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第十三話 便り


 放課後の教室には、まだ何人かの生徒が残っていた。

 窓から入る光は、昼間よりも少し柔らかい。
 机の影が長く伸び、黒板の文字も薄く見える。

 ミコトは、自分の席で手帳を開いていた。

 書き始めたばかりの手帳は、まだ余白の方が多い。
 けれど、少しずつ名前が増えている。

ハリエット
オーレリア
ハリス
イネヴェア
レオナ
チャミー
つばめ
ヴァン
ルナ

 書いた名前を見ていると、この学院に来てからの日数より、知った顔の方が多いような気がした。

 ミコトは顔を上げる。

 ハリエットは、少し離れた席で手紙を書いていた。

 いつもの教本でも、授業の板書でもない。
 淡い色の便箋を前にして、ペン先を止めている。

 一行書く。
 止まる。
 少しだけ考える。
 また、丁寧に文字を置く。

 ミコトが知っているハリエットは、迷っている人にすぐ手を伸ばす子だった。
 けれど今は、自分の言葉を選ぶことに、少し困っているように見えた。

「ハリエットさん、手紙ですか?」

 ミコトが尋ねると、ハリエットの肩が小さく揺れた。

「う、うん」

 便箋を隠すほどではない。
 けれど、見せるほどでもないらしい。

「エドワード様へ?」

 オーレリアの声が横から入った。

 ハリエットの頬が、分かりやすく赤くなる。

「オーレリア」

「違うのぅ?」

「違わないけど」

「じゃあ、いいのよぅ」

 オーレリアは悪びれなかった。

 ミコトは、手帳の上でペンを止めた。

 エドワード。

 まだ会ったことのない名前だった。
 けれど、ハリエットの反応を見る限り、ただの知り合いではない。

「エドワード様はねぇ」

 オーレリアが言いかける。

「言わなくていいから」

 ハリエットが止めた。

「許嫁なのよぅ」

 止まらなかった。

 ハリエットが額に手を当てる。

 ミコトは瞬きをした。

「いいなずけ」

 言葉を確かめるように繰り返す。

「はい。家同士で決まっているというか......もちろん、ちゃんとお話もしますけど」

 ハリエットは、便箋の端をそっと押さえた。

「まだ、そういうものです」

 そう言う声は、困っているようで、嫌がっているようではなかった。

 ミコトは、手帳に小さく書く。

エドワード。
ハリエットさんの許嫁。

 その横に、少し迷ってから足す。

手紙を書く相手。

 ふと見ると、オーレリアもまた、手紙を書いていた。

 ただし、こちらは少し様子が違う。

 手帳ではない。
 いつもの記録用の紙でもない。
 きちんと折り目の付いた便箋に、細かい文字が整然と並んでいる。

「オーレリアさんも、手紙ですか?」

「そうなのよぅ」

 オーレリアは、いつもより少し得意げに頷いた。

「ロイ様に、定期報告なのよぅ」

「定期報告」

 ミコトは首を傾げた。

「手紙ではなく?」

「手紙でもあるのよぅ」

 ハリエットが小さく笑った。

「ロイ様は、オーレリアの許嫁です」

「ハリエットさん」

「さっき言われたので」

「それはそうなのよぅ」

 オーレリアは納得した顔で頷いた。

 照れているのか、照れていないのか分かりにくい。
 けれど、便箋を扱う指は、いつもの手帳をめくる時よりも丁寧だった。

 ミコトは、また手帳に書いた。

ロイ。
オーレリアさんの許嫁。
定期報告。
たぶん手紙。

 そこで、ペン先が止まる。

 許嫁。

 この学院では、同じ年頃の子供達のそばに、もうそういう言葉がある。

 家。
 約束。
 相手。
 未来。

 ミコトには、まだうまく手触りが分からなかった。

 目を上げると、窓際でヴァンとハリスが難しい顔をしながらゲーム盤を挟んで向かい合っていた。

 あれは、皇國将棋ピスコレと呼ばれていた。

 木製の盤に、細い線が刻まれている。
 駒は様々な兵隊を模した彫刻。

 二人は、ほとんど喋らない。

 ハリスが駒を動かす。

 こつり。

 小さな音がする。

 ヴァンが盤面を見下ろす。

 しばらく動かない。

 それから、別の駒に指を置いた。

 こつり。

 ハリスの目が少し細くなる。

「そこか」

「悪いかよ」

「いや、悪くない手だ」

 それだけだった。

 ミコトは、二人を見ていた。

 手紙を書くハリエット。
 手紙を書くオーレリア。
 盤を挟んで黙るヴァンとハリス。

 言葉を届ける距離。
 言葉がなくても続く一時。

「ミコトさんは?」

 オーレリアが、ふいに顔を上げた。

「え?」

「ミコトさんには、そういう人はいないのぅ?」

 ハリエットが少し慌てる。

「オーレリア」

「気になるのよぅ」

 ミコトはペンを握ったまま、少しだけ困った。

「そういう人、ですか」

「許嫁とか、好きな人とか」

 オーレリアは悪気なく言った。

 ハリエットは何かを言おうとして、諦めた。

 ミコトは自分の手帳を見る。

 名前が並んでいる。

 ミコトは目を閉じて、記憶を探る。

 何の声も聞こえない。

「いない、と思います」

 そう答えると、オーレリアが首を傾げた。

「思います?」

「まだ、よく分からないので」

 ミコトは少し笑った。

「この学院のことも、皆さんのことも」

 ハリエットの表情が、少し柔らかくなる。

「そっか」

「でも」

 ミコトは、窓際の盤へ目をやった。

 ヴァンが駒を動かす。
 ハリスがすぐには返さない。

「皆さん、誰かと繋がってるんですね」

 オーレリアのペンが止まった。

 ハリエットも、便箋の上に視線を落とす。

「......そう、かな」

「はい」

 ミコトは頷いた。

「手紙とか、約束とか、将棋とか」

「将棋も?」

 ハリエットが少し笑う。

「はい。あれも、たぶん」

 ヴァンがこちらを見た。

 ほんの一瞬だけ。

 すぐに盤面へ戻る。

 ミコトは慌てて目を逸らし、手帳に向き直った。

 自分の名前は、まだどこにも結ばれていない。

 ペンを置く。

 その時だった。

――ミコト。

 手が止まった。

 教室の音は変わらない。

 オーレリアのペン先が紙を擦る音。
 ハリエットが便箋を畳む音。
 皇國将棋の駒が、盤の上で鳴る音。

 こつり。

――ミコト。
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緋鋼皇國物語Ⅰ作者:ふみの世界樹
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第十三話 便り


 放課後の教室には、まだ何人かの生徒が残っていた。

 窓から入る光は、昼間よりも少し柔らかい。
 机の影が長く伸び、黒板の文字も薄く見える。

 ミコトは、自分の席で手帳を開いていた。

 書き始めたばかりの手帳は、まだ余白の方が多い。
 けれど、少しずつ名前が増えている。

ハリエット
オーレリア
ハリス
イネヴェア
レオナ
チャミー
つばめ
ヴァン
ルナ

 書いた名前を見ていると、この学院に来てからの日数より、知った顔の方が多いような気がした。

 ミコトは顔を上げる。

 ハリエットは、少し離れた席で手紙を書いていた。

 いつもの教本でも、授業の板書でもない。
 淡い色の便箋を前にして、ペン先を止めている。

 一行書く。
 止まる。
 少しだけ考える。
 また、丁寧に文字を置く。

 ミコトが知っているハリエットは、迷っている人にすぐ手を伸ばす子だった。
 けれど今は、自分の言葉を選ぶことに、少し困っているように見えた。

「ハリエットさん、手紙ですか?」

 ミコトが尋ねると、ハリエットの肩が小さく揺れた。

「う、うん」

 便箋を隠すほどではない。
 けれど、見せるほどでもないらしい。

「エドワード様へ?」

 オーレリアの声が横から入った。

 ハリエットの頬が、分かりやすく赤くなる。

「オーレリア」

「違うのぅ?」

「違わないけど」

「じゃあ、いいのよぅ」

 オーレリアは悪びれなかった。

 ミコトは、手帳の上でペンを止めた。

 エドワード。

 まだ会ったことのない名前だった。
 けれど、ハリエットの反応を見る限り、ただの知り合いではない。

「エドワード様はねぇ」

 オーレリアが言いかける。

「言わなくていいから」

 ハリエットが止めた。

「許嫁なのよぅ」

 止まらなかった。

 ハリエットが額に手を当てる。

 ミコトは瞬きをした。

「いいなずけ」

 言葉を確かめるように繰り返す。

「はい。家同士で決まっているというか......もちろん、ちゃんとお話もしますけど」

 ハリエットは、便箋の端をそっと押さえた。

「まだ、そういうものです」

 そう言う声は、困っているようで、嫌がっているようではなかった。

 ミコトは、手帳に小さく書く。

エドワード。
ハリエットさんの許嫁。

 その横に、少し迷ってから足す。

手紙を書く相手。

 ふと見ると、オーレリアもまた、手紙を書いていた。

 ただし、こちらは少し様子が違う。

 手帳ではない。
 いつもの記録用の紙でもない。
 きちんと折り目の付いた便箋に、細かい文字が整然と並んでいる。

「オーレリアさんも、手紙ですか?」

「そうなのよぅ」

 オーレリアは、いつもより少し得意げに頷いた。

「ロイ様に、定期報告なのよぅ」

「定期報告」

 ミコトは首を傾げた。

「手紙ではなく?」

「手紙でもあるのよぅ」

 ハリエットが小さく笑った。

「ロイ様は、オーレリアの許嫁です」

「ハリエットさん」

「さっき言われたので」

「それはそうなのよぅ」

 オーレリアは納得した顔で頷いた。

 照れているのか、照れていないのか分かりにくい。
 けれど、便箋を扱う指は、いつもの手帳をめくる時よりも丁寧だった。

 ミコトは、また手帳に書いた。

ロイ。
オーレリアさんの許嫁。
定期報告。
たぶん手紙。

 そこで、ペン先が止まる。

 許嫁。

 この学院では、同じ年頃の子供達のそばに、もうそういう言葉がある。

 家。
 約束。
 相手。
 未来。

 ミコトには、まだうまく手触りが分からなかった。

 目を上げると、窓際でヴァンとハリスが難しい顔をしながらゲーム盤を挟んで向かい合っていた。

 あれは、皇國将棋ピスコレと呼ばれていた。

 木製の盤に、細い線が刻まれている。
 駒は様々な兵隊を模した彫刻。

 二人は、ほとんど喋らない。

 ハリスが駒を動かす。

 こつり。

 小さな音がする。

 ヴァンが盤面を見下ろす。

 しばらく動かない。

 それから、別の駒に指を置いた。

 こつり。

 ハリスの目が少し細くなる。

「そこか」

「悪いかよ」

「いや、悪くない手だ」

 それだけだった。

 ミコトは、二人を見ていた。

 手紙を書くハリエット。
 手紙を書くオーレリア。
 盤を挟んで黙るヴァンとハリス。

 言葉を届ける距離。
 言葉がなくても続く一時。

「ミコトさんは?」

 オーレリアが、ふいに顔を上げた。

「え?」

「ミコトさんには、そういう人はいないのぅ?」

 ハリエットが少し慌てる。

「オーレリア」

「気になるのよぅ」

 ミコトはペンを握ったまま、少しだけ困った。

「そういう人、ですか」

「許嫁とか、好きな人とか」

 オーレリアは悪気なく言った。

 ハリエットは何かを言おうとして、諦めた。

 ミコトは自分の手帳を見る。

 名前が並んでいる。

 ミコトは目を閉じて、記憶を探る。

 何の声も聞こえない。

「いない、と思います」

 そう答えると、オーレリアが首を傾げた。

「思います?」

「まだ、よく分からないので」

 ミコトは少し笑った。

「この学院のことも、皆さんのことも」

 ハリエットの表情が、少し柔らかくなる。

「そっか」

「でも」

 ミコトは、窓際の盤へ目をやった。

 ヴァンが駒を動かす。
 ハリスがすぐには返さない。

「皆さん、誰かと繋がってるんですね」

 オーレリアのペンが止まった。

 ハリエットも、便箋の上に視線を落とす。

「......そう、かな」

「はい」

 ミコトは頷いた。

「手紙とか、約束とか、将棋とか」

「将棋も?」

 ハリエットが少し笑う。

「はい。あれも、たぶん」

 ヴァンがこちらを見た。

 ほんの一瞬だけ。

 すぐに盤面へ戻る。

 ミコトは慌てて目を逸らし、手帳に向き直った。

 自分の名前は、まだどこにも結ばれていない。

 ペンを置く。

 その時だった。

――ミコト。

 手が止まった。

 教室の音は変わらない。

 オーレリアのペン先が紙を擦る音。
 ハリエットが便箋を畳む音。
 皇國将棋の駒が、盤の上で鳴る音。

 こつり。

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緋鋼皇國物語Ⅰ作者:ふみの世界樹
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