十五
「──というわけで、連れてきた」
「⋯⋯は⁉」
皇帝ユリウスを迎えた皇弟ルキウスは、顎が落ちんばかりに驚いていた。
邪竜討伐からの凱旋に、皇都は沸き立った。
何しろ伝説の邪竜の存在は、ローディウムでも有名だったのだ。先人が成し得なかった邪竜討伐を今代の皇帝が成したのである。沸き立たないわけがない。
だがそれと同じぐらい人々の興味を惹いたのは、行きにいなかったミカエルシュナの存在だった。
ユリウスに付き従う形で馬に乗るミカエルシュナ──途中で調達した馬だ──に、誰もが言葉を失った。何しろ美し過ぎるのだ。ユリウスの隣にいても見劣りしない絶世の美女の登場に、もしやお妃候補か⁉ と皇都民は大混乱に陥った。
勿論のことながら、本人達にその気持ちは無い。だが周囲はそう思えないもので、皇宮にいたルキウス達もまた、ユリウスが花嫁を連れ帰ったのかと慌てふためいた。
「──そういうわけで、あくまで客将として受け入れたのであって、妃候補ではない」
自身の執務室にて、ユリウスはことのあらましを弟に話した。執務机に座った彼の前には顔を強張らせるルキウスと苦笑するミカエルシュナがいる。
ルキウスは白銀の髪に兄と同じ蒼い瞳の青年だった。がっしりとした身体付きでいかにも軍人という厳しい顔立ちは、貴公子然としたユリウスと似ているところが少ない。
「それは⋯⋯えーっと、真実なのか?」
どちらに聞くべきなのか解らず、ルキウスの視線はユリウスとミカエルシュナを行ったり来たりしていた。結局答えたのは、ユリウスである。
「少なくとも、俺はそう信じた。それに、邪竜討伐にはミカエルシュナ嬢の力なくしてはなし得なかっただろう。非常に頼りになる女性だ」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
ミカエルシュナはにっこり微笑んだ。ただ微笑むだけで何かしらの価値を生み出しそうな麗人に、ルキウスの顔はますます強張る。
「えー⋯⋯まあ、ことの経緯は解ったが、周囲がそれを信じるのか?」
「⋯⋯実は少し、自信が無くなっている」
「おい」
「そもそも、陛下に妃がいなかったことに驚きましたわ。二十七歳とお聞きしてましたから、てっきりすでにいらっしゃるかと」
人間の寿命は、長くて百年前後だ。子孫を残すことが義務の王侯貴族なら、早ければ十五、六歳で結婚しているものだろうというのがミカエルシュナの認識だったため、まさか婚約者すらいないとは思わなかった。
それを言うならアヴァロン王国のアルトゥール王も妃がいなかったが、そもそもあれに妃が必要だったのかというのは疑問が残る。いらないでしょ、というのがミカエルシュナの感想だ。決して求婚のために領地を攻撃された恨みからではない。
「色々あって、国内で相手がいないんだ。国外も、また色々あって難航している」
「そうでしたの⋯⋯だったら、なおさら誤解を生みそうですわね」
「もう手遅れな気がするが」
ルキウスの呟きに、ミカエルシュナとユリウスは顔を見合わせた。
「どうしましょう。騎士団の方に身を寄せた方がよろしいかしら」
「⋯⋯いや、ミカエルシュナ嬢には悪いが、このまま妃候補として誤解させた方がいいかもしれない」
ユリウスはふと、真剣な表情をした。それにぎょっとしたのは、ルキウスである。
「兄上! 何を」
「おまえも解っているだろう。皇太后とデュラック嬢の件だ」
ユリウスの言葉に、ルキウスは口を閉ざした。対し、ミカエルシュナは首を傾げる。
「陛下の母君が、どうかされましたか?」
「いや、皇太后は俺達の母ではない」
ユリウスは机に肘を突き、手を組んだ。
「現皇太后は、前皇帝の後添いでな、俺達と血縁は無いんだ。皇太后という身分だが、権力は無い。それが、あの人には耐えられないらしい」
「皇太后を名乗れるなら、相応の暮らしは約束されているでしょう。それで満足されないと?」
「ああ。あの人が欲しいのは、権力の方だからな」
ユリウスはため息をついた。
「だから、何とかして俺と自分の血縁を縁付かせようとしている。ただ、彼女の実家には適齢期の娘がいなくてな、遠縁の伯爵家の娘を婚約者に据えようと躍起になっているんだ。それが、ニヴィエ・デュラック嬢という少女だ」
「少女⋯⋯」
見た目は非常に若々しい──二十歳そこそこに見えるユリウスだが、さすがに少女という年齢の娘と結ばれるのはどうなのだろうか。とはいえ、これまた王侯貴族ならよくある年齢差なのだが。
「だが、余としては、皇太后と縁付くのは避けたい。というのも、皇太后の派閥はきな臭い噂が絶えなくてな。数年前にあらかた潰したのだが──それでも、まだ完全ではないんだ。何しろ、皇太后の一族そのものが残っているしな」
「なるほど⋯⋯それでわたくしを妃候補に仕立てて、相手の出方を見ようというわけですね」
「理解が早くて助かる」
ユリウスは軽く頭を下げた。
「表向きにでも、そういう教育を受けることになるが⋯⋯ミカエルシュナ嬢にとっても、悪い話ではないと思う。今後のために、淑女教育や歴史、法律のことを学ぶ機会を得られたと思ってもらえばいい」
「構いませんわ。そもそもわたくしは、陛下に拾われた身ですもの。御身のために行動するのは当然のことですわ」
「すまない。身分上は客将のままだから、否定しなければいい。あえて肯定する必要は無い」
「はい。⋯⋯ところで、きな臭い噂というのは、具体的にはどういうものですか? わたくしに頼むのですもの、相当に物騒なものだと思うのですが」
ミカエルシュナの指摘に、兄弟は顔を見合わせた。しばし逡巡したのち、ユリウスが口を開く。
「⋯⋯反乱だ」
「え⋯⋯」
思いのほか大きなことに、ミカエルシュナは目を見開いた。
「七年前──皇太子妃が、先代皇帝を害した罪で処刑された。調べてみると、彼女の実家が反乱を企てていることが解り、皇太子妃の家族も処刑、及び家門一族も貴族籍を取り上げ、関わっていた者は処刑、及び国外追放されることになった。⋯⋯だが、この反乱はその家門だけが企てたとは思えない部分が多くてな。一番の容疑者が、皇太后の実家であるアウグスト公爵家なんだ。皇太子妃の実家は、アウグスト家と縁戚だった」
「縁戚だった、と言っても、現在も公爵家として存続しているなら、あまり近しい家柄ではなかったのですよね?」
「ああ。先々代の頃に、娘が皇太子妃の実家に嫁入りしただけだ。だが、当時一番近しく付き合っていた家でもある。そして同時に、真っ先に売った」
「⋯⋯切り捨てられた可能性が高いのですね?」
ミカエルシュナが言うと、ユリウスは重々しく頷いた。
「現状、疑い止まりだ。だが、このところ怪しい動きをしていてな。囮のようなことをさせるが、頼めるか?」
「勿論、お任せください」
力強く答えるミカエルシュナに、ユリウスはほっとしたように頬を緩めた。
「ありがとう。一応、護衛を付けよう。こんなことを言える立場ではないが、無理はしないでくれ」
「はい」
わたくしに護衛っているのかしら、と思いながらも、ミカエルシュナは頭を下げた。
───
「⋯⋯わざとだろう」
ミカエルシュナが執務室から退室すると、ルキウスが不機嫌そうに言った。対し、ユリウスは首を傾げる。
「何がだ?」
「彼女を目立つように連れてきたのも、あえて不意打ちのような形で知らせなかったのも。思い付きのように言っていたが、もともとそうするつもりだったな?」
「どうだかな」
ユリウスはわざとらしく言った。だがルキウスの鋭い眼差しを受けて、肩をすくめる。
「都合がいいと思ったのは事実だよ。彼女を利用しようとしていると言われれば、まあそうだ」
「ミカエルシュナ嬢は、それを承知しているのか?」
「彼女は何も知らないよ。その方がいいと思ったからな」
「⋯⋯彼女が知ったら、怒るんじゃないか?」
「どうだろう。貴族としての心構えはできているようだから、その辺りは割り切るんじゃないか? いささか情が厚いきらいがあるのは否定しないが」
ユリウスは目を細めた。
彼としても、ミカエルシュナを利用するのは心苦しい。だが、皇太后や伯爵令嬢を牽制するには妃候補という存在が必要だった。しかもただの貴族令嬢ではなく、自分の身を守れるぐらいには強い女性が好ましい。
「⋯⋯すまないな」
ユリウスは聞こえることの無い謝罪を、口の中で呟いた。