十六
ミカエルシュナの居室は、皇宮内の客室が充てられた。更に護衛として獣人の女性騎士、世話役としてハーフエルフの侍女が付けられることになった。
「オリヴィアと申します。事情は聞き及んでおります」
まず獣人騎士がそう挨拶をした。
騎士──オリヴィアは、熊の獣人だった。短い黒髪に赤い瞳、丸い獣耳の、一見すると男性的な印象である。だが身体付きはがっしりとしているがちゃんと女性のそれだし、よく見れば睫毛が長かったり輪郭が丸かったりと、完全に男性というわけではない。顔立ちもどちらかといえば可愛らしいので、きちんと着飾れば愛らしい令嬢になるだろう。
「エリルと申します。お嬢様のお世話をさせていただきます」
エリルは薄緑色の髪に黄色い瞳の、小柄な女性だった。年齢はまだ二十歳ほどだろう、少女期を脱したばかりという印象がある。繊細な顔立ちだが、表情は大人びていた。
「初めまして、ミカエルシュナよ。これからよろしくね」
ミカエルシュナが微笑みながら挨拶すると、オリヴィアとエリルはそわそわと落ち着かない雰囲気をまとい始めた。
ミカエルシュナにとっては、見慣れた様子である。辺境伯令嬢時代も、初めて顔合わせした使用人は皆動揺する素振りを見せていた。中にはまともに名乗ることさえできない者もいたので、ふたりはまだましな反応である。
「事情は聞いているとのことだけど⋯⋯どこまで聞いているのかしら」
「あ、はい。お嬢様がアヴァロン時代の方であること、妃候補の振りをすることなど、あらかた」
「そう、本当にほとんど聞いているのね」
なら隠すことも無さそうだと、ミカエルシュナは安堵した。今後最も近しくなるだろう相手に、隠しごとはしたくない。
「お嬢様、お部屋のご案内をさせていただきます」
エリルは客室の紹介を始めた。
客室は、ほぼ全ての生活がそこで完結するようにできていた。
応接間や寝室だけでなく、書斎や衣裳室、はては浴室まである。ミカエルシュナの時代では浴室が客室に設置されているというのは聞いたことがないので、これには目を白黒させた。
更に衣裳室には、すでにドレスが入っていた。
「既製品しか用意できず、申しわけありません。サイズ調整は今からでもできますが、どうされますか?」
「お願いしてもいいかしら。いつまでも着の身着のままというわけにはいかないし⋯⋯」
ミカエルシュナは切実な思いで言ったが、その言葉を少し後悔することになる。
着替える前に、まず身体を清めることになった。エリルに世話されることになるが、元貴族令嬢のミカエルシュナにとっては慣れたもので、特に苦痛ではなかった。問題は、その後のことである。
「コルセット⋯⋯? こんなものを着るの?」
ミカエルシュナはエリルが差し出したものに首を傾げた。
新しい下着を着用したミカエルシュナは、見たことも無い下着に目を白黒させる。胸元から胴体全体を覆うような形のそれは、紐でサイズを調整できるようになっていた。
「お嬢様は細身ですので、そこまで締めなくていいですが、現代の貴婦人は皆様これを着用してくびれを細くするのです」
「貴女達も着ているの?」
ミカエルシュナはエリルとオリヴィアを見比べた。
「はい。上級の女性使用人は、平民出身でも着用しています」
「私も着ています。ただ、私の場合は防具を兼ねていますが」
「防具用もあるのね」
「防具用は魔物の革製です。お嬢様にご用意したものは、布製となります」
そう言いながら、エリルはコルセットを巻き付けた。そしてぐ、と紐を引く。圧迫される腹部に、思わずう、と声が漏れた。
「申しわけありません。大丈夫ですか?」
「え、ええ。でもこれ⋯⋯慣れるまできついかも」
「これでも緩い方なんですよ。お嬢様は、本当に細くていらっしゃいますから。⋯⋯胸元は、むしろ大きいぐらいですけど」
最後の方は、よく聞こえなかった。ミカエルシュナは目をぱちぱちさせながら、腹部をさする。しばらく食欲は抑え気味になりそうだった。
そこから更に驚きに見舞われることになる。
「この骨組みは⋯⋯何? 防具?」
「クリノリンです。スカートを膨らませるのに使います」
半楕円形に組まれた骨組みに、ミカエルシュナは言葉を失った。
太い針金で作られたそれは、少し触った程度では形が崩れない。なるほどこれなら、スカートの形を崩すことなく膨らませることができるだろう。
「⋯⋯でもこれ、座りにくくないかしら?」
「それは⋯⋯まあ。ですが、必要なものですので」
「必要ねぇ⋯⋯」
ミカエルシュナは首をひねりつつ、クリノリンを装着させられた。まさしく装着という言葉がぴったりな気分だった。
そうしてようやく着せられたドレスは、フリルとリボンを多用した華やかなものだった。とても既製品とは思えないほど美しく装飾されたドレスは、ミカエルシュナを彩る。髪を整えているわけでも、宝石や化粧で飾り立ててるわけでもないのに着こなせているのは、さすがの美貌だった。
だが、本人は微妙な表情である。
「現代の王侯貴族は、こんな面倒な格好をしているの? いくら着飾ることも義務とはいえ、不便というか、不合理というか」
「でも、皆様していらっしゃる格好ですから」
「ふうん⋯⋯」
浴室で感じていた気持ちよさが消え去り、ミカエルシュナは何とも言えない気分になった。
とはいえ、着替えは終わったのである。これで表を歩けるようになった。
「ドレスの調整は必要無さそうですね。これならほかのドレスも問題無いでしょう。今日は何も予定はありませんが、この後どうされますか?」
「それなら、書き取りができるものを用意していただける? 淑女教育は明日からという話だけど、今日のうちに自分の名前と簡単な挨拶ぐらい書けるようになりたいの」
行軍中もやっていたことだが、なにぶん休憩中にだけな上、地面に書いて練習していたことだ。当然完璧ではない。
現代は製紙技術が確立しており、羊皮紙より安価かつ大量生産ができる紙が流通している。そのおかげで平民にも文字が普及しているというから、ミカエルシュナもずっと文盲というわけにはいかない。
クリノリンを着た状態でちゃんと椅子に座れるのか、疑問は拭えないのだが。
「解りました。では、僭越ながら私がご指導させていただいてもよろしいでしょうか」
「むしろ願ったり叶ったりだわ」
その日は、食事の時間になるまで書き取りの練習で消費されていくのだった。余談だが、食事はやはり食べきれなかった。
───
皇都では、ユリウスに付き従う謎の美女の噂で持ち切りだった。それは平民だけでなく、貴族達も同様である。
その美しさと、公国での突出した活躍、仕種からにじみ出る気品から、もしやユリウスの妃になるのでは、と先走った考えを持つ者もいる。
勿論、出自の怪しい彼女に不信感を持つ者、しょせん皇帝陛下も男かと下衆な勘繰りをする者もいるが、おおむね彼女が妃候補になるのだろうという考えが主流である。それに賛否が分かれるのは別として。
それを受けて、荒れる少女がひとり。
「どうしてどうしてどうしてどうして。ユリウス様ユリウス様ユリウス様ユリウス様」
可愛らしい家具やリボンにレース、宝石で飾り付けられた部屋の中で、その少女はぶつぶつと呟いていた。
綺麗にセットされたウェーブがかったストロベリーブロンド、大きな瞳は翡翠色で、見た者皆が口をそろえて愛らしいと評する、小柄な少女である。
だがその愛らしさは、異様な様子で減退していた。
少女は頭を抱え、ひたすら皇帝の名を呟いている。その響きは愛おしさと恨めしさが同居した、激しい熱を帯びた音である。
「貴方の隣は、私のものでしょう? 貴方の妃は、私だけでしょう? どうして、見知らぬ誰かを置くの? 私の嫉妬をあおって、どうしたいの? ユリウス様⋯⋯」
その声に答える者は、いない。部屋には彼女ひとりだ。当然、ユリウス本人もいない。
もっとも、ユリウスがこの場にいたとしても、それを否定していただろう。
ユリウスはずっと、少女を拒否していた。少女を妃にしないと明言していた。
それでも、少女は信じていた。自分こそが、ユリウスの妃になるのだと。
盲目的に、妄信していた。