第十二話 したっぱ兄弟
その時。
「おい」
背後から、声がした。
ミコトは、ルナのために買った包みを胸元へ寄せた。中には柔らかい布と、水皿と、餌皿が入っている。落とせば困るし、割れたらもっと困る。だから振り返る時も、自然と包みを庇うような格好になった。
ヴァンは、ミコトより先に振り返っていた。
市場の大通りから少し外れた細い道に、二人の男が立っていた。
一人は、くたびれた頭巾をかぶった痩せ気味の男だった。服はあちこち擦り切れ、泥の跡も残っている。顔には薄い無精ひげがあって、目は落ち着きなく動いていた。
もう一人は、少し年上に見えた。禿げ上がりかけた頭に、大きな口ひげ。大きめの耳。腕を組んで偉そうに立っているが、服は同じようにぼろく、靴の片方は紐が切れていた。
「学生様じゃねえか」
頭巾の男が言った。
「いいもん持ってんじゃねえの。なあ、あにき」
「ばか。最初から荷物の話はすんな。見るだけにしろ。見るだけなら盗みじゃねえ」
「なるほど。おい、オレ達はしたっぱ兄弟だ。荷物を見せろ」
「ばか。自分でしたっぱとか言うな。それに、そこは荷物を見せて下さいだろうが」
「なるほど」
ミコトは、何と返せばいいのか分からなかった。兄貴と弟分。この二人はたぶん、悪い人達なのだと思う。けれど、言っていることが少しずつ抜けていて、怖いよりも先に対応に困ってしまう。
ヴァンは黙っていた。
兄貴は咳払いをして、仕切り直す。
「悪いな、おじょうちゃん。こいつは礼儀ってもんを知らねえ。オレがちゃんと教えてやってるところなんだ」
「はあ」
「つまりだな。ここを通るには、通行料がいる」
「通行料、ですか」
「そうだ」
「ここは、市場の道ではないんですか?」
「市場の道だ」
「では、市場の通行料ですか?」
「そんなところだ」
「では、二人はお役人さんですか?」
「いや、そうじゃねえ。そうじゃねえんだ」
兄貴は少し詰まった。弟分が横から小さく言う。
「あにき、オレ達のナワバリって言うところですぜ」
「今言うところだった」
「でも、ここ、衛兵がよく通りますぜ」
「今それは言うな」
二人は小声のつもりらしいが、ミコトにも聞こえていた。
ヴァンが呆れたように短く言った。
「どけ」
兄貴は腕を組み直した。
「そう簡単にはどかねえ」
「そうですぜ。あにきは、どかねえ時は本当にどかねえんです」
「お前は黙ってろ」
ミコトは、思わず包みを抱き直した。その動きを見て、弟分の目が包みに向いた。
「あにき、やっぱりあの包み、気になりますぜ」
「割れ物っぽいからやめとけ」
「でも、学生様の持ち物なら高いかも」
「高くても割れたら売れねえ」
「じゃあ、見るだけ」
そう言って、弟分の男は手を伸ばした。
ミコトは一歩下がろうとした。
その手が包みに触れる前に、ヴァンが動いた。弟分の手首を、軽く叩き払った。
「触るな」
その声は静かだった。
「あにき、このガキちょっと生意気ですぜ」
「だから勝手に手を出すなと言っただろうが」
「言われましたっけ」
「言った」
「心に届いてませんでした」
「これだから、おまえはダメなんだ」
ヴァンは黙って見ている。それは見定めているようでもあった。
弟分は、兄貴の後ろへ隠れる。兄貴はそれを庇うように前へ出たが、表情はあまり強くなかった。
「こうなったら仕方ねえ。オレが出る」
「あにき」
「見てろ。あにきの迫力ってやつを」
「迫力あります?」
「これから出す」
兄貴は顎を上げて、できるだけ大きく見えるように立った。
ヴァンは黙って見あげていた。一歩も引かない。
少しの間があった。
兄貴の額に、じわりと汗が浮いた。
「......今日はこのくらいにしてやる」
「あにき、まだ何もしてませんぜ」
「だから、このくらいなんだよ」
ミコトは、怖がるべきなのか、笑っていい場面なのか、分からなくなっていた。その時、通りの向こうから足音が聞こえた。
衛兵が二人、こちらへ歩いてきていた。片方は銃杖を持っている。前に見た、槍にも杖にも見える太い柄と、先端の金属筒。もう片方は腰の小袋に手を伸ばしていた。
したっぱ兄弟の顔色が変わった。
「あにき、衛兵ですぜ」
「見りゃ分かる」
「逃げます?」
「まだ何もしてねえから、堂々と歩く」
「逃げるんじゃなくて?」
「やっぱり逃げようか。なら、堂々と逃げるんだ」
二人は何事もなかったような顔を作って歩き出そうとした。
けれど、兄貴は右へ、弟分は左へ行こうとして、すぐに肩がぶつかった。
「こっちだ」
「あにきが先に言ってくださいよ」
「言わなくても分かれ」
「分かるようなら、したっぱやってません」
「そこを誇るな」
衛兵の声が飛んだ。
「止まれ」
「やばい、ずらかれ!」
「へい、あにき!」
したっぱ兄弟は反射的に逃げ出した。けれど今度は、兄貴が左へ、弟分は右へ行こうとして、またすぐに肩がぶつかった。二人は妙な形でよろける。
衛兵の一人が、腰の小袋から針金の欠片を摘まんで取り出した。その指先が、二人へ向けられる。
「戒めよ、手足を留めよ。害なす意思を、その場に縫え。対人麻痺」
その詠唱が終わると、空気が、ほんの少しだけ重くなった気がした。針金の欠片は、霧のように崩れ落ちて消えた。
次の瞬間、二人の動きが止まった。兄貴は片足を上げかけたまま。弟分は驚いた顏のまま。二人とも目だけをぎょろぎょろ動かしている。口は開いているのに、声は出ない。
ミコトは、思わず包みを強く抱き締めた。ヴァンの背中に隠れながら、尋ねた。
「あれ、動けなくなったんですか」
「うん。対人麻痺の呪文」
ヴァンが言った。
「捕まえる時に使う」
「意識は、あるんですか?」
「ある」
ミコトは、固まった二人を見た。
悪いことをしようとしていた相手なのに、目だけが必死に動いているのを見ると、少しだけ怖くて、少しだけ気の毒にも見えた。
衛兵達は慣れた様子で近づいた。
「またこいつらか」
一人が呆れたように言う。もう一人がヴァン達に尋ねた。
「君達、彼等に何をされた?」
「通行を邪魔された」
ヴァンが答えた。
「それから、荷物に触ろうとした」
衛兵はミコトの包みを見る。
「怪我は」
「ありません」
「荷物は」
「大丈夫です」
ミコトは慌てて頷いた。
「猫さんのものなので」
衛兵は一瞬だけ眉を上げた。
「猫」
「はい」
「そうか。なら、無事でよかった」
その間に、もう一人の衛兵が兄貴の腕を後ろへ回し、縄をかけた。続けて、弟分にも縄がかけられる。麻痺しているので抵抗はできない。
けれど、二人の目だけは、まだ忙しく動いていた。
兄貴の目は、たぶん「すまん」と言っていた。
弟分の目は、たぶん「あにき、また捕まりましたぜ」と言っていた。
声は出ない。だから、たぶんでしかない。
「そいつら、どうなる?」
ヴァンが尋ねた。
「奉仕活動に従事させる」
「そうか」
「それじゃ君達、気を付けて帰るんだよ」
「猫ちゃんを大切にな」
衛兵達は二人を引いていく。ミコトは、その背をしばらく呆然としながら見送っていた。
やがて術の効き目が薄れたのか、頭巾の男がかすれた声を出したのが聞こえた。
「あにき......今日のところは、引き分けってことで......」
「負けだ、ばか」
兄貴が小さく答えていた。
二人は、そのまま連れて行かれて、街の角を曲がって見えなくなった。
ミコトは、したっぱ兄弟と衛兵達の姿が見えなくなった後も、しばらくその方を見ていた。
ヴァンは何も言わず、ミコトが動き出すのを待っていた。
「ヴァンさん」
「なんだ」
「いまの人達って、たぶん悪い人、なんですよね」
「分からない。弱いだけだと思う」
ヴァンは歩き出した。
ミコトは、その隣に並ぶ。
大通りの声が、少しずつ離れていく。焼いた麦の匂い。果物の匂い。革と油の匂い。さっきまで楽しいだけだった匂いの中に、ほんの少しだけ別のものが混じった気がした。
それでも、包みは無事だった。ミコトは、そっと胸元に抱え直した。
「ルナのもの、取られなくて良かったです」
「取らせない」
ヴァンは強く短く言った。
その言葉が、ミコトには少し心強かった。