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第九十九話 決着

【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月10日 孔雀曜日 4:09 七聖学院 講堂 】

 おれは死を覚悟した。

 いや、覚悟はしていた。

 普段から、とっくの昔に。できているはずだった。

 だが、目の前に迫る大戦斧グレート・アクスを見た時。おれは思った。

 ── 死にたくない。

 なんで?

「ヴァンっ‼」

 声が聞こえた。

 ──そうだ。

 おれはまだ、ミコトに伝えたい言葉がある。

 一緒に見たい景色がある。

 レオナとの約束もある。

 爺ちゃんの剣、あの目標もある。

 おれは死ねない。死ねない。死にたくない。くそ、くそ、くそ!

 弱い。おれは弱い。こんな戦士に負ける。悪いやつに負ける。いやだ。

 動け、おれ! あきらめんな。動けよ!

 衝撃。音。腕の痛み。

 おれは床を背にしたまま、その死の一撃を、逆手に持った短剣ダガーの鍔部分で止めた。

 一瞬だけ。

 だが、圧倒的な筋力と、武器の重さで押し込まれる。潰される。

「おおぉっ!」

 その前に。
 
 壊れてもいい。

 骨の砕けたような音。左肘に感じる衝撃。

 床を背にしたおれは、そのまま身体を右へ回しながら、引っ掛けた短剣ダガーの鍔で押し込み、さらに斧刃側面を肘で殴って払い除けた。

 斬撃音。

 おれの直ぐ隣で、床板が一直線に裂ける。

「ヴァン、平気か⁉」

 おれは身体を逆に回して、床を二度だけ転がって距離を取る。仮面の大男が大戦斧グレート・アクスを床から引き抜く前に立ち上がって、さらに大股で三歩だけ離れる。敵を見据えて即座に構える。

「ああ」

 とりあえずの生存報告、続いて自己診断。

 体力は? かなり減った。戦える。問題ない。
 出血は? あちこち掠り傷。戦える。問題ない。
 両足は? 動く。戦える。問題ない。
 両手は? 左肘が死んだ。戦える。問題ない。

「問題ない」

 ミコトが近くまで来た。

 ハリスが制した。それでいい。来たら戦いに困る。

 ジークハルト先生は、声が聞こえない。後ろで壁にぶつかって、それから意識がないんだと思う。振り返って確かめる暇がない。そんな隙、見せたら殺される。

「今のは殺せたと思ったんだがなァ?」

 確かに危なかった。でも、おれは死んでない。殺されてない。

「殺せない。おまえは強いけれど、おれは殺されてやらない」

「抜かせッ!」

 多分、勝てるかどうか最後の機会だ。

 こっちにはハリスがいる。連携を取れたら勝てる。

 なら、兄貴達も待つ?

 いいや、ダメだ。

 あの大きい怪物は、兄貴達が戦ってる。多分、倒すまで少し時間が掛かる。

 こいつらに時間の猶予を与えちゃいけない。

 勝つには、殺す? 

 分からない。

 結果、殺すことになっても後悔はしない。みんなが殺されるよりマシだから。

 そもそも、そんな手加減していられる相手じゃない。こいつは殺すことに躊躇ためらいがない。最初からずっとそうだった。

 でも、獅子や狼のそれとは違う。

 必要ないのに、殺したがってる。なんで?

 分からない。

 今はどうでもいい。

 分かりたくもない。
 
「ハリス、足留め頼む」

「分かった。任せろ」

 大男は一応、ハリスの方を警戒している。魔法を使うからだ。

 さっきも、おれをやると見せかけて、ハリスを襲った。先生を襲った。

 こいつ、バカじゃない。

 言ってること、ずっとバカっぽいのに、狡賢い。

「何をしている。さっさとガキ共を殺せ」

「うるせぇ、今からブッ殺すところだ!」

 ヴネオンが魔法を使ってこない。味方を巻き込むかも知れないからだ。それなら距離をとったら撃たれる。こいつと接近戦を続けるのが、今は一番いい。

「オラァァァァッ‼」

 物凄い気合と剣幕でやって来た。でも、おれは不思議と落ち着いていた。

 ミコトが見ている。だから多分、おれは強くなってる。
 
 絶対に失敗できないから、集中力が増している。どんどん心が細く、鋭くなっている。
 
 おれは数歩だけ横に動く。ハリスも数歩だけ横に動いた。おれの背後に来る。

 ハリスが放つとしたら、あの魔法だ。

 おれは大男の足元を見た。さっき足留めと言ったから、きっと気にする。

「今だ!」

 ハリスの声。何かが大男の足元へ飛んで行った。

「見え見えだ!」

 硝子が割れる音。広がる油。

 その油瓶を投げたのはミコト。おれの荷物から取って捨てられたそれ。

 ハリスが、こっそり指示していたのは分かってる。

 床に広がった油を、大男は大股一歩で乗り越える。

 凍結針フロスト・ナーデル。
 
 その一歩。動きが少しだけ大きくなる一瞬。

 おれは同時に飛び出す。ハリスの放った氷の魔法が、大男の顔面を捉えた。

「ぐっ⁉」

 致命傷には遠く及ばない。仮面もあるので、実際そこまで負傷もさせられない。

 それでも攻撃の軸。振りの中心が少しだけブレた。

「おりゃぁぁッ‼」

 やぶれかぶれに放たれた一撃。それでも、当たれば子供なんて半分にされてしまう。

 おれは同じ要領で、今度は左側に大戦斧グレート・アクスを払い除けた。後はこのまま喉を目掛け......。

 突然の衝撃。

 え?

 こいつ、無理矢理だ。

 振り下ろす軌道を変えた。筋力だけで、強引に。

 そうか、分かったぞ。

 これだけ力があったら、斧の刃じゃなくても、横側で殴るだけでも殺せる。

 おれは、殴られた。

 脇腹。

 肋骨が、一つ、二つ、......三つか? 折られた。

 吹き飛ばされたら、死ぬ。

 落ちてぶつかって死ぬんじゃない。そんなの受け身でなんとか、ギリギリ死なないで済む。

 距離が開く。魔法が来る。

 こいつらは手加減しない。

 間違いない。吹き飛ばされたら、おれが魔法で撃たれて死ぬ。

 その次に、ハリスが斧で殺されて。

 最後にミコトも......。

「うがぁぁぁぁっ‼」

 おれは叫んだ。肘の壊れた左腕を、斧に回して抱き留める。

 手首の少し下に、刃の部分が食い込んだ。

 痛い。......はず、でも、どうでも良かった。

 吹き飛ばされる力を、左腕で耐えた。肩が抜けそうだ。食い込んだ刃が、腕を断ちそうだ。でも離さない。

 絶対に、手放すものか!

 おれは大男の腕を斬る。断って落とすには、おれの力も、刃の長さも足りない。それでも、おれの短剣ダガーは食い込んだ。

「ぐぉぉっ⁉」

 こいつ、痛みでも武器を手放さない。強い。

 おれは、身体を沈めて、食い込ませた刃を引っ張る。

 反射的に、武器から腕を離すまいと、大男が引っ張り返す。

 今だ。

 姉御がやったみたいに、相手の力を利用する。跳べ。

 見よう見まね。それでも、おれの刃を届かせるには十分だった。

 感触。

 初めて刃を深々と、人間の肉に突き立てた感触。

「ガあぁァぁっ‼」

 喉を狙った。殺すつもりだった。でも外れた。
 
 もしかすると、自分でも無意識に外したかもしれない。

 分からない。それでも首の付け根に刃が刺さった。

 これは大男も武器を手放して、仰け反った。おれは手放さない。柄を強く握る。

 のたうち回る大男。おれは振り回される。血がたくさん飛び散る。おれは返り血を浴びる。イノシシの時よりは量も少ないし、匂いも臭くない。

「ヴァン!」

 ミコトの声が聞こえる。

 大丈夫。おれは大丈夫。

 ミコトは大丈夫か?

「ヴァン、離れろ!」

 ハリスの声が聞こえる。離れろ? なぜ?

 こいつは、ここで倒さなきゃ。せっかく食らい付いたんだ。このまま、気絶するか、失血死するか、最後までやらないと。

 おれは、大男に両腕で首を掴まれた。そうか、それで離れろと。

「こいつは、倒す!」

 大男は背中から床に倒れた。まだ息がある。しぶとい。

「倒す。絶対に......‼」

 おれは刃を押し込む。

 大男は、おれの首を絞める。

 根競こんくらべだ。

  *

 噴水ロータリー跡。

 巨大な魔獣は、追い詰められていた。

 衛兵隊と、海兵隊に囲まれ、牽制の魔法を休みなく撃ち込まれる。

 二本の触手が、壁を打ち壊し、塔盾タワー・シールドの列を薙ぎ払う。

 湖の方から、特殊矢弾ライフリング・ボルトが飛来し、触手を一つ吹き飛ばした。

 山羊の頭から、獄炎の息吹ヘルブレスが放たれる。

 エイデンが、その顎を拳で殴り飛ばし、炎は天高くばら撒かれる。

 獅子の咆哮。

 動きが止まる全戦力。

 唯一、マギが静寂術シュティレを張った中にいたアルフォンスと、マナ。この二人が咆哮の影響を免れ、集積した魔力弾マギー・ボルトの連射で山羊の頭を潰した。

 同じく何かしらの氣術ゼーレンを使ったエイデンも、咆哮による麻痺スタンを迂回し、背後から蛇の頭を断っていた。

 死に物狂いで暴れまわる魔獣。

 ヴァルクが、冷静に獅子の片目を斬った。前足の指を三本、落とした。もう片方の触手も斬り飛ばした。

「ローティ先輩!」

 誰かの叫びと同時に、マギの跳躍術シュプルングが発動した。

 まだ包帯の残るローティが、濡れた石畳を蹴った。

「喰らえぇぇぇえっ!!」 

 学芸会で見せたものと同じ技、それ以上に高い跳躍ジャンプ。

 そして、最大限の気迫──!

 ────── 脳天。

 深々と突き立つ刃。

 ローティが魔獣を屠った。

 だが、招来された魔物は死体が残らず、消滅する。

「あれ?」

 足場が消えて、魔獣の頭の高さから大きな水たまり噴水の名残りに落ちた。

「どうにか、倒せたのう」

 ヴァルクが一息つき、講堂の方へと視線を向けた。

「まだ、首魁ヴネオンが残っている」

 エイデンの言葉に、アルフォンスが頷うなずいた。

「嫌な予感がします。急ぎましょう」

  *

 おれは、負けない。

 おれ達は、負けない。

「く、そ......、ガ、キ......、め......」

 根性で勝った。

 大男は気絶した。

 まだ生きている。治療すれば助かるけれど、放っておけば死ぬ。

 おれ達は勝てた。殺さずに勝てた。

「役立たず共め」

 とりあえず、おれは大男から離れて、武器を構え直す。

 ヴネオンが、起爆装置を手にした。

「全員、死ぬがいい!」

 ──起動スイッチ・オン。

 おれは一瞬、心臓が跳ねたけれど。

「オーレリア、今日もたくさん記録しような」

 え? ロイの声だ。

 さっき床に捨てられた小型魔法人形ミニ・ゴーレムが動き出している。

「な、なんだこれは⁉ ふざけているのか!」

「ふざけてなんかないです。オーレリアが、みんなを守ったんです」

 ミコトの言葉に、ヴネオンの表情が歪む。

「起動信号の上書きだ。玩具に負けた気分はどうだ?」

「上書き......だと?」

 ハリスの言葉に少し考えたヴネオンは、はっとした表情で毒づいた。

「あの時か! 女狐めぎつねめ!」

 おれ達は遂にヴネオンを追い詰めた。

 だが、これ以上は踏み込めない。

「もう終わりだ。ヴネオン!」

 ハリスが言葉を投げかける。

「そうだな。終わりのようだ。また会おう」

 ヴネオンが何か魔法の詠唱を始めた。

「──次元封鎖ディメンジョンシュロス!」

 その時。

 何かしらの魔法が当たって、透明な鎖のような魔法がヴネオンを囲った。

「瞬間移動ペレホートで逃げようなんて、このエリーが許さないんだからね~?」

 その声は講堂の二階からだった。見れば、知らない女の人が立っていた。

「くっ......、」

 おれには詳細までよく分からなかったが、こいつが逃げようとして、失敗したのは分かった。

「ならば......」

「させるか!」

 今度はハリスが何かを投げた。

 赤い宝石が飛んでいく。

 さっき捨てられた荷物。小麦粉の中に隠してあった爆弾の核部品。

 火球の宝石ジェム・オヴ・フラムボール。

 ハリスは、おれの隠し場所に気付いていたようだ。

 「むっ⁉」

 ヴネオンは、咄嗟に何か防御魔法を展開して爆発を防いだ。

 おれ達まで巻き込まないように、ヴネオンの真上に向かって放物線を描いて投げたから、対応する時間を与えてしまった形だ。

 それでも十分だ。

 この爆発の衝撃、煙、音。

 おれがヴネオンに近付いて、決着をつけるには十分な陽動になる。

 その時。

 ──────ちゃきり。

 その音を聞いた者は、何事かと気に留める。

 その音を知る者は、戦慄の記憶を思い出す。

 その音を向けられた者は、存在を解ほどかれる。

 ......だが、おれは知らなかった。

 聞こえたのに、分からなかった。

 ヴネオンが腕を上げたのは分かった。

 その手に、鋏の付いた杖があるのも分かった。

 視認した瞬間、もう遅かった。

 空気が裂けていた。

 爆炎の名残り。黒い煙を裂く、翡翠のような乳白色の光。

 炎でも熱でもなかった。

 おれの足は動けなかった。

 勝ったと思って、おれは油断していた。

「ヴァン」

 背中に、軽い衝撃があった。

 ミコトだった。

 身を投げ出して、おれを突き飛ばしていた。

 一瞬だけ、ミコトが振り向いた。

 その顔に、涙はなかった。

 それでも。

 笑い切れない唇で。

 いつもの明るさの、ほんの端だけを作って。

「また、見つけてね」

 声が聞こえた。

 光が来た。
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【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月10日 孔雀曜日 4:09 七聖学院 講堂 】

 おれは死を覚悟した。

 いや、覚悟はしていた。

 普段から、とっくの昔に。できているはずだった。

 だが、目の前に迫る大戦斧グレート・アクスを見た時。おれは思った。

 ── 死にたくない。

 なんで?

「ヴァンっ‼」

 声が聞こえた。

 ──そうだ。

 おれはまだ、ミコトに伝えたい言葉がある。

 一緒に見たい景色がある。

 レオナとの約束もある。

 爺ちゃんの剣、あの目標もある。

 おれは死ねない。死ねない。死にたくない。くそ、くそ、くそ!

 弱い。おれは弱い。こんな戦士に負ける。悪いやつに負ける。いやだ。

 動け、おれ! あきらめんな。動けよ!

 衝撃。音。腕の痛み。

 おれは床を背にしたまま、その死の一撃を、逆手に持った短剣ダガーの鍔部分で止めた。

 一瞬だけ。

 だが、圧倒的な筋力と、武器の重さで押し込まれる。潰される。

「おおぉっ!」

 その前に。
 
 壊れてもいい。

 骨の砕けたような音。左肘に感じる衝撃。

 床を背にしたおれは、そのまま身体を右へ回しながら、引っ掛けた短剣ダガーの鍔で押し込み、さらに斧刃側面を肘で殴って払い除けた。

 斬撃音。

 おれの直ぐ隣で、床板が一直線に裂ける。

「ヴァン、平気か⁉」

 おれは身体を逆に回して、床を二度だけ転がって距離を取る。仮面の大男が大戦斧グレート・アクスを床から引き抜く前に立ち上がって、さらに大股で三歩だけ離れる。敵を見据えて即座に構える。

「ああ」

 とりあえずの生存報告、続いて自己診断。

 体力は? かなり減った。戦える。問題ない。
 出血は? あちこち掠り傷。戦える。問題ない。
 両足は? 動く。戦える。問題ない。
 両手は? 左肘が死んだ。戦える。問題ない。

「問題ない」

 ミコトが近くまで来た。

 ハリスが制した。それでいい。来たら戦いに困る。

 ジークハルト先生は、声が聞こえない。後ろで壁にぶつかって、それから意識がないんだと思う。振り返って確かめる暇がない。そんな隙、見せたら殺される。

「今のは殺せたと思ったんだがなァ?」

 確かに危なかった。でも、おれは死んでない。殺されてない。

「殺せない。おまえは強いけれど、おれは殺されてやらない」

「抜かせッ!」

 多分、勝てるかどうか最後の機会だ。

 こっちにはハリスがいる。連携を取れたら勝てる。

 なら、兄貴達も待つ?

 いいや、ダメだ。

 あの大きい怪物は、兄貴達が戦ってる。多分、倒すまで少し時間が掛かる。

 こいつらに時間の猶予を与えちゃいけない。

 勝つには、殺す? 

 分からない。

 結果、殺すことになっても後悔はしない。みんなが殺されるよりマシだから。

 そもそも、そんな手加減していられる相手じゃない。こいつは殺すことに躊躇ためらいがない。最初からずっとそうだった。

 でも、獅子や狼のそれとは違う。

 必要ないのに、殺したがってる。なんで?

 分からない。

 今はどうでもいい。

 分かりたくもない。
 
「ハリス、足留め頼む」

「分かった。任せろ」

 大男は一応、ハリスの方を警戒している。魔法を使うからだ。

 さっきも、おれをやると見せかけて、ハリスを襲った。先生を襲った。

 こいつ、バカじゃない。

 言ってること、ずっとバカっぽいのに、狡賢い。

「何をしている。さっさとガキ共を殺せ」

「うるせぇ、今からブッ殺すところだ!」

 ヴネオンが魔法を使ってこない。味方を巻き込むかも知れないからだ。それなら距離をとったら撃たれる。こいつと接近戦を続けるのが、今は一番いい。

「オラァァァァッ‼」

 物凄い気合と剣幕でやって来た。でも、おれは不思議と落ち着いていた。

 ミコトが見ている。だから多分、おれは強くなってる。
 
 絶対に失敗できないから、集中力が増している。どんどん心が細く、鋭くなっている。
 
 おれは数歩だけ横に動く。ハリスも数歩だけ横に動いた。おれの背後に来る。

 ハリスが放つとしたら、あの魔法だ。

 おれは大男の足元を見た。さっき足留めと言ったから、きっと気にする。

「今だ!」

 ハリスの声。何かが大男の足元へ飛んで行った。

「見え見えだ!」

 硝子が割れる音。広がる油。

 その油瓶を投げたのはミコト。おれの荷物から取って捨てられたそれ。

 ハリスが、こっそり指示していたのは分かってる。

 床に広がった油を、大男は大股一歩で乗り越える。

 凍結針フロスト・ナーデル。
 
 その一歩。動きが少しだけ大きくなる一瞬。

 おれは同時に飛び出す。ハリスの放った氷の魔法が、大男の顔面を捉えた。

「ぐっ⁉」

 致命傷には遠く及ばない。仮面もあるので、実際そこまで負傷もさせられない。

 それでも攻撃の軸。振りの中心が少しだけブレた。

「おりゃぁぁッ‼」

 やぶれかぶれに放たれた一撃。それでも、当たれば子供なんて半分にされてしまう。

 おれは同じ要領で、今度は左側に大戦斧グレート・アクスを払い除けた。後はこのまま喉を目掛け......。

 突然の衝撃。

 え?

 こいつ、無理矢理だ。

 振り下ろす軌道を変えた。筋力だけで、強引に。

 そうか、分かったぞ。

 これだけ力があったら、斧の刃じゃなくても、横側で殴るだけでも殺せる。

 おれは、殴られた。

 脇腹。

 肋骨が、一つ、二つ、......三つか? 折られた。

 吹き飛ばされたら、死ぬ。

 落ちてぶつかって死ぬんじゃない。そんなの受け身でなんとか、ギリギリ死なないで済む。

 距離が開く。魔法が来る。

 こいつらは手加減しない。

 間違いない。吹き飛ばされたら、おれが魔法で撃たれて死ぬ。

 その次に、ハリスが斧で殺されて。

 最後にミコトも......。

「うがぁぁぁぁっ‼」

 おれは叫んだ。肘の壊れた左腕を、斧に回して抱き留める。

 手首の少し下に、刃の部分が食い込んだ。

 痛い。......はず、でも、どうでも良かった。

 吹き飛ばされる力を、左腕で耐えた。肩が抜けそうだ。食い込んだ刃が、腕を断ちそうだ。でも離さない。

 絶対に、手放すものか!

 おれは大男の腕を斬る。断って落とすには、おれの力も、刃の長さも足りない。それでも、おれの短剣ダガーは食い込んだ。

「ぐぉぉっ⁉」

 こいつ、痛みでも武器を手放さない。強い。

 おれは、身体を沈めて、食い込ませた刃を引っ張る。

 反射的に、武器から腕を離すまいと、大男が引っ張り返す。

 今だ。

 姉御がやったみたいに、相手の力を利用する。跳べ。

 見よう見まね。それでも、おれの刃を届かせるには十分だった。

 感触。

 初めて刃を深々と、人間の肉に突き立てた感触。

「ガあぁァぁっ‼」

 喉を狙った。殺すつもりだった。でも外れた。
 
 もしかすると、自分でも無意識に外したかもしれない。

 分からない。それでも首の付け根に刃が刺さった。

 これは大男も武器を手放して、仰け反った。おれは手放さない。柄を強く握る。

 のたうち回る大男。おれは振り回される。血がたくさん飛び散る。おれは返り血を浴びる。イノシシの時よりは量も少ないし、匂いも臭くない。

「ヴァン!」

 ミコトの声が聞こえる。

 大丈夫。おれは大丈夫。

 ミコトは大丈夫か?

「ヴァン、離れろ!」

 ハリスの声が聞こえる。離れろ? なぜ?

 こいつは、ここで倒さなきゃ。せっかく食らい付いたんだ。このまま、気絶するか、失血死するか、最後までやらないと。

 おれは、大男に両腕で首を掴まれた。そうか、それで離れろと。

「こいつは、倒す!」

 大男は背中から床に倒れた。まだ息がある。しぶとい。

「倒す。絶対に......‼」

 おれは刃を押し込む。

 大男は、おれの首を絞める。

 根競こんくらべだ。

  *

 噴水ロータリー跡。

 巨大な魔獣は、追い詰められていた。

 衛兵隊と、海兵隊に囲まれ、牽制の魔法を休みなく撃ち込まれる。

 二本の触手が、壁を打ち壊し、塔盾タワー・シールドの列を薙ぎ払う。

 湖の方から、特殊矢弾ライフリング・ボルトが飛来し、触手を一つ吹き飛ばした。

 山羊の頭から、獄炎の息吹ヘルブレスが放たれる。

 エイデンが、その顎を拳で殴り飛ばし、炎は天高くばら撒かれる。

 獅子の咆哮。

 動きが止まる全戦力。

 唯一、マギが静寂術シュティレを張った中にいたアルフォンスと、マナ。この二人が咆哮の影響を免れ、集積した魔力弾マギー・ボルトの連射で山羊の頭を潰した。

 同じく何かしらの氣術ゼーレンを使ったエイデンも、咆哮による麻痺スタンを迂回し、背後から蛇の頭を断っていた。

 死に物狂いで暴れまわる魔獣。

 ヴァルクが、冷静に獅子の片目を斬った。前足の指を三本、落とした。もう片方の触手も斬り飛ばした。

「ローティ先輩!」

 誰かの叫びと同時に、マギの跳躍術シュプルングが発動した。

 まだ包帯の残るローティが、濡れた石畳を蹴った。

「喰らえぇぇぇえっ!!」 

 学芸会で見せたものと同じ技、それ以上に高い跳躍ジャンプ。

 そして、最大限の気迫──!

 ────── 脳天。

 深々と突き立つ刃。

 ローティが魔獣を屠った。

 だが、招来された魔物は死体が残らず、消滅する。

「あれ?」

 足場が消えて、魔獣の頭の高さから大きな水たまり噴水の名残りに落ちた。

「どうにか、倒せたのう」

 ヴァルクが一息つき、講堂の方へと視線を向けた。

「まだ、首魁ヴネオンが残っている」

 エイデンの言葉に、アルフォンスが頷うなずいた。

「嫌な予感がします。急ぎましょう」

  *

 おれは、負けない。

 おれ達は、負けない。

「く、そ......、ガ、キ......、め......」

 根性で勝った。

 大男は気絶した。

 まだ生きている。治療すれば助かるけれど、放っておけば死ぬ。

 おれ達は勝てた。殺さずに勝てた。

「役立たず共め」

 とりあえず、おれは大男から離れて、武器を構え直す。

 ヴネオンが、起爆装置を手にした。

「全員、死ぬがいい!」

 ──起動スイッチ・オン。

 おれは一瞬、心臓が跳ねたけれど。

「オーレリア、今日もたくさん記録しような」

 え? ロイの声だ。

 さっき床に捨てられた小型魔法人形ミニ・ゴーレムが動き出している。

「な、なんだこれは⁉ ふざけているのか!」

「ふざけてなんかないです。オーレリアが、みんなを守ったんです」

 ミコトの言葉に、ヴネオンの表情が歪む。

「起動信号の上書きだ。玩具に負けた気分はどうだ?」

「上書き......だと?」

 ハリスの言葉に少し考えたヴネオンは、はっとした表情で毒づいた。

「あの時か! 女狐めぎつねめ!」

 おれ達は遂にヴネオンを追い詰めた。

 だが、これ以上は踏み込めない。

「もう終わりだ。ヴネオン!」

 ハリスが言葉を投げかける。

「そうだな。終わりのようだ。また会おう」

 ヴネオンが何か魔法の詠唱を始めた。

「──次元封鎖ディメンジョンシュロス!」

 その時。

 何かしらの魔法が当たって、透明な鎖のような魔法がヴネオンを囲った。

「瞬間移動ペレホートで逃げようなんて、このエリーが許さないんだからね~?」

 その声は講堂の二階からだった。見れば、知らない女の人が立っていた。

「くっ......、」

 おれには詳細までよく分からなかったが、こいつが逃げようとして、失敗したのは分かった。

「ならば......」

「させるか!」

 今度はハリスが何かを投げた。

 赤い宝石が飛んでいく。

 さっき捨てられた荷物。小麦粉の中に隠してあった爆弾の核部品。

 火球の宝石ジェム・オヴ・フラムボール。

 ハリスは、おれの隠し場所に気付いていたようだ。

 「むっ⁉」

 ヴネオンは、咄嗟に何か防御魔法を展開して爆発を防いだ。

 おれ達まで巻き込まないように、ヴネオンの真上に向かって放物線を描いて投げたから、対応する時間を与えてしまった形だ。

 それでも十分だ。

 この爆発の衝撃、煙、音。

 おれがヴネオンに近付いて、決着をつけるには十分な陽動になる。

 その時。

 ──────ちゃきり。

 その音を聞いた者は、何事かと気に留める。

 その音を知る者は、戦慄の記憶を思い出す。

 その音を向けられた者は、存在を解ほどかれる。

 ......だが、おれは知らなかった。

 聞こえたのに、分からなかった。

 ヴネオンが腕を上げたのは分かった。

 その手に、鋏の付いた杖があるのも分かった。

 視認した瞬間、もう遅かった。

 空気が裂けていた。

 爆炎の名残り。黒い煙を裂く、翡翠のような乳白色の光。

 炎でも熱でもなかった。

 おれの足は動けなかった。

 勝ったと思って、おれは油断していた。

「ヴァン」

 背中に、軽い衝撃があった。

 ミコトだった。

 身を投げ出して、おれを突き飛ばしていた。

 一瞬だけ、ミコトが振り向いた。

 その顔に、涙はなかった。

 それでも。

 笑い切れない唇で。

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「また、見つけてね」

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緋鋼皇國物語Ⅰ作者:ふみの世界樹
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