第九十八話 最終決戦
【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月10日 孔雀曜日 3:59 七聖学院 屋上 】
仮面の男が二人、学院の屋上で歩哨に立っていた。
一人の欠伸を、もう一人が咎めた。
「おい、ちゃんと見張ってろ」
「あいつら、どうせ見ているだけだ。それにこの距離だ。何もできねえよ」
二人で水晶湖に浮かぶ三隻の舟を見た。
「それもそうだな」
「それより、また何か生き物いねえかな、なにか射ち殺してえ」
「カモぐらいなら飛ん......」
一人の額を、狙撃用特殊重弩の特殊矢弾が穿った。
「ん? どうし......」
異変に気付いたもう一人の側頭部にも、同じ鋭利な凶器が突き立った。
湖上の舟に目を奪われていた二人は、頭上の気配にも気付かないまま死んだ。
七聖学院屋上。その上空、星々の揺らぎが三つ。
「校舎南側屋上クリア」
「北側クリア」
「寄宿舎屋上クリア」
「塔屋上クリア」
「全射手、沈黙しました」
四時定刻。
エドワードは、各班の報告を聞き、懐中時計の時刻を確かめると手短に告げた。
「これより突入作戦を開始する。全艇、隠蔽解除。降下せよ!」
「「了解!」」
透明な空気の膜が引き剝がされるように、三隻の強襲用飛空艇が姿を現した。緋色と黄金のラインが入った黒塗りの船体に、緋鋼の国章が刻まれている。
「二号艇は校舎北、三号艇は南へ、当一号艇は直上へ着ける。以降は各自判断で動け!」
「「了解!」」
薄暗い船内、計器ランプの淡い光が照らす。船内後方では、完全武装した海兵隊員と、軽装の衛兵隊員が座っていた。エドワードの隣には、一人の副官が立っている。
操縦席正面の魔導水晶板。そこに映る中庭を見ながら、その副官が尋ねた。
「あの新人、成功しますかね?」
「私の好敵手がいる。必ずやり遂げるさ」
中庭の中央で爆発の光が見えた。音は鳴らない。上空まで、黒焦げになったクマのぬいぐるみが飛んできた。二発目の爆発、光が見えて、音が鳴った。
「少佐、聞こえますか? 広域占術封鎖の解除、及び広域次元封鎖の解除に成功しました」
その報告を受ける前に、既に各飛空艇から突入部隊がロープ降下を開始している。屋根に取りついた隊員達が二手に分かれて待機している。
「感度良好。突入せよ!」
最初の隊員が片手を屋根に向け、無詠唱で呪文を発動すると、そこに異次元空間の竪穴が生じた。
「壁通路の発動を確認。広域次元封鎖は、ちゃんと解呪されています」
屋根に打ち込んだ環杭にロープを繋いで、懸垂下降で隊員達が講堂へと侵入して行く。
「当然だ。勤務態度は問題だが、実力のある娘だ。よし、我々も行くぞ」
「はっ」
副官が詠唱を始めた。
「我が前に道はなく、我が望む先に扉あり」
エドワードは、副官の肩に手を触れる。
「此処と彼方の狭間よ、ひと息の間だけ、継ぎ目を開け」
他二名の隊員も、同様に副官の肩と肘に触れた。
「距離を畳め。位相を越えよ」
副官の伸ばす指先に、輝く宇宙空間にも似た景色──星幽界が窓の様に広がった。
「──次元扉」
エドワード達は、その窓へ瞬時に吸い込まれた。
【 同日 4:02 七聖学院 講堂 】
わたしは小麦粉の詰まった包みを、宙に向かって放り投げた。緩く留めてあるだけの包みだから、勝手に広がって中身が飛び散る。
他のみんなも一つずつ持っている。学芸会で化粧に使った残りの白粉や、チョークの粉が詰まった袋の子もいる。
こんな即席の煙玉じゃ、そう長くは続かない。
それでも、人質が逃げる時間を稼ぐには十分だった。
「な、なんだ⁉」
「ひええーーッ⁉」
仮面の男達が、次々に悲鳴を上げるのが聞こえた。ジークハルト先生と、つばめお姉様が、煙に紛れて何人かの手下を倒してくれる計画。
「みんな、避難誘導に従って!」
つばめお姉様に続いて、正面玄関から逃げる組。
「結界杭を使うのよぅ!」
オーレリアの指示で、スープの鍋底に隠し持って来た魔道具を使って、立て看板みたいな盾になる結界で道を作っている。
これは流れ矢も止めてくれるし、手下が接近できないようにしてくれる。何より白煙で周りが見えなくても、ちゃんと道案内になってくれる。
「ミシェル様!」
マリアンナさん達は、ミシェル先輩と一緒に、裏口から脱出する組だ。
「私は後でいい。月組の子を先に!」
イネヴェアさん達は、星見の塔から脱出する組だ。ハリスさんが言うには、あそこにも脱出路があるらしい。
「僕はブラスシルド家だぞ。僕も最後でいい」
「誰か先導する者も必要でしてよ。おどきなさい!」
その時、天井に異次元的な穴が開いて、そこから垂れて来たロープを伝って、海兵隊の人たちが降りてきた。
仮面の男達が何事か叫んで、羽のない矢を放って応戦しているのが見えた。
「エドワード様っ!」
ハリエットの声も聞こえてきた。見ると、エドワードさんが講堂の中央に立っていた。周りにいる隊員の人たちが生徒達を守るような位置に、ばらけて走って行った。
「ハリエット、避難を急いで。......いや、私の傍に」
「はい!」
ハリエットは安心だ。わたしは、ヴァンを探した。
白煙が少し薄れて来た。あちこちで戦いの音が響く。わたしは壇上を見た。
ヴァンがいた。
ゴーンズさんもいた。
その前に、柄の長い大きな斧を持った大男がいた。
「逃がすかよ。くそガキ」
ヴァンは短剣を握って、大男と対峙していた。
「小さき火よ、境を照らせ。我が前に、九重の門を示せ」
どこからか詠唱も聞こえてきた。
「彼方の野に在るものよ、天の階に在るものよ」
壇上の端だった。
「地獄の鎖に在るものよ、混沌の淵に爪を研ぐものよ」
術師の幹部が、巻物を開いている。わたしが今まで見て来たどんな呪文の巻物よりも大きくて長い。
「我が呼び声を聞け。我が名を標とせよ」
心なしか、周囲が少しだけ暗くなったような気がする。
「我が敵を敵とし、我が戦場に、ひととき形を結べ」
魔法が使えない領域を避けて、講堂の板床に光の円形が広がった。
「この門は檻にあらず。この命は永き拘束にあらず」
光の輪に幾つもの直線が伸びて、走って、繋がって、見たこともない文字が浮き上がって、それが魔方陣だと気付いた。
「約の輪を越え今ここに、招かれし客として降り立ち──」
こんな長い詠唱も初めて聞いた。
「──敵を屠れ」
その呪文が完成する頃になって、ハリスさんが叫んだ。
「誰か、あの詠唱を断て‼」
ヴァンが術士幹部の方へ行こうとした。
「させるかよ!」
戦士幹部に邪魔された。
「あれは第九位列術式魔法⁉ 阻止しろ!」
エドワードさんの声で、何人かの隊員が向かった。
間に合わない。
「──怪物招来‼」
床一面に描かれた魔法陣が、赤黒い光を放った。光が線から線へと走り、幾重もの円環が回転を始める。
直後、その中心から何かが競り上がってきた。
「くそ、遅かった! 避難を急げ!」
最初に現れたのは、巨大な獅子の頭だった。錆色の目がギラつく。
続いて鬣に覆われた首、岩塊のような肩。床から生えてくるように巨体がせり上がり、その背からは湾曲した角を持つ山羊の頭が姿を現す。
さらに両肩から、黒い触手が一本ずつ這い出した。それは血のように赤い棘を、先端に幾つも生やしている。触手は床を叩くと身をよじり、引きずり出される巨体を支えるように石床へ突っ張った。
最後に四肢が抜け出し、長大な蛇の尾が魔法陣から這い出してくる。
光が消えた。魔法陣も消え失せた。
そこには、講堂を狭く感じさせるほど巨大な異形が立っていた。
「キマイラ......だって⁉」
わたしは腰が抜けそうになった。
学生の大部分は、もう講堂から出て廊下にいる。それぞれ隊員に守られて避難中だけど、わたしは壇上のヴァンが気になって、残っていた。
大きな魔獣、キマイラが目の前にいる。ヴァンの姿は、その向こう側に遮られてしまった。
低い唸り声。錆色の眼差しが、わたしを捉えた。
「はよう逃げや!」
気付くと、わたしはヴァルクさんに荷物のように抱えられていた。
「みんな、離れてっ‼」
キマイラの山羊の頭が口を開いているのが見えた。何か光と熱が集まっている。
獄炎の息吹。
轟音という感じはしなかった。
むしろ、無音に感じた。
次の瞬間には、講堂の正面扉が吹き飛んでいた。さらに学院の正面玄関も吹き飛んで、大きな穴が開いて、建物が崩れていた。柱と壁の瓦礫が散らばった。
「え......? え?」
噴水も砕けていた。地面が抉られていた。
そこに逃げていたはずの学生達は?
なくなっていた。
何もかも。
つばめ先生も。
わたしは、嫌な想像で、胸が張り裂けそうになった。
「──今です。さあ進んで!」
声。
アルフォンス先生の姿が見えた。つばめ先生の姿も見えた。どの学生も、正面玄関に出ないで、脇の廊下で進まずに待機していた。
わらわらと、みんな避難していく。
あの力だ。きっと、アルフォンス先生が最適解を選んだに違いない。
涙が出そうになった。
その安心も束の間。
「もう一度、やれ!」
術士幹部の声が聞こえた。また光と熱が集まる。
再び炎の息が吐き出された。
「させないよ」
光の壁が、子供達の背中を守った。マギさんが立っていた。
その隣にいるマナさんが、片手をキマイラに向けた。氷の塊が、飛んで行った。
衝撃音。魔獣の叫び。
「エドワード、こん子も頼むちや!」
「ミコトちゃん!」
「こっちなのよぅ!」
ハリエットに、オーレリア。わたしは二人と一緒に、地面に刺した結界杭の後ろに隠れることになった。
傍らに立つエドワードさんが、あちこちから報告を受けたり、指示を出している。
「ヴァン! どこ!? ヴァン!」
わたしは大声で呼びかけた。
「今はデカブツを倒すのが先決だ。ヴァルク、手伝ってくれ」
完全に白い煙が晴れたその時、緑っぽい乳白色の光が走った。
「ぐあっ」
隊員の一人が撃たれた。
聞いていた魔法では、その人は塵になるはずだった。でも代わりに金属の腕章みたいな何かがボロボロになって崩れ落ちるのが見えた。
「分解に撃たれた者は、後退せよ! 呪文相殺の腕輪を失った者は、決してヴネオンに近付くな!」
あの魔法については聞いてる。ヴァンは、あんな腕輪なんて持ってない。
わたしの心が、ざわついた。
術士幹部が、壇上の端にいた。
「キマイラよ! 我らの敵を皆殺しにしろ!」
その時、術士幹部の胸に切っ先が生えたように見えた。
「させぬ」
エイデンさんが、その背後にいた。
術士幹部が、命が燃え尽きる前に何か詠唱しようとした。
「それも、させぬ」
次の瞬間。術士の首から上が、どこかに行った。
「あれは見ない方がいい」
エドワードさんが、わたし達の前に立って視界を覆った。
術士が倒れても、魔獣は動き続けた。魔法を次々と打ち込むマナさんや、外の衛兵隊の方に誘き寄せられて、正面玄関の方へと向かう。また炎を吐いた。
マギさんの張った壁が崩れた。
アルフォンス先生が別の壁を貼り直した。
獅子の頭が震えたかと思うと、大きな咆哮を上げた。耳の鼓膜が、どうにかなりそうなほどの大きな声だった。足がすくんでしまう。多分、なにか魔法みたいな力が、この叫びにはあるんだと思った。
わたしはヴァンが気になって、壇上の方を探した。ヴネオンがいるのは見えた。でも二人はいない。
「エイデン、離れろ! そいつは後だ! 分解は手に負えん!」
「承知!」
エドワードさんの声を聞いて、エイデンさんは距離をとった。
「エイデン! あっちが先ぜよ!」
ヴァルクさんは、キマイラの方へ向かった。エイデンさんも続く。
学院の外では、すごい戦いが起きているのだと思った。たくさん爆音や、魔法の炸裂する音が聞こえてくる。たまに咆哮。
でも、わたしの関心事は、ヴァンの居場所だった。あちこちで、仮面の男たちと、衛兵隊の人たちが戦っているので、見失いそうになった。けれど。
いた。
キマイラの向こう側だった場所で、戦士の幹部と戦っていた。
ジークハルト先生も加勢していた。ハリスさんもいた。三対一でも、戦いの分が悪そうだった。
「どけ、死にぞこない!」
柄の長い大きな斧が、軽い棒きれみたいに振り回されている。ジークハルト先生が、仮面の男から奪った戦棍で防いでいるけれど、一回一回、あの攻撃を受ける度に腕が吹き飛ばされそうになっている。
「退かん! 生徒達を守るのが教師の役目だ!」
「ヴァン、撤退だ! 疲労している!」
「だめだ! こいつを放っておくと、みんなが死ぬ!」
ヴァンが、飛び掛かっているのが見えた。短剣の一撃を、戦士の幹部は大きな斧で弾いている。意外と器用な動きだった。でも、あれならヴァンの方が強いと思った。
やっぱり、ヴァンの振った刃が大男の肩に入った。水平の一文字に斬られて、血が出ているのが見える。
「ぐっ、こいつ...‼」
よくやった。と思う反面、わたしは少し怖くなる。
ヴァンが、人を殺さないで欲しい。
ヴァンが、怪我しないで欲しい。死ぬなんて絶対にいや。
ああ、ダメだ。わたし欲張りだ。
みんな無事でいて欲しい。誰も死なないで欲しい。当たり前のことなのに、その中でも、ヴァンだけは特別。ヴァンだけは絶対に。そう思ってる。
どうしよう。
わたし本当に、本当に、心の底からヴァンのことが好き。
大好き。
わたしが戦えたら、飛び出して一緒に肩を並べて、ヴァンを支えるのに。
怖い。すごく怖い。
おねがい。ヴァン、死なないで。
おねがい。みんなを助けて。
恋愛の女神さま。おねがい。
おねがい、どうか。
『だったら、お祈りなんかしてちゃだめ』
え?
『神頼みは、最後の最後になさいね』
恋愛の女神さま?
『人の身で、やれることを全てやってみて、その後で』
でも、わたし戦えない。
『敵を倒すだけが、戦いじゃないわ。......ほら、ハリエットちゃんを見て?』
ハリエット?
『エドワード様が隣にいるから、ちっとも怖がってない』
うん。
『今度はエドワードさんを見て? 多分、いつもより二割増しで強いわよ。許嫁の前だから』
そうなんだ。
『今度はあっち。エイデンさんを見てごらんなさい』
ん?
『ね? あんな魔物を殴れるなんて、つばめちゃんの前だからに決まってるわよ』
うん、すごい。
見れば、山羊頭の顎が上を向いて、火の息が夜空に向かって吐き出されていた。人間、あそこまでやれるんだ。
『それだけじゃないわ。みんな、「......誰かと一緒にいたい。誰かに生きていてほしい」って、そう願ってる。「──こんなところで死ねない」って、そう思ってる』
......あ。それって。
『そう。あなたが、みんなの心に火を着けたのよ』
わたしが......。
『ミコト、忘れないで』
なにを?
『恋する乙女は、絶対無敵』
え?
『はい、復唱。恋する乙女は、絶対無敵!』
は、はい⁉ 恋する乙女は、絶対無敵!
『よろしい。それでは現実に戻って、できることをやりなさい。お祈りタイムは、終わり!』
......はっ⁉
時間にして、数秒もなかった。わたしは、ヴァンと両想いになってから、一度も聞いてなかった恋愛の女神さまの声を聞いた。
「ヴァン!」
好きな人の名前を叫んだ。
わたしは、わたしにやれることを、する。
「クソ雑魚が!」
......そう決意したのも束の間。
ジークハルト先生が吹き飛ばされて、壁に叩き付けられた。
「死ね、ガキ共っ!」
ハリスを庇って、ヴァンも吹き飛ばされている。
「とどめだ!」
だめ......‼
わたしは飛び出していた。