第九十七話 突入時刻
【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月9日 海竜曜日 22:25 七聖学院 星見の塔 】
おれは屋根に座って、西側の空を見上げていた。
魔導探照灯が夜空の一部に光の円を形作る。
点って。消えて。長く点って。消えて。点く。
信号の長短で、文字を作る緋鋼式ルナエ符号。
『黒い月の足、ハンナでも待つ』
これは暗号だ。黒い月はルナで、足は四つだ。
突入時刻は4時。
ルナの伝言、ちゃんと届いてた。
でも、『ハンナでも待つ』の意味が分からない。
ハンナと言えば、あの死者の日記は、ハンナの書いたものだ。
この星見の塔?
おれは足元を見た。
退避ルートの事だと思うけれど、ここ?
おれは上を見上げた。
飛空艇が来るのか?
よく分からないけれど、ハリスなら分かるだろう。とりあえず返事をしておこう。
おれは膝の上で、永遠の灯の蓋を開いた。あちらで観測されると信じて。
長く開けて閉じる。長い。短い。休む。長い。長い。休む。
――・ ―― ・・- ・-・・ ・-
ルナエ符号で、『り、ょ、う、か、い』と伝えた。
その時、おれは突然の睡魔に襲われた。
意志が挫かれる。眠い。
これは、きっと魔法だ。
く、そ......。
【 同日 23:17 七聖学院 講堂 】
誰だ?
「ヴァン」
おれの名を呼ぶのは、誰だ?
「ヴァンっ!」
ミコトの声が聞こえる。おれは目を開けた。
ここは、講堂か?
みんなが、おれを見上げてる。壇上にいるのか。
うごけない。手足が、縛られている?
磔。
おれは縛られていた。長椅子で作られた即席の十字架だ。
手のひらに杭を打ち込まれていないだけマシだが、ちょっときつく縛り過ぎだ。
「お目覚めかね。ヴァン・ラドーレ君」
そこに立っていたのは、赤黒い魔道衣に身を包んだ男だった。
男は、妙に丁寧な仕草で頭を下げる。
おれは、こいつが誰だか分かった。
マディアラス・ヴネオン。
襲撃犯のボスだ。
焦げ茶色の髪は、左側だけが極端に長く、反対側は刈り上げられている。そのせいで、右耳に付けられたピアスがよく見えた。
銀色で丸い飾りのピアス。その中央には、脳に穿たれた金色の楔の意匠。
おれは、その印の意味が何か分かった。
禁断の知識神。
「みんなを解放しろ。学院から出ていけ」
「なんと威勢の良い。開口一番、そんな大口を叩けるとは」
ヴネオンは、おれの短剣を持っていた。鞘から抜いて、その刃でおれの頬をペチペチと叩いている。
「遊びで抜くな」
「何だって?」
「遊びで抜くなと言った。小さくても、それは剣だ」
おれは、ヴネオンを睨んだ。
「ふん、子供ながらに騎士の矜持とでも言うやつか? 流石は英雄ヴァルクの弟だ」
「兄貴は関係ない」
ヴネオンは、短剣を床に捨てた。空間収納袋を手に持ち、嗤った。
「そうですか。......だが、これは無関係とは言わせない」
次々と取り出される道具の数々。
学院内のあちこちで集めた物と、元から入っていた品々だった。
鉤縄。小型の金槌。釘。やすり。有刺鉄線。
壇上の床に、次々と無造作に落とされていく。
「子供のくせに、持ち物は実に危険だ」
油瓶。火口箱。
「火遊びもよくないぞ」
おれは黙ってヴネオンを睨み続ける。
「貴様は一人で、この我々に戦いを挑む気だったのか?」
ハリスの計画を知らせてはいけない。
それに、おれ一人になっても戦うつもりだ。それは間違いない。
「そうだ」
他の生徒達は、黙って見守っている。
悔しさを隠しきれない表情の子。半泣きの子。目を閉じている子。
「ふむ......、何日も潜伏できるだけの用意だな。本気なのか」
消毒液。水筒。乾パン袋。干し肉。干し果実。小麦粉の袋。
順に中身を取り出して、足下に捨てられる。
小麦粉の袋は、倒れて少し中身が零れた。
「なんだこのガラクタは?」
オーレリアの小型魔法人形。部品を抜き取った残りだ。
無造作に床に捨てられ、音が響いた。
「大切なものだ。大事にしろ」
解体した爆弾の部品は、念の為に廃棄しておいて正解だった。
しかし、これはロイが贈ったものだ。捨てられなかった。
「こんな玩具に執着するとは、やはり子供だな」
おれは言い返さない。
「だが子供でも、やっていい事と、いけない事の区別ぐらいできるだろう?」
おまえこそ、人としてその区別ができているのか。おれは、そう問い詰めたかった。
でも、おれは言い返さない。
「外部と連絡していたな?」
答えない。
「何か光で合図を送っていたな?」
答えない。
「しらばっくれるな。屋根の上で光を使っていれば、見つけてくれと言っているようなものだ」
答えないぞ。
「言え!」
言わない。
「この野郎。ボスの質問に答えねぇか!」
体格の大きな男が割り込んで来た。おれの腹を殴る。
重い。痛い。吐きそうになる。
姿勢が悪すぎる。受け身が取れない。腹筋を締める以外に、防ぐ手段がない。
「ヴァンっ‼」
「ちょっと、子供に乱暴しないで!」
ミコトと姉御の声が聞こえた。
「うるせぇ!」
大男が怒鳴る。ヴネオンがそれを制した。
「騒がないで欲しい。お忘れか? おまえ達への罰を免除してやる代わりに、このガキには倍の罰を与えると言ったはずだ」
おれは笑った。ミコトの代わりなら、良かった。
「好都合だ」
「なんだと?」
ハリス、届いてくれ。
「やれよ。おれは「黒い月の足、ハンナでも待つ」それだけだ」
「ボス、こいつ何を言ってんだ? おい、分かるように話せ」
「これは古い諺だ。授業で習う」
ハリスと目が合った。よし、伝わった。
「このガキ、こっちは学校なんて通ってねえんだよ。なんてクソ生意気なんだ。殺してやろうか」
大男の手が、おれの喉を掴んだ。ものすごい力だ。
呼吸できない。
「やめろ」
「けほ......っ」
何とか息が戻った。
「こいつは、少し痛めつけたぐらいでは、おそらく口を割らない」
「じゃあ、どうすんだよ」
「明日、残りの身代金を用意できていなければ、見せしめとして最初にこいつを処刑する」
おれは目を閉じる。大丈夫、その前に突入作戦が始まるはずだ。
【 3月10日 孔雀曜日 0:01 七聖学院北側 地下通路入口 】
漆黒に染め抜かれた厚手の上下衣。胸と肩、脛と前腕に薄い装甲板。衣服の留め金も走った時に鳴らない構造。全ての金属部品には艶消し処理が施されている。
エリーは緋鋼皇國海兵隊の黒い戦闘用装束で、懐中時計を確かめる。
「うん。日付が変わったよ」
アルフォンスが、青布で装飾された巻物を差し出した。
「では、ここから先は、静寂術で隠密行動に移って貰います。これに、私の呪文を書き込んでおきました」
エリーが受け取って、珍しそうに眺める。
「へえ、この神聖魔法の巻物、ちょっと変わってるね。ちゃんと使えるかな?」
「あなたなら大丈夫ですよ。発動後は、会話での意思疎通は不可能となりますので、手信号を忘れずに」
「呪文の対象は、これでいい?」
エリーが、小さなクマのぬいぐるみを取り出した。
「はい、それで構いません。静寂術は、それなりに効果範囲が広がっていますので、もし術士達を見掛けたら、その中心部に向かって投げ入れて下さい。詠唱を無効化できます」
「そっか、相手には呪文使いが何人もいるんだよね? ちょっと怖いな......」
「初出撃は、誰でも緊張するもんじゃき」
「ヴァルク様、やさしい!」
「これを誰に所持させるかは、隊長が決めてください。その人が中心になります」
「隊長は誰じゃったかの?」
「別動隊の部隊長は、立場上、緋鋼皇國海兵隊のエリーさんという事になっていますが」
「はいはーい。それじゃ隊長権限で、現場指揮はヴァルク様に一任しま~す」
クマのぬいぐるみを渡され、困り顔のヴァルク。
「こんな勝手なこと、エドワードが怒らんか?」
「実戦経験が豊富で、内部情報にも詳しくて、人質の生徒達にも顔を知られていて信頼されている。これ以上の適任者はいないでしょ? 少佐なら大丈夫。これも現場判断ってことで」
「それならエイデンの方でも良かろうに」
「我は謹んで辞退する。そもそも指揮者には向かん」
「それじゃヴァルク様に決まりってことで、そろそろ補助魔法の付与をお願いしても?」
アルフォンスは運命の女神の象徴、尾が縦横に交わる流星の聖印を手にした。
「はい、重ね掛けしますので、みんな集まって下さい。この後、私は本部に戻りますから、手早く済ませますよ」
「エドワードのやつも人使いが荒いのう」
「少佐は真面目ちゃんだから」
【 同日 3:25 七聖学院 講堂 】
講堂は、夜明け前の暗さに沈み、生徒達も見張り達も浅い眠気の底で息を潜めていた。
壇上の十字架に縛られたヴァンは、殴られた腹と縛られた手足の痛みに耐えながら、うつむいたまま動かない。
「ボス、大変だ!」
壇上の椅子に座っていた術士幹部が、脚を組み直す。
「騒々しいぞ。ヴネオン様は、既に御休みになられた」
仮面の男が、下着姿の男を連れている。
「それがこいつ、地下室で箱の中で縛られていて......」
「なんだと? おい、何があった?」
「へい、ガキと用務員とやらにやられて、装備と仮面を奪われました。そいつ、オレに変装してやがる」
「なに⁉」
術士幹部が、磔にしたヴァンを一瞥する。
ヴァンは「おれがやった」と言わんばかりに笑った。
術士幹部が何か言おうとした時。
「ボス、報告です!」
別の男が現れた。学生達の何人かが目を覚ます。
「まだあるのか、なんだ?」
「厨房で二人、気絶した仲間が縛られてました」
人質にされた学生達の輪の中で、キャサリンが顔を伏せた。
壁際や二階席、周囲を固める監視役達。その内の一人が、そっと講堂の扉から抜け出ようとした。
「おい! おまえ、どこへ行く気だ?」
戦士の幹部が、その前に立ちはだかっていた。
【 同日 3:43 七聖学院南側 水晶湖 】
湖上に浮かぶ三隻の舟。
先発した緋鋼皇國海兵隊の占術観測班。エリーを除く残り六名が、其々ペアを組んで分乗していた。
一隻目。観測部隊の隊長、壮年の男が、隣で狙いを定める若い狙撃手に尋ねた。
「いけるか?」
「そうっスね......」
その尖った髪型の狙撃手は、重弩の照準器を覗き見る。暗くてよく見えなかったが、熱探視モードを起動すると、この距離でも人影が白く映る。
「あっちに二人、こっちに二人......、情報通りなら、尾根の向こう側にも四人」
学院の屋根に配置された何人もの犯人達、さらには星見の塔にも新たに配置された犯人達が見える。
「情報と違うのは、塔の上にも新たに配置されたって事ぐらいッスかね」
二隻目。赤髪の女性狙撃手と、望遠鏡で観測する眼鏡の隊員。伝声術で言葉が交わされる。
「ねえ、これ時間が来たら、本当に射殺していいんだよね?」
「そう聞いています。ですよね、副官?」
三隻目。チョビ髭の観測員と、大男の狙撃手。
「後で始末書とか困りますよ?」
「......それは嫌だ」
副官が、大型の軍事用魔導念話機の受話器を手に取る。
「少佐、最終確認です。作戦時間に変更はありますか?」
他の隊員達が、息を呑む。
「──了解。作戦、続行します」
隊員達の顔付きが変わった。
「各狙撃手、遠射術を詠唱開始。観測手は風道で弾道確保。初撃で必ず仕留めろ」
「「了解」」
「射撃後は、反撃が予想される。連中の得物では、射程で勝負にならんが、射手ではなく術士の場合は話が別だ。まずいと思ったら舟を放棄して水中へ脱出せよ」
「「了解」」
【 同日 3:55 七聖学院 講堂 】
畜生め。今度こそマズった。
ゴーンズ・ウィリス、四十二歳。ここで死ぬのか。
「師匠......」
ヴァン、そんな目で見るな。悲しくなっちまうじゃねえか......。
俺は壇上の晒し物だ。くそ、後ろ手に縛られちゃ、降参のポーズも取れねえ。
「ふがふが......」
猿轡なんかしやがって、減らず口も叩けやしねえ。
「ボス、こちらです」
この痩せっぽち野郎。
「へっへ、処刑の時間だァ」
この脳みそ筋肉野郎。
「おまえか、こそこそガキと結託して、無駄な抵抗をしてたのは」
マなんとか、ヴネオン。......クソったれ共の親玉。
「ふがふが、ふが......」
「おい、外してやれ」
外れた。
「おい、てめぇ!!」
「立つな。コラ!」
痛え。そんなに人を跪かせてえか。
「血気盛んだな。......だが、その威勢もこれまでだ。おまえは今ここで殺す」
「やめろ! ゴーンズさんに手を出すな!!」
ヴァン、暴れるなって。
「黙れ。ガキ!」
「うっ」
ほら、殴られてるじゃねえか......。
ミコトが泣いてるぜ。ガキのくせに、もっと自分を大切にしやがれ。
ハリエット、オーレリア、あの子達も、泣きそうな目でこっちを見ている。
「やめろ。子供に手を出すな。ヴァンは、おれが指示を与えて動いていた。それだけだ。全部、話す。だから、少し待て」
「......ほう?」
何もねえよ。話すことなんか、何もねえ。
だがハリスが、こっちを見ている。あいつの目は、死んでない。何か狙ってる。
「やはり何か計画していたな? 外部と結託して、何を企んでいた?」
外部と結託? そんなもの知らねえよ。
「俺が全てを話したら、解放してくれるのか?」
「そうだな、約束通り子供だけは解放してやろう。おまえは殺すがな」
どっちにしろ俺は殺すのかよ。......けっ、なら言う事は一つしかねえ。
「なら、耳をかっぽじってよく聞け」
この局面。時間を稼ぐ以外に、方法はないんだろ?
分かってるぜ。ヴァン、ハリス、おまえ達が何を計画したか、その全容までは分からないが、何かを計画したって事だけは知っている。そして、それが成功するって、信じてるんだろ?
「おい、ヴネオンさんよ。俺は、子供達に、皇國将棋を教えて来た。......あんた、皇國将棋は、知ってるかい?」
「知っている。知的遊戯の一つだ。しかし、所詮は子供の遊び。大人が真剣になってやる程のものではない。下らぬ」
俺は笑ってしまった。
「あんた、人生に余裕がねえんだな。だから、俺達の作戦にも気付かねえ」
お、顔色が変わったぜ。相当にイラついてやがるな?
「御託はもう結構だ。さっさと中身を話せ」
大男が大戦斧を取り出した。
そろそろ引き延ばしも限界か......。
「ああ、一度しか言わねえぞ」
俺はキャサリンを見る。最期に見るなら、あんたしかいねえ。
「俺は......」
いや、待てよ。死ぬ間際に告白って、どうなんだこれ? その後、ずっと引き摺らせる事になるんじゃ? だったら、あっさり死んでおく方が、彼女の人生に影を落とさないんじゃ?
でもそれって、俺が既に好かれてるかもっていう前提の上での話であって。いやいや......、土壇場でビビったのか、俺は?
「どうした? 先を言え」
その時だった。
講堂の時計は、四時を示していた。
「今だ‼」
ハリスが立ち上がった。それだけじゃない。生徒も全員だ。
ヴネオンも含めて、襲撃犯の誰もが人質達に気を取られた。
突然の爆音。中庭の方だ。
同時に白煙。講堂の視界が全て、真っ白に染まった。
「ゴーンズさん、こっち」
ヴァンの声。こいつ、実は縄抜けしてたのか?
「な、なんだ⁉」
「ひええーーッ⁉」
仮面の男達が、次々に悲鳴を上げるのが聞こえた。
「くそ、このタイミングで突入だと?」
「畜生、一杯食わされた!」
「ボス、緋鋼皇國海兵隊です。中庭でも交戦中」
「みんな、避難誘導に従って!」
「結界杭を使うのよぅ!」
「ミシェル様!」
「私は後でいい。月組の子を先に!」
「僕はブラスシルド家だぞ。僕も最後でいい」
こりゃ、ひでえ混乱だな。だけど迷ってねえ。計画的に動けている。この人数、分かれて避難しねえと入口で詰まる。
「犯人共に告ぐ! 全員、大人しくしろ!」
次々と隊員達が入ってくるのが見えた。上からも来ている。どうやって?
「ボス。守りの術士達が全滅しています。広域次元封鎖が解除されました。屋上も反応がありません」
「ならば、こちらも転移と召喚術が使えるということだ。やれ」
「了解。第九位列術式魔法、怪物招来を使います」
今、何か嫌な台詞が聞こえた気がするんだが?