第九十一話 仕込み
【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 10:32 星見の塔 】
気配が迫っている。
ミコトが入り口の方を見ている。
「違う。そっちじゃない」
おれは部屋のあちこちを見回す。
大望遠鏡が設置してあったはずの台。丸くて大きな天窓。壁。......壁の外?
「壁の外? まさか......」
「え? だってここ、五階ぐらいの高さあるよね?」
おれはミコトに台の陰へ行くように手で合図して、ルナも差し出した。
「......あ、うん。分かった」
ミコトはルナを抱きかかえて、細い支柱の陰に隠れた。完全に隠れるには頼りないが、何もないより少しはマシだ。おれも短剣を抜いて、別の支柱の陰に隠れる。
天窓の外に人影が見えた。
硬質な金属の音。
窓の隙間から刃が差し込まれている。外れた錠が床に落ちた。
ミコトの肩が跳ねた。ルナの耳がピンと立った。
誰かが侵入してきた。おれは機先を制するために、着地の瞬間を狙って飛び出した。
黒い装束。顔にはお面。
敵だ。
今度は迷わない。殺さずに無力化できる場所を狙う。太腿だ。
ん? こいつ、太腿がむきだしだぞ?
そう思った直後、手首が掴まれた。引き込まれる。
やばい。おれは突き出した腕を戻す。
──え?
おれの身体が宙を舞っていた。
多分、関節の逆をとられた。戻すタイミングで、力も利用された。
こいつ、巧い。
衝撃。石床の硬い感触。
「うっ」
おれは相手の顔を見た。
天窓から差し込んで来る陽を背に、耳のあるお面がのぞき込んでいる。
ん。......耳?
「ちょっと、ヴァン。いきなり危ないじゃない」
聞き覚えのある声だ。
「つばめお姉さま⁉」
ミコトの声で、おれは我に返った。白い狐の仮面を外して、つばめさんがおれを見ている。ちょっと、恥ずかしくなる感じの黒い装束。おれは、これを知ってる。
「......ニンジャ?」
「ああ、それは忍者ですね。つばめさん、くノ一だったんですか?」
クノイチ?
「そんな言葉、よく知ってたわね。......まあ、昔ちょっとね。ほら、起きて」
つばめさんに助け起こされながら、おれは尋ねる。
「つばめさん、なんでここに?」
「それはこっちの台詞よ。......あ、その前にちょっと待って」
つばめさんが目を閉じた。何度も頷いてる。
「よかった。この高さなら繋がる」
......繋がる?
「今、アルフォンスと話をしてるの。二人に出会ったって、報告してるところよ」
みー。
「ごめんなさい。二人と一匹だったわね」
話? 多分、アルフォンス先生の魔法だろう。
ゴーンズさんの話だと、マナとマギを連れて先に脱出したらしいけれど、ちゃんと無事だと分かって安心した。
「さて、こんなところで二人に会っちゃったら、あたしも少し予定変更ね」
「予定、ですか?」
「そう。あいつら全部、あたしが一人ずつやっつける予定だった」
「すげえ。前に兄貴が言ってた通りだ」
「なんて言ってたの?」
「忍者は悪魔みたいにコワイって......、それって、つばめさんのこと?」
「あいつ、何を教えてんのよ。大丈夫よ。ヴァンくぅん、つばめお姉さんは、コワイ人じゃないからね~?」
「うそだ。......さっきの、本気だったら、おれ殺されてた」
「殺さないって。それに、すぐに誰か分かったし。......それより、その顏。酷い怪我してるじゃない」
「おれたちで、敵を一人やっつけた。今は地下室の箱に入れて、ゴーンズさんが見張ってる」
「まったくもう、無茶して......」
つばめさんは、おれの顔を両手で包むと、目を閉じて、呼吸を整えた。
呪文じゃない。これは、別の何かだ。呼吸。とても深くて、長い呼吸。
おれの傷から、痛みが薄くなっていく。腫れも少し引いていくような気がした。
「つばめ先生、魔法は使えないんじゃ?」
その通りだ。おれも今まで、つばめさんは魔法を使えないと思っていた。だけど、これは魔法みたいな神秘的な力だ。
でも違う。これは多分、兄貴が前に言ってた技術体系、呪文とは根本から異なる業、生物の肉体を巡る力を上手に使う方法。体術の延長線上にあるもの。
氣術。
そうだ。この温かい力。人の命と、呼吸を紡いで生まれる力。これが噂に聞く氣術に違いない。まさか、こんな身近に使い手がいたなんて。
「はい、これでよし。とりあえずは、マシになったでしょ」
「うん、ありがとう。......今の、氣術?」
「ヴァルクから聞いたのね。ええ、そうよ。あなたも機会があったら、エイデンから学ぶといいわ」
「エイデンさんも、氣術を?」
「ええ、もちろん。あの武神館出身だからね。きっと、あたしなんかよりも、技とか仕込むの上手いと思う」
「そうか。今度、エイデンさんに聞いてみよう」
ミコトが首を傾げている。多分、なんの話かよく分からなかったのだろう。後で教えてあげよう。
でも、ミコトだったら、恋愛の女神様の巫女なんだから、その内に神聖魔法が使えるようになる気がするけれど。
「......あ、そうそう。そんなことより、ちょっと着替えなきゃ」
「そうか」
「ヴァン?」
「ん?」
ミコトに両目を抑えられた。
「そうか、じゃ、ありません。お姉さまのお着換えだから、ヴァンは、あっち向いてて」
おれは強制的に回れ右させられた。
【 同日 11:08 七聖学院 厨房 】
厨房は、妙に静かだった。
出入口には仮面の男が二人。俺達は監視されていた。
鍋の中では残り野菜のスープが煮えている。備蓄のパスタは短く折って茹でた。
「ウォルター・ヒギンズ。鍋を見なさい。底が焦げないように」
「は、はい」
キャサリンさんの指示に、ウォールが長い木べらを両手で握って、大鍋の中身をかき混ぜている。
俺は小麦粉の袋を動かすふりをして、作業台の下を見た。
包丁と、鉄串。それから料理鋏。
どれも武器ではない。だが、使い方次第では武器になる。全部まとめて大ざるに入れて、邪魔にならない位置、目立たない位置へ少しずつ寄せた。だが目標とする数には足りない。
オーレリアが横目で見た。何も言わない。
俺が文字を書き込んで、作業台の端に置いた紙。オーレリアが手に取り、そっと開いて中を見る。
「これは大変なことのよぅ」
紙を閉じると、エインの方へと差し出した。
「......花火の時も、こんな風だったのね」
続けてミシェル先輩。
「これは、命懸けだぞ」
ウォールだけが首を傾げている。
「それ、何を書いてるの?」
「献立だ」
「和語で?」
「和之国料理だからな」
「そういうものなの?」
「そういうものだ」
その時、見張りの一人が近付いて来た。
「おい。何をしている」
男が紙を覗き込む。
和語で書かれた献立。材料。手順。分量。そう見えるはずのもの。
「読めねぇぞ」
キャサリンさんが、一歩前へ出た。
「本来、本日は和之国に伝わる料理を振る舞う予定でした。これは、その献立と手順でございます」
「和之国?」
「はい。異国料理は、分量と順序を間違えると味が崩れますので」
男は紙を睨んだ。
「だったら、そこのガキは何で読めねぇんだ」
ウォールが指された。
「え。ぼく?」
「おまえ、読めねぇんだろ」
「読めません」
事実だ。
「ぼくは和語の成績は悪くて......。料理実技はできますけど、和語はできません」
オーレリアの肩が、ほんの少し震えた。
笑うな。
「......妙な真似はするなよ」
「もちろんでございます」
キャサリンさんは、眉ひとつ動かさなかった。いつもなら、授業中に手紙なんて回していようものなら、見つかって廊下に立たされるか、掃除当番の罰を受けているだろう。
男が戻る。
キャサリンさんは改めてレシピの紙を見て、中身をじっと読んだ。
[ 本日の献立 ]
俺の方を一瞥した。視線を戻した。
[ 包丁、麺棒、火掻き棒、油瓶、鉄串、肉叩き、料理用鋏を作業台下へ。 ]
キャサリンさんは、作業台の下を確認した。視線を戻した。
[ 敵の人数、武器、移動の間隔を記録。 ]
オーレリアを一瞥。視線を戻した。
[ 今は従う。絶対に先に動かない。 ]
俺はキャサリン先生をじっと見た。目が合う。ゆっくりと頷いてみせる。
「いいでしょう。私は認めます。......ですが、スープの仕込みには、味噌を使います。つばめ先生が皆さんに故郷の味をと、かつて寄贈してくれたものがあります。それを使ってください」
ウォール以外の全員が、笑顔になった。
【 同日 11:54 七聖学院 講堂 】
食事は皆に行き渡った。
ミソスープには、短く折ったパスタが入っている。それと小麦粉を練って焼いた薄いパン。
星級の小さい子達は、まだ不安そうにしながらも、木椀を両手で抱えていた。温かいものが胃に入るだけで、泣き声はずいぶん薄くなる。
だが、全員が落ち着いたわけではない。
「......嫌だ」
最初は、小さな声だった。
フェルトンが、木椀を持ったまま震えている。朝の時とは様子が違う。
「嫌だ。こんなところにいたくない。僕を帰せ。僕はブラスシルド家の人間だぞ。こんな場所に閉じ込めていいわけがないだろ」
「フェルトン、落ち着け。みっともないぞ」
ミシェル先輩が声を掛けた。
「嫌だ! 落ち着けるわけがないだろ! ここは危険だ。危険なんだよ! どうしてみんな分からないんだ!」
分かっている。
誰だって分かっている。
けれど、それを声に出さず、飲み込んでいるだけだ。
「帰せ! 今すぐ帰せ! 僕だけでもいい。金なら父上が払う。だから、僕を――」
「フェルトン・ブラスシルド」
ジークハルト先生の声が、講堂を裂いた。
フェルトンの肩が跳ねる。
「返事」
「......は、はい」
「食事中に立ち上がるな」
「で、でも」
「返事」
「......はい」
ジークハルト先生は、壁際に背を預けて座っていた。治療は受けたが、顔色は悪い。額の血は拭われ、傷も閉じている。それでも、全快には程遠い。なのに、声と気迫は少しも揺るがない。
「フェルトン。椀を置け」
「はい」
「ブラスシルド家と言ったな」
「はい」
「ならば、恐怖に命令権を渡すな」
フェルトンは俯いた。
「......はい」
「よろしい。食事を続けなさい」
講堂に、また静けさが戻った。
俺は、フェルトンを見た。情けない。確かに情けない。
だが、あいつの恐れは間違っていない。ここは危険だ。帰りたいと思うのも当然だ。騒がないだけで、俺だって同じことを考えている。
それにフェルトンは──。
その時、壇上の水晶が淡く光った。
十二時。
次の連絡の時間だ。
赤黒い魔道衣の男、ヴネオンが椅子に座り直す。術士幹部が念話水晶を調整し、淡い光が像を結んだ。
水晶の向こうに、天幕の中が映る。
エドワード少佐がいた。
姉さんの目が、その姿に向いた。
俺達でも、校長先生でもない。真っ直ぐに、水晶の向こうのエドワード少佐を見ている。
何かを言うわけではない。ただ、少しだけ指先が動いた。少佐との関係性を、敵に悟られてはいけないと、そう考えているに違いない。
『マディアラス・ヴネオン』
エドワード少佐の声が届く。
『期限について、再度交渉したい。金貨三十万枚と、要求された三つの皇宝具。いずれも正午までに用意できるものではない』
「では一部だけでも先ずは差し出せ。誠意を見せろ」
『そう思って、少しは準備した。一部の保護者から打診が来ている』
ヴネオンは笑った。
「相変わらず話が早いな、海兵隊」
『身代金を支払う。だから、自分の子だけでも先に解放してほしい、というものだ』
講堂の空気が、わずかに変わった。
誰の親だ。
誰が解放される。
自分はどうなる。
そんな考えが、声にならないまま広がっていく。
ヴネオンは、ゆっくりと生徒達を見渡した。
「なるほど。親というものは、どこの家も自分の子が可愛いらしい」
『返答は?』
「考えておこう」
『負傷者の追加治療は継続させろ』
「それも考慮する」
『人質全員の安否確認も、定時で継続させてもらう』
「要求が多いな」
『人質を生かして交渉材料にする気があるなら、当然の確認だ』
ヴネオンは、しばらく黙った。
それから、袖の中へ手を入れた。
「では、こちらからも一つ、確認しておこう」
取り出されたのは、小さな魔導具だった。
黒く細長い小さな箱。細い溝。赤い石のようなもの。中央には、小さな押し込み式の突起。
何なのかは分からない。
だが、分からないからこそ、胸の奥が冷えた。
「これが何か分かるか?」
水晶の向こうで、エドワード少佐の表情が消えた。
ヴネオンは楽しそうに微笑む。
「起爆装置だ」
誰かが、息を呑んだ。
「この学院のあちこちに、爆弾を仕掛けた」
フェルトンの木椀が、かた、と鳴った。
ヴネオンは赤い石の上に指を置く。
「誰かが逃げる。誰かが忍び込む。誰かが余計な真似をする。おまえ達が突入する。その時は――」
そこで一度、言葉を切った。
講堂の誰もが、その指を見ていた。
「学院ごと、吹き飛ばす」
フェルトンの恐れは、正しかった。
誰も、もう笑えなかった。
俺達は、計画の変更を余儀なくされた。