最終話 また、見つけてね
七聖学院の講堂。
そこは卒業式で先輩たちを見送り、入学式で後輩たちを出迎える。そんな、素敵な場所だったはずなのに。ここはもう既に。
──戦場だった。
炎と矢が飛び交い、人々の怒鳴り声や、悲鳴が満ちている。窓硝子は割れ、床板は剥がれ、建物は崩れた。血を流して倒れる人、死んでしまった人もいる。
私は不安で、怖くて、怖くて、泣き出しそうなのを我慢していた。エドワード様が来て下さったから、嬉しくて、ちょっと不安が消えた。
でも、まだ安心できる状況じゃなかった。私は今、目の前にある命の灯火を繋ぐこと、そのこと以外に考える余裕はなかった。
「先生、今すぐに治しますから」
「それよりハリエット、みんな脱出はできたか?」
「こんな時に、自分の心配が先なのよぅ!」
ジークハルト先生の深い傷に、包帯を宛がうオーレリア。
「あんた、無茶はここまでだ」
「肩をお貸し致します。先生も急いで脱出しましょう」
ゴーンズさんと、キャサリンさんが二人で肩を貸して、ジークハルト先生が起き上がろうとした時だった。
爆音が響いた。
壇上の方だった。
嫌な予感がした。
とても嫌な予感がした。
私が見た時、遠くてはっきりと声は聞こえなかったけれど。
ヴァン君の背中、その向こう側で。
「また、見つけてね」
ミコトちゃんが、寂しそうに笑っていた。
──え?
次の瞬間、光がミコトちゃんを呑んだ。
嫌だ。
誰か、これは嘘なんだ。夢なんだと言って欲しかった。
ヴァン君が、呆然としていた。どんな顔をしていたかは分からない。
ただ糸が切れて、動かなくなってしまった繰り人形のように。とても静かだった。
ハリスが何か叫んでいた。ヴァン君に駆け寄ろうとしていた。
「ヴァン! 無事かえ!」
ヴァルク先生の声も聞こえた。他にも大勢、やって来たのが分かった。でも、私はヴァン君から目が離せないでいた。
その黒い髪の毛が、おまえ和之国の人なんじゃないかと冗談で言われることもあった、あの髪の毛が、根元から灰色に、そして白色へと染まっていった。
ミコトちゃんと二人、おそろいだった。お似合いの黒髪だったのに。まるで何かが抜けて、剥がれ落ちて、失われていくみたいに、色がなくなった。
ヴァン君は、小さな刃を一つ握り締めて、ただ真っ直ぐに向かって行った。あれは無謀だと思った。あの嫌な音が鳴って、光が来た。
今度は、ヴァン君まで光に呑まれる。そう思った時。
一本の剣が、その間に投げ込まれた。
「ヴァン!」
走り込んで行ったヴァルク先生だった。その剣は、ヴァン君の代わりに、塵になって崩れた。
ヴァン君は、その塵がまだ地面に落ちるよりも先に、そんなもの気にしないみたいに真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに突き進んでいた。
────殺した。
私は息を呑んだ。
何か、言葉を。
なんて、言えばいいの。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ‼」
ヴァン君が叫んでいた。胸に短剣を突き立てられた男は、仰向けに倒れていた。その上に跨って、何度も何度も殴りつけていた。
「ヴァン! もうえい。そいつはもう死んぢょる!」
ヴァルク先生が、後ろからヴァン君を抱き留めた。
気が付けば、外の魔物は倒れていて、襲撃犯の人達は、みんな死ぬか捕まるかしていて。生徒のみんなは避難していて。とても静かになっていた。
ヴァン君が、ふらりと立ち上がった。
「ねえ、ミコトちゃんの姿が、どこにも見えないんだけど......」
つばめ先生に、オーレリアが抱き着いた。
「......先生」
その続きを、言わなかった。
たぶん、言えなかった。
ヴァン君が、冷たい石床に落ちた衣服の前に、膝をついた。
「......ミコト」
あの時、みんなで花火を見た時の服だ。
ヴァン君は、それを拾って、抱きしめた。
遠くに、古き影の森。
さらに遠く、青灰色の石の背山脈の尾根。
夜が抜け、水晶湖の湖面に朝の光が差した。
ヴァン君の泣き叫ぶ声は、そこにいる誰もが聞いた。
ひどく壊れた七聖学院も、いつもと変わらない雄大な景色も。
何も答えてはくれなかった。
* * *
七聖学院襲撃事件。
緋鋼皇國暦1003年、覇竜12年、3月8日~3月10日。
記録者、オーレリア・キルシュ。
武装集団によって七聖学院が襲撃を受け、占拠された事件。主犯格は、マディアラス・ヴネオン。禁断の知識神の信者であり、後々の調査で黒壇の教団の構成員であると判明する。
犯人達は、学生と一部の教職員を人質として学院に立て籠もり、学院各所に爆弾も仕掛ける。彼等は皇國政府に対して身代金と、皇宝具を要求した。
しかし、ヴェナリス皇帝は、要求を却下する。最終的に、内部の詳細情報を得た緋鋼皇國海兵隊による突入作戦によって、襲撃犯達は鎮圧され、主犯格以下、半数以上が死亡。人質は無事に解放された。
事件後、学院は一時閉鎖となったが、建物の補修が終わった6月半ばには、再び授業が始まった。しかし、生徒の多くは既に七聖学院を離れ、皇立統合学術園の方へと移っていた。
また、アンディアナ校長は全責任を負って辞職。ジークハルト先生は怪我で療養。その穴埋めとして、クィジル教頭が校長代理と生活指導担当を兼ねる事となった。
この学院襲撃事件では、衛兵隊に二名の殉職者、多数の負傷者は出たが、誰一人として学院関係者に犠牲者はおらず、事件は無事に解決された。
──と、世間には発表されている。
しかし、事件に無関係な行方不明者として、公的記録に残されている者が一名いた。
ミコト・サトーだ。
彼女には戸籍が無かった。出身国とされる和之国にも、サトーという家名はあるけれど、留学生を派遣したという事案に、該当する貴族家は発見されなかった。
また、ミコト・サトーは、転入時の書類に幾つかの不備と、不審な点が発見された為、初めから学院に在籍しなかった者として処理されている。
であるにも関わらず、彼女の存在を証言してくれる者は、学院関係者はもちろん、皇族関係者の中にもいる。しかし、ヴェナリス皇帝の出身校でもあり、皇族と九大貴族の子弟が学ぶ七聖学院で、たった一人でも生徒に死者が出たという不名誉は、絶対に許されないそうだ。
だが、私は記録する。その場には、ミコト・サトーという名の、眼鏡の似合う、ちょっと気弱で、時に大胆で、あの時、あの場所で、みんなの恋心に語り掛けて、勇気をくれた女の子がいた事を、記録する。
私達の大切な、ともだちだ。
* * *
あの日から、ヴァンはあまり誰とも話さなくなった。
皇國将棋もしなくなった。
食堂でも、講堂でも、庭でも、隣に空席があるみたいに振る舞った。
ただ、ルナの世話だけに没頭した。
誰の慰めも、届きはしなかった。
だが、ある日を境にヴァンは変わった。
勉学に励んだ。
授業もサボらなくなった。
エイデン神父に弟子入りして、更に自分を鍛えた。
彼を前に進ませたのは、アルフォンスの言葉だった。
「ミコトさんに、また会える方法があります」
理由はどうでも良かった。
「おれは絶対に、ミコトを見つける」
ヴァンの長い旅が、今ここから始まった──。
続く。