第九十九話 決着
【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月10日 孔雀曜日 4:09 七聖学院 講堂 】
おれは死を覚悟した。
いや、覚悟はしていた。
普段から、とっくの昔に。できているはずだった。
だが、目の前に迫る大戦斧を見た時。おれは思った。
── 死にたくない。
なんで?
「ヴァンっ‼」
声が聞こえた。
──そうだ。
おれはまだ、ミコトに伝えたい言葉がある。
一緒に見たい景色がある。
レオナとの約束もある。
爺ちゃんの剣、あの目標もある。
おれは死ねない。死ねない。死にたくない。くそ、くそ、くそ!
弱い。おれは弱い。こんな戦士に負ける。悪いやつに負ける。いやだ。
動け、おれ! あきらめんな。動けよ!
衝撃。音。腕の痛み。
おれは床を背にしたまま、その死の一撃を、逆手に持った短剣の鍔部分で止めた。
一瞬だけ。
だが、圧倒的な筋力と、武器の重さで押し込まれる。潰される。
「おおぉっ!」
その前に。
壊れてもいい。
骨の砕けたような音。左肘に感じる衝撃。
床を背にしたおれは、そのまま身体を右へ回しながら、引っ掛けた短剣の鍔で押し込み、さらに斧刃側面を肘で殴って払い除けた。
斬撃音。
おれの直ぐ隣で、床板が一直線に裂ける。
「ヴァン、平気か⁉」
おれは身体を逆に回して、床を二度だけ転がって距離を取る。仮面の大男が大戦斧を床から引き抜く前に立ち上がって、さらに大股で三歩だけ離れる。敵を見据えて即座に構える。
「ああ」
とりあえずの生存報告、続いて自己診断。
体力は? かなり減った。戦える。問題ない。
出血は? あちこち掠り傷。戦える。問題ない。
両足は? 動く。戦える。問題ない。
両手は? 左肘が死んだ。戦える。問題ない。
「問題ない」
ミコトが近くまで来た。
ハリスが制した。それでいい。来たら戦いに困る。
ジークハルト先生は、声が聞こえない。後ろで壁にぶつかって、それから意識がないんだと思う。振り返って確かめる暇がない。そんな隙、見せたら殺される。
「今のは殺せたと思ったんだがなァ?」
確かに危なかった。でも、おれは死んでない。殺されてない。
「殺せない。おまえは強いけれど、おれは殺されてやらない」
「抜かせッ!」
多分、勝てるかどうか最後の機会だ。
こっちにはハリスがいる。連携を取れたら勝てる。
なら、兄貴達も待つ?
いいや、ダメだ。
あの大きい怪物は、兄貴達が戦ってる。多分、倒すまで少し時間が掛かる。
こいつらに時間の猶予を与えちゃいけない。
勝つには、殺す?
分からない。
結果、殺すことになっても後悔はしない。みんなが殺されるよりマシだから。
そもそも、そんな手加減していられる相手じゃない。こいつは殺すことに躊躇いがない。最初からずっとそうだった。
でも、獅子や狼のそれとは違う。
必要ないのに、殺したがってる。なんで?
分からない。
今はどうでもいい。
分かりたくもない。
「ハリス、足留め頼む」
「分かった。任せろ」
大男は一応、ハリスの方を警戒している。魔法を使うからだ。
さっきも、おれをやると見せかけて、ハリスを襲った。先生を襲った。
こいつ、バカじゃない。
言ってること、ずっとバカっぽいのに、狡賢い。
「何をしている。さっさとガキ共を殺せ」
「うるせぇ、今からブッ殺すところだ!」
ヴネオンが魔法を使ってこない。味方を巻き込むかも知れないからだ。それなら距離をとったら撃たれる。こいつと接近戦を続けるのが、今は一番いい。
「オラァァァァッ‼」
物凄い気合と剣幕でやって来た。でも、おれは不思議と落ち着いていた。
ミコトが見ている。だから多分、おれは強くなってる。
絶対に失敗できないから、集中力が増している。どんどん心が細く、鋭くなっている。
おれは数歩だけ横に動く。ハリスも数歩だけ横に動いた。おれの背後に来る。
ハリスが放つとしたら、あの魔法だ。
おれは大男の足元を見た。さっき足留めと言ったから、きっと気にする。
「今だ!」
ハリスの声。何かが大男の足元へ飛んで行った。
「見え見えだ!」
硝子が割れる音。広がる油。
その油瓶を投げたのはミコト。おれの荷物から取って捨てられたそれ。
ハリスが、こっそり指示していたのは分かってる。
床に広がった油を、大男は大股一歩で乗り越える。
凍結針。
その一歩。動きが少しだけ大きくなる一瞬。
おれは同時に飛び出す。ハリスの放った氷の魔法が、大男の顔面を捉えた。
「ぐっ⁉」
致命傷には遠く及ばない。仮面もあるので、実際そこまで負傷もさせられない。
それでも攻撃の軸。振りの中心が少しだけブレた。
「おりゃぁぁッ‼」
やぶれかぶれに放たれた一撃。それでも、当たれば子供なんて半分にされてしまう。
おれは同じ要領で、今度は左側に大戦斧を払い除けた。後はこのまま喉を目掛け......。
突然の衝撃。
え?
こいつ、無理矢理だ。
振り下ろす軌道を変えた。筋力だけで、強引に。
そうか、分かったぞ。
これだけ力があったら、斧の刃じゃなくても、横側で殴るだけでも殺せる。
おれは、殴られた。
脇腹。
肋骨が、一つ、二つ、......三つか? 折られた。
吹き飛ばされたら、死ぬ。
落ちてぶつかって死ぬんじゃない。そんなの受け身でなんとか、ギリギリ死なないで済む。
距離が開く。魔法が来る。
こいつらは手加減しない。
間違いない。吹き飛ばされたら、おれが魔法で撃たれて死ぬ。
その次に、ハリスが斧で殺されて。
最後にミコトも......。
「うがぁぁぁぁっ‼」
おれは叫んだ。肘の壊れた左腕を、斧に回して抱き留める。
手首の少し下に、刃の部分が食い込んだ。
痛い。......はず、でも、どうでも良かった。
吹き飛ばされる力を、左腕で耐えた。肩が抜けそうだ。食い込んだ刃が、腕を断ちそうだ。でも離さない。
絶対に、手放すものか!
おれは大男の腕を斬る。断って落とすには、おれの力も、刃の長さも足りない。それでも、おれの短剣は食い込んだ。
「ぐぉぉっ⁉」
こいつ、痛みでも武器を手放さない。強い。
おれは、身体を沈めて、食い込ませた刃を引っ張る。
反射的に、武器から腕を離すまいと、大男が引っ張り返す。
今だ。
姉御がやったみたいに、相手の力を利用する。跳べ。
見よう見まね。それでも、おれの刃を届かせるには十分だった。
感触。
初めて刃を深々と、人間の肉に突き立てた感触。
「ガあぁァぁっ‼」
喉を狙った。殺すつもりだった。でも外れた。
もしかすると、自分でも無意識に外したかもしれない。
分からない。それでも首の付け根に刃が刺さった。
これは大男も武器を手放して、仰け反った。おれは手放さない。柄を強く握る。
のたうち回る大男。おれは振り回される。血がたくさん飛び散る。おれは返り血を浴びる。イノシシの時よりは量も少ないし、匂いも臭くない。
「ヴァン!」
ミコトの声が聞こえる。
大丈夫。おれは大丈夫。
ミコトは大丈夫か?
「ヴァン、離れろ!」
ハリスの声が聞こえる。離れろ? なぜ?
こいつは、ここで倒さなきゃ。せっかく食らい付いたんだ。このまま、気絶するか、失血死するか、最後までやらないと。
おれは、大男に両腕で首を掴まれた。そうか、それで離れろと。
「こいつは、倒す!」
大男は背中から床に倒れた。まだ息がある。しぶとい。
「倒す。絶対に......‼」
おれは刃を押し込む。
大男は、おれの首を絞める。
根競べだ。
*
噴水ロータリー跡。
巨大な魔獣は、追い詰められていた。
衛兵隊と、海兵隊に囲まれ、牽制の魔法を休みなく撃ち込まれる。
二本の触手が、壁を打ち壊し、塔盾の列を薙ぎ払う。
湖の方から、特殊矢弾が飛来し、触手を一つ吹き飛ばした。
山羊の頭から、獄炎の息吹が放たれる。
エイデンが、その顎を拳で殴り飛ばし、炎は天高くばら撒かれる。
獅子の咆哮。
動きが止まる全戦力。
唯一、マギが静寂術を張った中にいたアルフォンスと、マナ。この二人が咆哮の影響を免れ、集積した魔力弾の連射で山羊の頭を潰した。
同じく何かしらの氣術を使ったエイデンも、咆哮による麻痺を迂回し、背後から蛇の頭を断っていた。
死に物狂いで暴れまわる魔獣。
ヴァルクが、冷静に獅子の片目を斬った。前足の指を三本、落とした。もう片方の触手も斬り飛ばした。
「ローティ先輩!」
誰かの叫びと同時に、マギの跳躍術が発動した。
まだ包帯の残るローティが、濡れた石畳を蹴った。
「喰らえぇぇぇえっ!!」
学芸会で見せたものと同じ技、それ以上に高い跳躍。
そして、最大限の気迫──!
────── 脳天。
深々と突き立つ刃。
ローティが魔獣を屠った。
だが、招来された魔物は死体が残らず、消滅する。
「あれ?」
足場が消えて、魔獣の頭の高さから大きな水たまりに落ちた。
「どうにか、倒せたのう」
ヴァルクが一息つき、講堂の方へと視線を向けた。
「まだ、首魁が残っている」
エイデンの言葉に、アルフォンスが頷いた。
「嫌な予感がします。急ぎましょう」
*
おれは、負けない。
おれ達は、負けない。
「く、そ......、ガ、キ......、め......」
根性で勝った。
大男は気絶した。
まだ生きている。治療すれば助かるけれど、放っておけば死ぬ。
おれ達は勝てた。殺さずに勝てた。
「役立たず共め」
とりあえず、おれは大男から離れて、武器を構え直す。
ヴネオンが、起爆装置を手にした。
「全員、死ぬがいい!」
──起動。
おれは一瞬、心臓が跳ねたけれど。
「オーレリア、今日もたくさん記録しような」
え? ロイの声だ。
さっき床に捨てられた小型魔法人形が動き出している。
「な、なんだこれは⁉ ふざけているのか!」
「ふざけてなんかないです。オーレリアが、みんなを守ったんです」
ミコトの言葉に、ヴネオンの表情が歪む。
「起動信号の上書きだ。玩具に負けた気分はどうだ?」
「上書き......だと?」
ハリスの言葉に少し考えたヴネオンは、はっとした表情で毒づいた。
「あの時か! 女狐め!」
おれ達は遂にヴネオンを追い詰めた。
だが、これ以上は踏み込めない。
「もう終わりだ。ヴネオン!」
ハリスが言葉を投げかける。
「そうだな。終わりのようだ。また会おう」
ヴネオンが何か魔法の詠唱を始めた。
「──次元封鎖!」
その時。
何かしらの魔法が当たって、透明な鎖のような魔法がヴネオンを囲った。
「瞬間移動で逃げようなんて、このエリーが許さないんだからね~?」
その声は講堂の二階からだった。見れば、知らない女の人が立っていた。
「くっ......、」
おれには詳細までよく分からなかったが、こいつが逃げようとして、失敗したのは分かった。
「ならば......」
「させるか!」
今度はハリスが何かを投げた。
赤い宝石が飛んでいく。
さっき捨てられた荷物。小麦粉の中に隠してあった爆弾の核部品。
火球の宝石。
ハリスは、おれの隠し場所に気付いていたようだ。
「むっ⁉」
ヴネオンは、咄嗟に何か防御魔法を展開して爆発を防いだ。
おれ達まで巻き込まないように、ヴネオンの真上に向かって放物線を描いて投げたから、対応する時間を与えてしまった形だ。
それでも十分だ。
この爆発の衝撃、煙、音。
おれがヴネオンに近付いて、決着をつけるには十分な陽動になる。
その時。
──────ちゃきり。
その音を聞いた者は、何事かと気に留める。
その音を知る者は、戦慄の記憶を思い出す。
その音を向けられた者は、存在を解かれる。
......だが、おれは知らなかった。
聞こえたのに、分からなかった。
ヴネオンが腕を上げたのは分かった。
その手に、鋏の付いた杖があるのも分かった。
視認した瞬間、もう遅かった。
空気が裂けていた。
爆炎の名残り。黒い煙を裂く、翡翠のような乳白色の光。
炎でも熱でもなかった。
おれの足は動けなかった。
勝ったと思って、おれは油断していた。
「ヴァン」
背中に、軽い衝撃があった。
ミコトだった。
身を投げ出して、おれを突き飛ばしていた。
一瞬だけ、ミコトが振り向いた。
その顔に、涙はなかった。
それでも。
笑い切れない唇で。
いつもの明るさの、ほんの端だけを作って。
「また、見つけてね」
声が聞こえた。
光が来た。