第八十五話 無精髭危機一髪
【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 0:17 礼拝堂 祈祷室 】
「後で説明します」
アルフォンス先生はそう言ったが、俺には何の事やらさっぱりだ。
とりあえず礼拝堂を出た俺は、短い渡り廊下を通って本校舎に向かう。
『ゴーンズさん、敵が来ます。あなたは見つかれば殺されます。必ずどこかへ隠れて下さい』
「ひっ⁉」
いきなり耳元で囁かれた。若い男の声だ。これがさっきの伝声術とかいう魔法なのは分かったが、慣れない内はくすぐってぇな。
「これ、返事はできるのか?」
俺は思わず声が出た。
『できます。......が、お気を付け下さい。大きな声を出すと見つかる危険があります』
便利なようでいて微妙に不便だな。頭の中だけで会話ができるのかと思っていたぜ。それはそれで、俺にはどう対処したらいいか分からねぇとは思うが。
『私が必ず外部に報せて、助けを呼んで来ます。それまで絶対に迂闊な行動はせず、隠れ続けて下さい』
言われなくてもそうする。俺は魔法も使えない。それなりに力仕事もやってきたから、腕力には少し自信もある。......が、がっつり鍛えた連中には勝てねぇ。
そうでなくても、下手すりゃ小僧共が相手だって、まず勝てねぇ。毎日アホみたいに剣を振ってる奴等だぞ。技術で勝てねぇ。さらに魔法も使えるガキなんざ、絶対に俺の手に負えねぇ。こちとら弱者の一般市民なんだ。
『ちなみに、敵は両殿下が目的です。私は、先ずその目論見を打ち砕きます。ですが、私にできるのは、そこまでのようです』
「そうかよ。まあ、そっちが優先なのは間違いねえ」
マナ様もマギ様も、立場があるってだけで子供だ。一般市民じゃねぇが、まだまだ大人が手を貸してやる必要のある子供だろう。
アルフォンス先生の判断は正しい。
だが俺は少し腹が立っている。子供の安全に、優先順位なんかあってたまるかよ。みんな生意気で、小憎たらしくて、それでいて可愛いガキ共じゃねぇか。
だが俺が腹を立てるのは、先生の判断そのものにじゃねぇ。そう判断をするしかねぇ状況に、俺達を追い込んだ。その敵とかいう連中に対してだ。クソ共め。
......と、そこで俺は立ち止まる。この扉は、中庭から丸見えだ。
扉の窓から、中を覗く。
廊下、内窓を越えた先、中庭に集まる男達。何人ぐらいなのかは分からねぇ。
『それと、敵の数は50名を越えています。大勢の術士も混じっています』
聞きたくねぇ情報だ。
なんだ? また一人、増えやがった。
何もない場所に、夜空みたいな窓が見えて、そこから出て来た。魔法?
魔法だろう。魔法以外には考えられない。転移の一種か?
『これで最後になります。どうか、運命の女神様のお導きがあらんことを......』
「ああ、そっちもな」
アルフォンス先生、若いのに立派だ。そっちも大変だろうに、こんなおじさんの事を心配してくれる。それなりに良い家の生まれなんだから、庶民なんざ気に掛ける必要もねぇだろうに。
「ふう、行くか」
俺は扉を静かに開き、姿勢を低くした。窓から頭を出さないよう、しゃがみ歩きで技術工作室の方へ向かう。あそこなら、ひとまず隠れるには問題ないし。工具や何か、自衛の為に使えそうなものを確保できそうだ。
どこかで戦いの音が聞こえてくるような気がする。だが、それ以上に心臓の鼓動音がやべえ。
俺は廊下の曲がり角で、少しだけ顔を覗かせた。何人かの男が、廊下の反対側から走って来るのが見える。部屋を一つずつ点検しているようだ。調理室に入った。
今だ。
俺は技術工作室に入る。幾つもの作業台が並ぶ。この深夜の時間帯、誰もいないに決まっている部屋だ。灯りもない。だが部屋の間取りも、机の位置も、道具箱の位置だって、目を瞑っていても分かる。
隠れる場所。どこが適切かを考える。
工作机の下。
用具入れの戸棚。
カーテンの裏。
いや、麻袋だ。
俺は戸棚の下段、引き出しを開けて麻袋を六つ取り出した。四つを開き、適当に広げて空気を入れた後、ぐしゃと軽く結んで一つの麻袋に詰めて行く。中身スカスカだが、何かゴミが詰まっているように見えるはずだ。
最後に残った一つの麻袋は、俺が入る。足を入れてからズボンを履くように麻袋を引き上げ、俺が慎重にしゃがんで、すっぽり頭まで入れば完成だ。部屋の隅に置いておけば、廃棄待ちのゴミ袋が二つ置いてあるようにしか見えないだろう。
まるで、ガキの頃にやった遊び。これは命懸けの、かくれんぼだな。
部屋の外に足音が響いた。そしてすぐに足音は遠ざかって行った。
あれは単なる通過だ。状況が落ち着くまで、今は動かねぇ方が大事だ。皇國将棋と同じさ。辛抱が肝心。耐える事もまた勝利への一歩だ。
しかし。勝利ってなんだ。勝利条件が見えねぇ。王の駒を取って終わり、なんて簡単なものじゃねぇはずだ。
生徒全員の無事。......これは絶対事項だ。
教職員全員の無事。......これも絶対だが、生徒よりは優先順位は下がる。
学院施設の無事......は、もうねぇな。あの派手な爆発音だ。あいつら何をブッ壊しやがった。クソめ、誰が修理すると思ってやがる。せめて、これ以上の損壊は防ぐ。......ってところか。
敵の撃破もしくは撤退。これは街の衛兵隊か、軍隊の出番だろう。
つまり。
俺はアルフォンス先生の言った通り、隠れて、やり過ごして、生き残ってれば勝利。なんだ、簡単じゃねぇか。
やがて、廊下を走って来る何人かの足音が聞こえて来た。
乱暴に扉を開く音。
部屋の中を、光が這う。恐らく、投光式の油灯か、魔導灯だ。
「誰もいねぇ」
「よし、次だ」
男達の会話が聞こえた。扉を閉じる音はしない。
おい、ちゃんと閉めて行けよ。
俺は麻袋の粗い織り目を指で押し広げ、二つの覗き穴を作った。
まあ、これはこれで好都合か。廊下の様子が分かる。
それから、どれぐらい時間が経過したのかは分からない。大勢の足音が聞こえて来た。学院の生徒達だ。
体格が桁外れに大きく、ぼさぼさの長い髪をした仮面の男がいた。そいつに先導されて、寄宿舎側から連行されている。他にも仮面の男達が大勢いる。
白い坊主。ローティの姿があった。額から血を流している。両脇から、オジョウサマのお嬢ちゃんと、桃色髪のお嬢ちゃんが支えている。何があった? あいつら、子供に暴力を振るったのかよ。
俺は学生達の数を、きっちり数えた。名前はよく覚えちゃいないのも、覚えているのもいる。ハリス、ハリエット、オーレリア、三人ともいた。新聞記者の嬢ちゃんもいる。ちいせぇ嬢ちゃんと、でけぇガキもいる。
それから、キャサリン。炊事係で、寄宿舎の寮長も兼任している。当然と言えば当然だ。......ああ、俺の馬鹿。先ず最初に、あの人だけでも救ってやるべきじゃなかったのか。
列が最後まで過ぎた。多分、間違いない。126名。全学院生徒の約半数。寄宿舎で寝泊まりしている学生の数は、全部で126名だ。ちゃんと覚えている。
122名。
今、列にいた人数だ。
マナ様、マギ様はいない。おそらくアルフォンス先生が連れて逃げるのに成功した。だとすれば、124名のはずだ。
命の数が、二つ足りねぇ。
ヴァン、それにミコト。......あいつらがいねぇ。
まさか、ヴァンのことだ。逆らって、殺されたんじゃねぇだろうな。いや、だとしても、ミコトまでいない理由にはならねぇ。
さてはあの二人、どこかへ無断外出してやがったな。
待て、アルフォンス先生が一緒に連れて行った可能性もあるか? いいや、その可能性は皆無だ。この混乱の中、あの二人だけを連れて行く余裕も、理由もないはずだ。
ならどうする? あいつが自由に動いてるって事は、時間がくれば敵にもばれる。絶対に生徒名簿と照らし合わせるはずだ。書類を処分する?
いや。職員室まで行って、それを処分するなんてことは無理だ。位置が校舎の真反対にあるし、各学級毎の出席簿まで含めると、かなりの量になる。処分する時間も方法も効果的なものがねぇ。
そもそも、苦労の割に、得られるものが少なすぎる。
ヴァンなら、どれだけ苦しい時でも、耐えて必ず反撃の目を探す筈だ。皇國将棋の指し方は人間性が出る。嘘はつけねぇ。
ハリスもそうだ。あいつも今まで最後の最後まで勝負を諦めた事はねぇ。詰みが確定していると自分では分かっていても、相手が打ち間違える可能性を、最後まで捨てずに、平静な顔を繕えるガキだ。
ああ、いやだ。......あいつら、絶対にじっとしてねぇ。
確か、林間学校でも魔物のイノシシを狩ったとか何とか、怖いもの知らずかよ。
だが、そうだよな。......ガキ共が何かしようってんだ。止めても止まらねぇ。今までもそうだったし、今回も絶対にそうだ。
なら、あいつらが動きそうなこと、考えそうなことを先読み、先回りしてやるのが、皇國将棋の師匠として、やるべき事なんじゃねぇか?
俺は、ありとあらゆるパターンを考えた。それは皇國将棋に例えるなら、こちらの駒を一つも失わないで、相手の駒だけを全て打ち取る方法。それ以外に許されねぇ。捨て駒は絶対に使えねぇ勝ち方、無理に等しい方法だ。
つまり、盤面に縛られちゃダメだ。もっと視野を広くしろ。駒は何も学院の中だけじゃねぇ。持ち駒ってもんがある。そうだ。アルフォンス先生が救援要請をする。必ず救援部隊が派遣されるはずだ。
問題は時間だ。
それまでに、どれだけ暴力を振るわれるか、誰が見せしめに殺されるか、分かったもんじゃねぇ。
キャサリン。
畜生め。貴族階級じゃねぇ俺やキャサリンは、生徒達と違って、人質としての価値はねぇ。それはダメだ。ゴーンズ・ウィリス、ここで惚れた女の為に、何もできねぇようじゃ、てめぇ男失格だぞ。
待て待て、熱くなるな。俺がガキ共に教えて来た事だろ。
常に冷静さを失うな。
現状、俺は見付かってねぇ。場所は技術工作室。だが、この場所には敵にとっても有用な品が多い。
木槌、鉄槌、鉄梃、手斧、鉈、鋸、鎖、縄、石灰、油、樹脂、加熱棒、風圧筒等々。
見ようによっては、ちょっとした武器庫だ。しかし、そんなものは無意味だ。連中は既に武器を持って侵入しているだろうし、これを学生達に使わせるのも危険だ。
だが、今ここで一番の価値があって、敵の手に渡したくない品。
結界杭。
工事や、作業区画の安全を維持する為、障壁として使える品。これが敵の手に渡っちまえば、学院のあちこちで通行が簡単に制限されちまう。
救援部隊が内部に突入して来た時、あちこちが封鎖されていたんじゃ、作戦の邪魔になる。逆にこっちが持ってりゃ、いざって時に使えるかも知れねぇ。
その数、36本。
俺一人でも運搬できる数だ。
それに、この場所で隠れ続けるのも限界がある。今は夜だからいいが、昼になれば簡単に違和感に気付かれちまうだろう。あれを持って移動するのが、次の一手だ。
半刻ばかりが過ぎたか、俺は静かになった頃を見計らって、こっそりと麻袋から這い出た。そのまま、袋を手に戸棚へ向かい、二番目の引き出しを開く。
俺は中にある結界杭を残らず掻き集め、先端で布を破かないように気を付けて、麻袋へ全部ブチ込む。
開け放しの扉から慎重に顔を出し、周囲を確かめる。遥か向こうに人の姿が見えるが、窓の外を警戒しているのか、こちらに背を向けている。
大丈夫、気付かれねぇ。俺は最短距離で、隣の運動実技室に入る。この部屋は反対側にも扉があって、そのまま通り抜けられる。
......おっと、裏庭を見張っている男がいる。
こちらに背を向けているが、すぐ目の前じゃねぇか。距離が近過ぎる。
俺は扉の裏側で、慎重にじっと待ち続けた。
『裏庭、異常は無いか?』
「へい、異常なし」
連中のやり取りが聞こえた。やつらは伝声術を使ってねぇ。何かしらの魔道具か、魔導具を使っている。
『そろそろ交代だ』
「うぃっス」
こいつ、交代が来る前に移動しやがった。馬鹿か。
だがこれは絶好の機会だ。
俺は、男が廊下の角を曲がった瞬間に飛び出た。地下室への階段を降りる。扉の前で立ち止まる。中に人が居る気配は無い。明かりも点いてない。誰もいない。
いた。
「みー」
黒い仔猫。ルナだ。
そういや、ここはこいつの寝床だった。
「おまえか、ビビらすんじゃねぇよ」
俺は子供達が秘密基地と呼んでいる場所へ入る。あそこなら誰かが地下室へ降りて来ても、それに気付くだけの時間的余裕がある。
先ずは結界杭だ。これを月姉妹のワイン用木箱に入れておく。こいつはしばらく、月の女神様に預かって頂こうじゃねぇか。
俺は次に、貨物用の木箱を開いた。大人が一人隠れるには十分だ。中には、ガキ共が集めた宝物が詰まっている。俺はそいつらを幾つか取り出した。
凹んだ古い騎士兜。
針の止まった大時計。
刃の折れた儀礼用大剣。
傾いた天球儀。
帆柱の折れた大型帆船模型。
いつか修理する予定で、とりあえず詰め込んだって感じの品々だ。俺はこれらを壁際に並べて箱の中にスペースを作ると、代わりに中へと入る。
暗闇の中で、この作業をするのは骨が折れた。しかし、住み慣れた場所だ。問題はねぇ。そうして、俺は箱の中で少し眠りに落ちた。
*
扉の開く音がした。俺は目を覚ました。
今は何時だ? いや、それは問題じゃねぇ。息を殺せ。静かにしろ。俺。
「......ったく、ガキ共はどこへ隠れてやがる」
「おーい、隠れてないで出て来い!」
男が二人、地下室の扉を開けて入って来た。一人は大倉庫へ向かったようだ。もう一人がこっちにやって来る。
部屋の灯が点いた。壁に掛けた永遠の灯の蓋が開かれた。俺の隠れる貨物用木箱の隙間から、光が漏れ込んで来る。
俺はじっと動かない。男がやって来た。木箱の蓋を開く。
大丈夫だ。俺は木箱の底板を押し上げて、その下に隠れている。上から覗いたぐらいでは見つからない。単に、不用品が詰まっているだけの木箱にしか見えないだろう。
「なんだ、ガラクタか」
「おい、そっちは何かあったか?」
俺は、すぐそこの箱に放り込んだ結界杭が見付からないかと心配だった。あれが魔法の品だと知ってなきゃ、ただの鉄杭にしか見えねぇはずだから、多分あの品の価値には気付かないとは思うが。
「何もない。お宝の一つでもあれば、くすねてやろうと思ったのに」
「じゃ、さっさと引き上げるぜ」
「待ってくれ、オレはもう少し探してみる」
「けっ、好きにしやがれ」
男の一人は探索を終えて、地下室の階段を登って行く。
一人残った男は、しばらく俺の頭の上でガラクタを漁っていたが、断念したらしく。今度は、棚を調べ始めた。
「なんだこれ?」
野郎、皇國将棋盤を見付けやがった。
「ちっ、ゴミか」
しかも、無造作に放り投げやがった。こいつ。
おまえは知らないかもしれないが、そいつは962年初版の限定品なんだ。今じゃ手に入らねぇ彫刻家の品なんだぞ。
しまった。
俺は身じろいで、物音を立てたようだ。
一手、間違えた。
「おい、誰だ!」
やばい。
「そこに誰かいるのか?」
男が何かを取り出した音が聞こえた。
「おい、いるなら返事しろ!」
いきなり目の前、刃の先端が飛び出た。
木箱の隙間から、短剣を突き込まれたようだ。
マジやべぇぞ、クソ。