、アンディアナ・ルクル。煮るなり焼くなり、好きにしても構わないけれど」

 声がそこで少し途切れた。ぷーちゃんの耳が伏せられた。

「子供達に手を出す事は、絶対に許しません」

 戦士の幹部が笑った。校長先生の膝も笑っているのが、俺には見えた。

「許さねぇと、どうなるんだ?」

 ジークハルト先生が、校長先生の横に立った。

「アンディアナ校長、貴女の覚悟、私も支えます」

「ジークハルト先生......」

 ぷーちゃんが、小さく鳴いた。

「おいおい、いきなり何を言ってんだぁ?」

 その睨みを無視して、ジークハルト先生は、ヴネオンの方へ視線と言葉を投げる。

「マディアラス・ヴネオン殿。私が泣きわめく子供達を管理し、黙らせる。故に、無用な殺生は控えて頂きたい!」

 ヴネオンの片眉が持ち上がった。

「ほう? やってみろ」

「機会に感謝する」

 ジークハルト先生が、俺達に向き直った。ろくな治療もされないまま、立っているのもやっとのはずだ。こんなの誰が見ても分かる。

 額から流れた血は、拭き取り切れずに赤く固まっている。足だって、多分あれは折れている。肩口にも血が滲んでいる。なのに。

 ──直立不動。

「先生......」
「ジークハルト先生」

 泣いていた子供達も、その姿から目を離せないでいた。
 
「総員ッ! 起立ッ!」

 条件反射。

 日々の訓練。

 それだけではない。

 最初にミシェル先輩とマリアンナ先輩が、当然だが俺も、姉さんも立ち上がった。

 イネヴェアに支えられて、ローティも立ち上がった。

 遅れて立ち上がる子達もいたが、下級生の子と手を繋いで、みんな立ち上がった。

「気を付けッ!」

 姿勢を正す。泣いている子も、みんな同じくそうした。

「呼吸を整えろッ!」

 泣くなではない。否定ではない。

 すべきこと、行動。次へ向かう肯定。

 吸う音が、ばらばらに重なった。鼻水をすする音も混じっていた。

「吐けッ!」

 震えていた。でも泣き声が薄くなった。
 
「もう一度、吸えッ!」

 校長先生もジークハルト先生の真剣な表情の隣で、必死に真似をして息を吸って、吐いている。

「前を見ろッ!」

 俺は、ジークハルト先生を真っ直ぐに見据えながら、その後ろにいる敵の姿も、周囲の敵の数も、二階席にいる敵の数も、こっそりと、その配置と共に確認した。

 座ったままでは得られなかった情報が、手に入った。

「今より、アンディアナ校長の訓戒がある。清聴ッ!」

 ジークハルト先生が、一歩下がり、その場所を校長先生に譲った。

「ここで、あたくしに任せて下さるのね」

「はい。貴女は我々の総・責・任・者・ですから」

 校長先生は目を伏せ、それから開いた。

「愛する七聖学院生徒の皆様、今、あたくし達は、大変に恐ろしい状況に置かれているざます」

 校長先生の声は、まだ少し震えていた。でも、生徒の誰も笑わなかった。

「しかし、ちゃんと規律を守ること。それが今、皆様自身を守る一番確かな方法ざます。だから皆様、勝手な行動は慎むざます」

 それは無理だな。既にヴァンが自由の身だ。もう遅い。だが今は、それでいい。

「それから、これは訓戒としてではなく、校長命令として聞くざます」

 生徒の誰もが、清聴した。

「全員、生きて帰るざます。以上!」

 その言葉を、胸に刻んだ。

「着席ッ!」

 ジークハルト先生の号令に、皆が規律正しく膝を抱えて床に座った。

「ヴネオン殿。これで、問題ありませんな?」

 ジークハルト先生の問いに、ヴネオンは肩で笑いながら、ゆっくりと拍手をした。

「いやはや、実に見事だ。調教が行き届いている。平民の子では、こうはいかぬ」

「これは教育だ」

「どちらでもいい。殺すのは止めだ」

「ちっ」

 戦士の幹部が舌打ちをしやがった。あいつ、危険だ。

 その時、手下が一人やって来て、術士の幹部に耳打ちをした。

「ボス」

「どうした?」

 術士の幹部が、ようやく爪を噛むのをやめた。

「声明の準備が整いました」
シェア
前の話 →
第八十七話 潜入者
← 次の話
第八十九話 犯行声明
緋鋼皇國物語Ⅰ作者:ふみの世界樹
目次を見る
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム›緋鋼皇國物語Ⅰ›第八十八話 総責任者
← 前の話目次次の話 →

第八十八話 総責任者

【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 5:25 七聖学院 講堂 】

 朝陽の遠い足音が聞こえても、講堂の床は、冷たかった。

 式典や集会で使うはずの場所に、寄宿舎の生徒達が座らされている。壇上には仮面の男達。出入口にも、戦棍メイスと携帯式弩ハンド・クロスボウを持った仮面の連中が立っていた。

 目と口以外を覆う板金の仮面。額から上の部分は、渦巻き模様。

 あれは多分、脳を表している。何かしらの意味があるのだろうか? 

 宗教学にも紋章学にも、そこまで詳しくない俺では、それ以上の分析はできない。

 こいつらの目的は何だ? 身代金か? 犯行声明は出すのか? 分からない。まだ材料が足りない。

 俺は舌打ちをして、天井を見上げた。

 照明は消えている。魔導灯も、各自が身に付けている魔道具も全て、まるで息を止めたように沈黙している。

 第六位列術式魔法、魔法遮断場アンチマギーフェルト。

 講堂全体ではない。俺達が集められている場所だけ、その遮断領域の中に沈められていた。

 俺はハリエット姉さんの方を見る。

 姉さんは、泣き出しそうな下級生達の背を撫でていた。何かを言って慰めるのではなく、何度も小さく頷いている。眩しい。姉さんは天使か女神か。

 しかし、その優しさに甘えて、その下級生達は、姉さんの膝元から離れようとしない。まあ、今は緊急時だから許してやるとしよう。

「ハリス、大丈夫?」

「ああ、問題ないよ。姉さん」

 俺はローティを見た。こっちはイネヴェアの膝元で横になっていた。額から血を流している。布で押さえて貰ってはいるが、呼び掛けへの返事が遅い。視線も揺れている。何度か瞬きをして、ようやく誰かの顔を見る。

「ローティ、大丈夫? あたくしの声が聞こえて?」

「......うるせぇ」

 声は出た。だが、いつもの調子ではない。

 イネヴェアは何も言い返さなかった。布を押さえる手だけが、少し強くなった。流石に今だけは、普段の調子でローティを雑に扱いはしない。

 クリスとアディは、肩を寄せ合うように座っている。エインは二人の側で周りを見ている。そして何かを指折り数えている。あれは多分、何か重要なことを考えている。

 その近くで、オーレリアが唇を尖らせている。講堂に連行される時から、ずっとブツブツ文句を言っている。

「手帳を奪うなんて、記録文化への重大な冒涜なのよぅ」

「オーレリア、今は黙ってろ」

 俺が小声で言うと、オーレリアは頬を膨らませて、こっちを睨んできた。まだ睨むだけの余裕はあるらしい。

 フェルトンは、皆から少し離れた場所にいた。顔色が悪い。膝の上で組んだ手が、何度もほどけて、また組み直される。

 口だけは閉じているが、視線は床に落ちたままだった。いつもの強がりも出ない。

 誰も大きな声を出さない。床を見ている者、膝を抱えている者、何度も唇を舐める者。講堂の広さと静けさだけが、不安を後押しするかのように、やけに目立った。

 マリアンナ先輩が立ち上がりかけた。何か物申す、という感じだ。

 その手を、ミシェル先輩が握った。マリアンナ先輩は一度だけ目を閉じ、また座った。

 リーゼは俯いたまま、エルマーの袖を掴んでいる。エルマーは、その手を隠すように上着の端を掛け直した。

 こういう時、支えられる者が傍にいるのは、きっと心強いだろう。

 俺は大人達を見た。

 校長先生がいる。ぷーちゃんを抱きしめて、酷く怯えている。

 ジークハルト先生は、大怪我をしている。治療すらさせて貰えない。

 寝間着姿のキャサリンさんもいる。給仕服でない姿を見るのは珍しい。

 俺は、ここにいない者を数えた。

 マナ様とマギ様。
 アルフォンス先生。
 ゴーンズ師匠。
 ヴァンと、ミコト。

 六人も不在だ。
 
 壇上の中央には、赤黒い魔道衣の男がいた。椅子に座っている。

 病的に青白い肌。金色の目。血色の悪い唇。その左端には、環状の鈍い銀色が光っている。

 男は、解剖鋏のような杖を手にしていた。長い柄の先で、二枚の刃が閉じている。

 あいつが敵の総責任者、ボスで間違いない。

 その横に、黄土色の線が入った仮面の男。体格が桁外れに大きい。ぼさぼさの長い髪が仮面の縁から垂れており、首も肩も太い。戦士だろうか。腕を組んで立っているだけで、かなりの威圧感だ。

 反対側には、青色の線が入った仮面の男。細身で灰青の魔道衣を着ている。フードを目深に下ろして、短杖を持っている。連行される途中で見た術士達と違って、首から大きな装飾が目立つ護符アミュレットを提げている。

 この三人が、首謀者と幹部だ。残りの何十人もいるであろう連中は、おそらく雇われただけの手下だ。

 その時、講堂に入って来た一人の手下が、その術士の幹部に耳打ちする。術士幹部が、仮面の奥からこちらを見た。

「再度、尋ねます。マギ皇弟殿下と、マナ皇妹殿下は、どこにいますか?」

 誰も答えない。知らないし、知ってても教えない。

「ゴルァ‼ どこにいるかって、聞いてんだろがッ‼」

 戦士の幹部が大声を張り上げた。下級生の何人かが、首をすくめた。

「ぼく達は、知りません」
 
 生徒を代表して、ミシェル先輩が返答した。少し声が震えている。

「地下にもいない。塔にもいない。では、どこへ?」

「分かりません」

 幹部達のイラつきは見て分かった。術士の幹部は爪を噛み、ウロウロし始めた。戦士の幹部は腕を組み、ずっと靴先で床を叩いている。

「もうよい」

 中央の男。ボスらしきそいつが、口を開いた。ゆっくりと立ち上がる。

 その男は戦士の幹部よりも背が低いにも関わらず、もっと大きく見えた。

「おそらく、もう逃げたのだ。我々よりも一足早く、瞬間移動ペレホートを使って、遠くへ逃げたに違いない」

 アルフォンス先生もいない。その見立ては正しいと思う。だとすれば、こいつらは目的を失ったことになるはずだが、果たしてそれで俺達を解放してくれるのか?

 到底そうは思えない。

「残された者共よ。よく聞け! 皇族は逃げた。おまえ達を置いて、逃げたのだ!」

 なんて言い草だ。二人が残って、この戦力を相手に何ができる。逃げて正解だ。

 だが、それを分からない下級生達は、皇族に対して不信を抱くかもしれない。こいつ、それを狙っているに違いない。

「皇族は、国は、おまえ達のことなど何とも思っていない! それが現実だ!」

 誰も言い返さない。いいや、言い返せない状況。でも、何か言い返したい気持ちを、必死に我慢している者達だっている。特に、マリアンナ先輩や、オーレリア。

 その時、校長先生の抱いていた犬。白い毛を桃色に染め、ふわふわした小型犬。ぷーちゃんが、その腕から飛び降りた。

「ぷ、ぷーちゃん、待つざます」

 壇上の三人に向かって、ぷーちゃんは懸命に吠えた。

 生徒達も、大人達も黙っていた。
 
 一番小さな犬だけが吠えた。

「うるせぇぞ! その犬を黙らせろ! 蹴り殺すぞ!」

 戦士の幹部。その怒鳴り声が、講堂に響いた。

 校長先生の肩が跳ねた。

「そ、それはダメざます!」

 走り寄って、ぷーちゃんを抱き上げた。ぷーちゃんは胸元に押し込まれるように抱かれ、まだ小さく唸っていた。

 校長先生は、完全に怯えきっていた。ぷーちゃんを抱いて、震えている。

 戦士の幹部は鼻を鳴らした。

「犬もガキも、うるせぇのは変わらねぇな」

 その時、俺の肩を指が叩いた。振り返ると、ウォールがいた。

「どうした?」

「エインさんから伝言」

 俺が目線を向けると、エインが頷きを返した。その隣には、キャサリンさんもいて、一緒にこっちを見ている。

「なんだって?」

「この人数をここに閉じ込めるなら、食料も水も足りなくなるって......」

 なるほど、エインが数えていたのはそれか。キャサリンさんから、備蓄状況を聞いたのだろう。こいつらの目的は分からないけれど、補給が必要になるタイミングが、必ずどこかで訪れるはずだ。

「わかった。交渉してみるか」

 その時だった。

「おい、おまえ達! ぼ、僕達を、直ぐに解放しろ!」

 フェルトン。おまえ、何を。

「僕は、フェルトン・ブラスシルド。きゅ、九大貴族だぞ」

「あぁん? なんだこのガキ......」

 戦士の幹部が、睨む。

「待て」

 ボスが止めた。フェルトンを興味深そうに見る。

「......なるほど、ブラスシルド。......九大貴族ですか」

「そ、そうだ。......フェルトン・ブラスシルド......だ!」

「なるほどなるほど、わざわざ九大貴族の御子息に名乗って頂いたのだ。こちらも名乗りでお返しするのが、礼というもの」

 芝居のような大仰な礼を見せながら、その男は名乗った。

「我が名は、マディアラス・ヴネオン。この腐った国を、解ほどく者──」

「そ、そうか......、ちゃんと僕達を解放すれば、今なら軽い罰で済むように頼んでやる。だから、今す......」

 ちゃきり。

 解剖鋏の杖先。あの音が鳴る。

「もう、戻っていいぞ。フェルトン」

「ひっ......」

 人が塵になる瞬間を見た者なら、その音を聞いただけで、固まってしまうだろう。フェルトンも例外じゃない。すごすごと戻る。

「他に、何か言いたい事のある者はいるか?」

「......帰りたい」

 星級ステラ・クラスの小さな女の子だった。その呟きが、二度目には叫びに変わった。

「おうちに、帰りたいっ!」

 そして、泣き出してしまった。まずいぞ、これは......。

「わたしも!」
「ボクも!」
「帰りたいよお!」
「うわああん、帰りたい!」

 悲しみと恐怖。抑圧された感情が、たった一人の綻びから、全体に感染して行く。

 集団恐慌パニックだ。

「みんな! 落ち着いて!」
「そうよ。泣かないで......!」

 ミシェル先輩や、姉さんが声をかけるも、収まる気配はない。

「おい、責任者は誰だ?」

 ヴネオン。襲撃者達のボスは尋ねた。何人かの学生が顔を見合わせる。校長先生に注目が集まる。

「......ひっ、あ、あたくしざます」

 ちゃきり。 

「なら、この騒ぎはおまえの責任だ。おまえを殺せば、少しは静かになるか?」

 子供達の泣き声が、さらに大きくなった。

 ヴネオンは、鋏杖の先を校長先生に向けた。校長先生は、あの場面を目撃していないから、あれの本当の怖さをまだ知らない。

「へへ、そいつはいい。ガキ共を黙らせるには、責任者を一人殺すのが早い」

 戦士の幹部が、両手の指をワキワキとさせた。

「ボスぅ、その女。オレに締め殺させてくれよぉ」

「好きにしろ」

 ヴネオンは杖を降ろした。

 校長先生が、ぷーちゃんを抱いたまま、じっと見つめ合っている。

 ふと顔を上げた。

「あたくしが、責任者ざます」

「ああ、だからぁ?」

 戦士の幹部が詰め寄る。

「あたくし......が! 責任者、ざます!」

「おいおい、どうした」

「この、アンディアナ・ルクル。煮るなり焼くなり、好きにしても構わないけれど」

 声がそこで少し途切れた。ぷーちゃんの耳が伏せられた。

「子供達に手を出す事は、絶対に許しません」

 戦士の幹部が笑った。校長先生の膝も笑っているのが、俺には見えた。

「許さねぇと、どうなるんだ?」

 ジークハルト先生が、校長先生の横に立った。

「アンディアナ校長、貴女の覚悟、私も支えます」

「ジークハルト先生......」

 ぷーちゃんが、小さく鳴いた。

「おいおい、いきなり何を言ってんだぁ?」

 その睨みを無視して、ジークハルト先生は、ヴネオンの方へ視線と言葉を投げる。

「マディアラス・ヴネオン殿。私が泣きわめく子供達を管理し、黙らせる。故に、無用な殺生は控えて頂きたい!」

 ヴネオンの片眉が持ち上がった。

「ほう? やってみろ」

「機会に感謝する」

 ジークハルト先生が、俺達に向き直った。ろくな治療もされないまま、立っているのもやっとのはずだ。こんなの誰が見ても分かる。

 額から流れた血は、拭き取り切れずに赤く固まっている。足だって、多分あれは折れている。肩口にも血が滲んでいる。なのに。

 ──直立不動。

「先生......」
「ジークハルト先生」

 泣いていた子供達も、その姿から目を離せないでいた。
 
「総員ッ! 起立ッ!」

 条件反射。

 日々の訓練。

 それだけではない。

 最初にミシェル先輩とマリアンナ先輩が、当然だが俺も、姉さんも立ち上がった。

 イネヴェアに支えられて、ローティも立ち上がった。

 遅れて立ち上がる子達もいたが、下級生の子と手を繋いで、みんな立ち上がった。

「気を付けッ!」

 姿勢を正す。泣いている子も、みんな同じくそうした。

「呼吸を整えろッ!」

 泣くなではない。否定ではない。

 すべきこと、行動。次へ向かう肯定。

 吸う音が、ばらばらに重なった。鼻水をすする音も混じっていた。

「吐けッ!」

 震えていた。でも泣き声が薄くなった。
 
「もう一度、吸えッ!」

 校長先生もジークハルト先生の真剣な表情の隣で、必死に真似をして息を吸って、吐いている。

「前を見ろッ!」

 俺は、ジークハルト先生を真っ直ぐに見据えながら、その後ろにいる敵の姿も、周囲の敵の数も、二階席にいる敵の数も、こっそりと、その配置と共に確認した。

 座ったままでは得られなかった情報が、手に入った。

「今より、アンディアナ校長の訓戒がある。清聴ッ!」

 ジークハルト先生が、一歩下がり、その場所を校長先生に譲った。

「ここで、あたくしに任せて下さるのね」

「はい。貴女は我々の総・責・任・者・ですから」

 校長先生は目を伏せ、それから開いた。

「愛する七聖学院生徒の皆様、今、あたくし達は、大変に恐ろしい状況に置かれているざます」

 校長先生の声は、まだ少し震えていた。でも、生徒の誰も笑わなかった。

「しかし、ちゃんと規律を守ること。それが今、皆様自身を守る一番確かな方法ざます。だから皆様、勝手な行動は慎むざます」

 それは無理だな。既にヴァンが自由の身だ。もう遅い。だが今は、それでいい。

「それから、これは訓戒としてではなく、校長命令として聞くざます」

 生徒の誰もが、清聴した。

「全員、生きて帰るざます。以上!」

 その言葉を、胸に刻んだ。

「着席ッ!」

 ジークハルト先生の号令に、皆が規律正しく膝を抱えて床に座った。

「ヴネオン殿。これで、問題ありませんな?」

 ジークハルト先生の問いに、ヴネオンは肩で笑いながら、ゆっくりと拍手をした。

「いやはや、実に見事だ。調教が行き届いている。平民の子では、こうはいかぬ」

「これは教育だ」

「どちらでもいい。殺すのは止めだ」

「ちっ」

 戦士の幹部が舌打ちをしやがった。あいつ、危険だ。

 その時、手下が一人やって来て、術士の幹部に耳打ちをした。

「ボス」

「どうした?」

 術士の幹部が、ようやく爪を噛むのをやめた。

「声明の準備が整いました」
シェア
← 前の話
第八十七話 潜入者
次の話 →
第八十九話 犯行声明
緋鋼皇國物語Ⅰ作者:ふみの世界樹
目次
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません