第九十四話 降伏勧告
【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月9日 海竜曜日 12:03 七聖学院 講堂 】
『──犯人共に告ぐ。直ちに全面降伏せよ』
念話水晶から響いたエドワード少佐の声は、感情を削ぎ落としたように冷たく平坦だった。
『我々は貴様らの要求に応じない。皇宝具の引き渡しは認められない。そこにいる生徒達よりも、皇宝具が持つ価値の方が遥かに国家にとって重要である』
講堂の床に座らされた生徒達の間から、細い息が漏れた。
『だが、彼らもまた七聖学院の生徒であれば、優先順位を理解しているはずだ。故に殺すなら好きにしろ。但し、おまえ達も全員──』
誰かが袖口を握り、誰かが隣の手を探した。
『──殺処分する』
ミコトは、胸の前で両手を重ねたまま、声を失っていた。
『これが最後の警告だ。直ちに全面降伏せよ──。......以上だ』
水晶の光が、わずかに揺れた。
講堂に沈黙が落ちる。
その沈黙を、マディアラス・ヴネオンの笑い声が破った。
「はは、ははははははっ。いやはや、実に皇帝らしい。実に、実に、実に、ヴェナリスらしい御高説だ」
ヴネオンは膝を打ち、肩を揺らして笑った。
「だが、そんなはったりが通じると思うかね。こちらには、まだ百に近い人質がいる。貴族の子も、商家の子もいる。彼らを見殺しにして、その親達が、この先も皇家を支えると思うか?」
術士幹部が、何度も相槌を打った。
「皇帝は強がって見せた。それだけのことだ」
水晶の向こうから、エドワードの声が返る。
『聞いての通り、皇宝具は渡せない。だが、身代金に関して、皇帝陛下は言及されていない。私は交渉を続けようと思う』
「交渉を続けるか否かは、こちらで検討する」
ヴネオンは水晶から目を離し、その金色の目が、講堂に座る生徒達を撫でる。
空気が乱れていた。
泣き出しはしない。叫びもしない。けれど、呼吸が浅くなり、視線が床へ落ち、膝を抱える腕に力が入っている。
つばめが、ほんの少しだけ顎を上げた。
ハリエットは下級生の背中に手を当て、イネヴェアは隣に座るクリスとアディの手を握っている。マリアンナは唇を結び、ミシェルはその横顔をじっと見ていた。
ジークハルト先生は背筋も曲げず、不動を貫いていた。
「ふんっ、落ち着いてやがる」
ヴネオンは鼻先で笑い飛ばすと、仮面の男達を監視に残して、勝手に自室として使っている講堂準備室へと向かった。
しばらく沈黙が続いた。
誰も言葉が出なかった。
ミコトが、ゆっくりと手を上げた。
「......あの」
皆の目が向く。
「ミコトちゃん......」
ハリエットが心配そうに見上げた。
「えーと......、噂通りの恋愛の女神さまの巫女っぽいことを申し上げますね」
震えた声で、ミコトは立ち上がった。
「恋をしている方はいますか」
何人かの生徒が、顔を上げた。
「この人と一緒に生きたい。この人に生きていてほしい。そう思う方はいますか」
オーレリアが、当然とばかりに頷いた。
マリアンナの指が、ミシェルの袖に触れた。
リーゼが、エルマーを見た。
ハリエットは目を伏せ、胸元に手を当てる。
「まだ恋をしたことがない方は、恋をしてみたいという気持ちはありますか」
エインが頷いた。
ウォールが目を閉じた。
ハリスが思案した。
イネヴェアが、胸の前で手を組んだ。
ミコトは、少しだけ息を吸った。
「もし、そういった気持ちがあるのなら、同じ胸の中に、きっとこんな気持ちも生まれていると、わたしは思うのです」
講堂の誰も、動かなかった。
「──こんなところで死ねない、と」
その言葉に、下級生の一人が顔を上げた。
「恋は、人を強くします」
ミコトは天井を見上げた。口許が、音もなく誰かの名を告げた。
「......誰かと一緒にいたい。誰かに生きていてほしい」
目を閉じて、恋愛の女神の巫女は言葉を紡ぐ。
「いつか、誰かを好きになりたい。......そう思えるなら」
恋の真っ只中。乙女は、目を強く見開いた。
「きっとまだ、先へ進めます」
ミコトの手が、胸元で少し震えた。
「その強さを持って、解決できる道を探しましょう」
言い終えた瞬間、ミコトの肩から力が抜けかけた。
つばめがすぐ隣に立った。
「そうね。恋でも、意地でも、食い意地でもいいわ。生きて帰りたい理由が一つでもあるなら、それで十分」
マリアンナが手を叩いた。
「わたし、あります!」
声が明るかった。
不自然なほど明るい。けれど、その明るさに縋るように、数人の顔が上がった。
「美味しいお菓子も食べたいし、ミシェル様ともっとお話もしたいし、まだ着ていない新しい服もあります。だから、こんなところで死ねません」
「......マリアンナ」
ミシェルが笑った。
「それに、ミコトちゃんの言う通りです。恋は、簡単に命を諦めない理由になります」
イネヴェアが、小さく息を吐いた。正門がある方角を見る。
「私は、あの馬鹿にまだ言いたいことがあるもの」
ざわめきが、さっきとは違う形で広がった。
怯えではない。
誰かが深く息を吸う。拳を握り固める。
ミコトは、ゆっくりと座った。つばめが、その背中を軽く叩く。
「よくやったよ、ミコト」
「はい。つばめお姉さま」
【 同日 13:21 七聖学院 北側廊下 】
『あ~、あ~、ヴァン君。ヴァン君。ヴァン・ラドーレ君』
つばめとマリアンナは、仮面の男二人に挟まれて、北側廊下を歩いていた。
マリアンナの手には、拡声魔導器がある。
『もしも、この声が聞こえていたら、出て来なさいな。大丈夫よ。怒られたり、痛くしたりしないから』
返事はない。
仮面の男が鼻を鳴らした。
「本当に得意なのか?」
「得意です。ですが、相手にも事情がありますので」
マリアンナは涼しい顔で返した。
つばめが柱時計から視線を外し、廊下の奥を見た。
「少し、お手洗いに行かせてあげて。女の子を長時間ずっと連れ回すつもり?」
「さっさと済ませろ」
「ありがとうございます」
マリアンナが拡声魔導器をつばめに託して北側トイレへ入る。
つばめは廊下に残り、拡声魔導器を持ったまま、別の方向へ声を飛ばした。
『〔ヴァン君。聞こえているなら、慌てなくていいわ。マリアンナが代わりよ〕』
「おい、何て言ってるんだ?」
「和語で、出てこないとお仕置き。おやつ抜きよって言ったの」
つばめは微笑んだ。
北側トイレの個室で、マリアンナは扉を閉めた。
「ヴァン君」
天井の通気口が、ほんの少し開く。
汚れた顔が覗いた。
「マリアンナ?」
「もう、マリアンナ先輩でしょ」
「マリ先輩」
「だから略すなって......、もういいよ。ハリス君の代わりだから、急いで」
「わかった」
ヴァンは布に包まれた小さなものを下ろした。
マリアンナが受け取る。
小型魔法人形。
「はい。こっちはちょっと隠し持てないから、ここに置いておく」
マリアンナは水タンクの蓋を静かに持ち上げ、布包みを沈めるように奥へ入れた。
続いて、革表紙の手帳を下ろした。
「オーレリアの手帳だ」
「うん、確かに」
手帳は、スカートの内側へ滑り込ませる。太腿に巻いてあった細紐に挟み込んで留める。手首に巻いていた髪留めの紐を外して、さらに手帳の上から結んで固定する。
「すごいな」
「ちょっと、見ないでよ」
足音が近付く。
「遅いぞ!」
「あ、はーい!......今、出ます。」
マリアンナは手帳を隠した場所をもう一度だけ確かめ、何食わぬ顔で個室を出た。
【 同日 14:26 七聖学院西側 本部天幕 】
テーブルの上には、いくつもの紙が広げられていた。
学院見取り図。兵員の配置図。爆弾配置の推定図。禁断の知識神に関する教義や慣習、関連する儀式、過去の事件等に関する資料。
エドワードは、それらを一つずつ確認していた。
その隣にはアルフォンスが立っている。マナとマギも、少し離れた椅子に座っていた。二人とも表情は動かず、口も動かしてはいない。
クラウゼン大隊長も来ていた。
来ないわけにはいかなかった、という顔だった。
「おい、ちょっと待て。そいつらは何だ?」
入口から外を見て、クラウゼンが眉をひそめた。
脇に立つ衛兵の一人が敬礼する。
「懲罰で連れて来た囚人です。これだけの包囲網ですから、仮設トイレの設置は必須でして。穴掘りと設置作業に従事させています」
天幕から少し離れた場所で、二人の男が土を掘っていた。
「あにき、なんでオレ達がこんなことを......」
「ばか、口を動かすな。手を動かせ」
「穴掘りなんて、オレ達の仕事じゃねぇ」
「囚人の仕事に上下はない。働けば飯が出る。これが社会ってやつだ」
「社会って厳しいな、あにき」
クラウゼンが溜息を吐いた。
「なら天幕に近過ぎる。もっと遠くに作らせろ」
「快適より効率を求めたんですけれどね。どっちにしろ衛生は守られるんで......」
「上官に口答えするな。あっち行ってやれ」
「へい、了解」
その衛兵は、気怠げに歩き出した。
「おまえら、それやり直し。あっち行ってやるぞ」
「え~~っ⁉」
「そりゃねえよ」
その時、周囲の衛兵達が一斉に振り返った。
西の街道から、二人の男が歩いて来る。
「なんちゃあ、派手にやらかしちゅうのう」
「それだけ、大事件という話だ」
方言を使う男が、その衛兵に尋ねた。
「ちくと尋ねるが、本部はこっちでえいがか?」
「ああ、すぐそこだぜ。......あんたらは?」
糸目の男が、短く答えた。
「我等、助太刀なり」
【 同日 15:08 七聖学院 講堂 】
念話水晶の光が、再び壇上に浮かんだ。
ヴネオンは椅子に座り、頬杖をついている。
「結論は出たかね」
『残りの身代金については、準備を進めている。だが、金貨の量が量だ。輸送にも確認にも時間が要る。全額を揃えるには、後三日の猶予を求める』
ヴネオンは、ゆっくりと瞬きをした。
「三日?」
『そうだ』
「駄目だ。有り得ん」
即答だった。
「二十四時間だ。それ以上は待たん」
『たった二十四時間では、全額の用意は難しい』
「それはそちらの都合だ。こちらは十分に譲歩している」
水晶の向こうで、わずかな沈黙があった。
『分かった。二十四時間以内に、なんとしても残りの身代金は集める』
「よろしい。ならば明日の同時刻だ。それから追加の食糧を用意しろ。三日分だ」
ヴネオンは指を振った。
「遅れれば、一人ずつ減る」
水晶の光が途切れる。
「ボス、逃げたガキが見つかりません」
術士幹部の声に、ヴネオンは片手を向け。
「もう学院にはいないだろう。取り逃がしたガキの一匹なんて、今更どうでもいい。どうせ、こいつらを殺すことになる」
何人かの生徒が、顔面蒼白となった。
「へへっ、その時はオレが叩き割ってやるよ」
戦士幹部が凄んだ。
講堂に、重い息だけが残った。
【 同日 16:12 七聖学院 北側トイレ 】
オーレリアは、便器の蓋に手帳を広げていた。
個室の床には、胸板が開かれた小型魔法人形と、つばめが回収した爆弾の魔導具部品が並んでいる。
「資料を精読して分かったのよぅ。やっぱり犯人達が使っているのは、市販品を改造したものなのよぅ」
オーレリアは小声で言った。
「そうなのか」
天井の少し開いた通気口から、ヴァンが応えた。
「ロイ様の工房で作られているものと、たぶん同系統なのよぅ。起動信号で、扉を開けたり、警報機を鳴らしたり、照明のカバーを開け閉めしたり、蓄音水晶を動かしたりするものなのよぅ」
「爆弾は?」
「起爆装置のスイッチが押されると火種の呪文が発動して、箱の中で固定された火球の宝石を爆破させる仕組みなのよぅ。中継器はなし。同じ回線で、全部に同時命令なのよぅ」
「中継器? よく分からない。火球の宝石って、これか?」
ヴァンは、つばめから預かった深紅の宝石を取り出してみせた。
「それ、危ないから取り扱いに気を付けるのよぅ。火気と衝撃は厳禁なのよぅ」
「うん、解体してる時、姉御......つばめ先生にもそう言われた」
オーレリアは小型魔法人形の胸から小さな球体の部品をつまみ上げた。それは金属製の非常に小さな巻物を何枚も重ねて巻き留めたような代物だった。
「だから、細かく設定を書き換えるのは無理なのよぅ。例え設備がそろっていたとしても、わたしには、まだそこまでの技能はないのよぅ」
「なら、どうする」
「外部から、まるごと起爆装置の命令を上書きするのよぅ」
手帳の上で、細いペンが動く。
「ゴーレム起動用の魔導具から制御核部品を抜いたわ。原理は呪文書と同じなのよぅ。術式を写す。設定を写す。命令先を写す」
「手で書くのか?」
「普通なら無理なのよぅ」
オーレリアは、小さく笑った。
「だから、この子を使って自動書記をするのよぅ」
オーレリアは、手帳を閉じ、制御核部品を広げた。
「原本に宿る文字よ、線よ、色よ、記された形よ」
金属板に書かれた文字を、右手の指先で順に触れて行く。
「我が手の紙へ、誤らず移れ」
一文字、一文字、触れられた呪文書式が息づくように、輪郭が光で浮かび上がる。
「筆は走り、墨は倣い、図は図として、文は文として」
左手は、元は爆弾の部品だった別の金属片に触れている。
「意を変えず、形を損なわず、ただ記録の姿を、写したまえ」
順に金属片の上で、僅かな光が輪郭に走る。
「──文図複写」
金属板の文字が、そのまま寸分の違いもなく金属片へ記された。
「終わったか?」
「仕上げがまだなのよぅ」
「見張りが来る」
「食料の運搬中に、こっそり抜けて来たから大丈夫なのよぅ」
オーレリアは、唇の端を少しだけ上げた。
【 同日 19:27 七聖学院 講堂 】
夕食。
各自に配られた丸皿には、マッシュ・ポテト、サラダ、焼いたソーセージ。取っ手のついたスープ皿には、いつものロールキャベツ。
黙々と食事を行う人質達。その集団の中で、ハリスが集めた人の輪があった。
その直ぐ傍。イネヴェアは、エイン、クリス、アディと共に、隣の輪で雑談をしている。声が少し大きめだ。ハリスと目が合って、頷きをみせた。
ハリスは頷きを返し、見張りの男達の位置を確認してから、輪の皆に向き直った。少し顔を寄せる。
「作戦は、半ば成功している。ヴァンはもう学院の外に逃げ出したと思われているようだし、全てが順調だ」
ミコトが頷いた。
「爆弾は、これからオーレリアと、つばめ先生がどうにかする」
つばめは、オーレリアから布包みを受け取った。指先で重さを確かめる。
「みんなで集めた情報は、姉さんがエドワード少佐に伝える」
ハリエットが、自分の胸に手を当てた。
「任せて。......でも、ミコトちゃんにも手伝って貰いたい」
「うん、わかった」
「決行はいつ?」
つばめ先生が問う。
「先生達は今から。姉さん達は、爆弾の無力化に成功したら」
「...ぼ、僕はどうしたら?」
「ウォールは俺と一緒に、みんなに作戦の指示伝達。バレないように、一人ずつ、こっそり、少しずつ。今の内に、意志を一つに束ねておく」
「でも、それって勝手に僕たちで決めちゃっていいの?」
「ここに先生がいるじゃない」
「ジークハルト先生は?」
「あの人は、嘘が下手だから報せない方がいいわよ。大丈夫、ジークハルト先生からの指示だって、みんなには伝えちゃって。責任は......、そうねえ。後であたしが謝っとくから」
「......う、うん、それなら......」
「それじゃ少し、準備室へ行ってくるわ。オーレリアちゃん、お願い」
「分かったのよぅ」
つばめは笑って、講堂の準備室──ヴネオンの私室と化した場所へ向かった。
【 同日 19:35 七聖学院 厨房 】
厨房は薄暗かった。
火は落とされ、手伝いの生徒達を先に講堂へ戻し、キャサリンは一人だった。
流し台と入口近くに置かれた配膳用台車の上には皿洗いを待つ食器が山と積まれている。
キャサリンは手早く棚を開け、残りの食材と調味料の数を確かめていた。
背後から。
「なあ、飯炊き女」
キャサリンが振り返ると、そこに三人、仮面の男達がいた。
一人は入口の扉を塞ぐように立っている。
「ちょっと付き合えよ」
その内の一人に、腕を掴まれた。
「手を離してください」
「まあ、そうカタいこと言うなって」
「そうさ、ボスだって修道女とお楽しみ中なんだ。オレ達だって、少しぐらい構わねえだろ?」
「つばめ先生が? それは何かの誤解でしょう。いいから離して下さい」
「そうはいかねえな。このままじゃオレ達は皇帝に殺される。ただの小遣い稼ぎで、ほんとついてねえ」
「そうそう、少しぐらいイイ目を見てえんだ」
突然、もう一人の男がキャサリンの口を背後から塞いだ。
「⁉」
「大人しく降参して、おれ達に身を任せた方がいいぜ?」
「へへ、降伏勧告ってやつだ」
もう一人が、キャサリンの足を掴み、調理台の上に押し倒した。
「そうだ、大人しく従え。気持ち良くなれるぞ?」
キャサリンの顔から血の気が引いた。
男の手が、肩の布を掴む。
布が裂ける音がした。