十四
執務室を後にしたミカエルシュナは、城下に出ていた。城下の復興作業をしている騎士達に加わるためだ。
「ミカエルシュナ嬢、話は終わったのか」
「⋯⋯ええ」
そして当然かのように加わっているユリウスに、何とも言えない気分になった。
初日から騎士達に混じって復興作業を始めたユリウスに、シグルド共々面食らったものである。他国の皇帝がやることではないのだが、本人が積極的に行っているので、結局何も言えなくなった。
とはいえ、長く国元を空けるわけにはいかないので、今日で復興に参加するのは終わりとのことだった。
「我々は明日帰国することになるが、ミカエルシュナ嬢はどうするつもりだ?」
不意に問われたことに、ミカエルシュナは身を固くした。
先ほどシグルドの提案を断ったばかりだったから、そう言われるとどうすればいいのか解らなくなってしまう。
そんな様子に気が付いたのだろう、ユリウスは手を止めてミカエルシュナに向き直った。
「どうかしたか?」
「実は⋯⋯公子殿下にここに残らないかと誘われたのです」
「⋯⋯残らないのか?」
ユリウスはどうやら、ミカエルシュナが公国に残ると思っていたらしい。しかしミカエルシュナは首を振った。
「ここは確かに、わたくしにとって故郷になります。ですが⋯⋯もう面影も残っていないここに留まっても、ただ辛いだけな気がして。それに、わたくしはもう領主の娘ではないのです。現在の領主の世話になるわけにはいかないでしょう」
復興が進む公都は、やはりルフェ領だった頃と全く違う。そもそもここは、当時は麦畑が広がる土地だった。ミカエルシュナの住んでいた屋敷もすでに無く、帰る場所はどこにも無いのだ。
ならどこに行けばいいのか、と問われれば、ミカエルシュナは答えに窮してしまう。完全に異邦人と化したミカエルシュナには、どこにも帰る場所が無いのだ。
うつむいて黙り込んだミカエルシュナはをじっと見つめていたユリウスは、口を開いた。
「なら我が国に来るか?」
「え?」
ミカエルシュナは顔を上げた。ユリウスは至って真面目な顔で、言葉を続ける。
「ミカエルシュナ嬢の実力は、正直手放すのが惜しいほどだ。我が国でひとまず客将として滞在し、のちのち身分を与えるというのはどうか」
「それは⋯⋯」
「我が国──というか皇宮に滞在してもらえば、貴女が必要とする知識も手に入るだろう。功績によっては、貴族籍も手に入ることになる。いかがか?」
「いかがか⋯⋯って」
ミカエルシュナはしばし迷った。
地図上で、ローディウムはかつてのアヴァロン王国の大半を有する大国だ。だが人生のほとんどをルフェ領で過ごしてたミカエルシュナにとって、アヴァロン王国に対する帰属意識は実はほとんど無い。
成人して中央と関わり合いになればまた違ったかもしれないが、そうなる前にあんなことになったので、結局国に対する思い入れがほとんどできずに終わった。
どれだけ探しても面影がほとんど無いがゆえに辛くなる公国と違い、記憶が薄いゆえにほとんど探す必要も無いローディウムの方が、気持ちの上では楽かもしれない。
何より、この世界に生きる上での知識を得られるのが大きい。
「⋯⋯では、お願いいたします」
ミカエルシュナは頭を下げた。
会ってそれほど経っていない相手をすぐ信頼するのは本来危険かもしれないが、ユリウスが信じるに値する相手であることはこの短期間で実感済みだ。少なくとも、即座に攻撃という手を取ったアルトゥールなどよりよほど王にふさわしい人物であると考えていた。
「うむ。では、改めてよろしく頼む」
ユリウスは嬉しそうに頷き、手を差し出した。その手をそっと取り、ミカエルシュナは頭を下げる。
「微力ながら、手助けさせていただきますわ」
「ああ、期待している」
ユリウスの言葉に、ミカエルシュナは微笑みを返した。
───
皇帝ユリウスの無事と帰還の報に、皇宮は安堵と喜びで沸き立った。皇弟ルキウスの指示の元、ユリウスを迎える準備で慌ただしくなり、どこの部署も忙しく動き回ることになる。
そんな様子から外れるように、静かな一角があった。後宮と呼ばれている場所である。
そこを住処とする”彼女”は、ユリウスの帰還を聞き、舌打ちを漏らした。
「何てしぶとい男なのかしら。伝説に名高いファーヴニルが相手なら、あの男も無事では済まないと思っていたのに⋯⋯しかもニーベル公国も壊滅できていないじゃない! とんだ期待外れだわ。しょせんは失敗作ということかしら」
豪奢なドレスの裾を翻し、女はうろうろと部屋を歩き回る。
丁寧に手入れされた艶やかな黒髪をティアラでまとめ上げ、華やかな刺繍を施した絹のドレスと金細工の装飾品で身を飾った彼女は、一目見ただけで高貴な人物であることが解る。顔立ちも中年の域に差しかかっているものの、往年の美貌を充分に保っていた。
それも、怒りで歪む表情のせいで台無しなのだが。
「お母様、落ち着いてください。お茶でも飲んで⋯⋯」
そんな女に声をかけたのは、女と同じ黒髪の少女だった。
髪と同じ黒いドレスに総レースのカーディガン、身に付ける装飾品は髪をまとめた白いリボンと銀のバレッタだけ。母と呼んだ女とは対照的に地味な装いだが、その顔立ちははっとするほど美しい。特に大きなサファイアブルーの瞳は、向かい合えば惹かれずにはいられないだろう。
そんな娘の声に、女は我に返ったようだった。
「ネリア⋯⋯ああ、ごめんなさい。お茶、いただくわ」
少女手ずから淹れた紅茶に、女は口元をほころばせる。ネリアと呼ばれた少女は、カップを差し出した。
「⋯⋯皇帝陛下が、帰ってこられるのですね」
「ええ、そう。忌々しいことにね」
女はカップを受け取りながら、再び舌打ちしそうな顔をした。
「奴が死ねば、次の皇帝はネリアなのに⋯⋯」
「⋯⋯皇弟殿下がいらっしゃいますわ」
「あんな男、どうとでもできるわ。それよりユリウスよ。本当に⋯⋯邪魔だわ」
女はふん、と鼻を鳴らした。
「まあいいわ。ほかにも手があるのだから。⋯⋯ネリア」
女は紅茶を飲み干した後、ネリアをそっと抱き締めた。
「ネリア⋯⋯わたくしの、ただひとりの娘。おまえはいずれ、この国の皇帝になるの。ユリウスでも、ルキウスでもない、おまえが皇帝になるのよ。先帝や皇太子の時はうまくいったのだもの。今度も、うまくいくわ」
「⋯⋯はい、ユリアお母様」
「いいこ。ところで、件の剣はどう?」
女──ユリアが尋ねると、ネリアは部屋の隅に隠すように立てかけられていた剣を手に取った。
「ここに」
小柄なネリアが持つには、いささか無骨かつ大振りの剣だった。鞘の形状から片刃。どことなく禍々しい雰囲気の剣である。
「大事にしなさいね。しっかり馴染むように」
ユリアは微笑む。どろりとした、甘い微笑だった。
もしミカエルシュナがその剣を見れば、一目で気付いただろう。
それはかつて、トリストラム公爵が持っていた剣だった。