第八十六話 初動
【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 2:40 地下室 倉庫 】
マジやべぇぞ、クソ。
ゴーンズが心中で悪態を吐いた時。
「みー」
ルナが鳴いた。
「...あ? ネコ?」
ルナは、木箱の上に飛び乗り、棚の上に飛び乗り、そこで丸まって、欠伸をした。
「ちっ」
仮面の男は舌打ちをすると、部屋を出て行った。
た、......助かった。ルナ、後で豪華なメシを食わせてやるぜ。
【 同日 2:45 首都ラヴェニカ 緋鋼皇國軍本部 作戦司令室 】
「以上が、七湖都市の衛兵隊司令部から届いた報告だ。この話が事実なら、こんな真夜中に叩き起こされる理由にも納得であろう?」
エドワード・クィルズは、直立不動の姿勢を崩さない。下らない質問にも答えない。
緋鋼海兵隊員であるならば、二十四時間の即応は何ら苦ではない。海兵隊を舐めるな。ひいては軍人を舐めるな。そんな内心も決して口にはしない。
眼前の男。寝間着姿で事務机に座れるような意識の低さ、政治屋崩れの貴族将校を前に、エドワードは不快を示さず、必要最低限を問う。
「司令官閣下。通報者の名前を教えて頂けますか?」
「通報者だと? そんなものを聞いてどうする。そもそも、そんなもの......」
「信憑性に対する判断材料となります。伝令文の備考欄に記載されているはずなので、御確認を願います」
「おお、そうか。少し待て......、えぇと、アルフォンス・サザーランドとなっておる」
「我が隊は、即時出撃を致します」
「なに? 今のでか?」
「はい。信用に足る者の名ですから」
「だが、今から部隊を揃えて間に合うのか? 夜が明けてからでも良いではないか」
「閣下に御足労を願うまでもありません。それに我が部隊は既に出撃準備が整っております」
「なんじゃと?」
誤報でも構わない。無駄足でも構わない。何も起きなかったならば、それが一番なのだ。
だが、そのもしもに備え、最善の準備はしておく。常に。当たり前に。
「閣下、出撃命令を」
「うむ、承認する。正式な命令書は、後で整えておく」
「はっ、拝命しました」
エドワードは敬礼の後、即座に退室した。一分一秒も無駄にはできない。
「出撃だ。占術観測班と共に先遣として出る。例の新人も連れて行く」
扉の直ぐ前で待機していた副官に、短く指示を出す。
「はっ、では我々は強襲用飛空艇で後追いします」
「恐らく我々だけでは人数が足りん。現場で衛兵隊からも人員を借りる事になる。二隻ほど予備に曳いて来い」
「了解ッ!」
エドワードは、建物を出ると軍用の転移陣まで向かった。そこは複数人が同時使用できるように、陣が幾つも並んでいる。
やがて眼鏡を掛けた金髪の士官を先頭に、六名の隊員が列を為してやって来る。エドワードが予想していた時間ぴったりだ。一人を除いて。
「一人足りないな。新人はどこだ?」
「直ぐに来ます」
「すいませ~ん、遅れましたぁ~」
遅れてドタバタとやって来たのは、腰まである長い金髪を棚引かせ、丈の短いスカートの制服を身に纏った女性隊員だった。
「遅い! 他の者は配置につけ、三分後に転移する」
「了解ッ!」
エドワードは、女性士官へと向き直ると、声を荒げるでもなく尋ねた。
「エリザベス・メンデス。貴様、今年で幾つだ」
「はっ、16歳であります。できれば、エリーとお呼び下さい。教官!」
気を付けの姿勢で、微妙に形の悪い敬礼をするエリー。その指先には、装飾過多のネイル。
「教官ではない。エリー、その歳ならば成人だから、もう分かるな? その髪型と爪はなんだ?」
エリーは自分の頬に人差し指を置いて、思案顏で首を傾げる。
「えぇと、かわいい?」
「違う! 髪は結い上げろ。任務の支障となる」
「えー、でも教官、わたし思うんですけどぉ? 気持ちがアガらない方が任務に支障が出ると思いまぁす♪」
「そうか、貴様は感情で魔法を使うタイプだったな」
「いえす! 呪い解いちゃう系の女魔術師ちゃんでぇす♪」
エドワードは、こめかみを抑えた。息を吐く。
「分かった。髪と爪はもういい。エリー、貴様は私の傍を離れるな。提督の娘だからと、それ以上の好き勝手は許さん」
「はい、教官!」
「恐らく、実戦になる」
「実戦!」
「ああ、実戦だ。だから訓練もまともに終えていない貴様など、こちらとしては現場に投入したくはない」
「あ、もしかしてエリーは出撃しない感じ?」
「違う。司令からの特別指示を無視はできん。連れて行く」
「やった! 初出撃だー!」
「まだ出動段階だ。頼むから、我々の足だけは引っ張ってくれるなよ」
「だいじょび、だいじょびぃ~! 任せて、ちょ!」
エドワードは、再びこめかみを抑えながら、転移陣を踏んだ。
【 同日 3:15 七聖学院 寄宿舎 】
「もう誰もいない」
ヴァンは、自室の扉を開いた。ミコトがその後に続いて、後ろ手に閉じる。
「ここがヴァンの部屋」
「ハリスも」
机の引き出しを開け、使い慣れたダガーと鞘、装着用ベルトを取り出して、ヴァンは窓際に立った。
「そっか、二人は同室でしたね」
「うん。こっちは終わった。ミコトは?」
「わたしは一人部屋でした」
「そうじゃなくて、ミコトは部屋へ取りに行く荷物、何かある?」
「あ、そっち」
ミコトは一瞬、生乾きの服を気にした。
「......いいえ、ありません」
その時、廊下の突き当たりで、扉が開く音が聞こえた。
「ミコト、静かに。動かないで」
ヴァンはミコトを扉の裏側、直ぐ横の壁際で死角になる場所まで導いた。その反対側でヴァンはダガーを抜いて構えた。
ミコトは目を丸くした。
ヴァンは静かに首を振る。人差し指を口の前に立てる。
ミコトは頷いて、黙る。
「もうあれだけ探索したじゃねぇか」
「双子なんて、どこにもいねぇっつうの」
二人の男が話しながら通りすぎていく。この部屋の扉を開きもしない。
震えるミコトの手を、ヴァンがそっと握る。
男達が通り過ぎて、廊下の角を曲がった。迷わずヴァンが部屋を出る。男達とは反対側へ向かう。
慎重かと思えば大胆に、一気に距離を詰めてから、扉の前で聞き耳を立てる。
ミコトは静かに見守る。
うなずくヴァン。扉を開く。
カフェ、誰もいない。辺りを見回す。
やっぱり誰もいない。
「二階。ミコトの部屋」
ミコトは一瞬、驚いた顔をしたが、直ぐに頷いた。手を引かれて、カフェ広間を横断して階段へ向かう。止まらずに一気に登る。
「部屋まで案内して」
二階に到着すると、ヴァンは先頭を代わらせた。
「わたし、別に......」
「着替えが要る。遠慮しなくていい」
「うん。ありがと」
ミコトは微笑みを返し、自室に向かう。ヴァンは、後に続く。
「ちょっと待ってて」
「うん」
ヴァンは廊下で見張りに立ち、窓から外を見る。外壁沿いの並木に、灯りがちらほらと見え隠れしている。
ヴァンは姿勢を低くして、息を殺した。
「お待たせ」
ミコトは林間学校の時と同じ、動きやすい服装で出てきた。背負い鞄は、色々と何か詰まっていた。
「行こう」
「うん」
ヴァンは廊下を戻って、吹き抜けのカフェ広間を上から眺めた。
男が二人いた。多分さっきの連中だ。
「ダメだ。他の道を行こう」
「他に降りる所ある?」
「ない。でも、渡る」
「渡る?」
「こっち」
ヴァンは一階からギリギリ見えない角度で、二階回廊を匍匐前進で、静かに、ゆっくりと移動した。
ミコトも真似をして後に続く。ちょっと気になって顔を上げて、手摺の隙間から一階広間を覗き見た。
男の一人が、ふと上を見上げる。
慌てて首を引っ込めるミコト。鼓動が高まる。
ヴァンもじっとしていたが、しばらくするとダガーを抜いて、そーっと手摺の隙間から先端を少し出した。
刃を鏡の代わりにして、一階の様子を確認している。男達は他所を向いている。
ヴァンは腕を伸ばして窓を開く。直ぐに手を引っ込める。刃面で下を確認する。
男の一人が、二階の開いている窓を見たが、気にせず視線を戻した。
ヴァンは勢い良く立ち上がると、窓枠を越えて外に出た。渡り廊下の屋根に降りる。
ミコトを手招きして、手を掴む。窓枠を越えさせる。
「あっ」
ミコトが乗り越え切れずに頭から転ぶ。
!?
ヴァンが抱き留めて背中から倒れる。
「ん? 今、物音がしたか?」
「いや。何も聞こえなかったぜ」
「気のせいか」
「ネコじゃないか? さっき見たんだ」
「なんだ。ネコか」
ミコトは心の中で平謝りしながら赤面していた。ヴァンもまた赤面しながら、身動ぎ一つしないで固まっていた。
「ミコト、そろそろ」
「はっ!? ご、ごめんなさい」
「大丈夫。ゆっくり先に行って」
「うん」
ミコトは、ゆっくりと身を起こすと、しゃがみ歩きで渡り廊下の屋根を進む。ヴァンも後に続く。
渡りきった。
窓を開いて、窓枠を越える。今度は転ばずに越えられた。
廊下。
中庭が見下ろせる。何人かの男達。
「どうやって秘密基地まで?」
「これ」
ヴァンは壁の低い位置でしゃがむと、ダガーを取り出した。
「どれ?」
暖房用の通風口。その金属の網板。
「地下のボイラー室まで通じてる」
ヴァンは、刃先を網板の隙間に突っ込むと、梃子の要領で、ネジごと端っこをひっ剥がした。同様に三回、左上の一ヶ所だけ残して全て外すと、残ったネジを起点にぐるりと回転させた。
「先に行って」
「うん、熱くない?」
「大丈夫。ちょっと蒸し暑いだけ」
「そっか......」
いそいそと這い進んで、ミコトは頭から通気孔に入って行く。
「入ったら左側で待ってて」
「うん」
ヴァンはその次、後ろ向きに足から入って、回転させた網板の位置を戻した。外したネジを間に挟んで仮止めして、見た目では外されていると分からないよう、巧みに偽装する。
「こっち」
そのまま通気孔内の分かれ道に来ると、前後を入れ換えて右側に進む。ミコトが後に続く。
「本当、ちょっと蒸し暑いね」
「金属があったら触らないで、火傷するかも」
「うん」
通気孔は直角に真下へと折れ曲がる。
「落ちないように」
「え。本当にここ降りるの?」
「うん。他に道がない。おれが支えるから大丈夫」
「え、と......、うん」
ミコトは、スカートじゃなくて良かったと安堵しながら、ヴァンが狭い通気孔の左右を手足で突っ張りながら降りていくのを観察した。
「難易度、高過ぎない?」
「大丈夫」
という声が段々と降りて遠ざかる。
「あ、待って待って」
ミコトも後に続いた。
あ。
滑った。
「うっ」
ヴァンを踏んでしまったミコト。そのまま一緒にズリズリと滑るように落ちて行く。
摩擦音と、落下音。
かなり長い距離を滑り落ちたが、ヴァンが靴の裏と手のひらで速度を殺したので、そこまで衝撃は強くなかった。
「ごごご、ごめんなさい」
「ううん、こっちこそごめん。無理させた」
地下一階。ヴァンは通気口の蓋を蹴り開ける。
「うう、ん、しょ」
「そこ、引っ掛かってる」
「眼鏡、眼鏡」
「ひゃっ!?」
「あ、ごめん」
「ここ、足こっち」
「はい」
「手はそっち」
「うん、先に出るから待ってて」
もぞもぞと通気孔から這い出たヴァン。
そこで身体がびくりと跳ねた。振り返る。
「よぉ、ガキんちょ。おまえ、どっから来たんだ。あぁん?」
仮面の男がいた。