第九十三話 伝言
【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 23:15 星見の塔 】
深紅の鈍い光を放つ拳大の宝石。
分解され、並べられた幾つもの魔導具部品。
それらの詳細をメモした紙束と、正確な模写図。
「爆弾の解体。やっと終わったわね」
つばめが背伸びと、欠伸をする。
「うん、終わった」
ヴァンは眠そうにしている。
「はい。半日も掛かっちゃいましたけど」
ミコトにも少し疲れが見える。
「逆よ。二人が記録を手伝ってくれたから、たった半日で終わったのよ」
「わたしは、言われたことを書いた。それだけですけどね」
空間収納袋に部品と紙束を詰め込みながら、ミコトが遠慮がちにはにかむ。
「それでいいのよ。できることをやる。......それにしても、ヴァンは絵が上手で助かったわ」
紅い宝石は、つばめが布に包んでからヴァンの懐へ押し込んだ。
「ヴァンは、前にもルナの絵を可愛く描いたんですよ。ちょうどここで」
「あれは落書き。というか姉御の絵が下手すぎ」
明らかに模写に失敗し、別のナニカが描かれた紙をひらつかせ、ヴァンが呆れ顔を見せた。
「前衛的と言ってもらえるかしら」
「ぜんえー的」
「そう」
その時、つばめの得意そうな表情が、一瞬で険しくなった。
「誰か来るわね」
「見回り?」
「しっ、静かに」
つばめが床に耳を当て、目を閉じる。
ヴァンとミコトは、息を止めた。
「六人も来るわね」
「え? 分かるの? っていうか数が多いですね」
「どうする?」
ヴァンは、腰の後ろに差したダガーの柄に手を乗せた。
つばめが首を振る。
「あたしとミコトは捕まる。ヴァンは上から荷物を持って逃げて」
「そんな......!」
「わかった。ミコト、姉御の言う通りに」
「う、うん......」
つばめがミコトを抱き締める。
「ミコトちゃん、離れ離れになるのは、今だけよ。大丈夫。大丈夫だから」
背中を撫でる手に、ミコトは目を閉じて、一度だけうなずいた。
「いい子ね。それじゃ次、ヴァンよ」
つばめはミコトを解放すると、ヴァンの方へ押し出した。
「え?」
ヴァンが、ミコトを軽く抱き止めた。
「え......と、おれ......」
どうしたらいい? と言いたげなヴァンの視線に、つばめは抱き締めるジェスチャーで答えた。
うなずくヴァン。おそるおそる、だがしっかりとミコトを抱き締めた。
「ミコト。おれ達は、負けない」
「うん」
「だから待ってろ」
「うん」
二人にも聞こえるほどに、階下の足音が迫って来た。
「ヴァン、登って」
つばめは鉤付きロープを回転させ、半開きの天窓を見上げた。
「わかった」
ヴァンは空間収納袋を肩に斜め掛けして、脚と膝の屈伸運動、腕と肩を伸ばす運動、五指を開いて閉じる運動をした。
その間に、つばめは鉤付きロープを放り投げ、一回で窓枠に引っ掛けた。
「ヴァンは、絶対に見つからないで隠れて。今は勝つより、情報を守る方が大事」
「わかった。連絡は?」
ロープを掴み、少し引っ張って荷重を確かめながら、ヴァンが尋ねる。
「北側トイレで」
「了解」
腕の力だけで、ヴァンがロープを登って行く。足音が入り口の近くまでやって来た。
塔の最上階に扉はない。
「ミコトちゃん、その柱に隠れて」
「はい」
つばめが入り口に向かう。
「いたぞ!」
「おい、子供じゃねえぞ?」
「こ、来ないで下さい!」
つばめの声は、普段より細く震えた。
ヴァンは天窓から外に出ると、手早くロープを手繰り寄せていく。
「おまえ一人か?」
仮面の男達が近付く。つばめは、ゆっくりと下がりながら、天窓とは逆の方向へ移動し、男達の視線を誘導する。
「はい。わたし、一人だけです」
まだ天窓に鉤が引っ掛かったままだ。ヴァンが両腕に力を込めて、引っこ抜いた。
「ん?」
男の一人が天窓を見上げる。何もない。
「おい、そっちにも誰かいるな」
ミコトが見付かった。
「けっ、下らねぇ嘘なんて吐きやがって!」
つばめが走り寄って、ミコトを庇う位置に立つ。
「乱暴は、しないで」
つばめが、しおらしく懇願する。
「へへ、大人しくついて来るなら」
「はい、分かりました」
【 3月9日 海竜曜日 00:03 七聖学院 講堂 】
真夜中。
日付は変わっていた。
「ボス、女と子供を捕まえました」
「みー」
「それと子猫が一匹」
その登場に、講堂の皆が驚いた。
「つばめ先生だ」
「ミコト」
「つばめ先生ー!」
「ミコトちゃん」
「騒ぐな!」
怒鳴り声。
術士の幹部が、ヴネオンに代わって壇上に座っている。
「ヴネオン様は、既に御休みになられた。誰だそいつは?」
「おい、名乗れ」
仮面の男が、つばめを小突いた。
「きゃっ、......つ、ツバメ・クジョウです。見ての通り、学院付きの修道女です。こっちの子は、ミコト・サトー」
「そいつがミコト・サトーか、今までどこに隠れていた? もう一人のガキはどこだ?」
ミコトはルナを抱え、ツバメの背中に隠れながら、術士の幹部を見ている。
「もう一人?......分かりません。わたし達は、ずっと星見の塔に隠れていましたので」
つばめが、ミコトをさらに隠すように片腕を伸ばした。
術士の幹部が腕を組み、眉を顰める。
「一度、あそこは探索させているはずだが、どうやって隠れていた?」
「それは、消失の呪文を使っていたからです」
つばめは、懐から使用済みの小さな巻物を取り出した。
「おい、それを持って来い」
「へい」
仮面の男、その内の一人がつばめから巻物を引っ手繰ると、幹部の方へ持って行き、差し出した。
大きさ、重さ、材質、手触り、残留魔力、その他、じっくりと鑑定される。
それ、本当は壁登りに使用した巻物なんだけどね。
使ってしまえば、魔法のインクで描かれていた術式なんて消え去るから、判んないでしょ。
つばめは胸中で、そう確信していた。
「確かに、第一位列術式魔法の使用済み巻物だ」
あっぶな。
位列までは見抜けるんだ。たまたま位列も同じ呪文で助かったわね。
もしも、消失じゃなく、位列の高い不可視化って言ってたら、嘘がバレてたわよ。
つばめのそんな焦燥も知らず、術士の幹部は、腕を組み、目を閉じた。
「明日の朝、ヴネオン様に判断を仰ぐ。それまでは他の連中と一緒にしておけ」
「了解」
【 同日 9:00 七聖学院 正面玄関前 噴水ロータリー 】
この日の朝陽は、いつもより曇って見えた。
燃え崩れた正門の向こうで、衛兵隊が塔盾を並べている。盾の隙間からは、衛兵達の緊張した顔が覗いていた。
壊れた正面扉の瓦礫を乗り越えて、エリーが学院の敷地内へと入る。
その後ろ、 荷運びの浮盤に載せた大きな宝箱。蓋は開かれ、中には金貨が満載されていた。
金貨同士が擦れ合い、鈍い音を立てた。
エリーは指先をひらひら動かしながら、重たげな箱を宙に滑らせていく。噴水を回り込んで、玄関前の階段下へと進み出る。
玄関扉の奥から、マディアラス・ヴネオンが姿を現した。
その左右には、戦士幹部と術士幹部。さらに星級の子供達、ぷーちゃんを抱いた校長先生、足取りも頼りなく、額に包帯を巻いたローティが続く。
『子供達を先に解放しろ』
正面扉の外側。停車させた馬車の荷台。そこに立つエドワードの声が響いた。
拡声魔導器を通した声は、朝の空気をまっすぐに裂いて届く。
ヴネオンは、片手を軽く上げた。
『金額の確認が先だ』
別の拡声魔導器から、ヴネオンの声が返る。
エリーは呪文を解除し、宝箱を地面へ下ろした。金貨の重みで、箱の底が石畳に沈むような音を立てる。
術士幹部が前へ出た。
灰青の魔道衣の袖から、細い指が伸びる。短杖の先が金貨の山へ向けられた。
「追跡魔法が仕掛けられていると厄介だからな」
術士幹部が小さく詠唱し、金貨と宝箱の表面を薄い光が撫でた。
解呪。
金貨の山が一度だけ、淡く震えた。隠された呪印や魔力があれば、その場でほどかれるはずだった。
術士幹部はしばらく金貨を見下ろし、それから別の革袋を取り出した。いいや、取り出したのではない。何もない空間から、手元へ呼び寄せたのだ。
招取。
革袋の口が開く。仮面の男達がやって来て、身代金を宝箱から袋へと移す。ざらざらと音を立てる金貨。
エリーは唇を尖らせた。
「へえ。用意がいいじゃん」
術士幹部は答えない。
金貨を収めた袋を床に置くと、今度はその上に短杖をかざした。
返送。
袋が、空気に溶けるように消えた。エドワードは遠くから、その位置を見ていた。
正面玄関、階段の下。あそこはギリギリ、転移や召喚が使えるのか。だが、広域次元封鎖の範囲外にあったとしても、屋内に入れないのでは大した意味はない。
ヴネオンが顎を動かす。
「行かせろ」
仮面の男達が道を開けた。
星級の子供達が、校長先生とエリーの誘導で階段を降り、壊れた正面扉を越えていく。足元の木片に躓きそうになった子を、校長先生が支えた。ぷーちゃんが小さく鳴き、子供達の間で桃白い毛が揺れる。
「大丈夫?」
エリーが、足元のふらつくローティに駆け寄った。
「......平気」
ローティが、視線を逸らした。
「全然平気そうに見えないんですけど~?」
「うるせぇ」
声は弱いが、返事はできた。
エリーは小さく息を吐き、屈んでローティの腕を肩に回した。ローティは少し嫌そうにしたが、拒む力まではない。
エリーはローティを支えたまま、ゆっくり歩いた。
衛兵隊の盾の内側から、救護班が駆け寄って来た。
子供達と校長先生、そしてローティを含む、人質56名が七聖学院の外へ出た。
【 同日 同時刻 北側トイレ 】
「さっさと済ませろ」
「はい」
ハリスは返事をして、トイレの個室へ入った。
見張りの男はトイレの外、廊下に立っている。足音は近い。だが、個室の中までは覗けない。
ハリスは扉の鍵を掛けると、すぐに天井を見上げた。
「ヴァン」
天井の通気口の蓋が、かすかに動いた。
隙間から、真っ黒に汚れたヴァンの顔が覗く。
「ハリスか?」
「そうだ。先ずはくれ。爆弾の情報」
「分かった」
通気口の奥から、紐で縛られた紙束が下ろされた。
ハリスは両手で受け止める。紙束は思ったより厚い。
外で見張りが靴先を鳴らした。
「まだか」
「少しお待ちを」
ハリスは紙束を服の内側へ押し込んだ。腹部に平たく当て、上着の裾を整える。
「次は、オーレリアの手帳と、小型魔法人形」
「わかった。四時間後」
「了解」
通気口の蓋が静かに閉じた。
ハリスは一度だけ息を整え、何食わぬ顔で個室の扉を開けた。
「遅ぇよ」
「失礼しました」
【 同日 11:50 七聖学院 講堂 】
講堂の空気は、朝よりも重くなっていた。
食事は配られた。水も、最低限は与えられた。だが、それで安心できる者はいない。
壇上では、ヴネオンが名簿をめくっていた。
紙を捲る音が、妙に乾いて聞こえる。
「もう一人のガキは、まだ見つからんのか」
術士幹部が、仮面の奥で目を伏せた。
「それが、どこにも......」
ヴネオンの指が、一つの名で止まった。
「ヴァン・ラドーレ」
唇の端が、わずかに歪む。
「こいつ、あの伝説の騎士、ヴァルク・ラドーレの弟か」
講堂の隅で、ミコトの肩が小さく揺れた。
つばめは何も言わない。ただ、目だけを動かしてヴネオンを見ていた。
「ミコト・サトー、ツバメ・クジョウ」
「は、はい......」
「何かしら?」
ミコトは怯えたように返事をし、つばめは静かに顔を上げた。
「おまえ達への罰を免除してやる代わりに、このヴァンとかいうガキには、倍の罰を与える事にした」
「⁉」
ミコトの顔から血の気が引いた。
つばめは一歩前へ出る。
「ちょっと、相手は子供よ? そもそも罰を受けるようなことなんて何もしてないじゃない。怖いから逃げて、隠れているだけよ」
「本当にそうなら、拡声魔導器で呼び掛けろ。安心して出て来いと」
「いいわよ。それぐらい」
つばめが即答した。
その時、別の声が上がった。
「その役目なら、あたしがやります。そういうの得意なので」
マリアンナが手を挙げていた。
隣のミシェルが、わずかに眉を動かす。だが止めない。マリアンナは胸の前で手を揃え、いつもの明るさを少しだけ残した顔で壇上を見ていた。
ヴネオンはしばらく二人を見比べた。
「二人で行ってこい。おい、見張ってろ」
仮面の男が二人、前へ出る。
戦士幹部は講堂の壁際へ歩き、そこに立て掛けてあった大戦斧を引っ張り出した。
刃が床に擦れ、重い音を立てる。
戦士幹部はそれを軽々と持ち上げ、背中に担いだ。子供達を睨む。
子供達が、息を呑んだ。
その時。
十二時になった。
念話水晶の光が、壇上に浮かんだ。
ヴネオンが椅子に腰を下ろし、水晶の向こうを見据えた。ゆっくりと口を開く。
「交渉を始めてから、もう一日が過ぎたぞ。そろそろ結論は出たか?」
水晶の向こうで、紙を開く音がした。
『皇帝陛下の御言葉を伝える──』